#19「ある夫婦」
あるホシに、ある夫婦がいた。
辺境のホシで他には誰も住んでいなかったが、夫婦は幸せだった。
夫婦は二人で宇宙航行に出かけた際にロストして、このホシへと不時着した。
フネはその時に壊れ、二度とソラに上がることは無かった。
ホシは、砂漠ばかりだがたまには雨が降る。
その水と僅かに残ったフネのメインエンジンの動力で農業プラントを動かし、何とか夫婦は生きていた。
当初は助けを望み、やるだけのことはやったが、やがてそれも諦めた。
そして、時が過ぎた。
元のホシのことなど忘れかけていた頃、子供が出来た。
この子はどう育つのだろう。
自分たち以外、誰もいないホシで。
だがどうしようもない。
夫婦は、その子供に愛情を注いで育てた。
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子供はスクスクと育った。
その子が喋り始める頃から、ホシに変化が訪れた。
普段は砂漠だった場所が、時折森や海岸や雪山へと姿を変えた。
一晩寝るとそうなっているので、変化の瞬間を見ることはない。
何故そんなことが起きるのかは分からない。
だがその不思議さを子供は楽しんでいる様だった。
夫婦は砂漠以外の場所を次々に経験させていった。
だがある時、子供がいなくなった。
十歳になった頃だった。
夫婦は必死に探した。
だが夫婦以外に、このホシに生命反応は無かった。
夫婦は、絶望した。
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子供がいなくなってから、ホシが姿を変えることはなくなった。
時折雨が降るだけの砂漠が無限に続いた。
妻は紫外線の強い砂漠を探し回ったせいで、視力をやられた。
夫は妻にサングラスを作った。移動補助の為の浮遊型ホイールチェアも作成した。
フネに残った機器は段々古くなっていった。
いつかプラントも動かなくなり、自分たちは砂漠に埋もれるだろう。
だがその前に、子供を見つけなければ。
夫婦はそう思っていた。
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ある時、夫婦はフネから少し離れた場所を散歩中に不思議な場所を見つけた。
その場所だけ開けた平らなサバンナの様な場所があり、その中心に、大理石で出来た直径数メートルの円状のプレートがあった。
二人はそこに立った。
とても静かな空間だった。
妻が突然叫び声を上げた。
夫は驚いて妻を抱きしめた。
妻はある空間を指差して動揺していた。
もはやうっすらとしか見えないサングラスの下の妻の目には、いなくなった子供の姿が見えるというのだ。
夫は妻の視線の先を目を凝らして見たが、夫には見えなかった。
だが妻が嘘をついているとは思えない。
もしかして精神に異常をきたしたのだろうか?
それでも妻に変わった様子は無かった。
夫はゆっくりと話を聞いた。
妻が言うには、子供は違うホシにネコと二人で暮らしているのだと言う。
以前のここの様に環境が変わるホシで、自分たちのことは覚えていない様子だ、と。
半信半疑ではあったが、夫はそれを信じることにした。
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次の日、そこに行くと大理石のプレートは消えていなかった。
そしてそこには、カフェ風のテーブルとチェアが二脚、置いてあった。
どういうことだ?
勿論夫婦以外にこのホシに生命反応は無い。
誰かが持ってきた訳ではなさそうだ。
だが前には環境が変わるホシだったのだ。
突然何かが現れるーーそういうこともあるだろう。
そう考えて二人はそこに座った。
妻は黙って水平線の方を見ながら、時折笑みを見せる。
妻には、子供の姿が見えているのだ。
夫は持ってきた機器で色々と観測して見たが、別次元に通じるゲートが開いている、などという反応は無かった。
古い機器だからかも、と思うことにして、夫は日が暮れるまでずっと妻の側に座っていた。
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それから、その大理石のプレート周りではモノが時々現れる様になった。
役に立つモノもあればどうでも良いモノもある。
妻の話では、子供が暮らすホシも同じ様にモノが現れたりするのだと言う。
もしかしたら、どこかで繋がっている部分もあるかもしれないーーーそれは僅かな希望だった。
夫は現れたモノを収納する為に、プレートの近くに小さな小屋を建てた。
その中にモノを保管し、必要ならばフネに持って帰る。
だがそのうち、妻がずっとテーブルで子供を見ていたいと言うので生活の拠点を小屋に移す様になった。
夫は毎日船に出かけてフネのメンテをしつつ農業プラントで食料を調達し、大理石へと戻ってくる。
テーブルには、昔の家族三人の写真を飾った。
そこでキャンプの様な状態で、しばらく夫婦は生活を続けた。
妻が言うには、ホシに宇宙船が不時着し、青年となった子供は年上の男女と暮らし始めたのだと言う。
それはまるで自分たちの様だ、と夫は思った。
子供はたくましく育っている、と妻は言った。
子供と男女とネコは小さなホシに建っているとても高い塔に住んでいて、子供は体を動かしたり彫刻をしたりして過ごしているという。
親の贔屓目もあるだろうが、それはゴツゴツとしてはいるが中々アーティスティックなものだそうだ。
そう話す妻は、本当に嬉しそうだった。
ーーー何故、自分には見えないのだろう。
夫は時々辛かった。
自分には子供への愛情が欠けているとでもいうのだろうか?
