#16「ある娼婦」
カサブランカ。
そう書かれた地味な看板に、私はそっと触れた。
それは、マチで唯一の娼館だった店のものだ。
私はマチルダ。
そこの主人、キャスリンと共に「カサブランカ」を支えていた者だ。
そう、私は娼婦。
どこか乾いた思いを抱えながら、男たちと交わる。
それが私だった。
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私たちのマチは、とある閉鎖空間の地面に不時着した巨大な都市型宇宙船を基礎にして出来ていた。
その周り数百メートルには見えない境界があり、それに触れたモノは消えて無くなる世界だった。だからマチのヒトたちは、そこから出ることは一生無かった。その状態で、百年近くが経っていた。
マチには時々モノが現れ、そしてまた消えていく。その僅かな物資と時折降る雨で農業プラントを動かし、数千人のヒトたちは生きていた。
そしてこのマチでは、何故かヒトの成長が途中で止まる。老人になってから止まるヒトもいれば若いうちに止まるヒトもいる。事故や病気でならともかく、老衰で死ぬことはないのだ。
そんな不思議なマチにあった唯一の娼館が「カサブランカ」だ。
外見と実年齢が違うことも多々ある客たちを、私と主人のキャスリンとで慰めていく。
皆寂しくて傷ついていて、切なそうなヒトたちばかりだ。
私は年は二十代後半。このマチで生まれた。
マチがこの場所に不時着してからしばらくは、新しく子供が産まれることは無かったらしい。皆がこのままマチは老いていくのだと思っていた。それが五十年ほどたった後、突然子供が生まれる様になった。理由は分からない。
私はその第二世代だ。
私もいずれ、成長が止まる。
若い内に止まっても、歳を取ってから止まっても、それからは無限の時間が待っている。
物心ついた頃から、私はそれが嫌だった。
ヒトに話せばとやかく言われるので、心の内にずっとしまっていた。
だが両親が事故で死んだ時、その思いは決定的なものになった。
私は、成長が止まるのが嫌だ。
そうなった時は、自ら命を絶とうと決めていた。
だから知り合いを避け、孤独に生きようとした。
そんな私を、「カサブランカ」の主人、キャスリンは拾ってくれた。
何も言わなかったが、私を理解し、守ってくれた。
私たちは二人でマチの男たちを慰め、日々を過ごしていた。
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成長が止まったマチでは、性欲はそう強く無いヒトが多い。
だから「カサブランカ」だけで十分なんだ、キャスリンはそう言った。
三十代後半で成長の止まったキャスリンは、本当は六十代を超えているのであろう。
ひょっとしたらマチが出来た時から生きているのかもしれない。
彼女と二人で、日に数人やって来る客たちの相手をする。
中には、キャスリンと行為には及ばずに話だけをして帰っていくヒトも時々いる。
そんな一人、スキルは全身が兵士用の再生手術で出来ている元軍人だ。
屈強な肉体を持っているが、あちらの方は普通らしい。
マチの便利屋といった立場だが、マチが危機に陥った時は頼りになるヒトだ。
もう一人、たまに顔を出すパトリスは、マチの上層部の老人だ。
キャスリンとは長い付き合いらしく、二人が一緒にいるとまるで老夫婦の様だった。
私もいつか、そんな人が現れたらいいと思う。
たまには乱暴な客も来るが、大抵はキャスリンがすごい剣幕で追い出してくれる。
「カサブランカ」はそんな、私にとって静かな天国の様な場所だった。
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客以外にも、「カサブランカ」に出入りするヒトはいる。
クリーニング業者や、酒を持ってきてくれるヒトや。そんな中に、一人少年がいた。
ランプという名で、マチが出来た時に既に少年で、そのまま成長が止まったヒト。
だから精神は百歳を越えた老人だ。妙に落ち着いている中身と外見とのギャップが不思議な佇まいを見せている。
マチの下層部の貧民街でずっと暮らしていたけど、スキルに救い出されて今は彼の手伝いをしているそうだ。
一度だけランプとはベッドを共にしたが、結局出来なかった。
肉体的には出来るんだけど、老人の精神が彼にとっては幼すぎる私を抱くという行為を受け付けなかったんだって。
かわいそうだったから、時間分話をした。
いつか成長が止まったら死ぬんだという話をしたら、何も言わずに頭を撫でてくれた。
少年の姿だから奇妙な気分だったけれど、色々経てきたヒトだから、分かったのかな。
「いつか、タダでも抱かれたいと思うヒトが現れるさ」
それだけ言って、ランプは帰っていった。
結局、そんなヒトは現れなかった。
客の中にはたった一度寝て優しくしただけで結婚しようなどというヒトもいたけれど、勿論断った。
成長が止まるまでは、私は「カサブランカ」で静かに過ごすんだ。
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だけどその後、マチは幾多の危機に見舞われた。
水の中になったり鉄骨が降ったりして、沢山のヒトが死んだ。
パトリスも亡くなったらしい。
マチは宇宙船に残る僅かな力を振り絞って、別次元へのジャンプを試みるのだという。
私たちは避難ブロックへと移り、最後の刻を待っていた。
そんな時でも、私はそれを何処か他人のことの様に淡々と眺めていた。
キャスリンも側にいたが、同じ様に落ち着いていた。
いやーーーキャスリンのそれは私のとはまた違う、年齢を経た者のそれであった様に思う。
最後のジャンプの時、私たちをひどい揺れが襲った。
しっかりとつぶったマブタの奥で、私は小さな緑色の光を見た様な気がした。
その時、幾多のヒトが消えた。
スキルも、キャスリンも、皆消えてしまった。
私はまた、独りになった。
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私は「カサブランカ」の看板を壁に飾った。
ここは娼館ではなく、カフェだ。
窓の外には、静かな海が広がっている。
結局、マチはあの閉鎖空間から脱出して、この海のあるホシに不時着した。
もうソラに出ることは叶わないが、またここで新たなマチを形作っていくのだろう。
小さなホシだが、今までの閉鎖空間に比べれば天地の差だ。
触れると消えてしまう境界は今の所無く、自由にホシの上を行き来出来るのだから。
もしかしたら境界はホシ自体を取り巻いているのかもしれないが、それでもヒトが生きていくには十分だ。
そしてもう一つ。
カフェを始めてしばらくしてから、数少ない顔見知りが現れた。
「元気だったかい、マチルダ」
自分の名前を呼ばれるのは久しぶりだった。
振り返ると、それはランプだった。
その姿を見て、私は目を見張った。
背が伸びて、青年に近づきつつあったのだ。
成長が、……始まった?
いやーーーもしかして、成長が止まるということが、無くなったのか?
ということは、私はーーー。
私と同じ位の目線になったランプは、カワウソを肩に乗せて私に微笑みかけてきた。
「………」
私は、何と言っていいのか分からなかった。
全てが変わり、進んでいくこの世界で、私は何が出来るだろうか。
ただ確実なことは、彼となら金銭無しでコトに及んでも良いと、私が心の奥底で思ってしまったということ。
そんな自分を、私は驚きを持って見つめた。
それは、決して嫌な気分ではなかった。
( 終わり )




