卒業(私、犬に帰ります)後編
寄生して直ぐに彼女の性格は私を閉口させた。思念の私は自ら言葉を発生ないから、閉念と言うべきかもしれない。そんな屁理屈はどうでもいい。とにかく彼女が人生に楽しさを感じていないのは容易に理解出来たのだ。
私が外向き思考であるのに対し、彼女は全く正反対の根っからの内向き志向なのである。しかも極度にネガティブ。
思念の同調は非常に困難である。
私は、自分の迂闊な行動を恨んだ。これなら犬のクミの方がマシだ。そうも思った。
ただ、そんな中にも一筋の光を私は感じ取った。
彼女には外に出せずにひっそりと秘めていたモノがあったのだ。
それは、私が寄生先を替えた理由と共通する、男性アイドル好きであると言うことだ。
特に清潔感があって、細めの甘いマスク好きだと言うところは、まさに私とドンピシャなのである。
きっと、恥ずかしくて外向きに表せないだけなのだろう。そう考えた私は、まずその部分の自己表現を私と同調させることを目標とした。
私は彼女の変化に期待した。あらゆる思考を彼女に送り込んだ。常に彼女のことを思って頑張ったつもりだった。
だが、それは焦り過ぎだった。
結局のところ、私は彼女のことを自分の安定した寄生先とする事しか考えていなかったのだ。彼女のことを考えれば、そんなに焦ってはいけないのである。
その焦った結果が、彼女の思考を止めてしまったのだ。更に従事していた仕事を解雇に追い込んだ。挙げ句には見事に惹き込ませてしまったのである。
それでも、彼女は、私の思念を拒否することはしなかった。ただ自分を責めたのだった。
彼女には申し訳ないが、私にはそれが幸いだった。私の存在が消滅せずに済んだのである。
しかし、そうこうしている間に、彼女はみるみるやつれて行った。
体重は恐らく10kgは落ちていたと思う。今現在の彼女の体重と比べると・・・。
そして、遂には私の思念もマヒして行った。こんな状態では、私自身のパワー回復も出来ず、他の生命体へと寄生先を替えることも出来ない。私の思考は次第に衰えて行った。
だが、災いが福となった。それにつれて彼女の状態が若干ずつではあるが回復した様に見えたのである。
そこまでになって、私はやっと気づくことが出来た。
まずは、彼女に影響するのでは無く、彼女を知ることだと。
その後はとにかく耐えた。出掛かる自分の思念を押し殺し、彼女を理解することに勤めた。
彼女と思念を同調する為には、まず、彼女が表現した感情を私が無条件に学習するしかないのだ。その為に、私は極力自分の思考が伝わらない様に、思念の出力を「無」にするしかないのは明白だった。
思念のみの存在の私にとって、それは非常に辛いことであった。しかし、辛いのは彼女も同じ、いや私以上なのだ。そう思い、私は彼女を理解することのみに専念した。
そうしている間に、少しずつ彼女は回復して行った。
私も彼女への理解が深まったので、彼女の様子を窺いながら慎重に次の行動に移ってい行くことにした。
それは、彼女の思念がプラスの方向に高まる様に、私の思念を適量に付加することだ。
それも少しづつではあったが成功して行った。
彼女の実家の援助もあり、悪戦苦闘の彼女の無職生活も4カ月を経過した。
その頃には、彼女は私と彼女の二つの思念の存在に大分慣れてくれていた。
私が彼女の思考を理解するように、彼女も私の付加する思考があることを予測し、それも自分の思考であると認識するようになったのである。
そして、ついに彼女は二つの思念から出力される全ての要素から、一つの考えを選択することを覚えるに至った。
思念の同調が成功したのだ。
これで、彼女の思念に気まぐれが起こり私を拒絶することも無いはずである。
私に安堵の時期がやって来た。
更に時は経ち、半年を過ぎる頃。
私が男性アイドルを追いかける為に寄生先変更した事実もすっかり忘れ、彼女との同調に喜びを覚えた頃である。私たちの前にメイド喫茶と言う存在が出現したのである。
私はそれに直感的に飛びつこうとした。だが、彼女は慎重だった。当然のことである。彼女が以前していた仕事とは全くかけ離れているのだから。
