エピローグ
狭い待合室の中で、神学校の制服を着た一人の茶髪少女がウロウロしていた。
十六歳の割には体格が良いので、まるで動物園のクマの様だ。
「サヨ・ヘンソンさん」
「ひゃい!」
不意に名前を呼ばれて驚いた茶髪少女が勢い良く振り向く。
待合室の出入り口に、神学校の紋章が金糸で刺繍された白いローブを着た女性が立っていた。
「ハナ先生」
担任の教師である女性を見て、見た目に似合わない妙に可愛い声を出す少女。
その声が震えている事に気付いたハナ先生は、優しそうな笑顔を浮かべて少女の肩に手を置いた。
「緊張しないで、とは言いません。でもリラックスして。はい、深呼吸してください、サヨさん」
「は、はい」
言われるまま大きく息を吸ったサヨは、肺の中の空気を全て吐いた。
身体が大きくて肺活量も多いので、その動作には時間が掛かる。
「落ち着きましたね?落ち着いてなくても、落ち着いたと自分に言い聞かせてください」
教え子が着ている制服の襟を直してあげるハナ先生。
素直で芯の強い少女は、無心になって表情を引き締めた。
完全に恐怖が消えた訳ではないが、見苦しく足掻いてもどうにもならないし。
「はい。落ち着きました」
「よろしい。では行きましょう」
揃って待合室を出た教師と生徒が静かな廊下を歩く。
人影が全く無いので、上履きの足音がやたらと響く。
神学校と言えば、女神教の敬虔な信者である少年少女が集う学び舎。
賢く真面目な生徒達でも、大勢の子供が集まれば騒がしくなる。
なのに完全に無音なのには『訳』が有る。
その『訳』が待っている来賓室に到着する。
先生がドアを開け、サヨを部屋の中へと誘う。
中では王室から派遣されて来た二人のメイドが食事の準備をしていた。
離れた椅子に座ってその様子を眺めていた黒髪の男子が立ち上がり、サヨの方に来た。
「彼がユゴント国から留学して来た、チャタ・ロマンソリオ君です」
「始めまして。チャタ・ロマンソリオです。宜しくお願いします」
ハナ先生に紹介された男子が礼儀正しく頭を下げる。
詰襟の学生服を着ていて、凄いイケメンだった。
ユゴント国の人は小柄な人が多いと聞いていたのだが、彼は大柄な少女と同じくらいの背丈だった。
「あ、私はサヨ・ヘンソンです。宜しくお願いします」
合掌して頭を下げる武道家の礼を返すサヨ。
初めて外国人と会うので、緊張が最高潮になる。
脇に変な汗を掻く。
「王女様、ご到着されました」
三人目のメイドが来賓室にやって来て、綺麗な発音でそう告げた。
「ひっ!」
最高潮だった緊張がランクアップし、限界を超えた。
顔色が真っ青になり、額の脂汗が滴り落ちる。
「サヨさん、チャタさん。こちらに並んで。王女様をお迎えしましょう」
ハナ先生も緊張しているのか、他所行きの声で少年少女を並べて立たせた。
「ペルディータ・ディド・サ・エルヴィナーサ様、御成りで御座います」
三人目のメイドがドアを開けたまま言うと、金髪美少女が来賓室に入って来た。
物凄く豪華なドレスを身に纏い、宝石が眩いティアラを頂いている。
彼女が現れただけで部屋の光量が増えた様な錯覚。
「ようこそ、ペルディータ様」
ハナ先生の礼に続き、若者二人も無言で頭を下げる。
「彼女が我が神学校が誇る、魔法使いのサヨ・ヘンソンさんです」
紹介されたサヨは、緊張で震える身体で武道家の礼を取る。
そんな少女に笑みを向ける王女。
「貴女の治癒魔法には期待しています。頑張ってください」
「はい!がんばりまひゅ!」
妙に可愛い声で言葉を噛んでしまった茶髪少女の顔が真っ赤になる。
そんな少女に再び笑みを向けた王女は、黒髪少年の方にマリンブルーの瞳を動かす。
「そして彼がユゴント国からの留学生、チャタ・ロマンソリオ君です」
「始めまして、ペルディータ様。歴史有るマイチドゥーサ神学校、そしてエルヴィナーサ国の文化を学ぶ機会を与えてくださった事に感謝します」
さすがイケメン、王族を相手しているのに平然としている。
感心するサヨ。
「貴方とユゴント国に有益な結果になる事を期待します」
ペルディータは、笑顔でお言葉を下さった後、上座に腰を下す。
「皆も着席してください」
「ありがとうございます。――では、お食事をどうぞ。ユゴント国特産の野菜を使った料理です」
王女の許可を得て着席した留学生が言う。
「まぁ。身体にとても良いと噂される、あの」
