ドゥルヒレーベン3/迎えに来るまで
きょんとしているわたしを見て、カピバラのおばあさんは笑った。
「あら」
「わたし、余計なことを言ってしまったようね」
「いえね、あなたとよく一緒にいるオオカミさん……」
「あのエプロンは、彼が買っていったのよ」
「あなたへのプレゼントを探していると言っていたわね」
「ごめんなさいね」
「てっきりもうもらったものだとばかり、思っていたものだから……」
おばあさんが店に入っていった後も、わたしは何だか信じられなかった。
アレンが、わたしにプレゼントを?
彼は、そんな素振りは全然見せなかったのに……。
どうしてあれが、わたしのお気に入りだと分かったのだろう。
あれこれと考えることはあったけど、嬉しい気持ちで心がいっぱいになる。
プレゼントをもらうとき、どんな顔をすればいいだろう。
中身を知ってるから、開けたときに不自然にならなければいいけど。
彼はどんな顔をして、わたしに包みを渡すのだろう。
アレン、あなたは……。
そこから先は、まるで静止画のような記憶しかない。
路地から現れた黒づくめに腕を引かれる。
地面に落ちた鞄。
エコバッグから飛び出して、爆ぜるように転がった紫のブドウ。
自分の結った髪が、視界に入る。
きついアルコールのような臭い。
意識が、遠のく。
*****
バシャッ!
顔にいきなり水が浴びせられ、ロッテは顔を背けた。
しかし、水は鼻から容赦なく入ってくる。
むせて苦しい。
顔を拭いたいが、手が動かない。
わたしは、一体どうしたというんだろう……。
ロッテはうっすらと目を開けた。
水たまりの中に、その体を横たえている。
石でできているらしいこの場所は、冷たくて固い。
こんな場所には、覚えがある。
「おい、目を覚ましたぜ」
頭が痛くて気分が悪い。
ロッテは再び閉じようとする瞼を何とかこじ開け、辺りをうかがう。
やっと少し持ち上がった視線の先には、2匹の獣がいた。
1匹はハイエナ、もう1匹はバケツを持ったオオカミだった。
このオオカミが、彼女に水を浴びせたらしかった。
彼は、アレンよりも小柄だった。
「死んじまったかと思ったぜ」
オオカミはそう言うと、ロッテの三つ編みを掴んで引き上げる。
体はまだ満足に動かせないし、手も後ろで縛られている。
なす術もなく、髪を引かれたロッテの頭は持ち上がる。
髪が引っ張られ、頭皮に鋭い痛みが走る。
うっと呻いたロッテに下劣な笑みを浮かべ、オオカミはその手を離した。
重力に引かれるまま、ロッテは床に顔を打ち付ける羽目になった。
「さっさとやっちまおう」
言葉少なに立っていたハイエナが言い、折り畳み式のナイフを取り出す。
刃を引き出すと、それでロッテの服を切り裂く。
背中が開かれ、体の傷が露わになる。
「ビンゴッ!」
オオカミはガッツポーズをした。
「浮かれるのはまだ早いぞ」
「全部脱がせろ」
ハイエナは、オオカミに命じた。
「何でオレがやるんだよ」
「おれは毛のない生き物は嫌いなんだ」
2匹はそんなやり取りをし、オオカミがロッテの服を破り始めた。
ジーンズも脱がされ、彼女は下着姿で冷たい床に転がされた。
「刺青があれば、正真正銘のビンゴってことだな」
下着もはぎ取られ、脚の付け根を見られる。
彼女を今なお縛りつける、1021の番号がそこにはあった。
「な、言ったとおりだ」
オオカミは、長い舌を出して舌なめずりをした。
また転がされて、今度は仰向けにされる。
ロッテは、締め付けられるような頭の痛みに顔をしかめる。
「これもいらねえな」
胸の間に手を差し込まれ、力任せにブラジャーが引きちぎられた。
ロッテは、今や何もまとわずに横たわっている。
「おまえらメスはいいよな」
ロッテの裸体を眺めながら、オオカミは言う。
「オスの前で股開いてアンアン言えば、メシが食わせてもらえるんだからよ」
そう言って、ロッテの脚の間に座る。
そのままぐっと体を屈め、彼女の匂いを嗅いだ。
嫌な臭いだ。
ロッテはオオカミの獣臭さに顔を背けた。
アレンからは想像もできない、すえて濃厚な獣の臭い。
頭の痛さも手伝って、吐いてしまいそうだった。
「ん?」
屈みこんだオオカミが、何かを感じ取ったようだった。
「何だよ、おまえオオカミに囲われてんのか」
ひひひっと彼は笑った。
「体中に、オオカミの臭いが染みついてら」
「毎日可愛がられてるってわけだ」
「ち、がう……」
ロッテは、やっと言葉を発した。
何があっても、そんな風に言わせたくはなかった。
アレンとの関係を、そんな下卑た言葉で片付けられたくはない。
彼女は目にできるだけ力を込めて、オオカミを見た。
「何だ? その目はよ」
「何が違うってんだ? ああ?」
オオカミはそう凄むと、ロッテの胸を鷲掴みにした。
乱暴な手つきだった。
「何が違うって? 今度はおまえの体に聞いてやろうか!?」
オオカミの顔が近付いてくる。
キスなんて、されたくない……。
「おい、いい加減にしろ」
「傷ものにしたら、ブタが黙ってないぞ」
ハイエナに言われ、オオカミは我に返ったようだった。
「フン、ビッチがいきがってんじゃねぇぞ」
彼はそう吐き捨てると、ロッテから離れた。
ロッテは、体の奥から震えるのを感じた。
着替えさせられたロッテは、よろめきながら別室に連れていかれた。
同じく、石で作られた牢屋のような場所だった。
