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普段から人通りが多いのか、その山道は歩き易かった。
しかしピクニック気分では登れない程度の険しさだったので、予想通り、体力の無いセレバーナとペルルドールがへばった。
「急ぐ事は無いさ。本当なら何日も掛る場所へ一瞬で来れたんだから」
汗一つ掻いていないサコが先導しながら言う。
「あと……どれくらい、登る……んですの?」
ペルルドールが息を切らせながら訊くと、サコは頭の中で距離を測ってから応えた。
「慣れてる人なら数十分で登れるんだけどね。このペースだと昼を過ぎるくらいかな。三時間、ってところか」
セレバーナとペルルドールが同時に溜息を吐く。
封印の丘を登り降りするのは辛いと思っていたが、この山道に比べたら散歩レベルだ。
それでも三人は必死に足を前に出し、ようやく大きな門の前に辿り着いた。
木製だが全ての部品が巨大で、物凄い重圧感が有る。
思い詰めた表情で門を見上げるサコの後ろでセレバーナとペルルドールが地面に座り込んだ。
体力の限界を感じながらも登り続けたので、もう歩けない。
お昼をとうに過ぎ、おやつの時間くらいになっている。
空腹だが、疲労のせいで食欲は無い。
「敷居が高いか?」
へたっているセレバーナに言われ、サコは苦笑する。
ここで立ち止まっているのは二人が座っているからなんだが。
「そうだね。帰って来たのがかなり早いから、ちょっと気まずいね。でも行くよ」
座っている二人が立ち上がるのを持ってから、大きな門の横に有る小さな通用口を潜るサコ。
門の中は広く、東洋風の巨大な建造物が正面に有る。
その建物から大勢の人の気合の入った声が漏れ出して来ている。
「そこは道場だよ。稽古の邪魔になると叱られるから、こっちに」
三人の少女は道場の脇に回る。
すると、東洋風の木造住居が姿を現した。
隣接する道場が大きいので小さく感じるが、単体で見れば十分に立派な建物だ。
サコはそこを目指す。
後に続くセレバーナとペルルドール。
「……」
ヘンソンと姓が書かれている表札を一呼吸の間見詰めたサコは、その家屋の玄関である引き戸を開ける。
「ただいま帰りました」
サコが玄関先で大声を出した。
しばらく待つと、和装美人が玄関まで出迎えに来た。
「まぁまぁ、サコ。お帰りなさい。どうしたの?後ろの方は、お友達?」
「お母様。まずはこれを見てください。これは本当なんですか?」
雑に扱った為に皺くちゃになった電報をポケットから取り出したサコは、それを和装美人に渡す。
電報に書かれている文字を理解した和装美人は、形の良い眉をひそめた。
「どうなんですか?それが私に届いたので、飛んで帰って来たんですが」
「文字通り飛んだ訳ですけど」
ペルルドールが麦わら帽子の中で呟く。
茶化せる雰囲気ではないので、極々小さな声で。
「いいえ、これは間違いですよ、サコ。お父様は、容体は相変わらずですが、少なくとも危篤ではありません」
「そうですか。良かった」
安心したサコが胸を撫で下ろす。
「折角帰って来たのですから上がりなさい。お友達も。随分お疲れの様ですので、お風呂も沸かせましょう」
サコの母は、三人のみすぼらしい格好を見ながら脇に避けた。
始めから貧民ドレスを着ていたと言う事情を知らなければ、何日も着た切りで旅をして来たかの様に見えるだろう。
「汚ない身なりで申し訳有りません。お言葉に甘えさせて頂きます」
礼儀正しく頭を下げたセレバーナは、一番後ろで俯いている少女に顔を向ける。
「ペルルドール。ここでは麦わら帽子は必要無いだろう」
「そうですわね。失礼に当たりますわね」
「ペルルドール……?」
麦わら帽子を脱ぐ金髪美少女を訝しげに見たサコの母は、露わになった顔を見て驚いた。
「お、王女様!?」
サコの母はその場でひれ伏した。
その行動に驚くサコ。
「お母様?な、なにを?」
