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#32「あるアーティスト」



 あるアーティストがいた。

 世間にはあまり認められず、バイトをしながら生活するしかなかった。

 それでも彼は、腐ることなく活動を続けていた。

 その時までは。


 彼は子供の頃から、彫刻が好きだった。

 絵も得意だったし、写真を撮ることにもはまった。

 何の迷いもなく芸術系の大学へ進んだ。

 その為の苦労なら厭わなかった。

 彼が生まれたのは辺境の中型のホシだった。

 その中で、彼は自らが芸術で生きていくことを疑いはしなかった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 彼は内に篭りがちで、どちらかというと人付き合いは苦手だった。

 それでも、いくつか恋愛は経験していた。

 大抵はうまくいかなかったが、それでも彼には芸術があった。

 綺麗な思い出だけ心の奥に秘めて、彼は進んでいった。

 自身の成功を信じて。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 ある日彼は、夢を見た。

 静かな夜の川辺で、彼は満天の星空の様なホタルの光の中にいた。

 無限のインスピレーションが、彼の内側を沸騰させた。

 その確かな感覚は、目覚めてもずっと彼の体に残っていた。

 これがあれば、自分はやっていける。

 彼はそう思った。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 大学を出た彼は、アーティスト活動に没頭した。

 勿論生活の為の仕事はこなした上で。

 それ以外の時間は、寝食を忘れて打ち込んだ。


 結局、彼が選んだのは彫刻だった。

 何も無い塊から、形を切り出していく。

 その作業が楽しかった。


 だが、彼は大々的に認められる様なことはほぼ無かった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 彼は、次第に変わっていった。

 自分への自信が徐々に失せていった。

 自分を認めない世間への憎悪、という方に向かうタイプではなかった彼は、その行き場のない刃を自分に向けるしかなかった。

 そしてそれは作る作品へと確実に影響していった。

 そのことに、彼は気づいていた。

 作る作品が、自分の望むそれとはかけ離れていく。

 それを自分ではどうしようもない。

 もどかしさと焦燥感。

 彼は、絶望の淵に立っていた。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 そんな中、彼にとある仕事が舞い込んだ。

 地元の小さな公民館の前に建てる、モニュメントの依頼だった。

 彼は、これがほぼ最後のチャンスだと確信してその依頼を受けた。


 作業は難航した。

 以前の自分なら苦もなく彫り上げたであろうモニュメントが、

 今では彫っていくうちにそのイメージの輪郭がぼやけてしまう。

 彼は愕然とした。

 いつの間に、自分はここまで堕ちてしまっていたのか。

 未来への希望に満ち溢れていた自分はどこへ行ってしまったのか。

 彼はもがいた。


 もがき続けたが、作業は遅々として進まなかった。

 彼は焦っていた。

 若き頃の感覚が、もはや感じられなくなってしまった。

 そんな自分に、生きている価値はあるのだろうか?


 そうして時が過ぎ、役所から言われていた期限が迫りつつあったある夜、

 彼は数日寝ずに作業を続けた末に、ついに倒れた。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 泥の様な深い眠りの中で、彼は夢を見た。

 そこは、いつか見た無数のホタルの群れの中だった。

「……!」

 そうだ。

 自分が見たかったのは、これだ。

 そしてこれを見た時の、全身が泡立つ様なインスピレーションの氾流だ。


 だが、そこにそれは無かった。

 彼が感じたのは、前とは違う、とても静かで穏やかな、光の群れが集う空間だった。

 ーー何だ?

 何かが違う。

「…………?」

 彼は、光の中を探した。

 ーーー何を?

 知らないのに、知っている、何かを。

 自分は、一体何を探しているのだ?


 静かな光の中を、彼の意識は飛び回った。

 微かな予感があった。

 それさえ見つければ、自分はーーーー

 長い時間が経った気がした。


「……!」

 緑色の光が小さく集まっている場所で、やがて彼は見つけた。

 それは、光の服を纏った、少女だった。

「……!!」

 彼は思った。

 自分は、この少女を知っている。

 その時彼女は彼の方を振り向き、そして彼女が纏っていた緑色の小さなホタルの光の様な一つが彼の方へ流れてきて、そっと彼に触れた。


 キンッッッ。


 硬い金属同士がぶつかった様な独特の音が聞こえた。

「!!!!」

 彼の全身を、爽やかな風の様な感覚が吹き抜けていった。

 そして彼は、思い出した。

 いつか夢で見た、川縁のホタルの光の海の中。

 あれは夢ではなく、実際に学生時代の自分が何処かで見た景色だ。

 そしてその側に居たのは、この少女ーーーー!

 知り合いではなかった。

 でもその静かで凛とした佇まいに、その時自分の感覚は揺さぶられたのだ。

 彼女こそが、自分のセンス・オブ・ワンダーの基となる存在だったのだ。

 何故自分はそんなことも忘れてーーーーー。


 ホタルの海を見た時の、沸騰する様な感覚ではなかった。

 穏やかに、でも力強い、確かな感覚。

 これが、今の自分の、基となるものだ。

 ああーーーようやく、手に入れた。


「…………」

 そして周りを見れば、浮いている小さな光の一つ一つは、無数のヒトたちの記憶そのものだった。

 そのことを、彼は何故か知っていた。

 さっき触れた小さな光が、教えてくれたのかもしれない。

 いやーーー恐らく自分はずっと前から、そのことを知っていたのだ。

 彼は光の粒たちの中で、両手を広げて浮かんだ。

 無数の記憶たちが、彼に語りかけた。

 目を閉じても、それは彼の中にもあった。

 自分はこの感覚を、形にするのだ。

 その為に、生まれてきた。

 彼は、それを確信出来たことに満足した。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 彼は結局、アーティストとしては多くのヒトに知られることなく生涯を終えた。

 だが、彼が残したいくつかの作品は、まだこの世のあちこちに存在している。

 特にあの時彫り上げたゴツゴツとした円柱形のモニュメントは、公民館がやがて廃館になっても破棄されず、場所を流れ流れてとある公園に行き着いていた。

 名も無きアーティストなどがそれに触れると、時折何かのインスピレーションを受けることもあるらしい。

 そしてその形は、やがて『ヒュー』と呼ばれる謎の光と共にある、ソラに浮かぶ巨大な円柱と酷似していたのだが、そのことに気づく者は今のところいない。


                             ( 終 わ り )



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