オーネ/アレンとロッテの場合
ohne
~なしで
アレンが特警部の所属になって、早2か月が過ぎようとしていた。
未だに現場に駆り出されることはなく、彼は日夜訓練に明け暮れていた。
フランクの言ったとおり、ドミニクの指導はかなりキツかった。
彼に対して、容赦なく過酷なトレーニングを課してくる。
それが自分への期待の裏返しだということを、アレンはもちろん分かってはいた。
ある日のトレーニング後のことだった。
アレンはくたくたになって、シャワー室に向かった。
「アレン、お疲れー」
気さくに話しかけてきたのは、同僚のラルフ。
小柄ながら利発そうなシェパードだ。
彼のうちは、曾祖父の代から警察官をやっているらしい。
「相変わらず、大変そうだね」
「もう、汗だくだよ……」
アレンは、げっそりという感じで応じた。
ラルフは着替えの最中だったが、アレンがTシャツを脱いだのを見て目を見張った。
「やっぱりスゴい体してるねー」
アレンの体を見て、感心しているらしかった。
「そうかな?」
「そうだよ、やっぱ筋肉の付き方がオレとは全然違うもんなあ」
「ちょっと触ってもいい?」
「え?」
一瞬戸惑う素振りを見せたアレンに、ラルフは慌てて弁解した。
「いや、変な意味でなくね!」
「オレ、ノーマルだから安心して?」
ラルフが単純な興味からそう言ったのだと理解し、アレンは彼の好きにさせた。
「すごっ!」
「カチカチ!!」
ラルフは目を輝かせて、アレンの腹筋やら上腕二頭筋やらをツンツンとつつきまくる。
ようやく手を引っ込めて、礼を言った。
確かに、ロッテも最近そんなことを言うようになったとアレンは考えていた。
体がガチガチになってきたね!
彼女はそのように言っては、ふざけて彼の腕にぶら下がってみたりしていた。
「ごめん、邪魔したね」
ラルフは、アレンがシャワーを浴びようとしていたのを思い出したらしかった。
「もうトレーニングには慣れてきた?」
「うちへきて2か月くらいだったよね?」
シャワーを浴びる支度をしているアレンに、ラルフは話しかけた。
「いや、どうだろ」
「全然そんな感じしないんだよな」
「付いていけてない……」
アレンはため息を吐く。
「そんなことないでしょ?」
「ドミニクのメニューをこなせてるんだったら」
ラルフがフォローを入れる。
「でも、実際疲れるよね」
「オレも最初はそうだったもん」
汗で汚れた服を脱ぎ捨て、アレンは空いたシャワーブースに入ろうとしていた。
その背中に、ラルフの声は続く。
「思い出したくもないんだけど……」
彼は勝手に話している。
「当時付き合ってるメスがいてさ」
「それまではすごく仲良しだったんだけど、特警の配属になってからはトレーニングについていくのに精一杯になっちゃって」
「気が付いたら、2か月くらい放っておいちゃってて」
ラルフは、アレンが聞いていなくても構わないような様子だった。
「あるとき早上がりできたときがあって、仕事が休みだった彼女の部屋に行ったんだ」
「彼女が好きな、ケーキをお土産に買って……」
そこでラルフは黙った。
「それで?」
さすがに続きが気になり、アレンは先を促した。
「驚かそうと思ってこっそり部屋に入ったら……」
「彼女が別のオスを連れ込んでて……まさにその最中だったんだ」
「後日問い詰めたら、オレが相手してくれなかったからだって逆ギレされたよ」
「ああ……」
もうああとぐらいしか言えないくらいの気の毒さ加減だと、アレンは思った。
「アレンも付き合ってる子いるんでしょ?」
「え? あー、うん」
「ちゃんと彼女のこと捉まえておかないとだめだよ」
「オレみたいにならないようにね」
そう言うと、ラルフはシャワー室を後にした。
ぽつんと残されたアレンは最初、彼の話は自分とは無関係だと思っていた。
ロッテと俺はちゃんとうまくやってる。
ラルフは運が悪かっただけだ。
うちは大丈夫、大丈夫……。
そう思ったが、彼の頭にふとある疑問が湧き上がった。
最後にロッテとちゃんと寝た、つまりセックスをしたのはいつだっただろうか?
