#34「あるベーシスト」
あるベーシストがいた。
彼は空中に浮かぶ隔絶されたトシの片隅で演奏する傍、ひっそりと曲を書いていた。
彼が所属しているバンドのメインはボーカル兼ギターの女性で、彼は二人いるベースの一人だった。
曲は大抵もう一人のベースが作っていた。
ベーシストの曲は時々出してはみるものの、ほぼボツになっていた。
あまり押しの強い方ではなかった彼は、それでも密かに曲を書き続けていた。
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ベーシストたちが暮らしているのは全長数十キロサイズのトシ型宇宙船、通称トシの上だった。
それはいつからか、航行能力を失ったまま無限のソラに浮いていた。
上も下も、どこまでもソラが続く不思議な空間で、何故か時折雨が降った。
ヒトたちはトシから出ることが出来ないまま、数百年の時が経っていた。
人口数万人の社会は、リサイクルを続けながら微妙なバランスの上に成り立っていた。
ベーシストは昼間は農業プラントで働き、夜は曲創りやスタジオでの練習、時々はライブと、それなりに忙しい日々を過ごしていた。
軽い閉塞感と漠然とした不安はあるが、それでも曲を書いている時だけは彼はささやかな幸せを感じることが出来た。
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彼には親がいなかった。
トシの人口の半分は人工授精によって生まれていた。
それが当たり前の環境だったので、それによる孤独感は半ば日常の一部だった。
その日ベーシストはオフで、マチの片隅でベースを携え鼻歌を歌っていた。こういう時に、ふと曲が降りてくることがある。そんな瞬間が、彼は好きだった。
巨大なイモムシ型をしたトシの上部には長辺方向に古い亀裂が走っていて、ヒトたちはそこを吹き抜けのショッピングモール圏公園の様に改装して使っていた。ベーシストが佇んでいるのはそんな光が降り注ぐ場所の片隅にあるベンチだった。
ウィーーーッ。
「!」
警報が鳴った。
周りのヒトたちは普段通りに近場のシェルターへと移動を始めた。
「やれやれ…」
「またか」
このトシの周りには、時折『ヒュー』と呼ばれる巨大な謎の円柱が出現する。トシとほぼ同じ大きさのそれは直接攻撃をしてくることは無いが、威嚇をする様にトシの周りをゆっくりと旋回しては去っていく。一応警戒用にトシの軍機が飛び立つのだが、『ヒュー』は相手にする様子も無いし、近づきすぎると謎のフィールドで撃墜される。中に誰が、何がいるのかは誰も知らない。意思があるのかも分かっていない。
ベーシストもベースを持って歩き出そうとしたところで、ある女性に気がついた。はけていくヒトたちの中にただ一人立っている黒髪の凛とした顔立ちの女性で、側には二十面体の形をした恐らくドローン?が浮いていた。彼女はじっと『ヒュー』の円柱の方を見つめていた。
その瞳には怒りも恐れも哀しみも無く、ただ静かでしっかりとした力があった。
「………」
ベーシストは、動けなかった。
彼女のその横顔と佇まいに、見惚れていたのだ。
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しばらくして『ヒュー』が去り、ヒトたちが出てきた。
そのヒトゴミに紛れて、彼女とドローンは消えた。
「………」
ベーシストは、立ち尽くしていた。
動けなかった。
彼女とその周りの空気が、彼の中の何かをノックした。
そう感じた。
彼はしゃがみ込んで、ベースを奏でた。
何かが降りてくる。
そんな予感がした。
その日彼が書いた曲は、トシで長く聴かれることになった。
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ベーシストは、その曲を自分のバンド用には出さなかった。
女性ボーカルには合わないと思ったし、もう一人の曲を作っている方のベーシストの作風とは全く違う曲だったからだ。
その代わり、彼は『ファントム』を通してトシのネットラインに匿名で曲を上げることにした。
『ファントム』とは、トシのヒトたちが生まれながらに手の甲に持っている生体端末だ。これがあればハード無しで通話やネット、各種認証などが可能になる。トシのネットラインは全てそれで賄われていた。
ベーシストはピアノも弾けたので、その曲をインストのみで上げた。静かな、それでいて凛とした力強さも携えた曲だった。
程なくして、その曲はトシの中で話題となった。
ネット上ではそれぞれのアレンジを加えたり、歌詞をつけたりして楽しむヒトも増えた。同時に作曲者探しも始まった。
ベーシストは微かな満足感を得たが、元来ヒトの目の前に出ることが苦手だった彼は自ら作者だと名乗り出ることはしなかった。むしろ変な詮索をされないよう、その曲の話題には触れず大人しくしていた。
それよりも、ベーシストはあの時のドローンと一緒にいた女性に会いたかった。この曲のインスピレーションをもたらしてくれた彼女に、一言でも礼を言いたかったのだ。
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休みの日は、トシの繁華街に出てあのドローンといた彼女を探した。
働いている時も暇さえあれば『ファントム』でネット上の痕跡を探した。
長辺が数十キロ程度のトシなのに、彼女は中々見つからなかった。
時折二十面体のドローンの目撃情報はあっても、彼女の方はまるで幽霊の様にその存在を感じさせなかった。
ベーシストは次第に、彼女を探すことしか頭になくなっていった。
プラントやライブでもミスを繰り返し、責められることが多くなった。
それでも彼は彼女を探した。トシのポリスやセンターにも接触したが、手がかりは得られなかった。
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その日彼は途方に暮れて、トシの吹き抜けの公園の片隅でベースを鳴らしていた。
そこは初めて彼女を見た場所。自分にあの曲のインスピレーションをもたらしてくれた場所。
彼は自然とあの曲を奏でていた。
鼻歌ではあるが、自身の声も出ていた。
気がつけば周りには人だかりが出来ていた。
そこには静かな音が溢れ、微かな生命たちが集っていた。
ああ、久しぶりに心地良い……彼はゆったりとした感覚に浸かっていた。
「………」
彼は何かを感じて、そっと目を開けた。
人だかりの向こうに、彼女とドローンのシルエットが見えた。
「!」
シルエットの中で彼女たちはこちらを見て、微笑んでいた。
そう見えた。
その時だった。
ウィーーーッ。
警報が鳴った。
「!」
またしても『ヒュー』が現れたのだ。
トシの軍機がスクランブルをかけた。
ベーシストを取り囲んでいた人だかりは散り散りになっていった。
彼は立ち上がったが、その視線の先に彼女たちはいなかった。
何処ーーー何処だ?
