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アイネ ベスティー/四つ足の獣

eine Bestie


野獣


「実は、子どもができたんだ」


ある日のトレーニング後、更衣室でフローリアンが何気なく呟いた。

それを真顔で聞いていたアレンとチャドは、次には顔を見合わせた。


「あれ?」

「何も言ってくれないの?」

黙りこくった2匹に、フローリアンはふくれた。


「だってよ……どうすんの?」

チャドは何となくぼかして言った。


確かに、とアレンも思う。

子どもができたとして、この友はどのような選択をするのだろうと。


「どうするって……結婚するよ」

「責任感じて?」

これもチャド。


「うーん、そういうのとはちょっと違うな」

着替えのシャツに手を通しながら、フローリアンは宙を見て考えた。


「子どもとか特に作ろうって思ってたわけじゃないんだよね」

「でも彼女からできたって言われて……ちょっと驚いた」

「自分の心境の変化に」


「変化って?」

今度はアレンが聞く。


「想像では、もっと面倒に感じるかなって思ってたんだよね」

「めちゃくちゃ子ども好きってわけでもないし」


「でもさ、彼女のお腹の中にいるのは、間違いなくぼくの遺伝子を受け継いだ子なんだよね」

「それがいつか形になって目の前にやってくるんだって思うと、何ていうのか……」

「すごく嬉しくなって」

フローリアンは、ロッカーの扉を静かに閉めた。


「こんなこと言ったらきっと怒られるけど」

「今までで最高の彼女ってわけでもないんだよ」

「でもぼくは、彼女と生きていきたいと思ったんだ」

「不思議だね」


フローリアンはそう言うと、照れたように笑った。

彼の話を聞いて、アレンはハンスのことを思い出した。


フローリアンよりずっとドライに、ロッテという存在をこの世に生み出したオス。

その彼でさえ生まれたロッテを見て、文字通り彼女に生涯を捧げることになったのだ。

オスというのは、いや父親というのは、そういうものなのかもしれない。


「と、いうわけで」

「ぼくたち、結婚することにしました」


「そうか」

「おめでとう」

イケメンアルパカの選択に、2匹の友は納得した。


*****


部屋に帰ると、キッチンにロッテが立っていた。

今日は彼女が夕食の当番で、いつものエプロンを締めて料理をしているところだった。

アレンが帰ってきたのを見ると、ロッテは笑っておかえりと言った。


いつものルームウェアに着替えて、アレンはキッチンのテーブルに着く。

そこに座って、ロッテの後姿にフローリアンのことを話した。


彼女は何度か驚いたような声を上げ、そして彼を祝福した。

包丁とまな板の触れ合う音は、その間も止むことはない。


アレンはやおら立ち上がって、ロッテの小さな背中を包んだ。

フローリアンの話を聞いたことで、触発されたといってもいいかもしれない。


「ロッテ」

彼女の首筋に鼻面をこすりつけながら、アレンはそっと話しかけた。


「山小屋でプロポーズしてから少し経ったけど」

「うん」


「俺たちも具体的に進んでいこうか」

「結婚?」

「うん」


「俺も今の部署に慣れてきたし、これからのことしっかり考えていこうと思って……」

「そうね……」

ロッテは拒否こそしなかったが、何かしっくりきていない気がする。


「気にしてるの? この前のこと」

「それは……そうなるわよ」


「だって、オオカミになっちゃうのよ」

「フーも言ってたけど、それはさほど大変なことじゃないと思うけど?」

「人間のロッテもオオカミのロッテも、俺は好きだし」

「そうなんだけど……」


結局、ロッテ自身がどう感じるかにかかっているようだった。

アレンがありのままの彼女を受け入れていることは、ロッテにもきっと伝わっているはずなのだから。


「フローリアンがうらやましい?」

「ん?」


「もしわたしがオオカミになったら……あなたの子どもを生めるかしら」

「……それは、またゆっくり考えようか」

アレンはそう言って、最後に小さくキスをした。


*****


数日後、アレンは現場に出ていた。

今回の仕事は、今までで一番緊張感の漂うものであった。


アレンたち特警部所属のSPは、某大企業のCEOの護衛にあたっていた。

この重役には普段からも護衛が付いているのだが、今回は特に完璧な警護が求められていた。

というのも、合併を予定している企業との会合に参加するCEOに、殺害予告が出されていたからだった。


ドミニクの指示により、アレンたちは緊急時のフォーメーションや流れを頭に叩き込んだ。

会合の進み具合によっては、今日は帰れないかもしれない。

