ミルクココアと自転車とねこ耳4
久留実の初めての自転車には、いくつもの試練が起こるも・・・。
どうやら、祖父に何かあったらしい。それだけは久留実にも分かった。
胸騒ぎがする。止められない。
母からは、父が直ぐ戻るとは聞いてはいるが、いつも母に怒られているの父の行動から考えると、本当に直ぐに戻るのか心配でならない。
どうしよう?
会いに行けば良いんだ。
久留実は自問自答する。
誰と?
自分一人で祖父の家に行けばいい。
一人で行けるの?
今の自分には自転車がある。
行くの?
自転車は速い。自動車で10分くらいのところなのだから、きっと、自転車ならばそれ程変わらな時間で行けるに違ない。久留実にはそう確信出来る。
元々、明日行く予定が1日早まっただけなのだ。
「うんっ!」
久留実は頷くと、何かに背中を押されるように体は自然と行動に移っていた。
まだ、公道を乗って良い許可は両親から貰ってはいない。でも、両親との約束を破ることよりも心を動かすことの方を久留実は優先した。
今手持ちの全財産は164円。それが入ったお財布。それと、おやつに水筒にタオル。いつも一緒のぬいぐるみと、前におじいちゃんから貰ったお守りも忘れない。それに、一番肝心のおじいちゃんへの誕生日プレゼントである”ねこ耳のカチューシャ”だ。
久留実はそれらをお気に入りのリュックサックに詰めると、もう一度小さな指を使い、幼稚園の先生から教わった指さし呼称をする。
大丈夫、忘れ物は無い。
しっかり者の久留実は一応チラシの裏を使って、「おでかけしてくるから」と、相当読みにくい文字で食卓の上にメモを残すのも忘れない。
全ての準備が整うと、久留実はリュックを背負い、黄色い帽子をかぶる。そして、家を飛び出した。颯爽と自転車にまたがった。さあ、出発!
道順は大丈夫。自信がある。国道に出て右に曲がり、いつも母が買い物に行くスーパーのところで国道を渡り左に曲がり脇道に入る。そして、少し行って大きな家のところで、もう一度右に曲がればいいだけだ。
自転車にはもう自信がある。道順も大丈夫。何も心配はいらない・・・はずだ。
なのに、やっぱり何処か堤防内の空き地で練習している時とは違った何かを感じる。体にも自然と力が入るし、胸がドキドキ言っている。お尻も何だかムズムズするような変な感じがする。
久留実は緊張していた。本当は不安だった。でも、同時に高揚感にも包まれていた。クルミには祖父にねこ耳のカチューシャを届ける使命感がある。
いつも自転車の練習をしている堤防内の広場までは、乗らずに押している。その道を、今は自転車に乗って進んでいる。
自転車は速い、これなら祖父の家まで行くのに車とそれ程変わらないんじゃないか。やはり、そんな風にまで思える。
あっと言う間に国道まで出た久留実は、その国道を右に曲がり、歩道の上を走る。そこまでは問題は無かった。
だが、国道は今まで快調に進んでいたのが嘘の様に、久留実の気持ちを一変させてしまう。
車通りが多い。その雰囲気と、大型車からの風圧に威圧されてしまう。
風は向きが向かい風となり、ペダルがずしりと重くなる。
国道を今まで一人で歩いたことも無い。一人で通るのは、今日が初めてだ。
今まで毎日自転車の練習していた空き地は車が通らない広いところなので、周りを気にする必要は無かったし、向かい風も避けて練習していたので気にもならなかった。
しかし、今は目的地が決まっているのだから避けては通れない。
久留実は心を落ち着かせようとて自分に言い聞かせる。
「大丈夫だから」
車に関しては歩道を走れば安全だし、向かい風は国道を走っている間だけだ。きっと脇道に入れば、また納まるに違いない。
ちょっと疲れるけど、自転車を漕げない程強い風ではないのだ。
「頑張れ!」
