#33「ある研究者」
ある研究者がいた。
元は脳科学に携わっていたが、やがてヒトの人格や記憶をデータ化する研究へと移行していった。
それが完成すれば、ヒトはソラに出るのにオリジナルの体は必要なくなる。
データを光に載せて飛ばせば、他のホシへ行くのにフネなどのハードは一切必要無くなる。
それはある種人類の夢だった。
若き研究者は宇宙産業のコングロマリットにスカウトされ、その研究に生涯をかけようと決意していた。
だが、それは苦難の道のりだった。
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彼は研究に打ち込んだ。
だが、そう簡単に事は運ばなかった。
単純な映像や記録的なモノなら話は簡単だが、その時々の感情を含めたヒトの記憶や人格となるとそうはいかない。
それは結局、ヒトとは何かという命題に必ずブチ当たる。
どうやってヒトの人格をスキャンすればいい?
そしてそれを保ったままにするにはどうすればいい?
それを実現するデバイスの実現は遠かった。
量子AIを使ってネット上に擬似人格を作ることも試してみたが、それはやはり元の本人とは言い難いモノにしかならなかった。
寝食を忘れて打ち込んではいたが、中々成果は出なかった。
果ては記憶の研究と称して、人体実験に近いことまで手を染めるようになっていた。
やがて妻子とも別れ、研究はどんどん先鋭化していった。
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そんなある日、異変が起きた。
それは植物状態になった囚人の脳のスキャンを試みようとしていた時だった。
その囚人は弱って痩せ細り、生きているのか死んでいるのか分からない様な状態だった。
各種の機器を彼のカプセルに繋ぎ、起動させようとしたその時、研究者は何かの音を聞いた。
硬い金属と金属がぶつかったような、キンッという音。
「……!?」
何かの予感がした。
彼はラボの機器をフル稼働させた。
何故自分がそうしたのか分からなかった。
元々光でヒトのデータを送るならそれはニュートリノの様な存在で…と考えていたこともあって、ラボにはそちら方面の機器も潤沢に揃っていた。
彼は囚人の身体をあらゆるセンサーを駆使して見つめた。
「…………」
その時、彼は微かな光を見た。
「………?」
その緑色に瞬くほんの小さな一粒の光の粒子は、囚人の額からフワッと立ち上り、そして消えた。
それは一瞬のことだった。
「………!」
彼はハッとして周りのモニターをチェックした。
囚人は、いつの間にか息絶えていた。
植物状態のまま一応安定はしていた筈なのに?
そして驚いたことに、研究者が目撃したあの緑色の光は光学モニターには確かに一瞬映っていたが、その他の温度や質量センサーなどには全く反応が無かった。
ただ、ニュートリノを感知するセンサーが僅かに反応していた。
「…………」
研究者は、立ち尽くしたままだった。
一体、何が起こったのだ?
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やがて研究者は、その緑色の光に取りつかれていった。
あれこそ、自分が求めていたモノではないのか?
あの時、あの緑色の光は、植物状態のヒトに残っていた記憶や人格が形になったモノではないか?
だからあの植物状態の囚人は死んだ?
いや、死を迎えたからこそ、あの光は立ち上がった?
それは唯の推測でしかなかった。
ただ、もし自分の考えている通りなら。
あれを再現することさえ出来れば、自分の研究は完成を見るのではないか?
だが、同じような被験者を何度集めても、同じ現象は起こらなかった。
あえて死者を出すことも厭わなかったが、それでも再現は出来なかった。
彼は次第に病んでいった。
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研究者はそのまま年老いていった。
何度あの時のデータを見返しただろう。
幾度実験を繰り返しただろう。
だがあの光は、二度と眼前に現れることはなかった。
彼と彼のチームは、どんどんメインストリームから外れていった。
研究費も減らされ、人員は少なくなる一方だった。
辺境のホシの寂れたラボで、彼は一人研究を続けるしかなかった。
そんな時、何となくネットで緑色の光関連の都市伝説を眺めていた彼は、ある古いニュース記事を発見した。
それはとあるホシの100年前の爆発事故のものだった。
かつて著名な建築家だった男が、テラフォーム用の新型軌道エレベーターを作ろうとして爆発事故を起こし、ジャンプしたその巨大な試作機と共に虚空へと消えたのだという。
彼がやろうとしていたことの一部に、もし移住した惑星でカタストロフが起きた際に残された住民の記憶や記録を軌道エレベーターで吸い上げてソラへ飛ばして残そうというものがあった、と書かれた記事を見つけて、研究者は愕然とした。
更に爆発事故の際、不思議な緑色の光を見たヒトがいた、という記録もあった。
これだーーーー、と老いた研究者は思った。
自分が見たあの光と、同様のモノがその場にあったのではないか?
