ミルクココアと自転車とネコ耳2
初めて来た男性客に、クルミは誰にも話したことのない祖父との想い出話を始めた。
久留実の祖父母の住む家は、久留実の家から車で僅か10分くらいとわりと近いところに在る。
久留実が初産であったこともあり、久留実の母は何かにつけ母親を頼っていたこともあり、頻繁に実家に帰っていた。
物心ついた頃には、久留実は祖父母の家を第二の自分の家のように感じており、むしろ自分の家よりも祖父母の家に居ることを好んでいた。
久留実が幼稚園に上がると、久留実の母は午後の数時間を近所のスーパーへとパートに出るようになった。
そこで、幼稚園に通うクルミのお迎えは、母の代わりに祖母が行うようになり、母がパート帰りに祖父母の家へ久留実を迎えに行くというのが日課となった。
久留実が幼稚園の年中になる頃には祖父が定年を迎えたので 、以降は、祖父が久留実のお迎え役となり、それは久留実が小学校に上がるまで続いた。
そんなことで、幼稚園に通っていた3年間の久留実の相手をしれくれたのは祖母と、定年を迎えた後の祖父が中心となり、祖父がお迎えをする様になってからは、すっかり久留実はお祖父ちゃん子になっていた。
久留実がそこまで祖父に懐いたのは、単に一緒に居る時間が長かっただけでなく、それには明確な理由があった。その理由は主に2つある。
一つは、祖父が毎日淹れてくれるミルクココアが美味しかったこと。これは、同じ材料に同じ食器を使っていても、残念ながら母や祖母には全く勝ち目が無かった。
それと、もう一つは仕事柄人前で話すことが多かった祖父の楽しい会話術にあった。
祖父は久留実を笑わせることが大好きで、二人は母が迎えにくるまでの間、祖父の淹れたミルクココアを飲みはがら、毎日大笑いで話していたのである。中でも祖父のメイド喫茶のネタは鉄板で、久留実はいつもその話ばかりおねだりしていたのである。
メイド喫茶の話の中で特にお気に入りだったのはねこ耳の話で、久留実はこの話を何度リクエストしたか数えきれない。
それでも、祖父は面倒くさがること無く、毎回多少のアレンジを加えながら久留実の要求に応えていたのであった。
そんな日々が坦々と流れ、そして、久留実が卒園を間もなく迎えるある日のことである。
その日は祖父からメイド喫茶の話を始めたのであった。それは、いつもとはちょっと違ったアレンジを加えた話であった。
「メイド喫茶の扉を開けるとな、ひらひらの短いスカートを穿いて頭に猫の耳が付いたカチューシャて言うものを付けてる人が居るんだ」
「くるみ、知ってる!その人、メイドさんって言うんでしょ」
「そう、そのメイドさんなんだが、お祖父ちゃんは、最初ホントにネコみたいな耳が生えていると思って、びっくりしたんだ。思わず後ろにのけ反ってしまって、危なくぎっくり腰になるところだったんだ」
「腰は大丈夫だったの?」
年寄りのくだらない洒落を理解できない久留実は心配そうに祖父を見上げる。それに、つい調子に乗ってしまう祖父の口元は緩む。
「もちろん、大丈夫さ。何しろお爺ちゃんは、腰は若い頃から鍛えているからな。こう見えても色んなところで鍛えたんだぞ」
と、久留実が分からないことを言いことに、超古典的な茶目っ気を見せる祖父。
「色んなとこで?いいなぁ~、久留実も鍛えに行きたいなぁ」
と、それを羨むクルミ。そこに、
「っん、ん・・・面白くない」
合いの手のように咳き込んで、小声で割り込んで来たのは、いつもの様に祖母である。
祖父が振り返ると洗濯物を畳ながら、こちらに向かって鋭い目つきを返してくる。思わずそれに祖父は怯んでしまう。
「まあ、くるみ。そこは、もう少し大きくなってからと言うことで・・・。
それでな、そのメイドさんはお祖父ちゃんに向かってお帰りなさいっていうんだよ。余所の家に行ったのに、お帰りなさいって言われるんだ。変だろ?」
「うん、変。変だけど、ちょっと可愛い」
久留実は目をまん丸に開いて、いつものように祖父の話に喰いついてくる。
「そして、メイドさんはな、やたらにゃんにゃん喋るんだ。そうしたら、お祖父ちゃんもすっかりうつっちゃって、帰る時は”にゃんにゃん”喋っちゃってたよ。帰ってからもお婆ちゃんに”にゃんにゃん”言ってたらな・・・」
小声で、
「怒られちゃったよ」
祖父は、振り返り洗濯物を畳終えて立ち上がろうとする祖母を見るが、軽く無視される。
一方久留実は、そんな祖母への気遣いも知らず、このくだりで必ず大声で笑いを始める。メイド喫茶の話をするときの祖父の欠かせない祖母ネタである。
と、ここまでは、ほぼいつも通りの話なのだが、久留実はいつも初めて聞く様に愛の手を淹れて来る。そして、ここからは本日バージョン。
「それでな、このねこ耳がよーく見てると時々僅かに動くんだ。メイドさんもベテランさんになると、つけ耳を自分の耳みたいに操ることが出来るらしいんだよ。お祖父ちゃんびっくり!」
「うっそだ~」
「ホントさあ、おじいちゃん見たんだから」
「ホントに?」
「うむ」
真面目な顔で頷く祖父。
「そっか、見たんだー」
それに納得するクルミ。
「お祖父ちゃん、そのねこ耳が大好きさになって、どうやって動かしているのか、そのメイドさんに聞いたんだよ」
「聞いちゃったんだ」
