#8「あるエンジニア」
僕は左手の甲にある生体端末を耳に当てた。
”ハロー。誰かいる?”
虚空の誰かに向けて、僕は語りかけた。
返事は無い。
いつものことだ。
僕はため息をついて仕事を始めた。
このトシには、僕以外誰もいない。
僕は古いトシの機器のメンテをして暮らしているエンジニアだ。
首都と通信ラインは何とか繋がっているが、ヒトの声を聞くことは無い。
時折本社から短い指示のメールが来るだけだ。
僕は窓の外へ目をやった。
そこには半ば廃墟となった建物と、その向こうの砂の高原と青空が見えている。
このトシで、僕は孤独だ。
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本来はオンラインで大抵の仕事は出来るはずなんだけど、ここの機器は古くて微妙に対応していない。だから僕は暇を見つけてはオンラインで仕事が出来る様、改良を試みてる。
そうそう上手くはいかないけれど、いつかそれが出来れば、僕はちゃんとヒトのいる場所で働けるんだ。
その日も作業は上手くいかなくて、僕は建物の屋上で寝転がっていた。
ゆるい風が髪をなびかせていた。
僕はまた左手の生体端末を耳に当てて、呼びかけた。
”もしもし、誰かいますか”
………。
返事は無い。
僕は左の手のひらを太陽に向けてみた。
この左手甲にある生体端末は、生まれた時からある。
何かの紋章の様に見えるそれは、通信機器としてもデータの送受信用にも使える。
これがあるから、僕たちはいちいち端末を持ち歩く必要は無いんだ。
流石に未開の地までは届かないけど、ある程度文明の利器が行き渡っている場所となら違う星系にだって僕の声は届くんだ。
それでも、こんな古びたトシには届かない。
だから、僕の生体端末は僕自身の記録や既にあるデータの閲覧程度にしか使えないんだ。
他の誰とも繋がっていない。
それって、意味あるんだろうか?
まるで今の僕みたいだ。
そんなことを考えていた時だった。
”私は、いるよ”
誰かの声が、脳内に響いた。
「!?」
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びっくりして僕はすぐには答えられなかった。
数秒、じゃなくて数分、でもなくて数時間、でもなくて。
数日、迷った。
メッセージは音声で来てはいるけどリアルタイムじゃなくて、メールみたいに何処かで記録した後発信されているみたいだった。
ここに僕以外誰もいないのはトシのセンサーで分かってる。
じゃあ、何処にいるんだ?
だからこう返した。
”僕はこのトシにいるよ。君は何処にいるの?”
数時間待っても答えは来なかった。
僕は後悔した。
すぐに返さなかったからだろうか。
もしくは文面?
それとも声?
……何処にいたっていいじゃないか。
話し相手になってくれるなら。
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あれから数日が過ぎた。
相変わらず返事はない。
催促するのも変だと思って、こちらからはあれ以降話しかけていない。
最近、何だか眠くって。
起きていても、夢の中みたいなんだ。
僕は本当に生きているんだろうか、なんて思ったりもする。
トシの機器の調子は、機嫌が良かったり悪かったりだ。
むしろどんどん古くなってきて不具合があちこち出て来てる。
僕がやっていることなんて、燃えさかる山火事にスプーンで水をかけているだけじゃないんだろうか、とよく思う。
僕はこのまま、トシと一緒に砂に埋もれてしまうんだろうか。
誰にも知られないまま。
そんな時、返信が来た。
”返事遅れてごめん。多分、そっちのも届くのに時間かかってると思う”
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僕は安堵した。
怒ってた訳じゃなかったんだ。
そして、僕らは会話を始めた。
お互い返事が来るまで時間がかかるだけなんだ。
返事に少しくらい時間をかけても構わない。
じっくり考えて、少しずつ。
そしてお互いのことを知っていく。
彼女は、僕と同じ様に何処かにあるトシで孤独に過ごしているみたいだった。
僕と彼女のトシがどれくらい離れているのかは分からない。
それでも、いつか会えたらいいね。
と僕たちは語った。
僕は一層トシの整備に力を入れた。
もしも彼女がここに来ることがあったなら。
