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ドゥルヒレーベン4/宴

懐かしい。

そう感じるのはきっとおかしいに違いなかったが、その感覚が一番しっくりとくる。


これから、長い夜が始まる。

どんな客に指名され、どんな風に痛めつけられるのだろう。


嫌だ、怖い。

誰か助けて。


誰が助けてくれるっていうの?

誰も助けてくれないじゃない。

自分で、生き残るしかないのよ。


ツォーでの6年間で、ロッテは数えきれないほど繰り返した。

そして、今も。


自分で生き残るしかない。

アレンが、わたしを連れにくるまで。


「ねえ」

不意に話しかけられて、ロッテは静かに目を開いた。

彼女に声をかけたのは、ミアであった。


「聞いてもいい?」

「え?」

「あなた、普通に暮らしてたんでしょ?」

「普通に暮らすって、どんな感じなの?」

ロッテは最初、ミアの言うことの意味が分からなかった。


「わたしはさ、ほらね」

「ずっとお店しか知らないから……」

「その前は、保健所しか知らないから」


ミアは、人懐っこい笑顔を見せて言った。

ロッテは、そんな彼女に少なからず衝撃を受けた。


「普通って……そうだな、どう言えばいいのかな」

「ふ、普通に朝起きて、仕事に行って、うちに帰ってきて、夕食を食べて…」

ロッテはミアに話しながら、アレンとの生活を思い出していた。


朝起きて、ベッドの中で顔を合わせる。

軽くキスをして起き出し、身支度をして朝食を取る。


たまには一緒に家を出て、あれこれと話をしながらそれぞれの仕事に向かう。

夜になってアパートに帰ってきてまた顔を合わせ、時には一緒にキッチンに立つ。


他愛もない話、美味しい食事、当たり前のようにそこにある温かさ。

それはロッテにとってもはや普通であったが、ミアや黒髪の女のような人間はまだまだたくさんいるのだ。


ツォーほどひどくはないにしても、彼女らは獣に体を差し出すことでしか生きる糧を手に入れることはできない。

そこには、温かさはない。

優しさもない。


「ごめん」

「変だよね、こんな状況で……」

言葉に詰まったロッテを見て、ミアは謝った。


「でも、こんな話でもしてないと……わたし、気がおかしくなっちゃいそうで……」

ミアは、またぶるぶると震えだす。

目には涙も浮かんでいる。


「そうなるのが普通だよ」

黒髪の女が言った。


「ツォーで金持ちに可愛がられたメスは違うね」

「怯えも、涙もない」

「そして、自分だけが生き残れると思ってる」


「そんな風には思っていないわ」

ロッテは反論した。


わたしは、あなたたちの辛さを知らない。

でもあなたたちもまた、わたしの辛さを知らないのよ。

その言葉は、飲み込んだ。


突然ギィーッという鈍い音がして、部屋のドアが開いた。

「さあ、パーティーの時間だぞ」

「存分に楽しむんだな、お嬢さま方」


逆光の中から、呼びかける声。

手を縛られたまま、ぎこちなく立ち上がる。

部屋を出るとき、ロッテは自分の脚が震えているのに気付いた。


生き残る。

その決意がとたんに揺らぐ。


わたしは、「普通」であることに慣れすぎてしまったのだろうか。

果たして、わたしは生きて帰れるだろうか。

ロッテは、心に湧き上がる恐怖を押し殺して唇を噛んだ。


*****


ビロードの布張りをされた大きな椅子に、3匹の大柄なブタが座っていた。

彼らはみなブクブクと太っており、額には興奮による汗を浮かべている。


部屋は一見清潔そうであったが、壁には血液らしい汚れがある。

ブタの獣臭と部屋に染みついた血の臭いに、ロッテはむせた。


3人の女たちは、ブタの目の前に並ばされる。

彼女らを部屋に押し込むと、ハイエナとオオカミは退室した。

ごゆっくりと、一言残して。


ブタは時おり舌なめずりをして、3人を順々に見ている。

「やあ、ヤスミン」

「久しぶりだね」


ブタの1匹が、黒髪の女に話しかけた。

彼女の名前がヤスミンであることを、ロッテとミアはこのとき初めて知った。


ヤスミンは何も答えず、ブタを睨みつけている。

「きみのそういう顔、私は好きだよ」

「ゾクゾクして、今にもかぶりつきたいくらいだよ」

涎を垂らして言う。


「赤毛のも、悪くはないねえ」

「兄さんは、本当に欲張りだなあ」

ははははと、ブタたちは大きな体を揺らして笑う。


「僕の本命は、やはりこの子ですよ」

