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#5「あるマイノリティたち」


1。

「もし、良かったら……」

 綺麗な彼女はハニカミながら左手甲を差し出してきた。

 そこにはタトゥーの様な紋章がある。

 ヒトが生まれながらに持っている生体端末、通称『ファントム』だ。認証端末であり情報端末であり通信端末でもある。こうしてナンパされた彼女との番号交換も、普通ならば『ファントム』同士を近づけることで行われる。

 だがーーー。

 俺は手袋をした左手をそっと右手で隠した。

「あ……ダメだった?」

 彼女は落胆した顔を見せた。

 違う、そうじゃないんだ。

 君はとても魅力的だよ。

 今すぐ全てを剥ぎ取って繋がりたい位だ。

「………」

 俺は黙った。

 どうして俺はこうなのだろう。

 こう生まれてしまったのだろう。

 顔も体格も人並み以上に良いのに。

 性格だってそう悪くない。

 今だってナンパされた彼女とカフェでひとしきり盛り上がったじゃないか。

 彼女だってもうその気じゃないか。

 なのにーーーーあぁ、俺の『ファントム』が、尻にさえなかったら。

 番号交換の度にアヌスを見せなくて済んだなら。



2。

 僕の生体端末『ファントム』は生まれつき顔のど真ん中、鼻の上にある。

 みんなは左手甲にあるものが、どうして僕のはこうなのだろう。

 そこそこの大きさのタトゥーの様な紋章は向かい合うと結構目立つ。

 初対面のヒトは必ず、僕の鼻を見て「あ」という顔をする。

 そしてそのことには触れずに、努めて普段通りに会話を始める。

 そんな時、僕はそっとその場に沈みこんでいく様な気分を味わう。

 だから僕はなるべくヒトの前には出ない。出たとしてもマスクをつけて、だ。

 当然ヒト付き合いも少なくなる。

 前に一度だけ、付き合ってくれた彼女がいた。

 でも僕の引っ込み思案な性格のせいで別れることになった。

「一生、顔を隠して閉じこもっていれば!」

 別れ際に彼女は泣きながら僕に平手打ちをした。

 彼女は左利きだったので彼女の手の甲の『ファントム』が僕の鼻のそれに接近し、キンッという音がしたその瞬間、『ファントム』を通して彼女のやるせない気持ちが僕に少し入ってきた。

 彼女は僕に、『ファントム』のことなど気にせずに生きて欲しかったのだ。

「!………さよなら」

 彼女は気まずそうな顔をして去って行った。

 僕は後悔したがどうしようもなかった。

 それからしばらく僕は一人でいた。

 どれ位の時が経っただろう。

 ある時、食べ物が尽きて僕は仕方なく買い物に出た。

 勿論マスクをしてだ。

 最寄りのコンビニで僕は、同じ様にマスクをして俯き加減に歩いている女性を見かけた。

 ーーーもしや同類か?

 不謹慎かとも思ったが、彼女の後を追った。

 だがーーーよく見ると彼女の背中は時折咳で上下していた。

 本当に風邪を引いている様だった。

 ……なあんだ。

 でも、もしかして本当に僕みたいなヒトが何処かにいるかもしれない。

 そう考えて、僕は時々マチに出る様になった。

 長い間、そういう人を探し続けた。

 そしてある時、やっとそれらしい女性を見つけた。

 咳もせず元気に歩いているがマスクをしたままのすらりとしたスタイルの女性だ。

 僕は思い切って声をかけた。

「あの……」

「はい?」

 振り向いた彼女に、僕はマスクを取って見せた。

「あぁ……」

 彼女もマスクを取って見せてくれた。

 彼女の『ファントム』は、魅力的な唇を含む口にあった。

 ようやく見つけた。

 彼女こそ、僕の運命のヒトだ。

 彼女に会う為に、僕は生まれてきたのだ。

 僕は勇気を振り絞って言った。

「そこに……キスしていいですか」

 彼女は目を丸くして言った。

「ダメです。彼氏いるんで」

「あぅ」



3。

 私の『ファントム』ーーヒトが生まれながらに持っている生体端末ーーは、耳の中にある。

 せめて外耳であれば、といつも思う。

 少し深く付き合うことになる時は『ファントム』はここ、と髪を寄せて他人に自分の耳の中を見せなければならない。それでもはっきりとは見えないので、相手は大抵「?」という顔をする。それがたまらなく嫌だった。