「最初から狎れ合っていたので忘れがちだが、ペルルドールは王族なのだから、その対応が正しい。が」
セレバーナに視線を向けられたペルルドールは、頷きを返してから前に出た。
「サコのお母様。今のわたくしは王女ではなく、サコと同じ師の許で修行する同輩です。師がそうしなさいと仰るので、お母様もその様にお願いします」
「私と彼女がこの様な身なりなのも、お忍びだからです」
セレバーナが補足して言う。
「む、むさ苦しい所で申し訳有りませんが、どうぞお上がりください」
王族を目の前にした緊張を隠せないサコの母は、いきなり他所行きの声になった。
こうして声を高くすると、妙に可愛いサコの声に似ている。
「では、お邪魔します。――おっと、ここは靴を脱いで上がらなければならないのかな?」
セレバーナは、片足を上げたところで思い出した。
東洋では玄関で履物を脱ぐ風習が有ると何かで読んだ事が有る。
この家の廊下は日光を反射するほど磨かれているので、どう見ても土足で上がる雰囲気ではない。
「え?靴を、ここで脱ぐんですの?」
ペルルドールは足拭きマットに靴を乗せてしまっていて、愛らしい顔でキョトンとしている。
「うん。脱いで」
サコはすでに靴を脱いでスリッパを履いていた。
そんなこんながあった末に通された部屋は、青々とした畳の客間だった。
掛け軸や生け花などが飾ってある、趣の良い部屋だ。
メイドと言うより女中と言った方がしっくり来る格好の女性が三枚の座布団を並べる。
「床の間の前が上座なのかな。そこはペルルドールの席になるな。私はその横にしよう」
そう言ったセレバーナがさっさと座る。
「今のわたくしに上座なんて、と言いたいところですけど、疲れているので座ります」
「私はお父様に挨拶したいので、ちょっと席を外すね」
ペルルドールが座布団に座り、棒の様になった脚を放り投げている様子を見てから和室から出ようとするサコ。
しかしその前にサコの母親が和室に入って来た。
「ペルルドール・ディド・サ・エルヴィナーサ様。本日はこの様な所にお越し頂き、感謝の言葉も御座いません」
サコの母親は、三つ指を突いて頭を下げた。
その脇で立っているサコは、どうして良いか分からずに頭を掻いている。
「そんなに畏まらないでください。今回はサコがお父様の容体を確認する事が目的です。わたくし達はただのオマケです」
瞬間的に見苦しくない横座りに姿勢を変えたペルルドールがロイヤルな声を出す。
さすが、他人に頭を下げられる事には慣れている。
「そうなんです。特別に許可を頂いて来たので、用事が済んだらすぐに帰らないといけないんです。ですから、お父様は、今……?」
サコが訊くと、母親は顔を上げて娘を見た。
「お部屋に」
その返事から間を置かず、すかさずセレバーナが口を挟む。
「では、サコには早速用事を済ませて貰おうか。その間、私達はのんびりと体力を回復させる」
「ええ。もしもお父様のお加減が宜しければ、わたくし達も挨拶しなければなりませんし」
ペルルドールが続けて言うと、母親は再び頭を下げた。
「恐れ入ります。では、私達はこれで……」
サコと母親が揃って出て行った直後、女中が和室に入って来た。
王女の存在に緊張しつつ、茶色く光る塗料が厚く塗られた長テーブルに小皿とお茶を並べる。
「葛餅か。初めて見る」
セレバーナは、振る舞われた和菓子に金色の瞳を近付けた。
ペルルドールも青い瞳をそれに向け、小首を傾げる。
「これは……食べ物なんですの?」
「うむ。東洋のお菓子だな。どれ」
白く濁った四角い塊を口に入れるセレバーナ。
直後、目を細めた。
美味しいらしい。
毒を盛られる恐れが有るので身分を知られている場所では物を食べないペルルドールだが、ここはサコの実家なので大丈夫だろう。
「では、わたくしも頂きます。……うん、つるんとして美味しいですわ」
「うむ。疲れた身体に染み渡るな」
みすぼらしいドレスを着た二人の少女は、表情を崩して甘味を楽しんだ。




