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#3「ある演奏者」




 我は、塩の塔の側で白いピアノを弾いている。

 もう長い間ずっと、此処でこうしている気がする。

 我がいるのは、とあるモリだ。

 その中に少し開けた場所があって、真ん中には塩の塔が建っている。

 そしてその塔の中には、幾多の世界の記憶が詰まっている。

 そこには無数のヒトたちの物語が存在している。

 それがいつ出来たのかは、誰も知らない。


 我は鍵盤に指を滑らせる。

 そうしていると、塩の塔の中に詰まっていた物語たちが形を持って現れる。

 音は、言語だ。

 いやそれ以上に、音や映像や感情や思いを含んだモノなのだと思う。

 我が奏でると、ピアノの周りに物語が生まれ出る。

 無数のシャボン玉の様に、そこかしこにイメージが浮かぶのだ。

 それは恐らく創作ではあるまい。

 どこかの世界で実際にあったことなのだと、我は思っている。


 それらはあるいは、我が経験したことなのだろうか?

 そう思うことも確かにある。


 今我は長い黒髪に白いワンピースの女性だ。

 今は、というのはーーーそうでない時もある気がするからだ。


 おそらく我は、男の体だったこともある。

 がっしりとした肉体を持ち、野山を駆け回っていたこともある筈だ。

 我はかつてそういうヒトに出会っている様な気がする。

 その時彼は記憶の塔に触れ、その流れ出るビジョンを我も一緒に体感した。

 そして、彼は以前の我なのだーーと感じたと思う。

 その微かな記憶だけは、残っている。


 我は老人だったこともある筈だ。

 その時は健康そうな大人に成りかけの少女に、我は出会った気がする。

 そう、ちょうど今我の姿の様な子に。


 そうして我は、幾多の世界を旅している。

 だが新しい世界に行く度に、

 前の世界のことを忘れている。

 残っているのは、微かな思い出だけ。

 それ以外の記憶は、全て目の前の塩の塔に吸い取られでもしたかの様だ。

 それが、時に切なくて堪らなくなる。

 我は一体、何者なのか。

 いつか、何処かに我を固定してくれるモノはいないのか。 

 心の奥で、そう思っている。

 思いながら、白いピアノを弾いている。



 そして今、我とピアノと塩の塔は不思議なガラスの部屋の中にいる。

 巨大なビンの底の様な丸い部屋。

 床も周りを取り囲んだ壁も全てガラスで出来ていて、

 その向こうは真っ暗な無だった。

 見上げると、その先には無限に続くガラスの壁とその先にある微かな光が見えた。

『…………?』

 それは緑色の、小さく瞬く様な光だった。

 我はそれを知っている気がした。

 我は立ち上がった。

 その時分かったが、今我は老人だった。

 前に力強い青年と出会ったであろう時のそれではない。

 それより遥かに歳を取り、もはやまっすぐ立つことは出来なかった。

 我はピアノに掴まりながら、ヨロヨロと移動した。

 そうしてピアノの端まで来て、側の塩の塔に寄り掛かろうとそれに手を触れた。


 キンッッッッッ。

 金属同士がぶつかった様な音色がした。


『ーーーーー!』


 我は、自身がそれに触れることが久しくなかったことに気がついた。

 いやーーーー実は初めてであったのか?

 その時、我はそこに詰まっていた幾多のビジョンの洪水の中にいた。


『……………!』

 それはヒトの、生物たちの、無数の営み。

 その中のイメージの一つが、我に教えてくれた。

 我のいるガラスの部屋は、無限にあった。

 そこには我の様な演奏者が無限にいた。

 それらの役割は、皆同じだった。

 ピアノと、塩の塔と共に旅をする。

 いやーーー次元の間を移動しているというべきか。

 今我は老人だが、次の世界では女性のいるガラスの部屋へ。

 そして周りのガラスが透き通っていけば、そこはモリだったり、シマだったり。

 それぞれの場所で、誰かに出会う。

 その世界で、塩の塔に触れるべきヒトと。

 我はこの塔を管理でもしているのだろうか。

 ただそれを、永遠に繰り返している。


『……………』

 では我は、何だ?

 何処までいっても、誰かと本当に交わることは無い存在なのかーーー?


 その時、誰かが我を呼んでいる様な気がした。

 真っ先に上方を見上げた。

 シリンダーの様なガラスの丸く切り立った壁の向こうに、

 緑色の光は変わらず瞬いていた。 

 ならばーーー?