きしむドアを開けた先には、ロッテと同じ格好をした女性たちがいた。
2人とも白いドレスを着て、手枷をはめられている。
ロッテは悟った。
どうやら自分は、戻ってきてしまったらしい。
自分の後ろに長く伸びる、深淵を持つ影の中に。
*****
頭はまだ痛むが、意識は次第にはっきりとしてきた。
獣たちが行ってしまった後、ロッテは自らの置かれている状況を把握しようと試みた。
ここは、ツォーではない。
しかし、限りなく近い場所だということは分かる。
同じ部屋にいる女性は2人。
1人は赤毛で、もう1人は長く黒い髪をしていた。
赤毛の女性は探るようにロッテを上目遣いで見た。
黒髪の女は、こちらを睨むように見ている。
「ここは、どこなの?」
答えが返ってくるかは怪しかったが、ロッテは話しかけてみた。
「わ、分からない」
「わたしたちにも」
赤毛の女が、心持ち表情を緩めて答えた。
話が通じるようだったので、ロッテも少し安心した。
「あなたも一緒だと思うけど……どうも誘拐されてきたみたいなの」
赤毛の女は、ミアと名乗って続けた。
「あなたもなの?」
ミアと一緒にいた黒髪に、ロッテは尋ねた。
「新入りの癖に、いきなり仕切るつもり?」
ぶっきらぼうな答えが返ってくる。
「わたしはロッテ」
「あなた、名前は?」
「ないわよ、そんなもの」
「知ってたって、あんたらに言う必要がある?」
彼女は手枷のはまった手で、ぎこちなく髪をかき上げた。
「あんた、どうやら本命みたいね」
「何?」
意地悪くそう言われ、ロッテは何のことか分からなかった。
「さっき、あいつらが話してたのが聞こえたのよ」
「傷のある女」
「あんた、ツォーにいたんでしょ?」
どくっと、ロッテの心臓が脈打った。
「あいつらは誰なの?」
黒髪の質問には答えず、ロッテは続けた。
「あいつらは、ただの下っ端よ」
「あたしらを集めるために雇われただけ」
「本当の黒幕は、別にいる」
そう言うと、彼女は口を歪めて笑った。
「今日か明日にでも、あたしらは食われるよ」
「薄汚い、金持ちのブタ共にね」
ひっと呻いて、ミアが体を縮めた。
「何か知ってるの?」
「知ってたら?」
「教えてほしい」
ロッテは毅然とした態度で彼女に向き合った。
ふんと鼻を鳴らして、彼女は口を開く。
「宴よ」
「何ですって?」
「ブタ共は、宴を開こうとしている」
「生の人間を食える、イカレた宴をね」
黒髪の話に、ミアはぶるぶると震えている。
「あいつらは、あんたを探してた」
「正確には、ツォーにいたことのある人間のメスだよ」
黒髪の女は、爪を噛む。
その指先は、もうぼろぼろだった。
「ツォーってのはさ、もともとイカレた獣共が人間を痛めつける場所だったんだろ?」
「ブタは、そこに行ったことがあると言っていた」
「それで、はまっちまったんだろうよ」
「何とかもう一度、あの場所を再現したいと思ってる」
「今度は、自分たちのやり方でね」
「自分たちの、やり方……」
「ツォーってとこじゃ、ルールがあったそうじゃない」
「ドレスから見える場所に傷を付けない、だっけ?」
「だけど、今度は違う」
「今回の宴に、ルールはないんだよ」
「完全に、無礼講ってことさ」
「手足をもいだり、生きたまま腸を引きずり出すのもアリってこと」
「分かる?」
ロッテは、汗が頬を伝うのを感じた。
どうしようと考えるが、思考が定まらない。
「ま、あたしたちみたいな売春婦にはお似合いの最後かもね」
「わ、わたしは違う!」
黒髪の女にそう言われ、ロッテは反論した。
「は?」
彼女は小バカにしたようにロッテを見ている。
やっと顔を上げたミアも、続きを待っているようだった。
「わたしは、普通に暮らしてる」
「普通に?」
「本屋で働いて、ルームメイトとアパートで暮らしてる」
「ハッ!」
黒髪が、声を上げて笑った。
「ルームメイト? ご主人様の間違いじゃないの?」
「その体差し出して、食わしてもらってるんじゃないのかよ!」
「違う! アレンはそんなんじゃない!」
先ほどオオカミに言われた腹立ちも手伝って、ロッテは叫んだ。
「アレン?」
「アレンはオオカミよ」
「わたしのこと、とても大切にしてくれる……」
アレン、アレン、アレン……。
ロッテは、心の中で何度もその名を呼んだ。
わたし、どうすればいい?
どうやって、あなたの元に戻ればいい?
分からないのよ……。
そのとき、ふと彼の声が聞こえた気がした。
何度でも、迎えに行くから。
何度でも……。
ロッテはようやく考えをまとめることができた。
自分に今できることが、何なのか分かったからであった。
「獣に対等に扱ってもらえてると思うなんて、お笑い種だね」
「あいつらは、あたしらのことなんか欲望のはけ口としか見てないさ」
「あたしらは、最後はブタに食われておしまいなんだよ!」
黒髪も負けずに声を張り上げた。
「わたしは、そうはならない」
ロッテは、きっぱりと言った。
「生きて、うちに帰る」
「あんた、マトモ?」
黒髪の女が、あざ笑うかのように言った。
「何としても、生き残る」
「アレンは、きっと迎えに来てくれるから」
彼が迎えに来るまで生き残ること。
それが、今のロッテにできるただひとつのことだった。
アレンは約束した。
だから、わたしも守らなければならない……。




