22
サコの部屋に戻った三人は、緑茶を楽しみながら時間を潰した。
そうしている内に日が暮れ、夕食をごちそうになり、お風呂に入る。
後は湯冷めしない内に眠るだけ。
「何も事件は起こらず、とても平和。私の心配は杞憂だったか」
セレバーナは、量の多い黒髪をタオルで拭きながら溜息を吐いた。
ペルルドールも金髪の手入れをしている。
サコは短髪な為、何もせずに渇くに任せている。
「道場の見学も十分したし、明日帰るとするか」
黒髪を緩く纏めたセレバーナは、床に敷かれた布団の真ん中でアグラを掻く。
「そうですわね。名残惜しいですけれど」
本音を言えばもっとゆっくりしたいペルルドールだったが、それなら王宮に帰った方がもっと豪華にゆっくり出来る。
重要な目的の為に魔法使いに弟子入りしたのだから、用の無い外泊は時間の無駄にしかならない。
イヤナも帰りを待っているだろうし。
「電報の目的が分からなかった事が心残りだが、道場生の誰かがサコの父親を元気付ける為に娘を呼んだ、と無理矢理納得するか」
「……うん。そうだね」
眠る時にすぐ消せる様にと行燈の近くに座ったサコは、煮え切らない返事をした。
確かに父は気弱になっていたと思う。
その姿を見た誰かが気を利かせた可能性は大いに有る
が、では誰がそれをしたのかと考えると、心当たりは全く無い。
「もしそうなら我々が犯人捜しをしても意味が無いだろうな。それで良いか?サコ。このまま遺跡に帰っても、修行に集中出来るか?」
「集中出来る。父にも言われたから。魔法を身に付けるまでは何が有っても帰って来るなって。もう一度電報が来たとしても、その時は無視するさ」
「その覚悟が有るのなら大丈夫だな。では寝るとするか。――ん?」
セレバーナが窓に顔を向けた。
今では一般的に普及しているガラス窓は青いカーテンの向こうに隠れている。
「どうしましたの?」
立ち上がって窓の方に行くセレバーナを目で追うペルルドール。
「いや。何かが動いた様な気がしたのだ。蛾だろうか。もしそうなら逃がさないと」
「何も気配は無かったけどな」
サコも一歩遅れて窓に向かう。
「寝ている間にバサバサどッ」
カーテンを開けた途端、雷に打たれた様に身体を震わせる黒髪少女。
そして、直立不動のまま後ろに倒れた。
「セレバーナ!」
小さな身体を受け止めるサコ。
セレバーナは、金色の瞳を見開いたまま気絶していた。
「ペルルドール、セレバーナを布団に!」
黒髪少女をその場に寝かせたサコは、窓の鍵を開けて顔を出す。
サコも一瞬だけ目撃した。
窓の外に、暗闇の中で光るふたつの目が有った事を。
あの目はとてつもない存在感だった。
なのに、周囲には影も気配も無い。
「どうしましたの?」
何が起こったのかさっぱり分からないペルルドールは、恐る恐るセレバーナに近付いた。
黒髪少女は、目を開けたまま横になっている。
口も半開きなので、かなり怖い。
「不審者かも知れない。窓を閉めて鍵を掛けて!絶対に部屋から出ないでね!」
そう言い残したサコは、窓から外へと飛び出した。
素足のまま夜の裏庭を走り、そこに人影が無い事を確認してから中庭に向かう。
不埒な新入門下生が数少ない女子門下生の寝込みを襲う事件は、数年に一度くらいの割合で起こる。
ただし、その企みは絶対に達成出来ない仕組みになっている。
越えられない柵や足止めのトラップが仕掛けられているのは勿論、女子部屋の隣に女中控室を配置しているからだ。
女中は交代制で働いているので、控室には常に誰かが居る。
なので、妖しい物音がすれば女中が気付く。
更に、その近くに有るサコの部屋の前には中庭を挟んで道場主の部屋が有り、サコの父親がそこに居る。