メイド喫茶は、主に大人の男性の相手である。それも、ちょっと個性的だ。
私は彼女の適応能力の成長に期待し、ここぞとばかりに彼女の意識を誘導した。
もしかすると、これを切っ掛けに彼女が元の状態に戻ることもあるかもしれない。そんな危惧もあった。だが、私は彼女のターニングポイントだと思った。だから、勝負をかけた。そのつもりだった。
結果は意外にも、当初慎重だった割に彼女は簡単に私の思考を受け入れてくれたのだ。
彼女も変わりたいと思っていたし、何よりこれ以上の無収入は続けられないと思ったのだと思う。
こうして、私たちは面接を経て、メイド喫茶「キャンディードール」のメイドとなったのである。
メイド喫茶での名前は「クミ」と名乗ることになった。これは、私の思念の影響では無く、彼女が私の思念から零れた言葉を記憶していたのであろう。彼女が自らその名を選択したのである。私の存在を知らないはずであるのに。
メイド喫茶なのだから、当然メイド服を着る。そして、時にはねこ耳を始め獣の耳を付けたり、尻尾を付けたりもする。更にイベントと称し、時にはナースにもなりば、幼児にもなる。
それらを私たちは受け止めて、一人前のメイドを目指した。
想像を遥かに超えた様相を求められ、時に私は否定的になりかけたが、彼女はそれに対して、それ程否定的では無かった。いや、むしろ乗り気であったとさえ感じられた。
だが、バニーガールまでは頑張ったが、水着の日だけは夏風邪をひくことにした。
数々あるコスプレの中で、彼女のお気に入りは、JK設定の妹である。特に「ツンデレ」と言う設定が明らかに好きなようであった。
そのイベント日には、彼女のノリノリの気持ちが、私の思考を戸惑わせることもしばしばあったぐらいだ。
ただ、積極的になりつつある彼女ではあったが、やはりお客との会話への苦手意識は簡単に打破出来るものでは無かった。会話には、ある程度の言葉のストックと閃きが必要だから、当然一長一短には行かない。
なので、言葉の殆どは私が誘導した。それに彼女は従順だった。当然の様に、私のほぼ全て私の思念を受け入れたのである。だが、ツンデレの日だけは、私も彼女の影響を受け二人で頑張った。
メイド喫茶と言うところは、男性客を「ご主人様」と呼び、女性客を「お嬢様」と呼ぶ。
初め、その呼び名の様に対応するのだと緊張もしたが、意外とその店では呼び名とは裏腹に、彼らの心を掴むことを一番に要求された。
そこで私は無類の才能を発揮したのである。
個性派のご主人様ほど、私は自分のテリトリーに引き込めるのを発見した。
凄いぞ私!そんな感じだった。
また、店内限定の流行語まで作ってしまった。ご主人様帰る素振りを見せた時には、「くみだお、帰さぬ!」と私が彼女の思念に呼びかけると、彼女はそれに合わせて両手を広げて出入口を塞ぐ。そして、口を膨らませて怒り笑いを見せる。まさにツンデレの「ツン」だ。
これで、延長を何度も獲得した。もちろんその後の「デレ」も忘れてはいない。
プレゼントも毎日の様に受け取った。彼女はそれをとても喜んでいた。
それが些細なものではあっても、彼女にとっては今までに無かった経験である。
何せ来店前に自分を気に掛けてくれている証拠であるのだ。まあ、それも最近では大分慣れてしまったようだが・・・。
気持ちが好転すると余裕も出来る。メイドを始めて1年が過ぎると、実生活の向上と新たな生きがいの為に掛け持ちで仕事を始め出した。
その生きがいとは、彼女と私が某アイドル男性ユニットのメンバーの一人、野々崎丼と言う変わった名前のメンバーにハマったことである。
元々この点に関しては、寄生当初から私たちの共通思念であったことだ。二つの思念に食い違いがあるはずも無い。
行動範囲は徐々に広がり、イベント参加の為にしばしば東京にも出かけた。
その男性アイドルと彼女が握手した時には、私は彼女と共に天にも昇る気持ちであった。何せ、寄生先を替えた目的がこれで果たせたのである。
私の記憶で、一番楽しい彼女との時間であった。