久留実は、未知な世界の話にドキドキしながら目を輝かせる。
「そしたらな」
「そしたら?」
久留実と目を見合せて、間をとる祖父。久留実も真剣な顔で見つめ返す。
「実はな」
「実は?」
「内緒らしい」
「内緒なんだ・・・」
久留実はガッカリしてうな垂れる。
「だけどな、これは内緒だぞ。
多分、おじいちゃんは魔法だと思うんだ。だってな、これはメイドさんに聞いた話なんだけど、その日は偶々ねこ耳の日だったから耳が動く程度だったけど、像耳の日の時は、大きな像の耳を付けて耳をバタつかせるとくるみの膝くらいの高さまで浮くらしんだ」
そう言ってから、祖父はまた振り返り祖母をご機嫌を窺う。それに祖母は拭き掃除の手をいつもより鋭く前後させながら呟く。
「それはダンボ、よ」
祖母の突っ込みに、
「そう、ダンボのようにだ」
調子のいい祖父。
「へ~そっか、じゃあお鼻は?」
「あ~・・・お鼻はおじいちゃん聞き忘れちゃったな」
祖母の手前、適当な嘘を吐けなくなった祖父。
「ねぇ、鼻もつけるのかな?メイドさんは鼻でリンゴとかお煎餅を掴んで食べるかもよ」
祖父に影響されたのか、発想が祖父に似ている久留実。
「なるほど、そうかもな」
と言いながら、祖母と目を合わせるのを躊躇う祖父。
「まあ、色んな耳の日があるらしいんだ。けどな、おじいちゃんはやっぱりねこ耳の日が好きかな。
ホントはな、そのねこ耳をもらう約束してたんだけど、おじいちゃん忘れて来ちゃったんだ、大失敗しちゃったよ」
「え~うそ~、もらいに行けないの?」
悲しそうに祖父を見る久留実。
「もう、そのメイド喫茶は他の街に移ってしまったらしいんでなあ」
久留実の様相に、自分の言ってしまった言葉の重さに胸を痛める祖父。
「そうなの?」
「残念なことしたよ」
残念そうな祖父の三文芝居。しかし、打開策を思いつく久留実。
「何て言うメイド喫茶?」
「街の繁華街の外れで、お爺ちゃんの会社の近くに在ったんだが、名前は何て言ったかな~。皆、場末のスナック、いや、場末のメイド喫茶って呼んでたからなぁ、ホントの名前は忘れちゃったよ」
祖母が耳を立てている手前、メイド喫茶のホントの名前は言えず、祖母も周知である祖父が何かにつけて部下と通っていたスナックの別称を基に適当な名前を作り上げた。
「ば・す・えのメイド喫茶?」
それを信じる子供のクルミ。変な名前は、返ってクルミの心に深く残る。
「じゃあさ、くるみが大きくなったら”ば・す・えのメイド喫茶”を探して、そこでメイドさんになる!
で、ネコ耳付けて、魔法を教えてもらって動かせるようになるね。久留実だったらネコ耳だけじゃなくて、おひげも尻尾も付けて動かすぅ!」
「くるみは可愛いから、ねこ耳もおひげも尻尾も似合うぞー」
「ん、似合う」
「ああ、そうしたらお祖父ちゃんの誕生日にくるみが付けたねこ耳が欲しいな」
「いいよ、くるみが魔法で動くようにしたねこ耳をあげるね」
久留実は、祖父に約束と言うプレゼントをくれた。祖父はそれをとても喜び、久留実を抱きしめる。
その日のねこ耳の話はそれで終わった。ただ、何十年も共に暮らした祖母には、今日の祖父のねこ耳の話が、意図して久留実を誘導している様に思えていた。きっと、久留実からプレゼントをもらう約束、これを導きたかったのだろう、そう思った。
祖母はそっと隣の部屋へと掃除の場所を移すと、その手を止める。さっきまで睨み付けていた祖母の目は潤んで止まない。
祖母はその後隣の部屋で聞き耳を立てていたが、聞こえて来たのは幼稚園の話や、人形が欲しいとか自転車が欲しいとかのいつも通りの会話であった。
そして、図らずもその約束の時が、祖父と孫との最後のメイド喫茶の話となった。
・・・・・・・
まだ、クルミの働くメイド喫茶には、目の前の男性客以外には誰も来店していない。本日シフトも次のメイドさんがが来るまでは、まだ2時間近くある。
二人っきりの時間は、依然として流れ続けている。
「あっ、すみません。私ばかり話してしまって・・・」
一方的に昔話をしていたことに気付いたクルミが、申し訳なさそうに頭を下げる。それに、男性は
「いえ、良かったら続きを聞かせて頂けますか」
そう返す。
「どうしてだろう、ご主人様に凄く話したくなってしまいました。あっ、ニャ」
思い出した様にネコ語を付け加えるクルミ。男性はそれに微笑み返し、ミルクココアのカップを口元に近づける。
クルミは、男性が不快でないと分かり話を続けた。
「それで、かなり後で祖母から聞いた話なんですけどね、祖父はメイド喫茶に行ったのは、誤って入ってしまった時の一度きりだと言ってたんですけど、実は誤って入ったのは本当のようなんですけど、その後も祖母には内緒で何度も通っていたそうなんですよ。ニャン。
祖母も後で知ったんですが、祖父の財布の中には、そこのメイド喫茶のものと思われるスタンプカードに複数押印がされてたそうなんです。
まあ、私も今考えると、確かに一回と言うのは相当に怪しいと思うんです。一回きりにしては、余りにも作り話が上手すぎるし、話も細かすぎるんですよ、なのに祖父ったら・・・」
クルミは懐かしそうに笑顔を浮かべ、そんな祖父の想い出話続けるのであった。頭のネコ耳は、固定されたまま動くことなく。
<つづく>




