#15「ある怒り」
昔は、怒りが体内に充満していた。
俺が妻子と左手を亡くした時のことだ。
時が経ち、今は見かけ上は平静を保っている。
だが、俺の中にはまだ何かが眠っている。
分厚いカサブタの下で、何かがうごめいている。
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俺が住んでいるのはとある空間に囚われたトシだ。
何処まで行ってもソラが広がっている、不思議な空間。
普通に重力はあって落ちれば無限に落ちていく、逆に上へ向かったとしても宇宙には届かず無限のソラが続くという不可解な場所。
そこに、俺たちのトシは浮かんでいる。
元は宇宙を駆ける惑星間航行船だったが、数百年前からこの状態だ。
航行もジャンプも出来ず、かろうじて残っている反重力装置でこの場所に浮いているだけ。
何故こうなったのかは誰も知らない。
数十キロの芋虫型の船体の上には農業プラントや工業プラント、おまけに生態系維持の為のジャングルスペースまである。
ヒトたちは限られた船体の上だけで、子を産み育てていく。
そんな閉鎖空間で生まれた俺は、子供の頃から独りが多かった。
理由はよく分からない。
俺がヒトとうまくやれないタチだったから、だろうか。
子供の頃から、ヒトと関わると何かとトラブルになることが多かった。
別に悪気は無いのに、何故かそうなる。
それはもう仕方がないのだと、思春期の頃には半ば諦めていた。
そんな俺でも、大人になるとトシの労働者の一人にはなれた。
結婚も出来た。
息子も生まれた。
だが、幸せは長くは続かなかった。
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トシを取り囲む無限のソラには、時々『ヒュー』と呼ばれる謎の存在が現れる。
巨大な円柱の形をした構造物だ、という噂だが見たものはいない。
だがトシにとってはテキである、というのが俺たちに伝えられている情報だった。
俺は半信半疑だったが、ある時、それは徹底的に変わった。
『ヒュー』が現れた時にはトシにサイレンが鳴り、観測機が飛び立っていく。
昔は有人だったらしいが、流石に今はドローンだ。
大抵は僅かな情報を送っただけでそのまま行方不明になるのだが、その日観測機は傷ついたままトシに戻って来た。
そして着艦に失敗し、トシの民間人スペースに墜落した。
俺と家族はそれに巻き込まれ、俺は妻子と左手を失った。
足にも障害を負った俺は肉体労働を免除される身になったが、内に抱えた怒りを何処にぶつければ良いのか分からなかった。
生体AI制御の観測機はパイロットなどいないし、上層部もそれなりの扱いはしてくれたが責任の所在などあって無い様なものだった。
『ヒュー』。ぶつける先は、それしかなかった。
だが、徹底的に謎の存在にたどり着くことなど出来はしない。
俺は荒んだ。
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トシのヒトたちは生まれながら左手甲に『ファントム』と呼ばれる、何かの紋章の様に見える生体通信端末を持っている。
通話も出来るし、トシ生活での情報伝達は大抵それを使って行われる。
だが俺の左手は無くなった。
当然義手にもそういったものの代用品は装備されているが、俺はそれらの一切を受け付けなかった。
肘の上から無くなった左手は、むしろ見せて歩いた。
それが俺に出来る何ものかへの唯一の抵抗だった。
トシには同じ様な「『ファントム』を持たざるものたち」も少数ながら存在していて、そのコミュニティもあったが、俺は群れるのが嫌いだった。
『ファントム』経由の情報は届かないし、上層部から送られてくるカウンセラーの類も全て断って、俺は孤独に生きていた。
当然自殺も考えた。
だがそれは何かに負けた様に思えた。
結局何処にも怒りをぶつけられないまま、それは俺の内で覆いをされた状態だった。
そうして数十年が経った。
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初老に近づいた俺は、それでもずっと生きていた。
衣食住は何とかなっている。
ただ、側には誰もいない。
覆いをされたままの怒りは、ずっと内にある。
妻子は、こんな俺と過ごして良かったのだろうか。
俺とでなければ、今でも幸せに暮らしていたのではないだろうか。
ずっとそんなことばかり考えて日々を過ごしている。
最近は、流石に本気で自殺を考え始めた。
結局、俺の人生は負けだったのだ。
もういいじゃないか。
死ぬなら何処で死ぬべきだろうか。
今更テロでもあるまい。
誰かへの復讐などももういい。
静かに、誰にも知られずにいなくなるにはーーーー
そう考えながら俺は悪い足を引きずりつつトシを歩いていた。
ある日、俺は立ち入り禁止のジャングルスペースに入ることを思いついた。
ジャングルスペースは数キロ四方の巨大な板状で、トシの上に浮かんでいる。
どういう理屈か分からないが時折降る雨を有効に活用し、尚且つトシに日陰を作る役目も果たしている。
そこから得た水は管を通してトシへと運ばれ、ヒトたちの生活用水となる。
勿論水はリサイクルもされるが、結局雨がなければトシは成り立たない為重要な施設だった。
そこへ潜り込んでしまえば、静かに死ねる筈だ。
それはいい考えに思えた。
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実行までには、更に数年を要した。
立ち入り禁止のジャングルスペースに忍び込むのは容易ではなかったからだ。
だが俺はやり遂げた。
年に数回のジャングルスペースの監査兼補修要員の物資に紛れ込んだのだ。
彼らが戻るまで、俺は隠れて辛抱強く待った。
数十年待ったのだ。
数日など大したことはない。
夜が明けて独りになった俺は、水だけ持ってジャングルを歩き始めた。
センサー類の場所は既に押さえてある。トシの上層部に気づかれない様移動することは可能だ。
たかが数キロ四方のジャングルなら、障害のある俺の足でも見て回るのに数日あれば良いだろう。
最期を静かに過ごせる場所を見つけよう。
そう思いながら俺は歩いた。
だが、やがて俺は気がついた。
どうも様子がおかしい。
確認していたマップよりも、ジャングルが広い?