そんなことはない筈なのに。
それでも、夫は息子の様子を見つめ続けている妻を見守り続けた。
妻は、ゆっくりと老いていった。
本来の寿命よりはかなり長い時を生きた筈だ。
外見はそれほどではないが、その内部は着実に弱ってきている。
もはや、子供の姿を見続けることだけが妻の生きがいなのだろう。
妻がいなくなれば、自分は独りだ。
もしその時が来たらーーーー。
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その日、夫婦は大理石のプレートにいた。
最近ホシに現れたウェッジウッド風のカップで、農業プラントで作った紅茶を入れた。
妻はそれを喜んだ。
夫はその笑顔で、安らぎを得た。
ずっとこの想いが、続けば良いのに。
夫の目にうっすらと涙が浮かんだ。
だが、残った時間はそう長くはあるまい。
夫は涙が流れない様に上を向いた。
妻が、声を上げた。
「!?」
妻は、子供と一緒に暮らしている男が来ると言った。
来る?
どういうことだ?
今までに聞いた話だと、元軍人で屈強な人口の体を持った男だった筈だが。
再び、妻が声を上げて夫の後ろを指差した。
何かの気配がした。
恐る恐る夫が振り返ると、そこには彼が立っていた。
長身で短髪の、元軍人らしい体躯と姿勢だった。
戸惑った様子で、こちらを見ている。
一体、何が起こったのだ?
聞きたいことがいっぱいある。
子供の様子はどうだ?
自分たちのことは、覚えているのか?
子供は、同じ様にここに戻ってこれるのか?
だがカラカラに乾いた口は、動かなかった。
僅かに笑顔を作るのが精一杯だった。
妻も同じだったろう。
妻は、震える手で彼に紅茶を勧めた。
彼は戸惑いながら、それを口にした。
やっとの事で、夫は声を絞り出した。
「息子を、よろしく」
妻が手を差し出してーーー彼の手が、触れた。
その時、一陣の風が吹いてーーー収まると、彼の姿はそこには無かった。
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妻は涙を流していた。
夫は、ゆっくりと妻を抱きしめた。
もっと、色々知りたかった。
でも、子供が暮らす世界と、一瞬とはいえ繋がったのだ。
希望は、持てる。
夫婦は、抱き合ったまま話をした。
向こうの世界のこれからのことが、妻には今の一瞬で色々分かったのだという。
この先、子供は戦いに行くだろう。
それは、内なるモノとの戦い。
子供はそれに勝利するだろう。
そして、また別の世界に行く。
今見た彼も、どこかの世界で自分たちと繋がりがある。
恐らくもう一人の女性とも。
全て、繋がっているのだ。
夫は、今ではその全てを信じることが出来た。
だが同時に、妻の命が尽きようとしていることをどうしようもなく感じていた。
話す間にも妻の声はどんどん小さくなってゆく。
まだだ。
まだ行かないでくれ。
夫はギュッと手に力を込めた。
ゆっくりと、妻の体から力が抜けていった。
「!!!」
夫は、絶叫した。
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キィーーーン!!
その時、夫は緑色の光を見た。
大理石の丸いプレート自体が発光し、上空に向けて光を放った。
まるで夫婦は光の柱の中にいる様だった。
「あぁ……」
その中で、夫は見た。
廃墟と化したホシの上で、全身を使って跳び、内なる自分と戦っている、青年となった子供の姿を。
それは雄々しく、生命に満ち溢れた神々しいまでの姿だった。
”……!?”
体が、ふわりと浮かんだ感触があった。
体にかかっていた妻の体重も消えた様だった。
夫はハッとして自分の腕の中を見た。
そこには誰もいなくてーーーいや、自身の体すらもはや無くなっていた。
夫婦は、緑色の光の中を急速に登っていった。
”………?”
夫婦は、いつの間にか光が満ち溢れる空間にいた。
そして同時に、あの子供がいる廃墟のホシの上にもいた。
廃墟はその周りだけ無くなっていて、そこだけは静かな夫婦のホシのままだった。
夫と妻はあのプレートの上で、紅茶を飲んでいた。
そして夫婦の前に、青年となった子供が佇んでいた。
”……!”
戦いに疲れ、ボロボロになった息子。
だがその瞳の奥には、まだ微かな光が宿っている。
夫は立ち上がった。
何かを言うべきだったがーーー黙って手を差し出した。
息子は戸惑いながらも手を出して、強く握った。
力強い手だった。
だが優しさがあり、繊細さも兼ね備えた手だった。
この手が、あの彫刻を作っていたのかーーー今では夫は息子がホシで過ごしてきた全てを感じ取ることが出来た。
あぁ、こいつはもう大丈夫だ。
夫は思った。
”……頑張ったね”
その姿をずっと見ていた妻が声をかけた。
妻も既に立ち上がっていて、か細い手を出していた。
息子は、妻をそっとハグした。
それで十分だった。
次の瞬間、夫婦は小さな光が無数に飛び交う空間にいた。
息子はーーー勝った。
そして次の場所へ向かっていく。
それを、夫婦は感じ取ることが出来た。
夫は、満たされた気分だった。
妻も同様だった。
既に光の形でしかない二人は、お互いにそう感じていることを理解出来た。
ここは、一体何なのだろう。
だが、そんなことはもうどうでも良かった。
妻が言った様に、これから自分たちはまた別の世界に行くのだろう。
そこでも、また一緒に居られるだろうか。
子供とはどうだろうか。
何も分からない。
でもそれは、とても楽しみなことだった。
( 終 わ り )