彼は焦って辺りを見回した。
ドウッ!
爆発音がした。
振り仰ぐと巨大な円柱ーー『ヒュー』が斜め上にいて、それにやられたトシの戦闘機がベーシスト目掛けて落ちてくるところだった。
「ああ……」
ベーシストは動けなかった。
何故かベースは守るように抱いたが、次の一歩が出なかった。
「危ない!」
声に向くと、彼女がーーー二十面体のドローンを連れたあの彼女が、ベーシスト目掛けてタックルしてきたところだった。
ああ、やっと会えたーーーー声を聞けたーーーー
そして、触れられたーーーーー!
こんな時だというのに、彼はスローな視界の中でそんなことを思っていた。
ガシャン!
やがて大きなクラッシュ音と衝撃が来て、彼は何も分からなくなった。
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気が付くと、ベーシストは包帯だらけで病院のベッドにいた。
側にはバンドのメンバーがいた。
ねぎらいの言葉もそこそこに、彼らはベーシストに伝えた。ボーカルと曲を作っていたもう一人の方のベーシストは、彼が眠っていた数週間の間に別のバンドを組んで、既にそこが軌道に乗っているそうだった。
「じゃ、悪いがそういうことで」
二人は出ていった。
「……」
ベーシストはボウッと見送るしかなかった。
また一人になった、と彼は思った。
「ま、俺はいるけどな」
「?!」
窓の方へ振り向くと、バンドのもう一人、ドラマーの男が座っていた。
「……いたんだ」
聞けば彼も新しいバンドには入れてもらえず、宙ブラリンの状態だという。
「お前曲作れるだろ?しばらくはそれでやってこうぜ」
ドラマーは屈託のない笑顔をベーシストに投げかけた。
「ギターはこいつでもいいだろ」
ドラマーが持ち上げたのは、二十面体の形をしたドローンだった。
「え、それ……」
「ああ、ちょっと前に質屋で見つけて。サウンド系の諸々に使ってる」
「………?」
あの彼女の側に浮かんでいたモノとは少し違う、様だった。
「………」
ベーシストは少し考えてから、笑った。
「………まずはリハビリ、しなきゃ」
「おう!」
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あの時倒れて気を失っていたベーシストを助けにきたのは、ドラマーだという。
ドラマーはあのドローンの彼女の姿は見ていないそうだ。
ベーシストが見た彼女は、一体なんだったのだろうか?
彼は少しだけ覚えていた。
彼女に触れたあの時、ベーシストは『ファントム』を通して彼女の中と繋がった。
そこには果てしない無が広がっていた。
だがそれ故に求める微かな希望。
その希望がギュッとなった場所に高速で寄っていくと、それは小さな光の粒の集合体だった。
一つ一つは小さな、儚い光の粒。
でもそれが無数に集まって、壮大な景色を見せていた。
ベーシストは思った。
あれはーーーまるでヒトの様だ。
それぞれが生命でもありーーーそれが集まってーーーそう、世界だ。
ベーシストが暮らしているトシだって世界だ。その一部だ。
俺たちは出られないが、本来の世界はもっと広いはずなのだ。
その世界に浮かぶ、トシや『ヒュー』だってその中のほんの一粒だ。
ソラに無数に浮かぶ巨大な円柱達とその中にいるトシのイメージは、何故か恐怖や畏怖ではなく荘厳な叙事詩の様だった。
「………!」
そう、そして何よりーーーー音、だ。
その感覚が浮かんだ時、ベーシストの視界はパアッと開けた気がした。
一つ一つの音の粒が集まって出来ている、曲。
あの時公園の人だかりの中で歌っていた時の幸せな感覚を、ベーシストは追体験していた。
静かで、それでいて体が泡立つ様な高揚感。
紡いでいく何か。
やっとあの彼女の視線に、自分は辿り着けた。
そんな気がした。
『ヒュー』も彼女も、今は全ての象徴の様に存在している。
少なくとも、自分にとっては。
あのドローンだって、そんな彼女を守っているナイトみたいな存在なのかもしれない。
ーーーそれに、今はもうバンドメンバーみたいなモンだし、ね。
あれは死後の世界なのかな、とベーシストは時々思う。
彼女は元々いなかったのかもしれない。
でも、自分の中にはいる。
彼女と世界を想いながら、ベーシストは曲を書く。
それはトシに閉じ込められたヒト達に、何かをもたらす。
自分にそれが起こった様に。
ベーシストは、そう信じている。
( 終 わ り )