3匹はどうやら兄弟らしい。

一番下と思われるブタは立ち上がり、ロッテのすぐ傍に来る。


「あの恐ろしく素晴らしいツォーでの生き残り」

「彼女の番号は?」

「1021番らしいよ」

「それは、それは!」

「1000番台はかなりの粒ぞろいと聞いていたけど、本当にそうだな」

ブタはその太い指で、ロッテの顎に触れる。


「初めまして、美しいお嬢さん」

「お名前は?」

ロッテは答えなかった。


一体何が起こったのか、すぐには理解できなかった。

ロッテは強い力に跳ね飛ばされ、床に叩きつけられた。


「これこれ、きみ」

「名前を聞かれたちゃんと答えないと」

「弟は、少し気が短いんだ」


どうやら、自分は平手打ちを食らわせられたらしい。

ズルズルと芋虫のように身をよじらせながら、ロッテは立ち上がった。

口の中に、血の味が広がる。


「まったく、おまえは」

「今ので死んでしまったらどうするんだ」

「ごめんよ、兄さん」

3匹は鼻息荒く言葉を交わす。


「あの子が、僕を怒らせるから……」

「腹を立てても、あの1021にはまだ手荒なことはするんじゃない」

「私が一番好きなものは最後に食べることにしているのを、おまえは知っているだろう」


まるで、単純な兄弟げんかのような会話だった。

それが、逆に異様だった。


「腹が立ったら、こうするんだ」

一番上の兄はそう言うや否や、ヤスミンを殴りつけた。


先ほどのロッテのように、彼女はなす術なく床に叩きつけられる。

顔面を強く打ち付けたようで、なかなか立ち上がれずにいる。

ヤスミンへのこの一撃が、さながらパーティーのスタートのようになった。


立ち上がれないままのヤスミンに、今度は蹴りが入る。

大きな体から繰り出される強烈なそれに、彼女は人形のように転がる。

ぐえっと潰される蛙のような声を出して、ヤスミンは苦しんでいる。


自分の背後に彼女の存在を感じながらも、ロッテは振り返れずにいる。

心に蓋をしなきゃと何度も自分に言い聞かせるも、うまくいかない。

むき出しの心に、どんどん傷がついていく。


「死んだ?」

ひくひくと動くヤスミンを、真ん中のブタが見下ろす。


「まだ何とか生きてるよ」

「では急ごう」

「何といっても、鮮度が命だからね」


そこから先は、いっそ気を失ってしまいたいような光景が続いた。


動けないヤスミンに、3匹のブタが食らいつく。

文字通り、その肉に食らいついている。

鼓膜が破れそうなくらいの、ヤスミンの悲鳴が聞こえる。

ロッテとミアは耳を塞ぎたかったが、手を縛られているのでそれもできない。


ぶちぶちと、肉を引きちぎる生々しい音。

ヤスミンの悲鳴は、やがては咆哮のようになった。

ミアは、壁際に身を寄せて泣いた。


「ふう……」

「腹の虫も、少しは収まったね」

「やはり、腸は温かいうちに限る」

3匹はめいめいに感想を述べ、ゆっくりと体を起こした。


ヤスミンは、もう何も言わなかった。

腹部のあらかたを食い荒らされ、絶命していた。


「さて、オードブルはこんなものか」

「次は、スープを飲みたいな」

「真っ赤な、温かいスープだね!」


血で口の周りを真っ赤に汚し、3匹はミアに向き直った。

ミアは、声も出せずにそこにいる。


ミアのやられ方は少し違った。

彼女は、壁のフックに逆さ吊りにされた。

3匹は懐から金属製のストローのようなものを取り出す。


「きみのジュースは、どんな味がするのかな?」

一番下のブタはそう言うと、ミアの腹部にストローを突き刺した。


「あっ」

喉の奥から絞るような声を上げ、ミアは体をよじった。

それを別のブタが殴って、動きを止める。


「若いと活きがいいね」

残りの2匹も、好みの場所にストローを指す。

屈託のない子どものような顔をして、3匹はミアの血液を吸っている。


ミアの顔から、まさに血の気が引いていく。

吊られて逆さになった彼女は、か細い声を上げて泣いていた。

涙が、ぽたぽたと床に落ちる。


目の前でミアがそんな目に遭っていても、ロッテはどうすることもできなかった。

正確には、どうにかする気は彼女にはなかった。


ロッテは考えなければならなかった。

自分が、どのようにして生き残るかを。

ミアを哀れに思う気持ちと自分だけを助けようとする気持ちの間で、ロッテの心は傷だらけになって血を流していた。


どうして、どうしてわたしたちは。

こんなにも押し潰されなければならないのだろう……。


ゲーーーップ!

