君が欲しい
殴られた奴が悪い。
*
「よせ! 早まるな……まだ間に合う。ゆっくりと、手を離すんだ」
「イヤだ! 離さないぞ! この子はボクのだ!」
「いいか? お前の力を考えろ? 相手はか弱い、骨どころか腕が千切れ飛ぶ。そんな事はしてはいけない」
「うるさいうるさい! この子との時間を邪魔するなぁ!」
「おい、イラつくのはわかる! おい! よせって!」
「この子は離さないぃいい!」
「うっせえんだよこのクソ豚ぁ! テメーの為に俺は必死に交渉してんだろうがよぉ!」
正明はわめき散らす小太りの汚い男に怒声をぶつける。男はぼさぼさの髪に無精ひげ、手の爪には垢が溜まっていて、風呂にすらまともに入っていない風体だ。
その男は1人の少女を抱えていた。
と言うよりは、ロープで雑に縛って首元に果物ナイフを突きつけている。
だが、その少女は怯えるどころか満面の笑みを浮かべて男の腕を手で掴んでいる。
「離れるんだ。お前は今抱えている存在の恐ろしさを知らない!」
「うるさい! お前はこの子の何なんだ!? 女のクセに!」
聞く耳を持たない男が捕まえているのは、艶やかな長い黒髪をポニーテールに結って、引き締まったスポーティな身体を学生服に包んだ女の子。きりっとした目元は今は優しさすら感じ取れるほどに和やかになっているが、この状態が一番危ない事を正明は知っている。
男が捕まえている存在は鋼夜の鬼こと、楯神志雄なのだ。
車でキャッチボールをする剛腕を持つ、誇張抜きの鬼だ。それを男は哀れにもストーキングし、歪んだ情欲を彼女で発散しようとしたのだ。そこに居合わせた正明が、男を助けようと彼女を説得しているのだ。
ナイフで殺せる女じゃない。
むしろ危険なのは男の方である。
「いいか!? 君が抱えているその女はゴリラを腕相撲で泣かせる女だ! そんな可愛い顔しているが、脱げばゴリラだ!」
「失礼な! 力に自信はありますけど、身体から女性らしさを消すほどストイックではないです!」
「え? は!? 志雄ちゃんってそんなにガタイいいの?」
「そうだ! 対物ライフルを拳銃のように扱い、パンチで金属製の柱を破壊、掌底でコンクリをぶち抜く! 立てばゴリアテ、座ればゴリラ、歩く姿はサイヤ人! 君はそんなバケモンと一発ヤろうってのかい!? 自殺行為だ!」
「ま、正明?」
「腹筋もバキバキに割れているんだぞ!?」
「あ、それはむしろいいかも」
「え? あ、そうなんだ……僕は少しふにふにしてたほうが、じゃなくて! とにかく、志雄は彼を離すんだ」
「あの、泣いて良いですか? ゴリラって、酷過ぎます」
志雄は正明の言葉に相当ショックを受けて拗ねている。半泣きで顔を赤くしているが、それも危険信号だ。
次の瞬間には男が投げられ、ミンチになる未来が見える。
正明は叫ぶ。
「大丈夫! 志雄はそれでもしっかりと女の子してるから。部屋にあるデカいクマちゃんとか」
「わぁーーーーーー‼‼‼‼‼」
「ピンクのウサギちゃんに」
「うあーーーーーーー‼‼‼‼」
「ふわふわな部屋着に、肉球スリッパ」
「ひゃあーーーーーー‼‼‼‼」
正明の言葉に志雄は素っ頓狂な声をあげる。
「もふもふなお部屋が志雄の癒しだもんな!」
「い、言わないでください! なんで知っているんですか!」
「え? 硬派なスポーツっ子かと思っていたのに!」
「そーだ! それが志雄の趣味だ! 嫌になったろ? よし、帰れ!」
「寧ろ好きだ!」
「この童貞野郎! ゆるふわ女子がええんか! ギャップか!? それでいいのか!?」
「もういやです……帰りたい。この豚殺して帰りたい」
「待て待て待て待て! 豚は殺すな! ここで殺人はやめろ! 廃工場で被害者と加害者、何も起きない訳もなく! それだけはごめんだ!」
正明は焦るが、志雄は既に恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。犯人である男の身が危ない。
致し方なく、正明は魔法を使って志雄を抑える。
「あ! 貴様! 魔法を使ったな!? もう許さない! この子を殺して僕も死んでやるぅ!」
叫んだ男は手の果物ナイフに力を入れるが、その刃は志雄の肌に食い込むことはなかった。
「あー、志雄。殺さないでね? ぶん殴って良いよ」
「は?」
驚いた男は既に宙を舞っていた。その顔は陥没しており、道路に叩きつけられて完全に気を失ってしまった。
「全く、汚いですね! 汗臭いし、湿ってるし、非力だし! 私を口説く暇あるなら、腹筋の一回でもしたらどうです?」
そう言うと志雄は伸びてる男に悪態を吐いて正明の前まで歩いて行く。
「正明も正明です! 個人情報をいきなり晒すなんて! それに、私はゴリラじゃありません!」
パコン! と正明は志雄に頭を軽く叩かれるが、その衝撃は正明の意識を刈り取るには十分過ぎるものだった。
「みきゅ!!!」
みょうちきりんな声を挙げて正明はその場に倒れ伏してしまう。
その時だった。
「ここで人質を取ってる男がいると聞いてきました! 無事ですか!」
誰かが通報したのだろう、複数人の警官が駆け付けて来たのだ。
「ま、不味いですね。過剰防衛で捕まる未来しか見えません! 正明! 逃げますよ!」
そう言うと正明を担ぎ上げた彼女は猛スピードでその場から走り去っていった。まるで大型車の様な馬力で、走る彼女の背中をかろうじて意識を取り戻していた男が見つめる。
「ば、化け物だった……うぐぅ」
その場に取り残された男はあえなく御用となった。
惚れた相手が悪かったな!その恋を剥いでやる!(オーバーキル)




