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アウフ ディー プレッツェ/モーテルの朝

auf die Plätze


位置について

アレンとロッテは、山を下りた。


相変わらず、雨は降り続いていた。

アレンはロッテに上着を貸したために、道に停めた車に戻るころにはすっかり濡れてしまった。


共に汚れてびしょ濡れで、このまま街まで帰るのは難しそうだ。

そういえば、ここへ来るまでの道沿いに一軒のモーテルがあったっけ……。


モーテルの主は、怪訝そうな目で1人と1匹を見ていた。

ロッテは上着を被ったままだったし、アレンは毛の中まで濡れてロビーに水たまりを作っていた。


「はいよ、303号室」

ぶっきらぼうに言って、彼は部屋の鍵とタオルをアレンに差し出した。


*****


「さすがにこれは……」

先にシャワーを浴びたアレンは、部屋にあったバスローブにため息を吐いた。


フリーサイズだと聞いた気がしたが、どう見ても小さすぎる。

少なくとも、肉食獣向けでないことは分かった。

丈の短いぴちぴちのバスローブなんて着られるわけもなく、仕方なしにアレンは濡れたズボンを乾かすことにした。


泥はあらかた落としたので、何とかこれだけでも着て寝られるだろう。

ベッドに座って、撥水加工のされたズボンにドライヤーをかける。

乾かしたズボンは、生乾きなのが気になったが何とか履くことはできた。


シャワーの音が止み、しばらくしてロッテがバスルームから出てくる。

アレンには小さいバスローブも、彼女には大きすぎたようだった。

余った分をまとめ、無理矢理に腰の紐で縛ってある。

長い髪を濡れたままにして、ロッテは何も言わずに立っていた。


アレンはロッテを手招きしてベッドに座らせると、彼女の髪にドライヤーをかけた。

時間はかかったが、ロッテの金髪は次第に空気を含んでふんわりとした指通りになってくる。


髪を乾かしてもらう間も、彼女は何も話さなかった。

ただ言われるがままにベッドの端に腰をかけ、アレンに背を向けてじっとしていた。


「終わったよ」

ドライヤーを切って、ベッド脇の引き出しに片付ける。


アレンが再び彼女の背中に向き合ったときも、ロッテは相変わらずじっとしたままだった。

彼はその背中を、後ろから包むように抱き締めた。


手を引くだけでは心許なかった。

全身で引き止めていなくては、彼女はまたどこかへ行ってしまいそうな気がした。


ロッテはしばらくそのままだったが、やがてゆっくりと腕を押しのける。

アレンが手を離すと、ロッテは立ち上がって彼に向き合った。

そして、静かな声で言った。


「わたしの体……見てくれる?」

アレンは、返事をしなかった。


腰で結ばれた紐は、軽く引いただけでするりとほどけた。

前の開いたバスローブからは、ロッテの白い肌が見えている。


ベッドに座ったまま、アレンは彼女の肩とバスローブの間に手を差し込む。

バスローブは、彼女の肩を滑って落ちていく。


ずっと抱きたいと思っていた彼女の体は、目を背けたくなるほどに傷だらけだった。

ふくよかな乳房にも、無数の切り傷やあざがあった。

傷のない肌が滑らかで美しいぶん、余計に痛々しく感じられた。


背中も同様だった。

首の辺りから腰にかけて、背筋をぶつ切るように伸びる爪の跡。

おそらくは、自分のような大型の肉食獣につけられたものだと想像できた。

ハンナのような火傷の跡、何かで開けられたらしい小さな穴のような窪みも見受けられた。


アレンは心がつぶれそうだった。

しかし、そんな様子は表には出なかった。


ベッドに寝かせたロッテの、その傷のひとつひとつにゆっくりと手を触れていく。

撫で、舐めて、そしてキスをする。

彼はずっとそれを繰り返した。


*****


体が熱い。


わたしは、彼の前に初めてこの体を晒した。

ハンスにも全てを見せることはなかった、このぼろぼろになった体。

鏡を見るたび、自分を嫌悪せずにはいられなかったこの体。


彼はわたしをベッドに寝かせ、その傷のひとつひとつにゆっくりと手を触れる。

指を滑らせ、舌を這わせ、そしてキスをする。

傷が熱を孕んで、わたしの体は熱くなる。


背中には、一番大きくて深い傷がある。

どんな獣がそれを付けたのか、わたしはもう覚えてはいない。


ただ肉にゆっくりと沈み込む爪の先端を、体はしつこく覚えている。

突き刺さった爪が、容赦なく引き下ろされる痛みも。


その傷に、アレンの手が触れる。

深く傷つけられて感覚の鈍くなった肌は、それでも彼の手の温かさを感じ取る。


首から腰にかけてゆっくりと撫でられると、今度は腰から首に舌が這う。

熱くて柔らかいそれに、醜い傷跡が舐め上げられる。


