#11「ある書店」
トシで唯一の実体の本屋で、僕らは出会った。
まるで映画の様に。
棚に並んだ中のある本を、同時に手に取ったのだ。
「あ…」
束の間の驚きと戸惑いと、そして。
「……あ、どうぞ」
僕は彼女に譲った。
「…いいんですか?本当に?」
真剣な上目遣いでこちらを見る彼女。
一見地味だが、その内面の慎ましさと知性が滲み出していて、凜とした美しさがあった。
珍しく、僕は彼女をお茶に誘った。
彼女は断らなかった。
僕らの側にあった窓からは、何処までも広がるソラが見えていた。
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僕らのトシは空中に浮いている。元はトシ型の宇宙間航行船だったらしいが、僕が生まれるずっと前からこの場所に停留中だ。
ソラが広がる船体上のカフェで、僕らは話をした。
僕は体が悪く杖がないと歩けないのでトシ内外での肉体労働を免除されていること、だから主に船体内部でのモニターやデータ調整などの仕事をして暮らしていること、そして今のところあの本屋が僕の唯一の楽しみであること。
「じゃああの本屋、よく行くんですか?」
「もう日課みたいなものかな」
「いっぱい読んでるんだ。どういうのが好きなんですか?」
「特に無いんだ。今はあの棚を右端から読んでる」
「へぇ…もし順番が変わったら、どうするの?」
「別にいいんだ」
「…そう。いいですね、そういうの」
彼女は少し目を伏せてカフェラテを口にした。
僕はその魅力的な唇を眺めた。
何をしてる人なんだろう。
僕の考えが分かったのか、彼女は話し出した。
「あ…私は…」
彼女は、トシの農業プラントで働いているヒトだった。
昔から本を読むのが好きではあったが、普段はこんな実体本は手にしないのだという。
生まれながらに僕らの左手にある生体端末で大抵の情報は手に入る。勿論書物もそうだ。
ただ、興味があることを色々調べていくうちにあの本の存在を知って、どうしても読みたくなったのだという。その本は数百年前の著者不明のライトノベル的な本らしい。そういえばあの棚はレトロな本が並んでいるエリアだった。タイトルは『ヒュー』。何のことだろうか。
僕はただ棚の端から順に読んでいるだけだったので自分の好みなど特に無かったが、そう言われると少し読んでみたくなった。
それを伝えると、彼女が読み終えた後貸してくれることになった。
代金を半分払うと言ったけど、彼女は結局首を縦に振らなかった。それも好感が持てる感じだった。
一週間後にここで、と約束して僕らは別れた。
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僕は仕事以外の時間は大抵部屋に独りでいる。
体が弱く足も悪い僕と、ずっと過ごしたいヒトは少ない。
部屋にいる時はあの本屋で買った本を読んでいることが多い。
でもここ数日は、何かを読み始めようとするとすぐにあの彼女の顔が浮かんできた。
いや本だけじゃない。
ミストシャワーを浴びようとしても、簡単な調理をしようとしても、仕事の時だって。
そうだ。
間違いなく、僕は彼女に恋をしている。
少なくとも借りる時と返す時の後二度は会えるのだ。
そこで何かアクションを起こすべきだろうか。
僕は杖を取って立ち上がり窓の側に立った。
横に細い窓からは、何処までも続くソラが見えている。
このトシは、終わりの無いソラに浮いているのだ。
上も下も、前も後ろも。何処までも続く不思議なソラ。
僕たちはこのトシとソラ以外に、世界を知らない。
人口数千人のトシで、ヒトたちは内側に小さな孤独を抱えて生きている。
だからこそ、何処かで誰かと繋がりたい。
そしていつかソラの先を、外を見たい。
皆、多分心の奥底で、そう思っている。
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彼女は、待ち合わせに来なかった。
左手の生体端末でいくら呼び掛けても応答がない。
僕はひどく動揺した。
日暮れまで待ったが、彼女は現れなかった。
仕事用のパスを使って個人情報を探ってみようか。
いやいや、それは公私混同じゃ……。
そうこうしているうちに、僕の生体端末に彼女のものらしきメールが届いているのに気がついた。
急いで開いたがそこには何の音声も文面もなく、カフェから少し離れたところにあるコインロッカーのキーコードだけが送られてきていた。
僕は呆然としたまま、そのコインロッカーに向かった。
そこは少し寂れた場所だった。左手の認証コードをかざすと、シャキッと音がしてロッカーは開いた。
「……?」
そこには、古めかしい本だけが入っていた。
彼女と一緒に触れたあの本、『ヒュー』だ。
僕は恐る恐るそれを手に取った。
まずはパラパラとめくってみた。
何か手紙的なものが入ってないかと思ったからだ。
だがそこには何も無かった。
