ドゥルヒレーベン2/その明かりを追って
電話を切った足で、アレンはすぐさま警察署に向かった。
マルクト警察署は、エプロンを買った店の近くにある。
すぐにたどり着き、受付で呼び出された旨を伝えた。
係りの獣が彼を別室に案内してくれた。
相手が来るまでの間、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ続ける。
数分後、電話に出たらしき獣が現れた。
刑事だというその獣は、すっきりとした体のオスのチーターであった。
「お呼びしてすみませんでした」
彼は立ち上がったアレンに再び座るよう促し、自分もその向かいに座った。
「先ほど電話でも少しご説明しましたが……」
彼の話はこうだった。
警察署に、落とし物だという鞄が届けられた。
それは近くの路地にあったもので、スマホも財布も入ったままだった。
身分を証明するようなものを探していたところ、スマホに着信がきたという。
それが、アレンからの電話であった。
「このバッグは、あなたのルームメイトの物で間違いありませんか?」
間違えるわけはなかった。
それは今朝、ロッテが仕事に持って行ったものだった。
しっかり覚えている。
スマホも財布も、もちろん彼女のものだ。
買い物をしたのだろうか。
一緒に見せられたエコバッグには、フルーツが入っていた。
落ち着け、落ち着け。
アレンは、心の中で呪文のように繰り返した。
「それでですね、あれから現場近くの防犯カメラを確認したんです」
「あなたのルームメイトが、人間だということでしたので……」
そう言うと、チーターの刑事はアレンをちらりと見た。
通常、落とし物程度で防犯カメラまで確認することはあるのだろうか。
刑事の人間だというのでという言葉に、彼は引っかかりを覚えた。
「通常、こういった映像は一般の方にはお見せしていません」
チーターは前置きしたうえで、カメラの映像を再生していたパソコンをアレンの方に向けた。
「コマ送りになっています」
「この次のところ」
そう言われ、アレンは食い入るように画面を見つめた。
画面上部から、誰か歩いてくる。
エコバッグを下げたロッテだった。
今目の前に置いてある鞄も、彼女の腕にある。
画面の上部には、スーパーと例の雑貨店があったはずだ。
彼女は、どうやら買い物に寄ったらしい。
コマが次に進んだとき、異変が起こる。
路地から黒っぽい何かが現れ、それがロッテを暗がりに引き込む。
彼女の持ち物が、地面に散らばる。
腕を最後に、ロッテは画面左の路地に消えていく。
アレンの喉が、ゴクッと鳴った。
「こ、これは」
それだけしか言えなかった。
「この映像を見るに、彼女は何者かに連れ去られた可能性があります」
「連れ去られたって……」
しばらく間を置いて、刑事はできるだけ穏やかな声で言った。
「気分を害されるかもしれませんが……ご友人は風俗店のお勤めですか?」
アレンには、質問の意味が分からなかった。
ただ、彼が刑事でなければ殴っているだろうとも思った。
「何が言いたいんです?」
「これからの話は、他言無用でお願いします」
そう前置きして、チーターは腕を組んだ。
「ここ2~3か月のことなんですが、人間が連続して誘拐される事件が起こっています」
「正確には、人間のメス」
「彼女らの多くは、違法な風俗店の従業員です」
そんな話は、全然知らなかった。
「この事件については、今のところ公にはされていません」
「相手が人間なのも、少なからずあります」
チーターは、はっきりとそう言った。
「誘拐された人間たちは、見つかったんですか?」
アレンがすがる思いで聞くと、刑事は静かに言った。
「見つかりましたよ」
「生きてはいませんでしたが」
「基本的に、いわゆる惨殺遺体です」
「あれは、まともじゃあない」
「普段は落とし物でここまで動いたりはしません」
「あなたのご友人が人間のメスだということで、もしかしてと思ったのです」
刑事の言葉は淡々としていた。
アレンは、何も考えられずにいる。
何が起こったのか、まるで考えがまとまらない。
彼女がいなくなったのは確かだとして、その理由は?
誰が何の理由で、彼女を連れ去ったというのだろう。
落ち着けという呪文は、もはや何の意味もなさなかった。
「先ほどの質問ですが、ご友人は風俗店の関係者でしょうか」
「違います」
アレンはきっぱりと答えた。
「そうですか」
「ありがとうございました」
チーターはそう言うと、さっさと立ち上がった。
「あの、これからどうなるんですか!?」
アレンも立ち上がって聞く。
「ここからは、我々が捜査いたします」
「ご友人が巻き込まれた可能性があり心穏やかではないと思われますが、今は連絡をお待ちください」
チーターはそう言い放つと、パソコンを持って部屋を出て行った。
心穏やかでない?