私と彼女が心の底から共鳴出来たのである。
一人では味わえない思念の響き。これぞ寄生の本望だと感じるに至ることが出来た。
まさに絶頂期であった。
そんな生活もあっという間に過ぎて行く。
7年もの月日が過ぎて8年目に入った。
彼女と私の間に弊害、いや、むしろその逆なのだろう、二つの思念の同化が始まったのを、私は感じ出したのである。
この同化とは、思念が同調するに従い、二つの心が一つになってしまうことである。要は、私の存在が彼女に取り込まれると言うことなのである。
その時、私はそれでも構わないと思った。同化が起こることは知っていたから、その時はこのまま身を、いや、思念を任せようと思っていたのだ。
でも、そんな矢先である。
お店に私の知っている顔が訪れたのである。
私の前寄生先の犬、クミの飼い主の息子である。
私が彼女、栗原美子と言う女性に移動した当時は確か小学6年生位であったと思う。今では彼も大学生の様だ。
彼の話では彼の母親が、つまり私の前寄生先であった犬のクミの飼い主が、病気で寝たきりになってしまったとのことである。
自宅療養中の時は、前寄生先であったクミから離れないらしいのだ。そして、私が寄生していた時にやっていた芸を再び行わせようと、弱った体で一所懸命に教えるらしいのだ。
これは私にはきつかった。
芸をしなくなったのは、私と言う思念が抜けたせいなのだ。
その話が私の心に突き刺ささった。
彼女、美子もその話を聞いて動揺している様に思えた。同化を始めたせいかもしれない。
私と彼女の思念が同調して、共振したように増幅するのだ。
思念の存在である私にとって、それは耐え難かった。
結局、私は考えに考えた末、いや、考える前から結論は出ていたのかもしれない。私は再び前寄生先の犬のクミに戻ることを決意した。
決意してからは、私は少しづつ彼女の思念に影響しない様に、当初寄生した時の様に「無」の時間を少しすつ増やしすことにした。今後の彼女の為に。
そうなると、以前の引き籠り時代程ではないにせよ、メイド喫茶で言葉に困ることも出て来る。しかし、そんな時は助けを入れたので、それでも、それなりには会話は出来ていたとは思う。
しかし、彼女はあんなに好きだったメイドと言う環境を捨てることを決意したのであった。
メイド喫茶では、辞めることをアイドルが辞める時の様に卒業と言う。
彼女の卒業にあたり、店では卒業式と言うイベントををやることになった。
このメイド喫茶の風習で長期間務めたメイドが辞める時には卒業式と言うイベントを行うのである。
卒業式の日程は、彼女が私の前寄生先の家の近くを通る前日に合わせて貰った。それは、私が彼女の思念に働きかけて作った予定だ。
要は、私が彼女から離れる前日が卒業式と言うことになる。
元の寄生先は利便性の良いところに在り、その近所を通る予定を作ることもそれ程難しくはなかった。
そして、今日、ついにその日が明日となったのである。
彼女に影響する思念のみの私には卒業式みたいに彼女の感情が高まる場所は苦手である。
どうしても、彼女との気持ちとの相違が出てしまうのだ。
店を辞めることに対し、私には彼女ほどの感情を抱くことが出来ない。それでも、彼女がそのイベントを欲したのだから、私は彼女に成り代わった言葉を紡ぎ出さなければならない。
私の抱く感情とは別に彼女の感情に似合った言葉を。
彼女にとってのご主人様やお嬢様は、彼女の言葉を紡いだ私にとっても大切なお客様ではある。
でも、楽しさは確かに共有したものの別れについての感情は全くと言っていい程に”無”なのだ。
それよりも私にとっては、寄生先である彼女との別れが大きい。
寄生先とは、私の存在そのものなのだ。
7年半の存在そのものなのだ。
それと比べれば、全てが小さい。
他の別れが褪せて見えるのは仕方のないことではないだろうか。
私は彼女が心配だ。
あんなに大変な思いをして二つの思念を同調させて作り上げたものが、一瞬にして元に戻ってしまわないか心配で堪らない。
お店の卒業の日程を決めたのは私だが、卒業自体を決めたのは彼女なのだ。
何故なのだろう?
