16
湯上りのセレバーナとペルルドールは、畳の客間で寛ぎながら冷たい牛乳を飲んだ。
女中から浴衣を借りたのだが、見様見真似で着ているので帯の結び目がでたらめだ。
「はぁ~、潤う。普通の牛乳を最高に旨いと思ったのは生まれて初めてだ」
妙に量が多い黒髪を乾かすのは大変なので、タオルに包んで上げているセレバーナ。
ペルルドールは金髪を緩い三つ編みにしている。
「わたくし、久しぶりに生きた心地を味わっていますわぁ~」
二人の少女はヨダレを垂らしそうな勢いで緩んでいる。
「やはりサコの実家に来て良かった。ヘンソンと言えば、エルヴィナーサ国で一二を争う武術の大家だからな」
「あ、やっぱり確信犯でしたわね」
「うむ。インドア派の私でも、何も無い遺跡に引き籠り続けるのはさすがにきつい。たまにはこうしてリフレッシュせねば」
「同感ですわ。でも、イヤナには悪いですわね」
「土産を考えねばな。何が良いかな」
「お買い物したくても、ここは山奥ですからねぇ。難しいですわ」
「はてさて」
取りとめの無い相談をしていると、サコが客間に帰って来た。
「先にお湯を頂いたぞ。檜風呂とは良い香りがする物だな。――で、お父さんの容体はどうだった?」
セレバーナが訊くと、サコは普段通りの笑顔で応えた。
「うん。お元気だった。健康って訳じゃないから少し気弱になっていたけど……元気だった」
「そうか。なら安心だな。私達が挨拶をしても大丈夫だろうか」
「お母様に相談してみないと返事は出来ないけど、大丈夫だと思うよ」
「分かった。サコも疲れているだろう。君の家で私が言うのもなんだが、お風呂に入って来たらどうだ?着替える必要も有る」
言われて気付いたサコは、自分の格好を見てみた。
いつものシャツとズボンだが、恐らく、と言うか、確実に汗臭い。
しまった、着替えてからお父様の部屋に行けば良かったか。
まぁ、過ぎた事を考えても仕方が無い。
「そうだね。じゃ、ちょっと行って来る。二人は遠慮無く寛いでね」
「うむ。言われなくても寛いでいる。とても快適だ」
空になったコップを掲げるセレバーナに笑みを返したサコは、腕の匂いを嗅ぎながら和室から出て行った。
それを見送ったセレバーナは、静かにコップを長テーブルに戻す。
「何か有ったかな。――だが、家の事情っぽいから、私が詮索する必要は無いな」
同輩の心の機微に気付いていないペルルドールは、ふと思い付いた疑問をノータイムで口にする。
「ところで、セレバーナもいつも神学校の制服ですけれど、アレは着替えてますの?」
「当然だ。学校では制服着用が義務だから、同じ物を何着も持っている」
「そうなんですか。でも、失礼ですけど、貴女は神学校を退学しているんでしょう?それなのに着続けるのはどうなんでしょう?問題は無いのかしら」
「神学生を語って詐欺を働けば大問題だろうが、私はただ着ているだけだ。それに、最果ての村の人々はあの服が持つ意味を知らない。だから問題は無い」
「そう言う物かしら」
「あの制服は、夏服は涼しく冬服は暖かい優れ物だ。それを捨てて新しい服を買うのは勿体無くてな。ポケットも多くて使い易い」
「勿体無い、ですか。今の私はその言葉をとても良く理解出来ますわ。高価なドレスを遺跡で腐らせるのも勿体無い事ですわよね」
「そうだな。さて、十分寛いだところで、サコのお父さんに挨拶するかな」
頭を包んでいたタオルを取って黒髪を下したセレバーナは、浴衣の襟元を正しながら廊下に出た。
そして、すぐそこで控えていた女中を呼ぶ。
「サコのお父様との面会の許可を得たいのですが、サコのお母様に話を通して頂けますか?」
「はい。少々お待ち下さいませ」
数分後、サコの母親が客間に来て王女に平伏した。
「ご存じとは思いますが、主人は身体を悪くしております。王女様に失礼が有るかと思いますが……」
「お気になさらずに。繰り返しになりますが、今のわたくしはサコの相弟子です。大袈裟にされると困ってしまいます」
ペルルドールがそう言っても、サコの母親は恐縮しながら額を畳に付けた。
そんなやりとりが一段落してから、ようやくこの家の主の部屋に案内されるペルルドールとセレバーナ。
「ほほう。これが和の庭園か。実物を見るのは初めてだが、見事な物だな」
中庭に植えられている木々に顔を向けたセレバーナは、廊下を進みながら感心する。
それにペルルドールも同意する。
「ええ。世の中の自然の全てが凝縮されているかの様ですわ」
「恐れ入ります。こちらが主人の部屋でございます」
サコの母親は、部屋の前で正座した。
そして中に向かって語り掛ける。
「あなた。王女様とそのご友人が見えられました」
「入って頂きなさい」
渋い声での返事が有った。
それを受けた母親が障子戸を開け、頭を下げる。
中にはベッドで横になっている中年の男性が居た。
「最新の介護ベッドだな。色々な部分が稼働するぞ」
ぽつりと呟いたセレバーナと共に和室に入ったペルルドールは、浴衣の胸元を抑えながらの王族スマイルになる。
「突然の訪問に心良く応えて頂き、感謝します。お加減はいかがですか?」
「横のままで失礼します。ご心配には及びません」
顔の右半分が動いていない。
だが、それ以外は健康の様だ。
「格闘家だけあって体格が良くていらっしゃる。体力も落ちていない様ですから、リハビリを頑張ればベッドから降りられそうですね」
セレバーナの分析を聞いたペルルドールは、笑顔で胸を撫で下ろした。
黒髪の同輩には基礎的な医学の知識しか無いが、それでも適当な事は言わないと信じている。
「良かった。ヘンソンさんのご回復を心から願っておりますわ」
「恐れ入ります」
王女の挨拶が終わったので、妙に量が多い黒髪を背中に垂らしている少女が会釈をした。
「私の名はセレバーナ・ブルーライト。不躾ながら、ひとつお願いを申し上げても宜しいですか?」
「何ですかな?」
「私達三人の滞在をお許し頂きたいのです。二、三日で結構ですので」
「それは一向に構いませんが。何か気になる事でもお有りかな?」
「実は、この王女様はとても世間知らずで、私達一般人の常識が通用しなくて困っているのです」
ペルルドールは、突然何を言い出すんだと思いながらセレバーナを見る。
勿論、動揺は顔に出さない。
「ですから、丁度良い機会ですので、この道場の見学でも、と。外の世界を見る事が、現在の彼女の勉強なのです。私も興味が有りますし」
「そう言う事なら断る理由はございませんな。どうぞ、心行くまでご見学なさってください」
「ありがとうございます」
「か、感謝します。では、また後ほどお伺いします」
王女の威厳を保ったまま礼を言ったペルルドールは、セレバーナと共に退室した。