そんなことは当たり前だ。
ただ待つことなんてできない。
何か、何かしなければ。
アレンは、とてつもない焦燥感に襲われていた。
しかし、今の自分に何ができるのかが分からない。
自分で何とかできないのなら、誰かを頼るしかない。
誘拐事件の件は他言無用だと言われたが、そんなことはどうでもいい。
アレンは、即座にフローリアンに連絡をした。
顔の広い彼なら、何か突破口を見つけてくれるかもしれない。
*****
半時間後、2匹は会社前で合流した。
話を聞いたフローリアンは驚いたものの、すぐに行動を取ってくれた。
「相談してくれてよかった」
「うちの課の同僚に、知り合いが警官をやってるっていうのがいるんだ」
フローリアンはタクシーを拾い、その中でアレンに説明した。
「重要なのは、ここからなんだよ」
「その警官の勤めている管轄内でつい最近、ある獣が捕まったらしい」
「そいつは、どうもその誘拐に関与している疑いがあるらしい」
「その刑事のはからいで、面会が可能になった」
フローリアンは、一気に説明した。
アレンは、そのチャンスを有効に利用するしかなかった。
その獣が留置されている警察署に、タクシーが滑り込む。
入り口では、1匹の初老のヤギが待っていた。
「早く、早く」
「時間はあまりない」
長いあごひげを生やしたヤギは、急かすようにアレンとフローリアンを手招きした。
警察署内の一室に、そのハイエナはいた。
逃亡を防ぐため、椅子に後ろ手を回して手錠をかけられている。
ずる賢そうな目をした、痩せたハイエナだった。
「何だてめえ」
向かいに座ったアレンを見て、ハイエナは毒づいた。
「制服もバッジもねえ」
「おまわりじゃねえな」
薄汚れたランニングを着たハイエナは、バカにしたように笑う。
アレンはそんなことには構わず切り出した。
「人間を誘拐したのか? 何のために?」
いちいち回りくどい聞き方をするつもりはなかった。
「は? おれがやったにしても、何でてめえに教えてやらなきゃならねえんだよ?」
「関与してるのか?」
「あー? 聞こえねえ」
埒が明かない。
後ろでは、ヤギの警官がひげを撫でている。
焦っていることは、きっと相手に伝わっているだろう。
それで相手に足元を見られている。
アレンには、そのことが分かっていた。
自分は警官ではないし、捜査の手法なんてものは分からない。
ただ、時間はないことは明白だった。
ならば、自分なりのやり方でやるだけだった。
「おいおい、喉が渇いたなァ」
「何か買ってきてくれよ、オオカミく…」
ハイエナがそう言いかけたときだった。
アレンはすっと立ち上がって、右手でおもむろにハイエナの頭を掴んだ。
そのままゆっくりと、しかし確実に力を込めていく。
「う、うご…」
頭を鷲掴みにされたハイエナは、突然のことに声も出ない様子である。
手錠をはめられた手を、椅子の背でガチャガチャいわせた。
フローリアンも、友達のただならぬ様子に言葉を失う。
ヤギの警官は、相変わらずひげを撫でつけている。
「悪い、時間がないんだ」
「手短に吐いてくれると助かる」
低く静かな声で、相手に語りかける。
「どうする?」
アレンは空いた左手を、今度はその喉元にかける。
わざと爪を立てて、その先をゆっくりと喉にめり込ませていく。
「どうする?」
アレンはもう一度聞いた。
「話す気があるなら、瞬きを2回しろ」
ハイエナは、涙を流しながら瞬きを2回した。
「お、おれは雇われただけだ」
頭をふらふらと振りながら、ハイエナは語り始める。
「金持ちの、ブタに雇われた」
「あいつら、は」
「体中に傷のある人間を探している…」
「昔、どっかの娼館にいたメスらしい…」
はあはあと荒い息をしながら、ハイエナは答えた。
アレンは顔にこそ出さなかったが、強烈なショックを受けていた。
「それで、その人間を探し出してどうする気なんだ」
「知らねえよ! おれは雇われただけだ!」
「人間をさらってくるのが、おれの仕事なんだよ」
アレンは、ハイエナを見つめた。
彼はぎょっとした顔になり、咳き込みながら言った。
「詳しくは知らねえ」
「ただ、メス共を集めて何かするらしい」
「大きな宴をするらしいって、一緒に雇われたやつが言ってたよ」
宴、金持ちのブタ、体中に傷のある人間、娼館。
アレンの中で、すべてがツォーにつながった。
彼は黙って立ち上がる。
フローリアンは心配そうな顔で、その後に続いた。
「ありがとうございます」
「貴重な話を聞けました」
アレンは、便宜を図ってくれた初老の警官に礼を言った。
「何、気にすることはない」
「きみ、刑事に向いているよ」
最後にヤギは、そう言った。
情報は手に入ったものの、手札は何もない。
どうすればいいのか考えを巡らせていると、フローリアンのスマホに着信が入る。
『今どこにいる? アルも一緒か!?』
相手は、チャドだった。
