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イヒ マーク ディッヒ/キスの後

Ich mag dich.


きみが好きだ


ロッテが部屋に戻って間もなくして、アレンも自分の部屋に引き返した。

着替えをすることもなくそのままベッドに倒れ込んだが、外が明るくなっても眠ることはできなかった。


朝になって部屋を出ると、キッチンのテーブルに着くロッテと目が合った。

彼女はシャワーを浴びたのか、頭にバスタオルを巻いてコーヒーを飲んでいた。

軽くおはようとだけ挨拶をし、彼らは言葉少なに過ごした。


今までも、彼らの間に沈黙が訪れることはあった。

しかしそれは、決して苦痛を伴うものではなかった。

お互いに自由気ままに過ごし、相手もそれを受け入れている。

1人と1匹の間に漂う沈黙は、いつもそういうものだった。


しかし、今回ばかりは違った。

昨日あんなことがあったので、この沈黙は間違いなく気まずいタイプのものだった。

言いたいことがあるのに、なかなか言い出せない沈黙。

その苦痛の中に、冬の晴れた日曜日が飲み込まれていく。


沈黙を最初に破ったのはロッテだった。

アレンが部屋で悶々としていたとき、小さなノックの音が聞こえた。


「アレン、起きてる?」

「ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな…」

その誘いで彼はキッチンのテーブル、ロッテの向かいに座ることになった。


「…」

向かい合わせに座ってもなお、沈黙はなかなか破られなかった。

ロッテは指を組んでもたもたしていたが、やがて意を決したようだった。

顔を上げて、アレンを真正面にとらえる。


「あの、昨日のことなんだけど」

「…」

「昨日は、本当に楽しかったの」

「劇を見に行ったのも、夜景を見せてくれたのも…」

「…」

「その後の、キスも…」

「…」


アレンは何も言わなかった。

唇を結んで、ロッテとも目を合わせない。

卑怯な態度を取っているのは、自分が一番よく分かっている。


「昨日、あんなことになってしまって…」

「本当に、申し訳なかったと思ってる…」


あんなこと。

すごく盛り上がっていたのに、触れさせてもらえなかったこと…。


「あなたは、何も悪くないの」

「わたしの…問題なの」

最初こそアレンを見つめた瞳は、話を続けるにつれてだんだんと下を向いていった。


「わたし、どうしてもだめなの」

「その…オスと、そういうことになるのが」

「キスはできたから大丈夫かもしれないと思ったけど…」

「やっぱり、だめだった」

最後は、聞こえるか聞こえないかというほど小さな消え入りそうな声だった。


「ごめんなさい、本当に」

「もし、あなたがここで別のメスと暮らしたいと思うなら、わたしは出て行くからそう言ってほしいの」

「ただ、少し…次の部屋が見つかるまでは待ってほしいんだけど…」


何やら、話がおかしな方向に進み始めている。

沈黙の中にいながら、アレンは思った。


「ちょっと、ちょっと待って」

このまま黙っているのはさすがにどうかと思い、彼はとうとう割って入った。

「ロッテは、ここを出て行きたいってこと?」

「昨日、その…俺がキスしたから?」


見れば、ロッテは困ったような顔をしている。

「違うって…」

「わたしの話聞いてた?」

やんわりと怒られる。


「キスしてくれたのは、嬉しかった…」

「わたしが言いたいのは…」

「あなたがほしいものはあげられないってことなの」

何かがかみ合わない気持ち悪さを感じて、アレンは少し不機嫌になってしまう。


「何だよ、俺のほしいものって…」

寝不足のせいだろうか。

今日はやけに意地の悪いことを言ってしまう。

彼は自分自身でそう思った。


「つまり…」

ロッテはそう言うと、唇をきゅっと結んだ。

「わたしは、あなたとセックスができないの」

最後に再び真っすぐな視線を投げかけ、ロッテははっきりと言った。

それきり、横を向いてしまった。


「ロッテは、俺が雰囲気でキスしたと思ってる?」

「…」

今度は、ロッテがだんまりを決め込む番だった。


「何となくキスして、そのままヤレそうな感じだったからああしたと思ってる?」