久留実は前かがみになりながら、頑張ってペダルを踏む脚に力を込める。自転車の速度は、期待に反してかなり遅い。が、それでも歩くよりは速い。早く祖父母の家に行くために、自転車を降りて押して行く選択肢は無い。
ところが、そんな久留実の決意に水を差す出来事が起こってしまう。
いきなりの突風が久留実を襲い、いつもお出かけの時に被っている黄色い帽子が、突風に飛ばされてしまった。
急いでいた為、ゴム紐を顎に掛けていなかったのが災いした。
久留実は慌てて自転車を止め、振り返る。
帽子は風で後方に流されて行き、次第に車道へと向かって行く。
「あっ!」
自転車に跨っている久留実は目と口を大きく開いたまま、見ていることしか出来ない。
「もうダメだ、車に踏まれちゃう」
そう思った時だった。雲の隙間からいきなり陽が差したと思ったら、柔らかく逆方向の風がいきなり流れたのだ。それでも、勢い良く飛んだ久留実の帽子は、このままでは惰性で車道まで行ってしまい、車に踏まれてしまいそうだ。久留実はそう思いながらも見つめるしか出来ない、しかし。
帽子は車道に飛び出す寸前の遠戚の上で、不自然に急に止まってしまう。何かに引っ掛かったようだ。
よく見ると、黄色い帽子から黒いお尻と尻尾が出ている。
「子猫? あれ、いつから?」
いつの間に現れたのだろうか?黒い子ネコの半身を覆うように帽子が被さっていた。
子猫が危うく車道に落ちるのを防いでくれたのである。
「危なかった~」
胸を撫で下ろした久留実は、慌てて自転車を降りて、子猫の元に帽子を拾いに戻る。
「ありがとう」
子猫にお礼を言って頭を撫でる。子猫が首に付けている銀色の鈴がチリンチリンといい音を奏でる。
飼い猫の様だ。でも、構っている余裕は無い。
「危ないから、ちゃんと家に帰ってね」
久留実は子猫にそう告げると、今度はしっかりと顎ひもを掛けて帽子を被り直す。そして、久留実は再びペダルを踏みだす。
風はすっかり止んでしまい、再び自転車は快調に進み出した。
あと、目の前の大きな交差点を渡りスーパーのところまで行けば、国道を左に曲がり脇道に入ることが出来る。
「もう少し、頑張ろっと!」
久留実がそう思った時であった。目の前の大きな交差点の問題点に気が付いた。
その交差点は白いガードレールで囲まれて車道に出れない様になっているのだ。そう、横断歩道の無い交差点なのである。
交差点を渡る者は、皆、歩道橋を渡らなければならないのだ。
久留実にも横断歩道の無い交差点を渡ってはいけない、歩道橋を渡らなければならないのは分かっているし、歩道橋は四方の道路をスクランブル交差点の様にどちらへも渡れるよう、上から見ると正方形の形をしているから、安全に信号を待たずして一気に斜向かいにも行ける。
だが、自転車を押して歩道橋の階段を上り下りするなんて出来そうにも無い。
「どうしよう…」
困って固まってしまう久留実。
しかし、よく見ると歩道橋の両脇に自転車のタイヤよりも少し広い幅で、段になっていない部分がある。
久留実は思い出した。前にそこを利用して自転車を押して歩道橋を渡っていた人を見たことがあると。
祖父のところに早く駆けつけたい久留実に、ここまで来て戻る選択肢は無い。久留実は迷わず、その方法で前に進むことを選択した。
自転車を押し、歩道橋の階段を上り始める。
歩道橋の階段は思っていた以上に急勾配だ。
久留実の自転車は小さいが、久留実もまだ小さい。自転車は小さくても意外と重い。
久留実は僅か2~3段を上った時点で一息つくこととなってしまう。
久留実はこれを3回程繰り返したところで、自力で上るのは無理だと悟ってしまう。しかし、そこから引き返すのもかなりきつい。
久留実の背中は、もう汗でびっしょり。
上れない。下りれない。
どうにもできない。
そう思うと、涙が零れて来る。
自転車を支えているのも辛くて、自転車を倒してしまう。