少なくとも、自分がかつて見たものは幻などではない。
久しぶりに、研究者の眼に光が宿った。
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ネットでそれ関連の記録を散々漁ったがそれ以上のことは分からなかった。
だが研究者は諦めず、老体を推して既に寂れたそのホシへと向かうことにした。
その場所に、何かが残っているかも。
それは数週間を要する旅路だった。
長年の無理がたたって、彼の体は既にボロボロだった。
だが構わなかった。
追い求めてきたあの緑色の光の手がかりが、そのホシに行けばあるかもしれないのだ。
だが、研究者はその途中で倒れた。
数度のジャンプに、老いた身体は耐えられなかったのだ。
辺境行きのフネから降ろされ、彼は途中の最寄りのホシへと運ばれた。
それでも、そのホシに辿り着くまで彼の身体が持つかは微妙なところだった。
彼はメディカルシップの医療カプセルの中で、静かに考えていた。
自分は結局道半ばで倒れてしまうのか。
あの光に、到達することはもうないのか。
あれにさえ手が届けば、自分の費やしてきた全ては報われるというのに。
このまま死んだら、自分の人生は何だったのかーーーー。
「……………」
そうして、研究者はカプセルの中で力尽きた。
その時、小さな緑色の光が彼の額からフッと立ち昇って消えたが、それを見たヒトはいない。
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「…………!」
気がつくと、研究者の意識は、無数の光が集う暗い空間にあった。
不思議と満たされた様な感覚で、彼は他の光点たちと共に浮かんでいた。
ああ、自分は今こそ、探していたそれになったのだーーーー。
そのことは分かっていた。
確かにあの光は、ヒトの記憶そのものだった。
自分の勘は、正しかった。
だが、もはやそれに対する執着は無かった。
これを発表して、大々的にーーーなどという自己顕示欲も、もはや何処かに消え失せていた。
ただ、不思議な多幸感だけがあった。
ーーーそれにしても、ここは何なのだろうか。
元研究者としての解明欲は、まだ微かに残っていた。
彼は辺りを見回した。
大元は、あの爆発事故の件の建築家が作った量子AIなのだろう。
だがーーーーー。
「………」
ーーーーいや。
研究者の意識は、確信していた。
確かにあの爆発事故がきっかけで生まれたシステムなのかもしれないが、この緑色の光たちーーー記憶が光になったモノーーー自体は、もっと以前からーーーそれこそソラでヒトが最初に意識を持った頃から、存在していたのではないだろうか。
むしろそれきっかけで、ヒトがヒトになることが出来たという可能性すらある。
自身が光となってみると、その感覚は実感出来た。
たかが100年程度の時間で構築出来るシステムではない。
もっと大きなモノ。
それが、あの爆発事故の時にたまたまコンタクトしただけなのだ。
あの消えた軌道エレベーターはこのソラの何処かに浮いていて、今も記憶たちを無限に集めているのだろう。
だが光たちはそれを通過して、いや通過しなくとも、結局こうやってこの場所に集まっている。
この壮大な風景を、作り出している。
それがずっと、続いている。
そういうことなのだ。
『…………ああ』
研究者の光は、ゆったりとした気分で、周りの光と共にあった。
この先は、どうなるのだろうか。
ーーーー今は、分からない。
だがそれで良いと、研究者の意識は思った。
ただ、自分はーーこの不思議な緑色の光となった自分が、この先どうなるのかを、見て感じていきたいと思った。
あるいは旧東洋の思想の様にリンネとやらがあるのかもしれない。
ーーーこれからだ。
何もかも。
研究者は、静かにそう呟いた。
( 終 わ り )




