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アンゲリカ イスト ダー2/カフェにて

母は、何も言わずに黙っている。

それはまるでアレンに説明を促しているような、圧力じみた無言だった。

アレンは、ついそれに屈してしまう。


「あの、母さん」

アレンが口を開きかけたとき、母が遮るように言った。


「立ち話も何だから、行きましょうか」

「え?」

「近くにカフェぐらいあるでしょ?」

「あ、あるけど……」

「じゃあ、行きましょう」

母親はそう言うと、ロッテの手を引いて部屋から出た。


「ちょ、ちょっ……外に行くの!?」

「そうよ」

「いや、今水道の修理してるから、うちにいないといけないんだけど……」

「だから、あんたがいればいいでしょう」


母はぴしゃりと言い放つと、ロッテと連れ立って出て行ってしまった。

後には、放心状態のアレンが残された。


*****


アパートからほど近い場所に、そのカフェはあった。

アレンの母親は、テラス席に腰を下ろす。

彼女にどうぞと言われ、ロッテもその向かいに腰を下ろした。


黒いギャルソンエプロンを締めたウエイターが、注文を取りに来る。

「わたしはエスプレッソをダブルで」

「何かおすすめのケーキはあるかしら?」

「けしの実のケーキが美味しいですよ」

ウエイターはにこやかに言った。


「じゃあそれで」

「あなたはどうするの?」

彼女に聞かれ、ロッテはドキッとした。

「えーと、わたしも同じケーキと……紅茶にします」


ウエイターが下がった後は、何となく気まずい時間が流れた。

ロッテは、否が応でもついさっき流れていたドラマのシーンを思い出す。


アレンの母も、ああいう風に言うだろうか。

あなたなんか認めるもんですか! 

そう言うだろうか。


ケーキと飲み物が運ばれてくるのに、そんなに時間はかからなかった。

けしの実ケーキの皿が、各々の前に置かれる。

ごゆっくりと、ウエイターは下がっていった。


ロッテは、このカフェのけしの実ケーキが好きだった。

天板でまとめて焼いて、長四角にカットされた素朴なケーキ。

食べると、ナッツとも違うけしのコクと風味が口いっぱいに広がるのだ。


アレンと何度かここを訪れたことがあるが、そのたびにいつも注文している一品なのだった。

思わず、にんまりと笑顔がにじみ出てしまう。

向かいにアレンの母がいるのを思い出し、咳払いをしてごまかした。


「まったく」

彼女はエスプレッソを一口飲んで、ため息を吐いた。


「あんなに慌てる必要があったかしら」

「え?」

「アレンよ」

「ああ……」


確かに、アレンは慌てふためいていた。

それほどまでにこのお母さんは怖いのか……。

ロッテは不安になった。


「いつまでたっても、うまく嘘がつけないんだから」

「あなた、あの子の恋人でしょう?」

「え?」


ロッテは返答に困った。

事実を告げてしまっても、果たしていいものだろうか。


「あの子の慌てようを見れば分かるわよ」

「もっと落ち着いて、遊びに来てた友達だとでも言えばよかったのに」

アレンの母は、ケーキに手を付ける。


「あなたもおあがりなさいな」

「おすすめだけあって、美味しいわよ」


ロッテも、ケーキを食べ始める。

こんな状況でも、やっぱりけしの実ケーキは美味しかった。


「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったわね」

「わたしはアンゲリカ」

「名前で呼んでくれてけっこうよ」

「あなたは?」


「わたしは、ロッテです」

口の中のケーキを急いで飲み込み、ロッテは答えた。


「ひとつ勘違いしないでほしいの」

「わたしは、あなたとアレンのことについて何も言うつもりはないのよ」


「ただ、母親として気にはなっている」

「どうして、彼があなたを選んだのか」


それは、単純なようで難しい質問だった。

どうして、アレンがわたしを選んだか。

どうして?