「兄さん、行儀が悪いよ」

ミアの血液を飲んだブタがゲップをすると、弟のブタがたしなめた。

ミアも死んだ。

次は……。


「さあ、お待たせしましたね!」

「退屈したろう、悪かったね」

ミアを壁に吊るしたままにし、3匹のブタはロッテに微笑みかける。


ロッテは考えた。

どうする、どうする、どうする、どうする?


次の瞬間、ロッテは床を蹴って走り出した。

とりあえず、彼らの好きにさせるつもりはなかった。


手を後で縛られていて、うまく走れない。

転んでは、また無様に立ち上がる。

その様は、ブタたちをとても楽しませた。


「なんと!」

「メインディッシュは余興付きなんだね」

「やはり、ツォー仕込みは違うな!」

興奮して、手を叩いて喜ぶ。


ロッテは、息を荒くしてなおも走る。

これが意味のあることなのか、彼女には分からない。

ただ、何もせずにはいられなかった。


終わりのときは確実に近付いてくる。

ロッテは、横腹を殴りつけられて床に転がった。

息がうまく吸えない。


うつ伏せのまま口を開けて喘いでいると、頭が急に持ち上がる。

「僕は、この美しい髪をまずいただくよ」


一番下のブタはロッテの三つ編みに噛みつき、力任せに引く。

体を脚で押さえられ、頭を上に引かれる。

メリメリという音がして、頭皮に激痛が走る。

ツォーで少しの頭皮と髪を残して消えた、友人のシャーロットを思い出した。


「あ、ああ、あ」

ロッテには、呻くしかできない。

苦しい、痛い、痛い、痛い。


次の瞬間、ブタのくわえた髪がちぎれ、ロッテは床に顔を打ち付けた。

ブタは口を動かして、彼女の髪を食べている。

つい今まで自分の所有物だった髪が、ブタの口の端から垂れ下がるのが見える。


「おいおい、独り占めはよせ」

別のブタが割って入り、ロッテを仰向けにした。

着ていたドレスを破かれ、白い傷だらけの肌をブタたちにさらけ出す。


「美しい!」

「ツォーの傑作品だな!」


ブタたちは、ロッテの体を見てさらに興奮しているようだった。

背中も同様にされ、大きな古傷を強い力でなぞられる。

ロッテは、朦朧とした意識の中で思った。


どうしてだろう。

どうしてわたしたちは、こんな生き方しかできないのだろう。

わたしたちは、そんなに薄汚く業の深い生き物なのだろうか。

圧倒的な力で、押しつぶされる価値しかないのだろうか。


アレン、ごめん。

わたし、もうだめだよ。

あなたが来るのを、待っていられなかった。


ごめん。

ごめん。


「さあ、そろそろいただきましょう」

「兄さん、僕もう待てないよ!!」

「どこからかぶりつこうか!?」


目をらんらんとさせ、鼻息荒く3匹のブタが迫ってくる。

ロッテは、今まさに生きることから手を放そうとしていた。


バンッ!

ドアに何かがぶつかる音がした。

2度、3度。


一瞬にして部屋は静まり、あれだけ興奮していたブタたちはドアを注視していた。

もう一度大きい音がしたかと思うと、ドアが音を立てて外れる。

その隙間から爪の長い大きな手がのぞいたのを、ブタたちは見た。

壊れたドアを外して、何か大きな獣がのっそりと入ってくる。


「何だ!? シドか!?」

「邪魔する気か!?」

ビイビイとブタたちが喚く声を、ロッテはぼんやりと聞いていた。


入ってきたのは、シドと呼ばれたオオカミではなかった。

焦点の定まらない視界の中に、ロッテはあの顔を見つける。

「ア、レン」


自分たちが雇ったシドよりもずっと大きいオオカミが、静かに部屋に入ってくる。

まるで立場が変わり、今度はブタたちが壁際に身を寄せた。

アレンは、横たわるロッテに近付いた。


「ロッテ、遅くなった」

彼の言葉に、ロッテは何とか笑顔を作った。

「もう少しで、あき、あきらめる、とこ、ろだった……」


生きることから手を放してしまいそうになったロッテ。

約束通り、アレンはまたその手を引き寄せてくれた。

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