 好きな人にならどこでも全部見せちゃうな~、などと『ファントム』が普通に左手の甲にあるヒトは言う。

 でも、そういうのは私には無理だった。

 私は、自宅でサウンドエディターをして暮らしている。

 ほぼヒトとは会わないし、普段の会話する時は全て『ファントム』ごしだ。相手はクライアントや上司。

 それ以外は、仕事で使う音を聴いている。

 『ファントム』が耳の中にあるせいか、私は心なしか他の人よりは音の深さを聴けるのかもしれない。それが仕事には役立っていると思う。

 そんなある日、私はクライアントとの仕事の打ち合わせの最中、その奥で聞こえる何かの音を聴いた。微かな、ツヤを帯びた様なイメージの音。

 『ファントム』による脳内同士の会話なので周囲の雑音など聞こえる筈もないのに、私はそれを確かに聴いた気がした。

「………?」

 『ファントム』を操作して相手の情報をこっそり探ろうかとも思ったが、私の『ファントム』は自分でも触れられないので、複雑な操作は残念ながら出来ない。本来は手の甲にあってそこに小さなモニターが浮かぶものなのだが、私のそれは勿論耳の中なので見えはしない。

 仕方ない、とその場は仕事のことだけで会話を終えたのだが、私はそれがずっと気になっていた。

 程なくして、そのクライアントと会う機会があった。

 珍しくパーティーに出席していた私は、周りの会話から隣にいる紳士がそのクライアントだと知った。向こうもそれに気がつき、お互い会釈をした。感じの良い応対だった。私は少しドキドキしていた。向こうもまんざらではなさそうだ。

 皆と会話しながら、私たちは『ファントム』でこっそりと話をしていた。

”今度お食事でも”

”ええ、いいですね”

”社交辞令、じゃないですよ”

”ええ……”

 私は少しはにかんだ。

 同時に、少し心配になった。

 私の耳の中にある『ファントム』のことを打ち明けたら、この人はどういう顔をするだろう。

 その時、私の脳内に何かが聞こえた気がした。

”     ”

”え?”

 彼の方を向くと、彼は「ん?」という顔をした。

「……?」

 彼の声ではないのだろうか。

 打ち合わせの時に聞こえたあの音に似ている気がした。

「………」

 また周りとの会話に戻った彼の視線を追っていると、その先に時々私の上司がいることに私は気付いた。

 その時、またその音ーーいや声が聞こえた。

「あぁ……!」

 そして私は理解した。

 あの声は、上司だ。

 上司とこの紳士は、交際関係にある。

 この紳士も実はゲイなのだった。

 打ち合わせ中も、私と同時に『ファントム』で会話をしていたのだろう。『ファントム』ではそういうことも可能だ。

 ただ、普通なら聞こえないそのツヤっぽい会話の雰囲気が、たまたま私の耳の中にある『ファントム』には聴こえてしまっていたのだ。

 あぁーーー私の『ファントム』が耳の中にさえなければ、気づかずに済んだかもしれないのに。

 いや……それはラッキーでもあったのだろうか。

 だがどちらにしろ、私には入る余地など無さそうだ。

 私は深くため息をついた。



4。

 ヒトが生まれながらに持っておる生体端末『ファントム』。

 そのタトゥーの様な紋章は普通のヒトならば左手甲にあるのだが、わしのそれは右足の裏に存在する。

 お陰でわしの人生は他とは一風違ったものになった。

 大抵のヒトは左手の甲を操作して通話なり情報収集なりをするのだが、わしはいちいち靴と靴下を脱いでせねばならん。当然人前で使うことは少なくなる。そのこともあって普段は裸足にサンダル履きにはしておるが、それでもそうそう使おうとは思わん。