そして、辺りには鳥や虫の声が全く聞こえなかった。
そこまで管理されている場所なのか?
それともーーーー?
このジャングルの不自然さが、次第に俺に覆いかぶさってくる様な気分に陥った。
次第に俺は焦り始めた。
薄暗いジャングルは全く先が見えない。
たかが数キロならば一方向に歩いて行けばすぐに端に到達する筈なのにーーー?
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俺は歩き疲れて木の根元で横になった。
何なのだ、ここは?
だが、もういい。
このまま、ここで終わりにしよう。
俺は目を閉じた。
まぶたの裏に、フッと妻子の顔が浮かんできた。
ーーー俺などの為に。
すまなかった。
すぐ行くーーーー。
静かに、ツーッと涙が流れ落ちた。
ウィーーーーッ。
遠くで、サイレンが聞こえた。
おそらく、また『ヒュー』が現れたのだ。
だが、俺は動かなかった。
以前は、サイレンが鳴る度に腹わたが煮えくり返ったものだ。
聞こえない様いっそ鼓膜も破ってやろうか、などと考えたこともある。
もう遠い昔のことの様だった。
あの頃俺を支配していた、怒り。
いつかまたカサブタを突き破って、吹き上げるだろうと思っていた怒り。
それは今、何処へ行ったのかーーーー。
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”?!”
ふと、体が軽くなった。
ーーーーー何だ?
気がつくと、俺の意識はソラへと飛んでいた。
何が起こったのか分からない。
だが、俺を突き動かしているのは、あの頃とは少し形を変えた、怒りーーーだ。
そのことだけは何故か分かった。
俺はトシを離れーーーあの巨大な円柱ーーー『ヒュー』の方へと、向かっている!
そうだ。
俺はずっと、知りたかった。
何故、妻子は死ななければならなかったのか。
それを起こした『ヒュー』とは、一体何なのか。
その思いーーーそれは怒りなのかどうか俺にはもう分からない。
だが俺の意識は、それによって無限のソラを突き進んでいた。
俺の側をドローンが二機パスして行った。
装備された『ファントム』を通してトシの上層部と情報をやり取りしている。
そして何故か今の俺には、その内容が手に取るように伝わってきた。
何故だーーー?
もはや俺には『ファントム』など無いというのに。
”ーーーー!”
俺は目を見張った。
いやーーー既に目など無いのは分かっているのだが。
俺やトシのヒトたちがおそらく知らないことも、今の俺には何故か手に取る様に分かった。
一体俺はどうしてしまったのだろう。
俺が理解したこと。
ーーそもそも『ファントム』の情報伝達とは、見えないくらい小さな緑色の光によって繋がれていること。
それは個々の命や記憶と密接に繋がっていること。
そしてそれらの全ては、『ヒュー』ーーーあの円柱からもたらされている。
あれは、テキではなかった。
しかも円柱は一つではなくーーーーこのソラに無数に浮いている!
何だーーー何なのだ??
俺は鳥肌が立つ思いだった。
ドウッ!
先行していたドローンがコントロールを失って降下し、接触して爆煙をあげた。
俺はーーー俺は、届くのか?
いやーーー例え届かなくても、ーーーー俺はーーーーー
俺を突き動かしていた妙な怒りの様な感情は、今は更にその行く先を失っていた。
『ヒュー』がテキでなくなった今、俺はーーー。
『』
誰かの声がした。
様な気がした。
とても暖かく、懐かしい感じがした。
それは明らかに、あの円柱ーー『ヒュー』の中から聴こえてくる。
”あぁーーーーー”
それが誰かは分かった。
俺も、そこに行くのだろう。
そしてその中で、同じ様にーーーー。
俺はようやく、怒りから脱した。
( 終わり )