アレンは考えてみた。
しかし、思い出せなかった。
つまりそれくらい前だったということに気付き、アレンは愕然とした。
おいおいおいおい。
青ざめながらも、ふらふらとシャワーブースに入る。
そこには【故障中!お湯が出ません】の貼り紙がしてあったが、彼はそんなことには気付かない。
呆然としたまま、栓をひねる。
ザーーッと流れ出た冷水を浴びても、アレンは何も感じなかった。
*****
まずい。
アレンは眉間に皺を寄せていた。
いつも頑張っているからと、ドミニクが早上がりをさせてくれたのだった。
しかも、ロッテは今日は休みだった。
これじゃあ、ラルフと同じじゃないか。
次にはっとしたのは、アパート近くのカフェでケーキを買ったときだった。
ロッテの好きな、けしの実のケーキ。
その包みを持って、何をやってるんだ俺は……とぼんやりと思う。
彼女の好物を買って部屋を訪ねたら、他のオスと……。
ラルフの話が繰り返し思い出される。
他のオスと……。
まさに最中……。
まるで暗示にでもかかってしまったようだ。
アレンはラルフと同じように、静かにドアを開けた。
キッチンやリビングに、ロッテの姿はない。
足音を忍ばせて部屋を進むと、バスルームからシャワーの音が聞こえる。
室内に入ると、シャワーカーテンの閉められたバスタブが見える。
中には、きっとロッテがいるはずだ。
はあ、はあ、はあ……。
妙な息遣いが聞こえる。
時おり、体に力を入れたように声が漏れる。
アレンは、頭が真っ白になる。
まさか、バスルームで?
シャワーを浴びながら?
俺だって、そんなことしたことないのに!?
訳の分からない考えで頭がパンクしそうだ。
そんなことしてどうなるんだという自分の内なる声を無視して、アレンは黄色いアヒル柄のシャワーカーテンに手をかけた。
アレンがカーテンを引くと、当然ながらそこにはロッテがいた。
はっとしたようにこちらを見て、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「え? アレン? アレンなの?」
しばし状況が飲み込めないといった顔をしていた。
「えっと……今日は早く帰ってこられて……」
バスタブに、他のオスの姿などはなかった。
シャワーカーテンを開けた部分から、アレンに容赦なく水しぶきが降りかかる。
「あっ、ごめん」
ロッテはそう言うと、シャワーを止めた。
「驚かそうと思って来たら、何か、変な声がしたから気になったんだけど……」
「変な声?」
「苦しそうなっていうか……」
アレンは、ごにょごにょとごまかした。
まさか、きみがそこで俺以外のオスとナニしてると思ってましたなんて言えるわけがない。
「あ、それね!」
ロッテは裸のまま、ようやく合点がいった顔をした。
「筋トレしてたの」
「筋トレ??」
「そうそう」
ロッテは、髪の毛から垂れた雫を拭った。
「最近寒くなって、あんまり散歩にも行かなくなっちゃったから」
「アレンの体が締まってきたのを見たら、わたしも何かやるかなって」
「どうせ汗かくからと思って、シャワー浴びながらやってたの」
「ごめんね、何か心配かけちゃったみたいね」
謝らなければならないのは、おそらくはアレンのほうだった。
筋トレをしたというロッテは、アレンが買ってきたケーキを美味しそうに食べていた。
それを見て、とりあえずは少し救われた気分になった。
*****
その晩。
ロッテは、ベッドの上で最近買ったという画集を見ている。
腹ばいになって寝転び、ナイトウェアから突き出た脚をぶらぶらとさせている。
彼女の、腰からお尻にかけての絶妙なカーブ。