 結婚はしておらん。恋愛ごともなるべく避けてきた。

 奇特な『ファントム』のせいだけとも思わんが、まぁそれが性に合っておるのかもしれん。

 わしはよくマチを走る。歳はもう六十になるが、まだまだ体は動く。

 常に『ファントム』を踏んづけて走っているとは思う。

 まるでマイノリティである自分が何かへの復讐でもしておるかの様に。

 じゃが、走っておる時のわしは何ものにも縛られず自由を感じておれる。

 それが好きなのじゃった。

 その日、わしはマチの外のマルシェが開かれておる辺りを走っておった。

 と、背後で悲鳴が聞こえた。 

「!?」

 見ると、老婆が店主のマルシェから果物を盗んだであろう若者がこちらに走ってきておる。最近はこういう若者も増えた。

「どけジジイ!」

 わしはそいつを避けるふりをして、すれ違いざま足を引っ掛けてやった。

「うあっ」

 若者は派手に転んで、手にした果物を取り落とした。

「く……覚えてろ!」

 月並みなセリフを残してそいつは逃げて行った。

 わしは果物を拾った。

「あぁ、ありがとう。怪我はなかった?」

 マルシェの老婆がやってきて、お礼を言うてきた。

「大丈夫じゃ。これ…もう売り物にはならんじゃろうから、わしが買うよ」

「そんなそんな。差し上げます」

 とても感じの良い老婆じゃった。

「そうか…では遠慮なく」

「えぇ……あ?」

 老婆がわしの足元に目をやって目を丸くした。

「ん?」

 見るとわしの土踏まず辺りに小さなモニターが出ていて何かの警告表示を表示しておった。

 若者を引っ掛けた時に不具合でも起きたんじゃろうか。

「おぉ、すまんね」

 わしはその足を上げてサンダルに指を入れ、『ファントム』を触ってモニターをオフにした。

 やれやれ、久しぶりに人前で触らざるを得んかった。

「あぁ……」

 老婆は気を使ってかそれ以上は何も言わんかった。

「生来のもんじゃ。では……おうっ?!」

 不具合故か『ファントム』に微弱な電流が流れ、ビクッと足が痙攣した。

 その時に弾みで足が跳ね上がり、わしの膝は前傾気味だった老婆の顎を直撃してしもうた。

 老婆は後ろに倒れこんで尻餅をついた。

「きゃあっ」

「す、すまん!」

 わしはすぐに謝ったが、周りの視線が耐え切れずその場を逃げ出した。

 とにかく、恥ずかしかった。

 走っている間も断続的に電流が来て足がビクつく。恐らくおかしな走り方になっておったじゃろう。

 ……全く。

 やはりこの足の『ファントム』はろくなことをせん。

 いっその事切り落としてやろうか。

 わしはみっともなくビッコをひきながら、マチの中へと逃げ込んでいった。



5。

 あたしの生まれながらの生体端末『ファントム』は少し変だ。

 普通に手の甲にはあるけど、通話だけが少しうまくいかない。

 男性と喋る時には普通なのだが、女性と喋っていてもその脳内に響く音声は男性のそれに変換される。

 初対面の人間と『ファントム』ごしに話すときはそれでよく間違える。

 何故なんだろう。

 あたしはヒトと、何かが違うんだろうか。

 ずっとそう思ってた。

 小さい頃に何度かメンテを頼んだりもしたけど、原因は分からずじまい。

 それがしっくりきた理由は、思春期にあたしが好きになったのは全て女性だったからだ。

 結局、それはあたしの嗜好によるもの。

 そう思ってた。

 以来、付き合ったのは女性だけ。

 長い付き合いもあったけど、今はフリーだ。

 小さなマチでは中々出会いも少ない。

 さてこの先どうしようかーーーと思ってた頃だった。

 マチのみの小さな『ファントム』を通したSNSの中で、ある人と出会った。

 プロフィールや活動を見る限り、妙にあたしと趣味趣向が合ってた。

 『ファントム』で連絡を取ってみると、もちろん聞こえてくるのは男性の声。本人は女性だと言ってた。

 一度会ってみたら割とタイプの女性だった。

 あたしはすぐにアプローチして、付き合いが始まった。

 しばらくは幸せだった。

 あたし達はプラトニックで、大事に少しずつ仲を深めていった。

 そして、いよいよベッドインというところで問題が起きた。

 彼女は、生来の女性じゃなかった。

 元男性だったんだ。

 彼女のそれは整形によるものだった。

 そりゃあ今では生体パーツなんて珍しくはないけどーーやっぱり、そこだけはあたしダメだった。

 あぁーーあたしの特殊な『ファントム』は、それにだけは気づけなかったんだ。

 何で、こう生まれたんだろう。

 あたしはずっとこうなのかな。

 この先、いいことはあるんだろうか。

 あたしはしばし途方にくれた。



1.5。

 俺は黙って左手の手袋を外して、甲に『ファントム』が無いのを見せた。

「あ……」

 彼女は驚いた様だった。

「ごめんね、そういうことだから」

 俺は立ち上がって歩き出した。

「……待って!」

 彼女が走ってきて後ろから俺に抱きついてきた。

「そんなのーーそんなのいいから……」

 それは嬉しい言葉だった。

 でもーーー。

「……ホントにいいの?」

「うん……」

 こんな彼女と出会えるなんて、運命だろうか。

 それならーーーいいかな。

 俺は腰に手を回されたまま彼女の方を向いた。

 キンッ。

 『ファントム』の番号交換完了の音がした。

「え?」

「あれ?」

 見ると俺の腰に回された彼女の左手の甲は、ちょうど俺の尻辺りにあった。

「…………」

 そうかーーー布ごしでも大丈夫なのか。

 ……なあんだ。

 俺は知らずに、今までずっとーーー。

「……あははは」

 俺は笑い出した。

 彼女も理解した様だ。

「あぁーーーもうっ、振られたと思って損した」

 彼女も笑い出した。

「ごめんごめん」

 俺はちゃんと彼女の背に手を回して、もう二度と離すまいと抱きしめた。


                   (  終わり  )


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