長い1日が始まろうとしていた。


アレンが現場入りしたのと同じころ、仕事が休みだったロッテはフーと面会に出掛けていた。

デートの日以来、ロッテはオオカミに変身することはなかった。

特に目立った体調不良などもないようで、彼女はとても落ち着いていた。


フーと待ち合わせしたのは、とあるカフェの一席でだった。

店内の壁には大型モニターが設置してあって、今は、当たり障りのない情報番組が映し出されている。


先に着いたロッテは、少し遅れてきたフーに手を振って合図した。

ロッテよりもさらに小柄なフーは、遅れたことを詫びて向かいに座った。


何ということはない日だった。

ロッテは近況を話し、フーがそれを聞く。

いつものように面接が始まり、いつものように終わるはずだった。


店内のモニターに、ブレイキングニュースが入る。

カフェにいた客は、みなモニターに釘付けになった。


番組では、大手企業のCEOを狙った殺害予告に関してのニュースをやっていた。

合併予定の2つの企業が会合を行うかというとき、銃声が聞こえたらしい。


『現場は騒然としています!』

たまたま現場近くに居合わせたらしいレポーターが、スマホで中継をつないでいるらしい。


「あのビルって、けっこう近くだよな?」

「やだ、怖い!」


隣の席で、草食獣のカップルが囁き合うのが聞こえた。

言われてみると、ロッテもその場所を何度か通ったことがあった。


「物騒な話だな」

フーがコーヒーを一口含んで言った。


帰りは遠回りして帰ったほうがいいだろうか。

ロッテはそんなことを考えていた。


『今、今新しい情報が入ってきました!』

『護衛にあたっていたSPの1匹が、狙撃された模様です!』

『繰り返します、SPが狙撃されました!』


水の中にインクを落としたように、ロッテの心に微かな波紋が生じた。

心に滴り落ちた不穏な色は、次第に広がりを見せる。


SPが狙撃。

アレンは、今日は仕事に出ている。


「現場のニックさん!」

「狙撃された獣の詳しい情報はありますか?」

スタジオが、現場のレポーターに迫る。

「CEOは無事なのでしょうか?」


スタジオと現場の騒然とした様子に、店内はざわついていた。

向かいのフーは落ち着いていたが、ロッテは心のざわつきを止められなかった。


彼女は、客の多くが抱えていたのと同じ不安を感じていたわけではない。

もっと深いところで、彼女は怯えていた。


『分かりました!』

レポーターが声を張り上げる。


『狙撃されたのは、オオカミのSPだということです』

『撃たれたのは、オオカミだということです!』


一瞬にして血の気が引くのが分かる。

狙撃されたそのオオカミについては、顔も所属も明らかにはなっていない。


しかしロッテには、それがアレンであるような気がしてならなかった。

青ざめた顔で跳ねるように席を立つと、ロッテは現場に向かって走り出した。


*****


「アレン!」

フローリアンが叫ぶのが聞こえる。


最初に感じたのは、打撃のようなものだった。

何が起きたのか分からなかったが、腹部に熱と痛み、そして流れる血を見て撃たれたことを知った。

アレンは防弾チョッキを着用していたが、弾は不幸な偶然にもちょうどその隙間から命中したらしい。


アレンは銃創部を手で押さえ、地面に横たわっていた。

狙撃手の位置が完全には把握できていないので、他のメンバーもむやみに動くことはできない。

少し先の物陰にはフローリアンがいて、唇を噛んでアレンを見ている。


アレンは、フローリアンをかばって撃たれた。

アレンがスコープのきらめきを確認したとき、その先にいるのがフローリアンだと分かった。


声をかけても、間に合いそうにない。

瞬間的に、アレンは地を蹴って走り出していた。


あの日、子どもができたと報告してくれたフローリアン。

はにかみながらも、結婚することに決めたと言った友達の顔が浮かんだ。


ロッテには申し訳なかったが、アレンは自分たちのことを考える余裕はなかった。

ただ、フローリアンを死なせたくなかった。


撃たれどころが悪かったのか、血が止まらない。

指先が冷え、体に震えが起き始めている。


自分はこのまま死んでしまうのだろうか。

アレンは、ふと思った。


体は、地面にへばりついているかのようにずっしりと重い。

意識が朦朧としてくる。


アレン……。

彼は、ロッテの声を聞いたような気がした。


その刹那、霞む視界の中に何かが飛び込んできた。

四つ足で地を踏みしめて立つそれは、金色の毛を逆立てたオオカミだった。

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