アレンは、うつむく彼女をじっと見つめた。


「そんなんじゃない…そう思われてるなら心外だよ」

ふてくされたようにそう言うと、椅子の背もたれに身を預けた。

椅子が、低い音を立ててきしむ。


「じゃあ、どう思ってキスなんかしたの?」

ふと顔を上げて、ロッテが尋ねた。


「どう思って?」

アレンは、彼には珍しく怒りが湧いてくるのを感じていた。

自分は、一体何に対してこんなに腹を立てているのだろうか。


「そんなこと、決まってるだろ」

「きみのことが好きだからじゃないか!」

ついまくし立てるように言ってしまい、アレンははっとした。

目の前のロッテは目を丸くして、今にも泣きそうな顔をしてそこにいた。


「きみのことが好きだから、キスした…」

次に続いた言葉には張りがなく、それが余計に情けなく感じられた。

これじゃあ、まるで駄々っ子じゃないか。

何をやってるんだ俺は…。


アレンは思った。

きっと俺が腹を立てているのは、彼女が分かってくれていないせいだ。

キスしてセックスして、それさえできればいい相手じゃないんだ。

ロッテ。

俺が好きなきみは…。


「ロッテは、俺をどう思ってる?」

「きみは、()()()()()()()()()()嬉しかったの?それとも…」

ロッテのぱっちりとした目が、ほんの少し潤んだように見えた。

そしておもむろに立ち上がると、アレンの鼻先をギュッとつかんだ。


「った!」

不意の攻撃に、思わず涙目になってしまう。

そこに、追い打ちをかけるようにロッテの声が飛ぶ。


「そういう言い方やめて!」

「わたしだって、あなただから嬉しかったのよ!」

「他の誰かじゃなくて、あなただから…」

怒ってそう言うとアレンの鼻から手を放して、疲れたように椅子に座り込んだ。

そして、小さな声でごめんと謝った。


「じゃあ俺たち、お互い様じゃないか?」

「え?」

「互いに好き合ってるなら、それでいいんじゃない?」

「でも…」

「とりあえずは、始めてみない?」

「ルームメイトより、少し先の関係から」

「アレン…」


「昨日あんなことしたヤツが言っても説得力はないかもしれないけど…」

「別に、そこまでがっついてはないから」

「キスができたなら、その後も?今後できるようになるかもしれないし」

「俺が今一番言いたいのは…」

「きみのことをルームメイト以上に大切に思っているし、嫌じゃないなら…これからも傍にいてほしい」

「今までと同じように、きみと毎日楽しく暮らしたいと思ってる」

「ありのままのきみが好きだよ、ロッテ」


我ながら、キザったらしいセリフだと思った。

「俺、何かバカみたいな顔してない?」

真剣に不安になってそう言うと、ロッテは噴き出した。

「そんなことない」

そう言いながら、笑っている。


「わたしも、あなたが好き」

「大きな肉食獣で、オオカミのアレンが好き」

「ありのままのあなたが好き」

一気にそう言うと、今度はロッテが聞いた。

「わたし、何かバカみたいな顔してない?」

今度はアレンが笑う番だった。


「はー、疲れた」

話し合いの後、アレンはソファにどっと伏せた。

今になって、恐ろしいほどの眠気が襲ってきている。

それはきっと、こじれていたものが解決して心が軽くなったからだろう。


「ごめん、ちょっと寝る…」

薄れる意識の中で、ベッドで寝たら?というロッテの声が聞こえた気がした。


倒れてすぐに、アレンは軽いいびきをかいて眠ってしまった。

その気持ちよさそうな様子に、ロッテも眠気を誘われる。

眠る彼の傍らに座り、うつ伏せになった背中に頭を乗せる。


「ありのままの、きみが好き」

さっきアレンに言われた言葉を、自分も口の中で転がしてみる。

それは、とても素敵な響きを持っていた。


自分の抱えているものの重さは変わらない。

しかしそれでも、少し楽になった気がするのはなぜだろう。

ありのままのわたし。

いつか、もしかしたら、本当に…。


たった今、それ以上の関係になったルームメイトに頭を乗せたまま、ロッテもいつしか眠りに落ちていた。

窓から入る冬の日差しは、1人と1匹を優しく包み込んでいた。

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