そのロッカーはあいにく付近の路上カメラからも死角になっていた。
人気も少なく、彼女を見かけたヒトもいなかった。
しばらく辺りをウロウロしてみたが、何も情報は得られなかった。
僕は失意の中部屋に帰ってしばらくぼうっとしていたが、やがてその本を開いて読み始めた。
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それは、まるでこのトシの成り立ちを描いた様な本だった。
軽いライトノベルタッチで描かれていて、もしこのトシで書かれたのでなければアニメにでもなっていそうな内容だった。
あるホシが絶滅に瀕し、都市型宇宙船で各方面に散らばっていくヒトたち。
そのほとんどが消息不明になっていく中、ある一隻がようやく小さなホシに辿り着き降下していく。
だがその最中に突然ホシが消え、宇宙船のジャンプドライブやメインドライブなどが止まり、その場所に停泊せざるを得なくなる。唯一残った反重力システムのおかげで墜落せずに済んだが、そこから何処へも移動出来はしない。探査船を出すものの周りには空気以外の何物も発見出来ず、出て行ったフネは、全て戻っては来なかった。
故障の原因も分からず、トシは無限のソラに浮いているしかなかった。十数キロ四方のその巨体を唯一の大地として、ヒトたちは暮らしていく様になった。
そういう話だった。
僕は絶句した。
僕たちが聞いて育った話とは少しばかり違っていた。
ジャンプ時に不思議な空間に出てしまった、というのがそれだった。
だが、ホシを目指していてそれが消えた?
そんなことが、本当にあるのか?
そしてもし本当だったら、それは誰が書いたのだ?
その時代の誰かだというのか?
もしそうならば、その事実を何故トシの上層部は隠しているのだ?
そもそも作者不明のその本は、いつ書かれたものなのか分かりはしない。
謎だらけだった。
タイトルの『ヒュー』というのは一体何を示しているのか。
あるとすれば、消えたホシのことだがーーーー?
そして、彼女はこれを読んだ後どうしたというのだ?
何故、いなくなったのだ?
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気にはなったが、僕は彼女を探し続けた。
仕事がオフの日はトシを彷徨い続けた。
だが杖が何本駄目になっても、見つかることはなかった。
そうそう、あの本を読んだ次の日、不思議なことにそれは消えていた。
誰かが部屋に入った形跡はない。
まるで神隠しにでもあったかの様に、存在が消えていた。
あの本屋で確認してみたが、あの本に関する情報はそもそも存在していなかった。
誰も見たこともないし、支払いは認証なのでヒトを介してはいない。僕が何らかの本を買った記録はあるが、その詳細は何故かぼやけていてよく分からなかった。
店長に聞いてもそんな本は置いたことがないと言われた。
彼女と僕以外に、あの本を見たものはいない。
僕は色々考えた。
あの本は、消えては現れる、そういう存在なのだろうか。
僕の部屋から消えた様に、たまたまあの時あの場所に現れたのだろうか。
そしてそれを探していた彼女に、運命的な出会いをしたのだろうか。
僕はその本の情報も、探し続けた。
そのうちネット上の伝説に近いものではあったが、あの本には続編があるのだという説を見つけた。だがその内容となるとまるで分からない。結局あの本のタイトルの『ヒュー』が何を指すのか、については正確な答えを持っているヒトはいなかった。
トシで実体本を読むヒトたちは限られている。そんなヒトたちのコミュニティにも入って、僕は彼女とあの本の手がかりを追い求めた。
だが数十年の間、何も進展は無かった。
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僕は歳を取った。
だが彼女のことは諦めきれなかった。
初老に近づいた僕は、結婚はしていない。
体の弱さ故でもあったが、結局僕は彼女だけを追い求めていたからだ。
トシの実体書店は、既に読んだものが殆どになった。
トシにいる何十人かの作家も実体本を出すことは少ない。
自然と足は遠のいていた。
だがその日、僕はふとその書店に立ち寄った。
既に店主も様変わりしていて、僕のことを知るものはコミュニティの知り合い位しかいなかった。
僕はいつの間にか彼女と出会った棚の前に立っていた。
「………」
あの時この場所で、彼女と出会った。
あの一瞬で、僕の全てが変わったんだ。
そんなことを考えながら、そっと古さを増した棚に触ったりした。
「………!?」
その時僕は、棚の中にある見慣れない本に気がついた。
やけに古いその本は、その装飾や見た目がかつて出会ったあの本とそっくりだった。
「……これは……」
僕はその本を手に取った。
「『ヒュー』~ソラとトシ~」。
見覚えのあるタイトル。
明らかに、あの本の続編だった。
あれ程探して無かったこれが、何故??