背筋に電撃のような感覚を覚える。

決してそれは痛みではない。

ただ体をじっとさせておけなくて、シーツを握り締める。

頭を枕に埋めて、わたしは声を漏らして喘いだ。


彼との行為が終わるころには、体中に汗をかいていた。

喘ぐわけではないがいつもより早い彼の息遣いに、わたしのそれが重なる。


再びベッドに横たわったとき、心地よい疲労が全身を包んだ。

すぐに瞼が下りてきて、わたしは眠りに就いた。


*****


モーテルのベッドは狭かった。

自分の腕がベッドの端からだらんと垂れ下がったとき、アレンははっと目を覚ました。


ベッドサイドに置いたスマホのバイブレーションが着信を知らせている。

その傍にある古いタイプのデジタル時計は、既に9時半を過ぎていた。

電話は、おそらく会社からだろう。

ちらりと画面を確認すると、やはりそうであった。


スマホをそのままにして、アレンは再びベッドに横になった。

隣に、ロッテの姿はない。


布団が盛り上り、アレンの胸の上にロッテが現れた。

長い髪は、今は彼の胸の上に広がっている。


「無断欠勤なんて、初めてだ」

ナイトテーブルのスマホに視線を送って、アレンは言った。


「いいの?」

「いいよ」

彼は、ロッテを胸の上に乗せたまま答える。


「いいの?」

同じ言葉を、ロッテはもう一度口にする。

「ん? 会社のこと?」

「……」

「最後までしなくて、よかったの?」

思いもよらなかった問いに、アレンは少し驚いた。


チャドの下品な言葉を借りるとしたら、昨日は間違いなく()()()()だったと思う。

チャンスはあったが、アレンはロッテとセックスをすることはなかった。


「んー、何ていうか……」

アレンは考えを巡らせる。


「したくなかったといえば嘘にはなるけど」

そう前置きをして、彼は続けた。


「ロッテ」

「俺はきみのことを、完全には理解してやれないかもしれない」

彼の言葉を、ロッテはその胸の上で聞いている。


「きみのことを少しでも分かりたくて、昨日はああしたけど……」

「それで何が変わるってわけでもないよな」


「ただ、思うんだ」

「俺はきみのことを前より深く知ったし、きみも俺に深い部分を晒してくれたと思ってる」

「えーと、それで……」

言葉が浮かんでこないのか、アレンは頭をぐしゃぐしゃっと掻いた。


「何ていうか……うまく言えないんだけど」

「俺たちは、今ようやくスタートラインに立ったと思う」


「これからだよ」

「スタートしたら、絶対にゴールする」

「どんなに時間がかかっても」

「そう思わない?」


「だから、今はいいんだ」

「今はただ、きみがこうして戻ってきてくれたことを喜びたい」

「俺の手の届く場所に、いつでもそうしたいときに抱き締められる場所に……」


そう言うと、彼は胸の上にいるロッテに手を回した。

ロッテはされるがままに体を預け、目を閉じた。


アレンは続けた。

「この先またどうしようもなくなって、逃げることがあるかもしれない」

「それでも、構わない」


「時間はかかるかもしれないけど、きっと迎えに行くから」

「だから、俺のことを待っててほしい」


モーテルの窓の外では、街では聞いたことのない鳥の声が聞こえる。

ずっと降り続いていた雨はいつしか止み、今日は快晴のようだった。


「ロッテ……」

「そろそろ、服着ない?」

「さっきあんなこと言ったけど、このままだと早くも前言撤回になりそうだ」

アレンの言葉に、ロッテは片眉を上げて笑った。


*****


街に帰ってきた彼らは、そのままベーレンフンガーに寄った。

アレンはベアンハルトに車の礼を言い、無事にロッテを連れ戻せたことを報告した。

勝手なことをして……とロッテが謝りかけたところで、大きなグリズリーは泣きながら彼女を抱き締めた。


「ハンスのこと、黙っていて悪かった」

そう言って、ベアンハルトは泣いていた。

そしてロッテが再び帰ってきたことを、心から喜んでくれた。


ドアを開けて、ロッテは懐かしい匂いを感じる。

ほんの数日留守にしただけだったが、ずいぶんと長い旅から帰ってきたような気がしていた。

アレンとロッテはシャワーを浴び、汚れた衣服を洗濯機に放り込んだ。


冷蔵庫のあり合わせで、ロッテが食事を作った。

それをいつものように、向かい合わせで食べる。


寝るには、まだ少し早い時間ではあった。

しかし彼らは同じベッドにもぐり込み、何もせずに眠った。

互いの体温が、互いを深い眠りに誘ってくれるのを感じながら。


ようやくいつもの日常が、ロッテと共に戻ってきた。

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