緑色が鮮やかなスープや炒め物に視線を落とすペルディータ。
ユゴント国は海の遥か向こうに有る。
船が海を越えるには結構な日数が掛かってしまうので、輸入される野菜は防腐加工された物しかない。
それなのにこうして新鮮な野菜が有るのは、チャタ・ロマンソリオが魔法で野菜の時を止めたまま運んで来てくれたからだ。
「チャタ・ロマンソリオ君を歓迎すると言う意味を込めて、我が国の料理もご用意させて頂きました」
コンパニオン役のハナ先生が立ったままで昼食の開始を宣言する。
「いただきます!」
若者達は、お互いの国を代表する料理を楽しみながら歓談する。
魔法使いの数は年々減り続けていて、今では選ばれた天才のみにしか魔法を使えない。
過去には大勢の魔法使いが集う魔法ギルドがエルヴィナーサ国の各地に有ったのだが、魔法使いの減少に伴い、ギルドは消滅した。
魔法さえ有ればユゴント特産の野菜を輸入し放題なのだが、今回の様な特例でもない限りは不可能なのだ。
その状況を黙って見ていても状況は改善されないので、神学校に魔法使い専用の学科が追加された。
それが『魔法科』である。
少しでも魔法の才能が有る子が居れば無料で入学させ、その力を伸ばす。
その制度を利用して魔法科に入学したサヨは奇跡的な貴重さと言われる治癒魔法の才能を持っていて、百年に一人の逸材と称されていた。
このまま才能を成長させる事が出来れば、将来は宮廷医師にもなれる。
その将来性を期待され、現在の神学校主席に任命されている。
だから神学校を代表する形でこの昼食会に参加させられた。
そして、海の向こうのユゴント国も同じく魔法使いが絶滅寸前と言う状況だった。
エルヴィナーサ国よりもマシな状況とは言え、放置していたら状況が悪くなるのは火を見るよりも明らかだ。
なのでユゴント国にも『魔法科』と似た様な仕組みを作る為に、チャタがこうして神学校に留学して来た。
神学校のシステムや有り様を学ぶ為に。
ここを卒業して母国に帰ったら、彼がユゴント国に神学校を設立し、そして初代学長となる事が決定している。
それにはエルヴィナーサ国も出資する予定なので、次期国王であるペルディータも同席している、と言う訳だ。
「あの、ちょっと宜しいですか?ペルディータ様。お願いが有るのですが」
食事が終わり、食後のケーキが出て来たところでチャタが切り出した。
「何でしょう」
「我がロマンソリオ家には『この国に来る事が有れば封印の丘に行け』と言う言い伝えが有るのです。そこに行っても宜しいでしょうか」
金髪美少女と茶髪少女が目を見開く。
この国の人間では絶対に口にしない言葉だ。
「封印の丘はエルヴィナーサ国の聖地だと言う事は知っています。不可侵である事も。ですが、どうしても行きたいのです」
「あの地には女神の神殿が有りますが、名前の通り封印されていて誰も入れません。それでも行きますか?」
美しい声で訊くペルディータに頷くチャタ。
「彼女なら入れるそうなんです。ですよね?イヤナ」
チャタが何者かの名前を呼ぶと、来賓室のドアが開いた。
少年少女達と同年代くらいの、神学校の制服を着た赤髪少女がそこに居た。
良く見ると、彼女が着ている制服はサヨの物とはデザインが違う。
色合いやシルエットは同じなのだが、細かい部分の形が別物だ。
「彼女は私の魔法の師匠で、私の留学のサポートの為に同行して頂きました。ちなみに、今回の我が国の料理は、彼女が作りました」
赤髪を三つ編みにしている少女は、来賓室に一歩入って純真そうな笑みを浮かべた。
少年の師と言う事は、魔法で若さを操れる魔法使いらしく、見た目通りの年齢ではないのだろう。
「初めまして、イヤナです。――私ならあそこに入れます。そして、中に居る子とお話をしたいんです」
「中に居る子?あそこに人が住んでいるのですか?」
小首を傾げる王女を見て目を細めるイヤナ。
(その仕草、あの子にそっくり)と口の中で呟く。
「ええ。実は住んでいるんですよ。意外と寂しがり屋な女の子がね」
「……もしや、妙に量が多い黒髪をツインテールにしている、背の低い子、ですか?」
王女の言葉に目を見開くイヤナ。
「そうですけど、どうして知ってるんですか?」
「王家に伝わっているんですよ。もしも封印の丘からその子が出て来たら、国を上げてのおもてなしをしなさい、と」
「それ、私の家にも伝わってます!」
茶髪の少女が妙に可愛い声を出す。