黙って立っていれば逞しい男に見えるサコを襲う者は居なかったが、下心を持ってこの周辺に入り込もう物なら、漏れなく道場主がカミナリを落とす。
つまり、部屋の間取り的に人目を忍ぶ事が出来ないのだ。
だが、さっきの目だけの奴は、そう言う問題ではなかった。
まるで始めからそこに居たかの様な自然さでそこに居た。
そして、始めから誰も居なかったかの様に消えた。
あれは放って置いて良い物ではない予感がする。
「お嬢様!どうなされましたか?」
ピンクのパジャマ姿で走るサコに気付いた数人の女中がランプを持って中庭に出て来た。
「今、ここに誰か来なかった?」
「誰も来なかったと思いますけど」
「こっちは女子部屋だよね。今、泊まりの人は居る?」
「いいえ、一人も」
「じゃ、そこに隠れられるか……」
「どうした?」
寝巻き姿の勇者がのっそりと現れた。
手に抜き身の剣を持っている。
「うわ!?驚いた、勇者様じゃないですか。どうしてここに居るんですか?ここは男子立ち入り禁止ですよ」
「すまない。我が家に伝わる伝説の剣が邪悪な気配を感じたのだ。それを追って来たらこの騒ぎだ。何か有ったのか?」
「な、なんだか勇者らしいお言葉。その邪悪な気配は、どこに?」
勇者は剣を構え、目を瞑った。
精神を集中し、剣の声を聞く。
「……剣が大人しくなっている。もう居ない様だな」
「そうですか。逃げられたか」
「魔物か?もしそうなら、ペルルドール様も居らっしゃる事だし、徹夜で警護しなければならないな」
魔王が封印されてからは魔物も姿を消したが、完全に居なくなった訳ではない。
人が入れない山奥やダンジョン等に巣を作った魔物が稀に人里に下りて来て、新聞の事件欄を騒がす事が有る。
それを退治するのが現代の勇者や冒険者の仕事だ。
「いえ、あれは……」
明らかに人間の目だった。
しかし、それを言葉にするのは躊躇われた。
妙な胸騒ぎがする。
「この辺りの山で魔物が出たと言う話は聞いた事が有りません。私の勘違いだった様です」
サコと女中達は中庭から移動し、道場と母屋を繋ぐ廊下に上がった。
勇者もそれに続く。
「この剣は勘違いしない。確かに邪悪な気配だった」
「イリメント・コーヨコ様」
サコの母親まで現れた。
「ここは武術道場です。不埒者や魔物は我等が門下生達が一蹴してしまいます。ですから、その物騒な物は仕舞ってください。女中達が怯えてしまいます」
確かに、母屋の柱の影に隠れている若い女中二人が怯えた様子で勇者を窺っている。
ここは格闘道場であって、刃物を扱う場所ではない。
見慣れぬ凶器が怖いのだろう。
「申し訳有りません。ですが、私は邪悪を打ち滅ぼす事が宿命の血筋。再び剣が騒げば、私は黙ってはおれません。そこはご容赦を」
サコの母が無言で頷く様子を確認してから一礼した勇者は、綺麗な回れ右で自分の部屋に戻って行った。
「サコ」
母は、なぜか悲しそうな目をして娘を呼んだ。
そして、娘の耳元に顔を近付けて小さな声で言う。
「貴女が見た物は『目』ですか?」
言い当てられたサコは驚き、改めて母を見る。
「はい。何かご存じなんですか?」
「やはり……。明日の朝一番、お父様の部屋に。良いですね」
雰囲気が重い。
ここで訊ける話は何も無いと判断したサコは、余計な事を言わずに頷いた。
「分かりました。あ、そうだ。『ソレ』のせいでセレバーナが気絶してしまって。心配なので、部屋に戻ります」
一礼してから小走りで部屋に戻る娘を見送ったサコの母は、真っ暗な中庭に顔を向けた。
微かな風を受けた木々がざわめいている。
「……どうして?」
その問い掛けは誰にも届かなかったので、諦めた様に振り向いた。
そして、サコの父親であり、自分の兄である者の部屋に入って行った。




