表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/36

#31「ある死体」



 ある死体があった。

 そこは暗く長い洞窟。

 辺りには誰もいなかった。

 その死体が元は誰で、何処から来たのかは、誰も知らない。

 痩せた体にボロを纏っただけの黒髪の死体は、うつ伏せで横たわったままだった。

 ただ、長い時間だけが経っていった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 長い時が過ぎて、それでも死体はそこにあった。

 不思議なことに、その死体は腐る様子を見せなかった。

 そして当たり前だが死体は動かなかった。

 その鼓動は止まったまま、それはずっとそこにあった。


 足音がした。

 怯えた様子で辺りを警戒しながら、片方を引きずったその足音は少しずつ近づいてきた。

 そして、死体に気づいて立ち止まった。

 振り乱した髪で顔はよく見えない。ボロボロの病院着の様なものを着た、年老いた女性の様だった。

 彼女は回り込んで恐る恐る死体の顔を確認した。

 そして怯えた様に身を翻し、引きずった足を急がせて奥へと去っていった。

 彼女の目には、死体がまるで自分の様に見えたのだった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 その洞窟は、時折曲がりくねってはいるものの、先は前後とも無限に続いていた。

 そこはそういう場所だった。

 怯えた老女の姿は、やがて見えなくなった。

 彼女がその先どうなったのかは、誰も知らない。


 そしてまた、静寂が訪れた。

 洞窟の壁は、時折幾つか謎の空間があるもののそれ自体はぶ厚い岩盤で、その向こうはホシ達が散らばるソラだった。

 どういう理屈かは分からないが、そのゴツゴツとした長さが数十キロの巨大な円柱状の岩塊は、冷たいソラに浮いていた。

 その中に、死体はあった。

 どういう理屈で重力が働いているのかは分からない。

 そしてまた、長い時間が経った。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 死体は依然、暗い洞窟の中にあった。

 ゴゴ……

 微かに死体が触れている洞窟の地面が揺れた。

 洞窟のある円柱状の岩塊に、卵を平たく潰した様な光る物体が近づいてきていた。

 お互いの巨大な質量による重力で、揺れているのだった。

 つるんとした光る物体の表面から、何かが転送された。

 次の瞬間、洞窟の中には鎧の様な宇宙服を着た屈強な男が立っていた。

 名前は知らない。

 だが、彼はこの円柱ーー時に『ヒュー』と呼ばれる緑色の光を放つ謎の存在と同質のものーーを、追い続ける追撃者だった。

 彼は無言で洞窟を見渡し、全体を把握する為の球型のドローンを前後に放った。

 それらは洞窟をスキャンしながら進んだが、やがて無限の距離の向こう側で消息を絶った。

 それでも例の死体の位置だけは追撃者に伝わり、彼はその場所へと急いだ。

 やがて倒れている死体を見つけて、追撃者はしばし佇んだ。

 そして意を決して死体に手をかけ、自分の方を向かせた。

 驚いたことに、その死体の顔は宇宙服の下の追撃者のそれと酷似していた。

 追撃者はわずかに口角を上げたが、それ以上の反応はしなかった。

 そういう事態に、彼は既に何度も遭遇していたからだ。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 『ヒュー』。

 それはこのソラに時折現れる、謎の光。

 ある時は文明を滅ぼし、ある時は新しく文明を起こすという。

 時にヒトを消したり、記憶を無くさせたりという事例も報告されている。

 追撃者は、その正体を追うことに数百年をかけていた。

 彼の身体は既にオリジナルのものではなく、再生と修繕を繰り返したものだった。

 その過程で、何度も不思議で不可解な現象は経験済みだった。

 『ヒュー』は、思い通りにはならない。

 物理法則もあまり通用しない。

 そしてそれは、こういった巨大な円柱の形をとることもある。

 だが今いるここは、何かが違っていた。

 そうーーーここは、何処か欠けた雰囲気のそれだった。

 メインの役割から外れた、半ば廃棄された、朽ちた円柱。

 ここはそういう場所に思えた。


「……チッ」

 追撃者は唇を噛んだ。

 彼の旅は、まだまだ終わりにならない様だった。

 念の為死体の髪の毛をサンプルとして回収し、追撃者は脳内で転送デバイスにアクセスしようとした。

 その時だった。

「………!」

 デバイスが、いつもとは違う反応を見せた。

 『ファントム』と呼ばれる、ヒトの世界に普及して数百年が経ち今では遺伝子に組み込まれて生まれながらに誰もが持つ生体デバイスが今、追撃者の脳内に不思議な金属音を響かせていた。


 キィーーーーン!


 この音は、ヤバい。

 追撃者は焦った。

 この音は、何処かで聞いた気がする。

 それは冷たくて、恐ろしくてーーーー!

「!!」

 感じた気配に、追撃者はハッと振り返った。

 そこには、死体が立っていた。


    ✳︎    ✳︎    ✳︎


「おお……」

 追撃者は後ずさった。

 確かに、死んでいた筈なのに。

 いやーーー今も、立っている死体に、生命反応は無かった。

 流石に追撃者は動揺していた。

 その間にも、あの硬い金属同士がぶつかった様な音は断続的に聞こえてくる。

 何だーーー何が起こっているのだ?

 目の前に立った死体は、やがてボウッと緑色の光を纏い、その姿をゆっくりと変え始めた。

 顔は追撃者のそのまま、病院着の様なボロ服が分厚いスペーススーツーーーまるで追撃者のそれと同じモノに変化していった。

「…………」

 追撃者は黙ってそれを見ていた。

 死体がそっと目を開けた。

 追撃者はその眼差しを覗き込んだが、そこに意思は見られなかった。

 彼の存在も、認識してはいない様だった。

 死体はそっと右手を動かし、左手の甲に当てた。

 『ファントム』ーーーヒトの手の甲にある、生体端末に触れようとしている?