そうなるともう涙が止まらない。
久留実にとっては絶対絶命の状況の中である。その時、再び久留実は先ほど帽子を飛ばした時の様に、いきなり柔らかく涼しい風に体が包まれた。今度は鈴の音と共に。
黒い子猫だ。
「あれ、さっきの子猫?」
子猫は久留実の後を付いて来ていたのか、横を通り過ぎて行く。
まだ、子猫なのにぴょんぴょんと軽快に階段を上って行く。
身軽なその姿に久留実は呆気に取られ、涙が止まってしまう。
「凄い!」
久留実はその姿に落ち着くことが出来た。泣くのはおかしいと思えて来た。
久留実はリュックから水筒を出し喉を潤し休憩をとることにした。すると、次第に前向きに思い直す気持ちになって来る。
「時間が掛かってもいいから、少しずつ休みながら上って行こう」そう思い直すことが出来てくる。
そして、少し休んだ久留実は再び倒れた自転車を立てようよとした。その時である。
歩道橋の上から鈴の音と共に足音が聞こえて来た。
見上げると、中学生くらいの女の子が二人、歩道橋の上から駆け下りて来る。歩道橋の上からは先ほどの黒い子猫が久留実を見下ろしている。
「大丈夫?」
女子中学生二人はそう言うと、クルミの自転車を起こす。そして、簡単に歩道橋を上り、四角い歩道橋の斜向かい側に渡り終えてしまう。
「中学生って凄い!」久留実は感嘆してしまう。
久留実は大きな声でお礼を言い頭を深々と下げると、助けてもらったのに何故か飴まで貰ってしまい恐縮してしまう。
中学生の話では、黒い子猫が誘導するかのように二人の中学生の前を鳴きながらウロウロするので、しかたなく促されるように付いて行くと、歩道橋の途中で座っている久留実を見付けたとのことだった。
中学生二人と別れた後、久留実は慌ててキョロキョロと周りを探して見るが黒い子猫は、もう何処にもいなかった。
「何処にいったんだろう?」
余り時間を取っていられない久留実は「不思議な子猫だなあ」と思いながらも探すのを諦め、先に進むことに決めた。
これで、交差点を斜めに越えたので、次のスーパーでの左折で国道を渡らなくても良くなったのはラッキーだった。久留実は女子中学生から貰った飴を舐め、リュックから取り出したタオルで汗を拭くと、再び自転車のペダルを踏み始めた。
ひと汗かいた後の風は心地よい、このまま一気に祖父母の家まで言ってしまおう。そう思うと、ペダルを踏む脚にも力が入る。自然、スピードが出る。
父からスピードを出してはいけないと言われていたこともつい忘れてしまう。すると、不意に現れた歩道の切れ目に前輪が落ちてしまい、制御を失ってしまった。
危ない!ハンドルが意志に逆らい左に取られ、体が右前方に投げ出されそうになる。転んでしまう。
久留実は思わず右足をペダルから離し道路に着こうとした。その時だった。
再び久留実は、いきなり風を感じた。
危機の中で、久留実は先ほどの歩道橋と同じ風だと感じた。横目にはいつ現れたのか、先ほどの黒い子猫が少し離れた所からこちらを見ているのが目に入る。
すると、不思議なことに同時に前輪が小石につまずき、不思議にも左に取られたハンドルが、真っ直ぐに戻っていた。当然、崩れたバランスが何事も無かったようにもとに戻る。
「びっくりした~」
久留実は、冷や汗を掻いた背中をホッと撫で下ろす。スピード違反の怖さを知った。そして、久留実は大人になって自動車の免許を取っても安全運転を心がけようと誓う。
少し止まって、心を落ち着かせた久留実は、なにか子猫のお蔭のような気がして子猫を探してみる。
「あれ?」
だが、もう周囲にはいなかった。前方を見ると、久留実のかなり前方の脇道を曲がって行くのが見える。
「あっ、行っちゃった。ついて来てくれたんじゃないんだ」
久留実は黒い子猫にお礼をしたかった。子猫にお礼を言ったところで、どうにもならないとは分かっている。ても、せめて頭ぐらい撫でてあげたかった。