2匹はチャドと落ち合うため、再びタクシーで会社に舞い戻った。
「チャドはチャドで別の交友関係があるから、何かいいアイデアが見つかるかと思って」
そのためにチャドにも連絡したのだということを、フローリアンは移動中に説明した。
「さっきは驚かせて悪かった」
アレンは、フローリアンに謝った。
「いや……いいんだ」
彼は、そっと呟く。
アレンの気持ちは、フローリアンにもよく分かっていた。
会社の前で、チャドは2匹を待っていた。
既に日付が変わろうとしており、雨もぽつぽつと降り始めている。
フローリアンは、チャドに事の次第を簡単に説明した。
「何だかよく分からねえけど、ロッテが誘拐されたのは本当なんだな?」
「防犯カメラにも映っていたし、それは間違いないと思う」
アレンは、暗い気持ちでそう答えた。
そう、仮にあのハイエナの話とロッテが関係なかったにしても、彼女がどこかに消えてしまったことは確かだった。
「どうする、アル」
チャドが聞く。
「分からない……」
絞り出すように、アレンは言う。
「ロッテの匂いをたどって探すことも考えた」
「ただ、いなくなった時間と場所を考えるとそれも現実的じゃない」
「おまけにこの雨だ」
「匂いも消える……」
なす術がなく、アレンは片手で顔を覆った。
「クソッ!」
今はもう、そんな言葉しか出てこない。
「なあ、フローリアン」
「どう思う?」
チャドはそう言うと、ポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。
それは、小型の注射器のようなものだった。
中には、青みがかった液体が入っている。
「チャド!」
「さすがにそれはまずい!」
フローリアンが血相を変えて言う。
しかし、チャドは冷静だった。
「アル」
チャドは、アレンにその注射器を手渡した。
「チャド!」
フローリアンが言うのを無視して、チャドは説明した。
「これはな、オレたちの部署が特殊任務で使う薬で、いわゆるカンフル剤ってやつだ」
「簡単に言うと、これを打つと脳のストッパーが外れる」
「今の生活ですっかりなりを潜めた野性が戻ってくる」
「どうする?」
アレンは、チャドの言っている意味がすぐに理解できた。
そこへ、フローリアンが割って入る。
「ぼくは反対だ!」
「確かに、これは獣の潜在的な、あるいは今ある能力を飛躍的にアップさせる効果がある」
「だけど、訓練もしていないやつが簡単に使えるものじゃないんだよ」
「うまく能力を引き出してくれればいいけど、理性が飛ぶかもしれないし、薬の効果が切れたときに体にどんな影響が出るのか分からない!」
「危険すぎる!」
それが、フローリアンの言い分だった。
彼の心配は最もだったが、そんなことを気にしていられるほどアレンに余裕はなかった。
「効果はすぐに?」
「打って5分てとこだ」
「持続はまちまちだけど、まあ2時間てとこだな」
「最大出力で活動しても、だ」
「先に頭がイカレるか、体がくたばっちまうかは分からねえ」
チャドは、いたって冷静だった。
「分かった、ありがとう」
言い終えるやいなや、アレンは注射器を腕に突き刺した。
中の液体を、血管の中に流し込んでいく。
もう戻ることはできないが、それでいい。
「これ付けてけ」
チャドは、アレンの服に発信機を付けた。
「コトがコトだけに、ヘタに大人数で動かないほうがいいかもしれねえ」
「用事が済んで、迎えがほしけりゃ電話しろよ」
「できなかったら、こいつに教えてもらうよ」
そう言って、チャドはアレンの胸を叩いた。
ぶつかることの多いチャドだが、その気遣いが嬉しかった。
2匹に例を言うと、ロッテが最初に行方をくらませた場所へと急いだ。
「チャド、あれをアルに打たせるなんてどうかしてるよ」
「トレーニングしたぼくたちだって辛いときがあるのに……」
フローリアンは、アレンを見送ってからそう言った。
「でもよ、時間勝負なのは間違いないだろ?」
「今ここで判断しかねて、それでロッテに万一のことがあったらどうする?」
「オレたちがどうっていうより、あいつがだよ」
「きっと、どんなことをしても犯人を殺るぞ」
「あいつがそんなことになっちまうのはごめんだろ」
「アルならきっとうまくやる」
「オレはそう信じてる」
チャドは明言した。
*****
ロッテが何者かに引き込まれていったあの路地。
アレンは、降り出した雨の中で目を閉じた。
余計な感覚は必要ない。
今は、嗅覚を研ぎ澄まさなければならない。
薬の効果か、頭は妙に冴えている。
彼女が誘拐されてから、もうだいぶ時間が経っていた。
普通に考えたら、匂いはとっくに消えているはずだった。
さっきから強くなった雨が、追い打ちをかけるように痕跡を消すだろう。
雨に打たれながら、アレンは目を閉じてじっとしていた。
その真っ暗闇の中に、弱々しい光がふっと灯ったような感覚がある。
それは、ロッテの匂いだった。