 宇宙服越しではあるが確かにそれに触れて、死体は何かを起動した。


 キンッッ。


 何故か追撃者はそれを感知出来た。

 スペーススーツを着た死体を包んでいた光はカッと強くなりーーーその瞬間消えた。

『!!』

 転送?

 いやーーーこの感覚は、ジャンプ?!

 恒星間航法を行ったというのか?

 追撃者は咄嗟にその航跡を追おうとしたが無理だった。

 何だーーー今のは??

 不可解な出来事ではある。

 だがその技術はーー理屈は、自分の知っている範囲の、それではなかったか?

 それを、ヒトがーーー

 それも死体がーー?

 何だか、もどかしいーーー

「………!」

 追撃者は気づいた。

 足元にはーーー前と同じ死体があった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 追撃者は自身を外の滑らかな物体の中へと転送した。

 その卵を平たく潰した様な巨大な物体は、とある世界の無人戦艦だった。

 今では追撃者の手足となって共に『ヒュー』を追っている。

「………」

 戦艦のブリッジで追撃者は手を開いてそこにある髪の毛を見た。

 念の為新しく出現した死体の髪もサンプルとして取っておいたのだがーーー恐らく、最初に取ったモノと寸分違わぬ遺伝子配列である気がした。

 一体、何が起こっていたのか?

 何かが、引っかかっていた。


 ゴゴ……

「!!」

 追撃者はハッと顔を上げた。

 ツルンとした戦艦の側で、巨大な円柱は光を放ち、その姿を徐々に変えようとしていた。

 唯の朽ちた岩塊に近かった円柱は、ゴツゴツとした表面はそのままだがその意匠は何処か冷たさの中に生命感も感じる、追撃者が何度か遭遇した円柱のそれに近づいていった。

「………」

 これは、再生なのか?

 復活?

 それは、何を意味するのか?

 自分は、何を目撃しようとしているのだ?

 その間にも円柱は、緑色の光を強くしていく。

「……!」

 追撃者の脳内で、側で起きている何かの気配がノックした。

 手の中を見ると、サンプルの死体の髪の毛が緑色の光を放っていた。

「これは…!」

 見ると、最初に採った髪のサンプルの方も同様だった。

 追撃者の視線の先で、それらは小さな光の粉になって消え始めた。

「!!」

 追撃者は円柱の方へ目をやった。

 あの中で、あの死体はーーーどうなったのだ?

 スキャンを繰り返したが、分厚い岩盤が邪魔をして捉えられなかった。

 だが、恐らくあれも同じ様に光を放って消えているのだろう。

 追撃者はそう感じた。


 そうしている間にも円柱の光はどんどん強くなりーーーやがて空間を歪ませて、消えた。

 あれも、ジャンプーーーその瞬間、追撃者の脳内で『ファントム』を介して膨大なフラッシュが流れ込んできた。

 それは追撃者が引っかかっていた、何かを伝えるものだった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


「ああ……」

 気がつけば、追撃者本人や戦艦も緑色の光を纏い、端の方から光の粒になって消えつつあった。

 だがそれは死でも消滅でもなく、あの死体達と同じくリバースである、と追撃者は理解した。

 そのことは『ファントム』を通じて、音として伝わってきた。

 硬い金属同士がぶつかった様な、キィーーーンという音。

 それは、今では何処か懐かしい様な音だった。

 追撃者は思った。

 『ファントム』と『ヒュー』には、何か関係があるのだろうか。

 このソラに現れる、謎の光達。実は『ファントム』もその根っこのところは、同じ光で動いているのかもしれない。

 と言うことは、自分たちーーー『ファントム』を有する全てのヒトの中にも、そもそも『ヒュー』が存在しているということだ。

 ならばリバースとは、何のーーーーー

「………!」

 記憶、か。

 追撃者は、何かを理解した様な気がした。

 それがあの緑色の光になって、繋がっている。

 追撃者は、『ヒュー』に纏わる伝説の中の一つを思い出していた。

 かつて、ホシを覆うような天災が起きた時の為に、彼らの記録や記憶を残しておく技術を開発する過程での不慮の事故で、自動バックアップ用の量子コンピュータとそのデバイスが暴走し、周りを巻き込んで消えた、という話。

 その成れの果てがあの『ヒュー』の円柱ではないか、という一つの仮説。

 あるいは本当なのかもしれない。

 光となって消えゆく追撃者は思った。自分はまた再構成され、別次元かーーーあるいは同じソラの全く混じり合わない程遠くで、それぞれ存在することになる。

 前のことなど知らないまま。

 ただそれだけのことなのだ、と。

 あの死体も、何処かで死んだ誰かではないのか?

 あの洞窟や円柱は、死後の世界よろしく次の場所への通過点として存在していただけ。

 又再構成される前の、束の間の場所にすぎないのではないのか?

 朽ちたように見えても、皆存在している。

 そして今、その再生のスイッチを入れたのは自分なのかもしれない。

 それが、その連鎖が、このソラに無限に存在しているのだ、と。

 自分は今、それに触れたのだ。

 ならば、『ヒュー』を追い続けた自分はーーーー?

「……………」

 それでも、後悔は無かった。

 ただ光に身を任せながら、追撃者は、長い間相棒だった戦艦と供に消えていった。


   ✳︎    ✳︎    ✳︎


 虚空に、静寂が戻った。

 そこにはまた 巨大な円柱があり、その中の無限の洞窟には、死体が一つ横たわっていた。

 うつ伏せになったその顔は、次はどのような形をとるのか。

 それは誰も知らない。


                   ( 終 わ り )


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