ねぇ、お母さん。ごめんなさい。
会いたいのです。でも、貴女は私を許してくれないでしょう。向こうでも会えないのは知っています。でも、私は変わらずに貴女を愛しています。今でも、貴女がくれた思い出と宝物を探しています。お母さん、貴女に会いたい
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私は物心つく前の事故で、腕を失いました。
その変わりが何だかは知りませんが、人よりは魔力の量が多くて浮遊魔法も長い時間かつ器用に操ることが出来ました。
幼い頃の記憶は霞んで思い出そうにも、中々思い出せません。人外化施術をした影響かと正明に聞きましたが、記憶は奪う事は無いと。もしかしたら、私自身が蓋をしているのかもしれません。一つだけ覚えているのは、母が本を読んでくれた事。紅い鬼が大暴れして、最後には人間の英雄に倒されるというお話でした。
私が中学生になって、お祝いとして母は紅い腕時計をくれました。とても高価な、頑丈で、美しい時計。宝物が出来ました。部屋に大切にしまって、将来結婚するときに人前で始めて着けよう。浮足立っていて間もなくの事でした。
母が、死にました。
事故でした。母を殺した人間は言うなればエリートな人間だったと思います。裁かれることなく、大金で示談となった。そこまでは幼い私もわかりました。母の死が、金で、無かったことにされたと言う事実を無力な私は受け入れるしか無かったのです。
多くのお金をいきなり手に入れた父は、文字通りに狂いました。
仕事は辞め、毎夜毎夜様々な女を家に連れ込んでは乱痴気騒ぎ。私は家にいたくなかったので、庭で過ごしていました。当時、友達はいましたが迷惑をかけたくない一心でいたことは覚えています。でも、あの時の私は泣くしかありませんでした。
そんな生活を父は続け、最後には自尊心を無くしました。
酒、女、薬にまで手を伸ばしてもあの男を満たすものはありませんでした。
そして、日に日に消えていく金。私はアルバイトをして、自分の食費は何とか賄えるくらいには稼いでいましたが父はそんな私が気に食わなかったのか、よく私を殴りました。
中学生で、親はお金持ちなのに自分の食費を必死になって稼ぐ私を見て「誰か」を思い出していたのでしょう。金で保っていた自尊心を実の娘に踏みにじられた、とでも考えていたのでしょうか。それでも、私は働くことは辞めませんでした。紅い腕時計が私を慰めてくれました。母が見守っていてくれる。
そんな生活が続き、私が15になった年の事でした。
多くあった示談金が底をついたのです。
進学なんて私はとうに諦めていた私は、何とか父から逃げようと貯めた金でスーツを買って就職先でも探そうかとしていました。何故か、この頃の記憶だけは詳細に思い出せるのです。
金が無くなっても、贅沢から抜け出せない父は借金を重ね。私の貯めていた金も盗み始めました。そして、私が母の形見として持っていた紅い腕時計までもがいつの間にか消えていました。
始めて父に怒鳴りましたが、父はそんな私をベルトで殴りつけて来ました。顔を何度も叩いて、踏みつけて、唾を吐いてぼろ雑巾になった私は外に放り投げられました。
お母さんが、いなくなってしまった。
冷たい夜風が、殴られた痛みが、その事実を私の中に蘇らせました。悔しくて、惨めで、何も出来なくて……痛くて、寂しくて。
お母さんに、会いたくて……
その時でした、冷たい冷たい雨が降って、冬の冷たい大雨が。
私にしか聞こえない絶叫を、運んできました。
涙でぼやける視界、感覚がわからなくなってきた肌、悲しみで麻痺しそうな心で叫びの主を探しました。家の裏、そこの柵に父が刺さっていました。正確には、家の二階から酔って落下して柵によって怪我をして蹲っている父がいました。
か細く、私の名前を呼ぶ声。
呼ぶな、私を呼ぶな。
私は吸い込まれる様に、家に入りました。台所にある、包丁を取るために。
口に咥えた包丁はとても頼りになる相棒に見えました。そして、父の元に戻りました。無力に痛みで動けない負け犬。私の母を、無かった事にした男。
お母さんを、売り飛ばした男が!!
咥えた包丁で、父を刺しました。何度も、何度も、何度も刺して。
気が付いたら、目を開いたまま父は動かなくなっていました。雨はいつの間にか止んでいました。返り血で真っ赤になった私は、まるで、母が読んでくれた絵本の悪役。
暴れん坊の、紅い鬼の様に。
呆然とする私の目の前に、黒い霧が現れました。まるで奈落の底の様な、暗いその霧の向こうから蒼い光が歩いてきました。
現れたのは、私よりも少し年下っぽい女の子でした。彼女が涙を流して手を伸ばしてきました。
「おいで、僕と同じ君」
私はその差し伸べられた手を、無い手で掴もうとした瞬間に、船の看板に居ました。
暗い海に浮かぶ、青より、碧く、深く悲しい蒼色の月の下で私は出会いました。
死神の飼い猫に。
私は、鋼夜の鬼・楯神志雄。
お母さんの腕時計は、まだ見つかっていません。
会いたい人がいます
もういない人ですが、また話したい
お礼も言えてないのに




