#29「ある戦闘家」
戦い続ける、ある存在がいた。
幾多の次元で、それは戦っていた。
それは別に無敵の存在という訳ではない。
ある時は一歩兵として。
ある時は宇宙艦隊を率いる提督として。
ある時は格闘家として。
ある時は超能力者として。
ある時はヒトですらなく、無限の空間でひたすら何かを追うモヤモヤとした霧の様な存在で。
それは繰り返す全ての記憶を持ち合わせている訳ではない。
ただ、突き動かす様な戦いへの衝動だけがあった。
その時ごとに戦い、時に勝利し、時に敗れ、時に我を忘れて彷徨い続ける戦士。
それは、そんな存在だった。
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ある時、それは純戦闘員だった。
絶え間なく戦争が続く暗いホシで、彼はジャングルに潜む殺し屋だった。
どんな敵でも、彼は環境を利用して葬った。
倒せない相手はいないと思っていた。
だがある時、彼はロストした。
自分のテリトリーだった筈のジャングル内で、突如方向感覚を失った。
まるで知らないジャングルにジャンプでもしたかの様に、自分の周り全てが突然知らない風景へと変貌を遂げた。
そして彼は出会った。
ジャングルの中でそこだけ光が当たった様な場所で、周りの枝や幹を利用してヒョウの様に跳び回る少し骨太な青年に。
青年の側には黒猫がいて、彼らは楽しそうに遊んでいる様だった。
その様は重力から解き放たれた様に華麗で、神々しささえあった。
だが彼は、迷うことなく青年を襲った。
それが彼が生きる為に続けてきたやり方だったからだ。
だが驚くべきことに、青年は彼の攻撃を寸前で躱し続けた。
反撃に出る様子は無かった。
彼は焦った。
今までジャングルの中では自分は無敵だった筈。
なのに何故ーーー。
やがて、彼は荒い息で膝を突いた。
青年は猫を連れて視界から消えた。
逃したのだ。
無敵だった、自分が。
彼は、絶望した。
彼は、その夜悪夢を見た。
あの青年に再び相対し、そして敗れ去る夢だった。
動けなくなった彼は掠れた声で叫んだ。
「何故強い!」
青年は答えなかった。
黒猫を肩に乗せると、風の様に走り去っていった。
その時に振り返った猫のまん丸い目が、彼の脳裏に焼き付いた。
動けない彼の視界の先で、青年と猫の姿は霧の中へと消えていった。
「うあああああ!」
彼の慟哭が、闇夜に吸い込まれていった。
その後彼がどうなったのかは、誰も知らない。
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それはある時、退廃したマチの特殊部隊の隊員だった。
犯罪者の方が力を持っていたそのマチの外れで、彼の部隊はある作戦中にマフィアの手下たちに囲まれて銃撃戦になった末ほぼ全滅し、彼は一人負傷しながら路地裏を逃げていた。
彼は思った。
自分は抑え切れない戦いへの思い故にこの部隊へと入った。
手荒なことも散々したかもしれないが、結果としてそれが市民の為にもなる筈、だった。
だがーーーこんなところで、死ぬのか??
彼は唇を咬んだ。
その時、走る彼の視線の先で、一匹の黒猫が通り過ぎた。
「?!」
彼は何故かその黒猫の瞳に、惹きつけられた。
自分は、知っている。
あの目を持つ猫をーーーそしてあの猫を連れている、青年を!
スローモーションの様になった彼の視界の中で、猫に続いて男のシルエットが現れーーー
全身の血がカッと熱くなった。
あいつだ!
俺は、あいつを、倒さねばならない!
何故か強く、そう思った。
「うおおおおおお!」
絶叫が、体を震わせた。
彼は自分が歪んでいくのを感じた。
恐らく青年であろうその影は、こちらを見て哀しそうに俯いた様な気がした。
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次の瞬間、それはドス黒いモヤモヤとしたガス状の物体の中にいた。
いや、それ自身がそうなっていた。
周りは何も見えない、暗い空間だった。
戦う意思と、青年の存在への嫉妬。
届かない、自らへの絶望。
凶暴さと冷静さがない交ぜになった、グラグラとした何か。
それは、今自分がどうなっているのかさえ分からなかった。
ただ、何かが苦しかった。
それの中から、無数の声がした。
「もう出会った」
「だから、もう死なない」
「!!!貴様だけがっ!」
「うああああああ!」
それはーーーー誰のものだったか?
幾多の世界で、自分が発した言葉なのか??
やがてそれは悟った。
無限の世界で、結局自分は届かないのだ。
届かない?ーーーー何に??
ああ!
自身のドス黒さが何処までも膨れ上がり、全てを飲み込んでいく様だった。
キィーーーン!
「!!」
その時、それは光を見た。
ドス黒いモヤモヤの自分を側で見つめる、黒目の大きなまん丸の目の中で瞬く、淡い緑色の光。
どこか懐かしい様なそれでいて新しい様な、不思議な感覚。
何だーーー?
「………!」
やがてそれは気付いた。
そうだーーーあの目は、あの青年と一緒にいた、黒猫のものではないか?
「………」
何故かその時、それが感じたのは、憤怒や絶望といった感覚ではなかった。
もっと澄んだ、別の何か。
自分の中にはある筈の無かった、何か。
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それは、草原に寝転がっていた。
何処だ?ここは。
そこは穏やかな光に包まれた、空気の澄んだ場所だった。
「………?」
それは、自分の手を太陽にかざした。
ゴツゴツとしていて闘いに慣れた、戦闘家の手の平だった。
「ニャ」
猫の声がした。
「?!」
それは、飛び起きた。
黒目の大きな、まん丸の目をした黒猫がいて、
その側には少し骨太で屈託の無い笑顔の青年がいた。
彼の瞳はよく見ると微かに緑色で、その奥には深淵が広がっている。
二人の瞳は、その点では同じに見えた。
「君が今回、このホシにきたヒト?」
青年はそう言った。
よく分からないがーーーここはそういう場所なのだろうか。
「多分……」
それは、初めて自分の声を聞いた気がした。
ただ、自分が何をすべきかは分かっていた。
それはゆっくりと立ち上がり、体の各所をほぐし始めた。
「……?」
青年と猫は、不思議そうに見つめていた。
やがてそれは拳を軽く握り、顔の前に上げてファイティングポーズを取った。
「一勝負、願おうか」
それは、自分の全ての能力を出せると思った。
いや、もっと上の何かが、全身に漲っている。
体は隅々まで今まで以上に動く。
油断も無い。
今なら。
何より、戦いを前にして澄み切ったこの気分。
今まで、知ることがなかった感覚かもしれない。
ーーー素晴らしいじゃないか。
「………うん!」
青年は少し驚いた様な顔をして、それから微笑んで頷いた。
猫は少し離れて丸くなり、フアアと欠伸をした。
「ーーーフンッ!」
戦闘家は地面を蹴って、前に出た。
( 終 わ り )