その具合のいい窪みに、アレンは頭を乗せてみる。
なぜかロッテのほうを向けず、頭は脚の方に向けて横になった。
「あのさ、ロッテ」
「何?」
「いや……」
アレンが言いよどんでいると、ロッテは脚をベッドに下ろした。
そのすべすべとしてほっそりとした脚を、アレンは手の甲で撫でた。
「どうしたの?」
「ん?」
「今日は何か変じゃない?」
「別にそんなこと……」
そうは言ったが、もちろん言いたいことはある。
「あのさ」
「うん」
「何かごめん」
「何が?」
ロッテは画集から顔を上げて、体を起こした。
アレンは、そのままベッドに転がる。
「新しい部署に行ってから、ずっと放ったらかしてた」
「何を?」
「きみを」
「わたしを?」
「そう……ごめん」
ごにょごにょと言い続けるアレンを見て、ロッテはようやく彼が何を言いたいのか理解したようだった。
「もしかして、そんなこと気にしてたの?」
「えっとつまり……わたしを抱けなかったことをよね?」
「そう」
「何だ、そうだったの」
ロッテが弾けるように笑ったのを見て、アレンはふて腐れた。
「笑い事じゃないだろ」
「セックスは、大切なコミュニケーションじゃないか」
「違う?」
アレンがそう言うのを聞いて、ロッテは笑うのを止めた。
しかし、まだおかしそうにはしている。
「そうね、確かにそう」
「笑ったりしてごめん」
ロッテはアレンの頭を撫でた。
「でも仕方なかったじゃない?」
「アレンは、まず新しい仕事に慣れなくちゃ」
「それはそうなんだけど」
「だからって、パートナーを放っておいていい理由にはならないだろ?」
「それはそうだけど……」
今度は、ロッテがアレンの背中にもたれる。
「それが理由になるかどうかは、カップルによるんじゃない?」
「つまり?」
「つまり、それでだめになるカップルもいれば、そうでないカップルもいるってこと」
「わたしたちは、後者だと思うけど?」
ロッテはそう言ってくれたが、アレンは何だかすっきりとしない。
ロッテは続ける。
「わたしだって、ずいぶん待たせたじゃない」
「そこへくると、アレンはまだ2か月よ」
「まったく何もしてないわけでもないし」
「わたしはそれなりに楽しんでたけどな」
アレンはごろんと仰向けになって、ロッテを胸の上に乗せた。
「そうなの?」
「うん、そう」
そう言うと、ロッテはしょぼくれたオオカミの鼻面にキスをした。
「これが一生続くってわけじゃないんだから」
「まあ……わたしもアレンとするのは気持ちよくて好きだけど」
「今はあなたが頑張るのを応援したいと思ってる」
「だから、気にすることなんかないの」
「本当にしたいと思えたら、そのときはそうしましょ?」
「ね?」
アレンは、まるで子どものようにロッテに言い含められた気がした。
ラルフの話で敏感になりすぎていたかもしれない。
アレンは素直にそう思えた。
気持ちがすっきりすると、別のことが頭に浮かんだ。
さっき、ロッテの言った言葉。
アレンとするのは、気持ちよくて好き。
気持ちよくて、好き。
アレンはベッドの上で再び向きを変えると、今度はロッテの上になった。
そのままキスをして、彼女の体をまさぐる。
「ねえ、だから無理しなくていいってば」
くすぐったそうに笑って、ロッテは言う。
アレンが気を遣って、こういうことをしていると思ったらしい。
しかし、今は違う。
「えっと」
「本気でしたくなったので、今からいいですか?」
「明日は休みだよね?」
体を起こして、バカ丁寧に聞いてみる。
ロッテは眉を上げて意地悪そうな顔をしたが、その手をすぐにアレンに巻き付けた。