何故卒業をするのだろうか?
単に今年29歳を迎えると言う年齢を考慮しただけなのか?
でも、寄りによって私が去る今でなくてもいいのではないのか?
やはり、私のせいなのだろうか?
あんなに心の拠り所としていたのに。
私にはそう感じられていたのだが・・・。
いくら私が彼女との別れを控え、無を心掛け、彼女自身の思念で会話を促すようにしていたとは言え、そんなに負担だったのだろうか?
昨日だって自ら言葉を紡ぎ出し、それなりに楽しく会話をしていた時もあったように見えた。
なのに、なのに何故今なのだ?
それとも、私の意志の影響が無ければ、既にメイドと言う仕事に飽きていたのだろうか?
いや、最初から私の影響で勘違いしていただけだと、それに気づいたのだろうか?
これから彼女の人生は、元の暗い引き籠ったものに戻ってしまわないだろうか?
最初こそ苦しかったが、私にとっては楽しい7年半の歳月だった。絶対に彼女にとっても楽しかったに違いない。その感情は、充分に感じ取れたし現れもしていた。
私には、彼女の心の奥までは読むことは出来ない。
実際に口にした言葉と、心拍数や体温でしか分からない。私は一方的に彼女の思念に影響するのみの存在でしかないのだ。
彼女も私が彼女向けに表した思念しか感じ取れてはいない。
私の真意までは理解は来ないのだ。
それでも私は彼女を理解したつもりだし、彼女も私の思念を快く受け止めてくれていたに違いないはずだ。
私は、彼女との別れが辛い。それを強く表せないのが辛い。
私の存在を悟られてしまわないように抑えるのが辛い。
彼女に理解されることが許されないのが辛い。
だから、だからせめて一緒に過ごして得たことだけは無駄にならないで欲しい・・・。
* * * 卒業式前日の夜 * * *
卒業式前日の仕事も終わり、彼女は仲の良かったお店のメイドとさんと食事をして帰ることになった。
お店はメイドさんの雰囲気とは似つかないラーメン屋さんだった。
ラーメンは彼女、栗原美子の好物の一つで、時折、お店のメイドさんと帰りに寄ることがあった。
今日のお店の選択は、珍しく美子である。
店の場所は、偶然にも美子に寄生する思念体が元寄生していた先の家と近くであった。
美子を通し、寄生する思念体は久しぶりの景色を懐かしく眺めた。
食事後の帰り道である。美子もこの場所に思いがあるのだろうか、どう考えても帰り道の最短とは思えない道を選択している。
思念体はそれを不思議に思ったが、敢えて、美子の思念に影響することはしなかった・・・。
・・・
・・・
・・・
* * * * 翌 朝 * * * *
カーテンの隙間から差す朝日に、開き掛けた瞼に力が入る。
「あ~朝かぁ、長~い夢から覚めちゃったみたいだね」
栗原美子は心が静かすぎ、物足りなさを感じる。
それを補おうとは、美子はアパートの隣室に迷惑の掛からない程度に声を出してみる。
「今まで・・・ありがとう。
よし、それでは、今日は二つ目の卒業式に行くとしますか」
美子は、努めて元気にベッドから脚を下ろす。
そして、ゆっくりと立ち上がった・・・。
その日、
メイド喫茶で行われた自分の卒業式に出勤した美子は
いつもとは違って、別人の様に静かに微笑むだけであった。
<おしまい>