 我は痛む腰を下ろし、塩の塔に寄りかかった。

 周りの壁を見渡すとーーーガラスの向こうの暗闇に誰かがいて、

 こちらに向かって何かを呼びかけている様に見えた。

 あれは、誰なのだろうか。

 我はそこまで行こうとしたが、いかんせんもう腰が上がらなかった。

 代わりに、我は手を伸ばした。

『……………』

 我以外の誰かを真剣に求めたのは、初めてだったかもしれない。

 ガラスの向こうの誰かも、こちらに手を伸ばしている様に見えた。

『………!』

 届いた、と思った。

 そんな訳がないのは頭では分かっていたが、確かに誰かの手が触れた気がした。



『………?』

 気がつくと、我は白い砂浜を持つ湖のほとりにいた。

 塩湖だ、というのは何故か分かった。

 前に来たことがあるのだろうか。

 見下ろすと我は今、病弱そうな青年の姿だった。

 自分が何者かも分からず、ただピアノを弾くモノなのだということは分かっていた。

 だがそこにはピアノが無かった。

 あの塩の塔も。

『ーーーーー!』

 我は訳が分からず、怯えた。

 みっともなく狼狽えた。

 しゃがみこんで、自身を抱えて震えた。

 どれほどそうしていただろう。

 そのうち、塩湖を取り囲む白い砂漠の水平線上に、我は誰かの影を見た。

『………?』

 誰かが、走ってきている。

 力強く、まっすぐに。

 誰なのだろう。

『…………!』

 我は陽炎の様なそれをずっと見つめていた。

 長い長い時が過ぎた様な気がした。

 その誰かは永遠に近づいてはこなかったがーーーーー 

 やがて、我は気付いた。

 あれは、そしてあれもーー我なのか?

 いやーーーあの塩の塔に詰め込まれていった無限の記憶たちはーーー

 全て、無限の世界にいる、我のものなのか?

『ーーーーーーーー』

 それが、正解に思えた。

 不思議に、しっくりときた感覚があった。

 我はゆっくりと立ち上がった。

 そして、分かっていたかの様に空を見上げた。

 見上げた空には、緑色の光が変わらずあった。

 それが頷く様に小さく瞬いた様に見えた。


 その時、地面が揺れた。

 背後の塩湖から何かが突き出る音がした。

『!?』

 振り向いた我は、縁故の中心に立つ、あの塩の塔を目撃した。

 だがそれはいつもの数メートルの大きさで止まらず、どんどん空へと伸びていく。

『…………!』

 塔はどんどん高く、そして太く伸び続けた。

 やがて塩湖いっぱいにもなりそうな気配だった。

 我は気付いた。

 これはーーー何処かの世界で見た、無限の塔。

 無限に高く、空まで伸びているもの。

 これも、やはり幾多の記憶が詰まっているものなのだろうか?


 そのうち、高く太く伸びていく塔の太さは塩湖どころか

 その周りの地面まで侵食しはじめた。

 我はゆっくりと下がっていった。

 何処までも伸び続けるのだろうか。

『…………』

 塔を見ながら下がっていった我の背に、硬いものが当たった。

『…………!』

 振り向かなくても分かった。


 白いピアノだ。

 我と共に世界を旅するもの。

 少し古くなった様な気もするが弦もちゃんと張られ、

 その白い筐体は塩の砂漠に佇んでいた。

 我はゆっくりと腰をかけ、鍵盤に指を置いた。


 ポロン。

 何時もの様に、我は弾き始めた。

 塔は伸び続けている。

 太さは数キロ程度のところで止まった様だ。

 だがその伸びは全く衰える気配がない。

 我は空に突き刺さっている塔の先を見上げた。

 その先は、どこまで到達したのだろうか。


 ポロロン。

 我はそれでも弾き続けた。

『…………!』

 気がつけば、我は星空の中にいた。

 目の前で伸びていた塩の柱はもう伸びてはおらず、

 ゴツゴツとした巨大な円柱になっていた。

 そして我の周りには似たような巨大な円柱群が無数に存在し、

 まるで何処かの艦隊かの様になっていた。

 我とピアノは、その中で浮いている。

『…………』

 それでも我には分かった。

 これらは皆、あの塩の塔だ。

 無限の記憶を詰め込んだもの。

 そしてそれらは、恐らく無限の我が何処かの世界で経験したもの。


 ポロポロロン。

『あぁ………!』

 何時ものように、弾くと我の周りに現れる、シャボン玉の様な物語たち。

 その中の一つが緑色の光に包まれ、今我の目の前で一つの絵本になった。

 勿論初めて見る現象だった。


 開かなくてもその内容は我には分かった。

 それは、小さなホシに建っている塔に暮らす少年とネコの元に

 不思議な少女がやってくる話だった。


『………』

 胸の暖かくなる様なその物語は、妙な懐かしさがあった。

 我も、それを体験しているのだろうか。

 あの少年は、幼い頃の我か?

 そして彼らのホシに立っている不思議な塔とは、

 今我の周りにあるこの円柱の一つではないのか?


 キンッッッッ。


 そうだよ、とでも言う様にあの金属がぶつかり合う様な音がした。

 そして我の目の前にあった不思議な絵本は、

 緑色の光になって散り、ホシたちの間に消えていった。

『………!』

 どこかの世界に、あの絵本は現れるのだろう。

 我はそう思った。

 我とピアノを取り巻く様に、円柱群は星空の中佇んでいた。





 我は、塩の塔の側で白いピアノを弾いている。

 我の周りには、巨大なビンの底の様なガラスの床と壁がある。

 ここで、我はピアノを弾き続ける。

 弾くことは、書くことでもある。

 我はこうして、物語を紡いでいる。

 その物語たちは、何処かの世界で、

 幾多のヒトたちに触れていることだろう。

 我はそれでいい。

 そう思う。

 思いながら、奏で続けている。


                 ( 終わり )




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