まもなくスーパーのところまでやって来た久留実は、そこを左折する。脇道に入ると車通りは、もう殆どない。祖父母の家ももう直ぐだ。気持ちも急かされる。
そして、スーパー裏の駐車場を過ぎようとしたところであった。久留実は前方から来た大人の男性に声を掛けられ自転車を止めた。
止めたというよりも止めざるを得なかった。大人の男性に正面から遮る様に声を掛けられては、通り過ぎることは出来なかった。
男性は笑顔で話しかけてくるが、その笑顔がいかにも作り笑顔で怖さを感じる。
男性は道を聞いて来たのだが、小学1年生の久留実にとって道を聞かれるのは生まれて初めてのことである。更に、家の近所から離れてしまっているので、○○さんの家などと聞かれても分かるはずが無い。
「・・・」
久留実が無言で首を捻ると、今度は一緒に探してくれないかと男性は言って来た。お礼にチョコレートを買ってくれると言う。
両親からも口を酸っぱく言われている。知らない人に付いて行ってはいけないと。
なにより、今はそれどころではない。早く祖父の元に行かなければならないのだ。
久留実は首を思いっ切り左右に振り、ペダルに脚を掛け男性の横を通り過ぎようとした、その時。
男性が久留実の腕を掴んで、久留実の行く手を阻もうとしてきた。
「あっ!」
久留実が恐怖を感じたその時であった。またいきなり風が流れた。
柔らかくて、今度は温かい風だ。同時に後ろから猫の泣き声が聞こえて来た。今度は鈴の音は聞こえなかったが、久留実にはさっきの黒い子猫だと直感で分かった。
「助けて」と願うも、怖くて声も出ないし、振り返る余裕は無い。
しかし、久留実には振り返る余裕は無かったが、代わりに男性の視線が久留実を超えて、背後を見ている。恐らくは、黒い子猫の方を見ているのだろう。
可愛い黒い子猫を。
なのに男性の顔は一瞬にして凍り付いていた。久留実の目にもはっきりとわかる程に本当に青ざめている。
男性はガタガタ脚を奮わせながら、後ずさりを始めた。
久留実が呆気に取られていると、男性は数歩下がると、振り向きざまに慌てて走り出した。おぼつかない足取りで。
「どうしたのだろうか?」
久留実は去って行った男性を尻目に、男性の見たであろう視線の方に振り向いてみる。
すると、そこには居たのは、黒い子猫ではなかった。久留実の祖父が微笑んでいたのである。
自転車の数歩後ろで、久留実を嬉しそうに見ている。
「あれ?おじいちゃん」
祖父は、久留実の声に微笑む。
「体は大丈夫なの?」
祖父は頷くと、久留実の自転車の荷台にヒョイと身軽に飛び乗り、立ち乗りの姿勢になる。
「お祖父ちゃん、無理だよ」
久留実がそう言うも、祖父は微笑むだけで、久留実に前に進めと促してくる。
何も語りはしないが、久留実には祖父がそう言っていると疑う余地がない。
しょうがなく、久留実は祖父を自転車の後ろに乗せ試しにペダルを踏んでみる。すると、不思議なことに
全く誰も乗っていない様に軽いのだ。
久留実はさすが自転車は凄いと楽しくなって来る。
祖父は何も語りはしない。久留実が一方的に話しかけるだけである。それでも、久留実には不思議なことに会話が成立しているような感じがして、久しぶりの祖父と二人きりが楽しい。
話したいことは沢山あったが、二人を乗せた自転車は、半分も話さない内に祖父の家に着いてしまった。
でも、続きは祖父の家で久しぶりにミルクココアを飲みながら話せばいいし、メイドさんの話もゆっくりとしてもらえばいいのである。
久留実は楽しみで心がワクワクとしていた。
でも、ちょっとだけ気掛かりなことがあった。途中で何度か、「そう言えば、あの黒い子猫は?」と久留実は辺りを見回したが、その後、黒い子猫は久留実の前に現れることはなかったのである。
<つづく>