今、僕の為に現れたというのか?
僕は急いで左手の端末で支払いを済ませた。
部屋に帰るよりも早く、僕は中を見たかった。
僕の痛む足は、自然と彼女と過ごしたあの船体上のカフェへと向かっていた。
彼女と会った時の様に、ソラは晴れ渡っていた。
カフェには僕の他に誰もいなかった。
僕は急かされる様にテーブルにつき、本を開いた。
キィーーーーン!
一瞬、目が眩む様な緑色の光が見えた。
次の瞬間、僕の意識はソラへと飛んだ。
ーーー何だ?
『………?!』
カフェにいる僕、は分かる。
本を熱心に読み続けている僕。
その内容も同時に僕の中に入って来ている。
それは続編というか、別次元のソラに浮いている同じ様なトシの話だった。
だが僕の意識は、その外にあった。
それらの様子を、全て俯瞰で眺めていた。
何だーーーー何が起こった?
だがそう思っている間にも僕の視界は急速に広がっていった。
トシは遠ざかり、無限のソラがーーー
『!!』
そこには、僕らのトシ以外何も無いと思っていた無限の空間には、実は巨大な円柱群がたくさん浮いていた。
『これはーーー』
もしかして、これが『ヒュー』なのだろうか。
これらは、何の為にいるのだ?
何故数百年も僕らの前に姿を現すことなくーーー?
そう思っている間にもどんどん僕の視界は広がっていった。
広がった先に見えてきたのはーーーソラの、外!?
『わぁーーーー!』
ソラはどんどん黒みを増していった。
そうだーーー僕は、僕たちは、ずっとそれを見たかった。
その為に、生きて来た。
そして彼女はーーー
彼女は?
『そうか……』
何故か、今の僕には分かった。
彼女も、こうしてあの本に触れ、このソラの向こうを見たのだ。
『…………』
いつの間にか、カフェにいた僕もいなくなっていた。
僕の周りのソラは、いつしか見たこともない宇宙空間になっていた。
辺りには不思議な緑色の光の粉が舞っている。
それらに恐る恐る触れると、僕の中に無数の感覚が飛び込んできた。
『…………!』
僕は理解した。
あの本は、こういう場所で生まれた。
色んな次元で起こる様々なものが、それぞれ描かれているのだ。
僕らのソラとトシの話も、その一つ。
今読んだ続編の様な、別の世界のトシ宇宙船もある。
小さな数人しかいないホシもある。
孤独な少女が住むシマだってある。
閉鎖空間にあるマチもある。
そもそも、トシが最初に降下したホシだって、そういう中の一つだったんじゃないのかーー?
それらが全て、繰り返されている。
ならば、僕の存在は何なんだろうか。
そして、彼女は何処へ行ったのだ?
僕は緑色の光が溢れる空間を彷徨った。
どれくらいの時が経ったろう。
いや、この場所ではそんなものは意味があるまい。
もはや肉体など。
体の弱さなど、関係なかった。
『 』
誰かに呼ばれた気がして、僕は振り返った。
それが誰であるか、僕は知っていた。
( 終わり )