そんなの、分からない。


「今のは、少し意地の悪い言い方だったわね」

アンゲリカは、ふっと口元を緩めた。

それは、アレンの笑顔によく似ていた。


「もしかしたら聞いてるかもしれないけど……」

そう言って、彼女は切り出した。


「昔、あの子は人間の子を傷つけたことがあるのよ」

「え?」

それは、ロッテの初めて聞く話だった。


「元は仲良く遊んでいた友達だったの」

「それがある日、ちょっとした事件があって……」


「その人間の子に襲われそうになったアレンは、怪我をさせてしまった」

「そうね、10歳くらいのときだったかしらね」

アンゲリカはまたエスプレッソを口に含み、遠くを見るような目つきをした。


「幸い、相手の怪我は大したことはなかったんだけど」

「アレンはとても落ち込んでね」

「熱を出して、2日間も寝込んだのよ」


初めて聞く、アレンの話。

そのときの彼を思うと、心が痛かった。


「わたしは治療費ということでお金を持って、その子の親に会いに行ったの」

「向こうは怒ってもいなかったし、お金を受け取ろうともしなかったわ」

「わたしたち獣と、揉め事を起こしたくなかったみたいね」

ケーキを小さく切って、口に運ぶ。


「でもその人間の親子は、結局は村から出ることになったのよ」

「彼らが出て行く日、アレンはあの子に会いに行ったみたいなの」

「はっきりそうとは言わなかったけど」

「きっと、謝りたかったのね」

「怪我をさせて悪かったと」


「でも、それもうまくいかなかったみたい……」

「アレンは、がっくりと肩を落として帰ってきたわ」

「何でもないと言ったけど、きっと何か言われてしまったのだと思った」


「それ以来、あの子はどこか変わってしまった気がする」

「自分が肉食獣であることに、嫌悪感を感じているようだった」

「あらゆる部分を抑え込んで、自分ではない何かになろうとしていたのかしらね……」


アンゲリカが話すのを、ロッテは黙って聞いていた。

聞けば聞くほど、アレンらしい話だった。


ロッテには分かっていた。

あの日人間を傷つけたアレンが、どんなに後悔したか。

他をたやすく傷つけられる力を持った自分を、どんなに嫌悪したか。

優しい彼が、どんなに傷ついたか。


「それがね、最近少し変わった気がするのよ」

「彼がですか?」

「そう」


「一昨年にうちに帰ってきたときだったかしら……ずいぶん、そういう息苦しさから解放されたように見えたわ」

2年前といえば、まだ付き合う前のことだ。

しかし、ルームシェアは始まっていた。


「それはきっと、あなたのおかげだと思うの」

「わたしの?」

「あなたたち、一緒に住んでるんでしょ?」


鋭い、とロッテは思った。

自分もアレンも、そんなことは一言も言わなかったのに。

ちらりと見た部屋に、それを察したのだろうか。


「はい、ルームシェアしています」

「やっぱりね」

そう言ったアンゲリカの表情は、しかし柔らかだった。


「あなたが、あの子を変えたのね」

「彼を最初に変えてしまったのも、そこから救ってやってくれたのも、どちらも人間だったってわけね」


彼女はそう言うと、エスプレッソを飲み干した。

そして、何も言わなくなってしまった。


「あの、お母さ……ア、アンゲリカ」

ロッテは緊張しながらその名前を呼んだ。

アンゲリカは、顔を上げる。


「わたしも、同じなんです」

「何がかしら?」

「わたしも、彼に救われました」


「ご存知だと思いますが、わたしたち人間はこの世界ではまだまだ歓迎される存在ではありません」

「今ここではっきりとは言えませんが、わたしもたくさんひどい目に遭ってきました」

「それは過去の人間たちが犯した過ちの報復だと分かってはいても、やっぱり辛かった」

アンゲリカは、何も言わずにロッテを見ている。


「自分の生きる意味、存在する意味が分からなくなっていました」

「そんなとき、アレンと出会ったんです」


「きっかけは、彼がルームメイトの募集をしていたことです」

「わたしが手を上げたら、彼は迷いながらも受け入れてくれた」


「獣である彼がわたしを受け入れてくれたことは、わたしの存在が肯定されたことを意味していました」

「この世界に、ここにいてもいいんだと……」


「そうね……」

アンゲリカは、ふっとため息を漏らした。

ウエイターがカップを下げに来たが、彼女は追加のコーヒーは注文しなかった。


「あなたもあの人間の親子も、何か悪いことをしたわけではないのにね」

「嫌な世の中だわ、本当に」


「今は、そうでもないですよ」

ロッテは笑った。


「アレンが、傍にいてくれるから」

「他の獣たちがどんなにわたしを嫌っても、彼だけは違うから……」

「わたしが道に迷うと、いつどこにいても必ず手を引いてくれる」

「そうしてきみの居場所はここだって、ちゃんと連れ帰ってくれるんです」


「この世界は、ときに驚くほど残酷な面を見せることもあります」

「でも、獣の世界でなければ、わたしはアレンと出会えなかった」

「だから、もういいんです」

「わたしは、今の生活が好きですから」


そう言って笑ったロッテを見て、アンゲリカも静かに微笑んだ。

口には出さなかったが、案外気が合いそうだとお互いに思い始めていた。


「やっぱり今日は、あなただけと話してよかったわ」

「?」

「あの子まで連れてきていたら、のろけを2倍聞かされるところだった」


アンゲリカがわざと意地悪そうにそう言ったのを聞いて、ロッテは思わず噴き出した。

そして皿にケーキが残っていたのを思い出し、最後の一口を頬張った。


*****


アパートでは、アレンがやきもきして待っていた。

水道屋のスタッフが何事か話していたが、まるで頭に入らなかった。

作業員が引き上げた後は、ドアの前でウロウロして母とロッテの帰りを待った。


「まったく」

「あんたは落ち着きがないんだから」

帰ってきたアンゲリカはここへ来たときの調子を取り戻し、母親らしい文句をアレンに言う。


「いや、いきなりあんなことになったら落ち着けってほうが無理だって!」

「で、話は済んだの?」

ちらりとロッテに視線を送り、アレンは母親に聞いた。


「ええ、済みました」

「とても楽しかったわ」

「ほんと?」

アレンは疑わしいという顔をして、ロッテに聞いた。


「本当よ」

ロッテは笑って答えた。

そこに嘘はないように思えた。


「さあ、帰りの列車があるからもう行くわ」

「ん、ああ」

「遠いところありがとう」

アレンは母親を労う。


「いいのよ」

アレンにさらりと言い、彼女はロッテに向き直った。


「ロッテ、あなたとお話しできてよかったわ」

「ええ、わたしも」


「今度は、またゆっくり遊びにきてください」

「今度は、あなたがでしょ?」

アンゲリカにそう言われ、ロッテは目を丸くする。


「クリスマス休暇には、ちゃんと連れて帰ってくるのよ」

アンゲリカは、アレンに言いつけた。


「お父さんにも紹介しないといけないし……」

「そうね、ララやエディーにもね」

「今度は、あんたがあの子たちに自慢するのよ」


アンゲリカは、片眉を上げてふっと笑った。

その笑い方もアレンに似ている。

ロッテはそう思った。

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