恥ずかしく無い様にしよう。
普通に何もかも使える様整えよう。
そう思った。
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喧嘩した。
いや、喧嘩にすらならなかったのかもしれない。
向こうに、僕以外に文通?相手がいることが分かったからだ。
単純に言えば嫉妬、だ。
僕には彼女しかいないのに、彼女には僕以外がいる。
たったそれだけのことが、僕は嫌だった。
時間のかかるやりとりがしばらく続いて、
僕は子供の様な自分を抑えられず、もう返事を返さなくなった。
しばらく、何も手がつかなかった。
一応仕事は続けてはいたけど、機器のメンテも改良もずっと上手くいってない。
トシの調子は緩やかに悪くなっていった。
日中の眠さは続いている。
僕は部屋で足を投げ出して壁に背をついた。
妙に静かな部屋だった。
ふと、足の指が少し震えているのに気がついた。
痙攣の様な微かなそれすら、夢かと思ってしまう。
そんなぼうっとした気分の中、確かに僕は、ひどく後悔していた。
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”もしもし、まだいますか”
数ヶ月経ってから、僕はまた呼びかけた。
数週間待ったが、返事は無かった。
向こうは、子供の様な僕にもう愛想をつかしただろう。
そして向こうの誰かと話していることだろう。
僕は更に仕事が手につかなくなった。
ある時、部屋の時計が止まっていることに気がついた。
パワーが切れたのだろう。
スペアに交換することもなく、放っておいた。
一日中部屋でぼうっとしていることも多くなった。
ホントに本能だけで眠り、起床する。
だが起きたところで何もしようとは思わなかった。
僕はただ、生きていた。
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その日、トシの近くに隕石が落ちた。
珍しいことだ。
そこそこ大きな爆風が来て、トシは揺れた。
微かに繋がっていた首都とのラインは完全に途切れた。
僕は、完全に独りになった。
こんな時の為に、ある程度の準備はしてあった。
数ヶ月程度は何とか持つだろう。
故障したプラントを整備すればもう少し。
だが、それがもし数年、数十年になったら?
それまでに首都から本当に助けが来るか?
不安ではあったが、僕はとりあえずやるべき作業に着手した。
だけど、僕はこんなになっても、
ずっと自分が生きているか死んでいるか分からない状態だった。
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やるべきことはやって、あとは来るのか分からない助けを待つだけになった。
それまではなるべく水食糧を節約しつつ、ただ生きる。
僕は暇になった。
ある時、彼女との会話のログを聞き返してみた。
……何故か、涙が出た。
何の変哲も無い、ひどく情報の少ない、日常会話でしかない。
だけど、僕はそれが大好きだった。
一つ一つの返事に時間をかけ、向こうからの返事を心待ちにしていた。
少しずつ、お互いのことを知っていく過程。
その時間は、僕にとってかけがえのないものだったと思う。
彼女の声を聞きながらいつの間にか微笑んでいる自分に、僕は気がついていた。
僕は、トシのメンテをまた始めることにした。
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”ごめん、どんどん届くのに時間がかかる様になっているみたい。元気にしてた?”
久しぶりに、返事が来た。
……そうか。
彼女は何も変わっていなかった。
ただ、僕の方が一人で捻れていただけ。
そしてそれすら、彼女の方は気づいていなかったのかもしれない。
いやーーー僕の知っている彼女なら、おそらく全部分かっていたんじゃないだろうか。
僕は少しだけ考えて、返事を送った。
”僕は、元気だよ。君も、元気でいてくれたら嬉しい”
それだけ送ると、僕は仕事に戻った。
これに対する返事が来るのはいつのことだろう。
もしかしたら、もう来ないのかもしれない。
でも、それでもいい。
僕は彼女と少しでも繋がっていられたのだから。
僕は僕の出来ることをやろうと決めた。
それはいつか、このトシを蘇らせること。
そしてまた繋がる。
誰かと。
このトシで。
それを僕は、自分に約束した。
( 終わり )