「妙に量が多い黒髪をツインテールにした子がヘンソン家を訪ねて来たら、最高の友人として迎えなさいと。それと……」
イヤナに顔を向けるサヨ。
「赤い髪を三つ編みにした笑顔が素敵な女の子も、友人として迎えなさい、と。もしかして、イヤナさんがその子ですか?」
「あら、そっちには私も入っているんだ。嬉しいなぁ」
イヤナは頬に手を当て、照れ笑いを漏らす。
ふと思い付き、手を叩く赤髪少女。
「あ、そうだ。じゃ、みんなで封印の丘に行ってみませんか?ここに居る全員が一緒に行けば、きっと全員で中に入れると思います」
「僕からもお願いします。理由は良く分かりませんが、そうした方が良いと思うんです」
チャタに頭を下げられたペルディータは、静かに目を瞑った。
数秒考えた後、青い目を開く。
「分かりました。行きましょう。ですが、わたくしには公務が有りますので、明日明後日とは参りません。それでも宜しいですか?」
力強く頷くイヤナ。
「勿論。いつまでも待ちますよ。ただ、何年もユゴント国をあける訳にはいかないので、そう長くは待てませんけど」
「いくらなんでも年は待たせません。数週間程度です」
「それなら。――あ、そうだ。王女様なら知ってるかな?こちらの王家には、ペルルドールって名前のご先祖様が居ると思うんですけど」
「賢王ペルルドール様ですか?勿論知っていますよ。彼女の血を継いでいる事がわたくしの誇りです」
「うわ、偉くなっちゃって。王位に着いた後、彼女はどんな仕事をしたんですか?」
王女に対して無礼な喋り方をするイヤナ。
こうなると事前にチャタから聞いていたハナ先生でさえ訝しげな顔をしている。
「民間企業と提携して都市間を専用の自動車で繋ぎ、まるで未来を見知っているかの様な采配を駆使して流通を盛んにしました」
豪華なドレスを着ている金髪美少女は、赤髪少女の態度を気にせずに語る。
その得意げな口調は、本当に先祖を誇りにしている心を顕著に表していた。
「更に、あり余るカリスマ性を遺憾無く発揮して大きな都市と小さな村を纏め上げ、統一規格の駐在所を造り、国全体の治安の向上をなさいました」
「ほほー。やるねぇ」
「自動車での交通網が国民の生活を豊かにし、駐在所が犯罪発生率一ケタを現代まで守り通している。それが賢王ペルルドール様の偉業です」
「うんうん。約束をちゃんと守ったんだね。さすがペルルドール」
満足気に頷くイヤナ。
サヨが可愛い声で話に入って来る。
「お若い頃に様々な経験をなさり、流通と治安の重要性を学んだそうですね。歴史の教科書にも載ってますよ」
「ん。分かった!ありがとう!その話、遺跡の子にも話してあげないとね!――えっと、数週間待てば良いんですよね?」
「ええ。サヨさんも、宜しいですか?」
「はい!勿論です!私はいつでも大丈夫です!」
話がそれで決まったので、イヤナは満面の笑みになった。
「じゃ、決定!500年ぶりの全員集合だから、セレバーナはきっと喜ぶよ。お土産は何が良いかな。どんな料理を振る舞ってあげようかな」
無邪気に喜ぶ赤髪少女を見て、若者達は微笑み合った。
正直、イヤナは怪しい。
誰も入れないはずの封印の丘に入れると信じているし、500年ぶりの全員集合と言う言葉も意味不明。
冷静に見れば、ただの頭のおかしい子だ。
だけど、なぜだか理由は分からないけれど、全員がそうした方が良い気がしている。
緊張のせいで食事の味も分からなかったサヨだが、彼女の会話を聞いている内に緊張が解けていた。
まるで古い友人に再会したかの様に。
そして気付く。
この部屋の雰囲気が、帰りたかった場所に帰れた様な、そんな空気に変わっている事に。
王女と留学生も安心した表情に変わっており、サヨと同じ気持ちを感じている事を物語っている。
だからサヨは立ち上がり、イヤナに近付いた。
「イヤナさん。数週間後が楽しみですね」
年齢の割に身体が大きいサヨは、初対面の相手に怖がられる。
実家が武道道場を経営しているせいで、サヨ自身も鍛え上げられているし。
なのに、イヤナは満面の笑みで頷いた。
ユゴント出身なのに、高身長の女性を見慣れているらしい。
「うん!楽しみだね!一緒にお土産を考えてくれるかな?こっちに何が有るのか知ってるサヨが居てくれたら心強いし」
「そうですね。お付き合い致します」
ペルディータとチャタも立ち上がり、頷いた。
「なぜでしょう、わたくしも楽しみになって参りました。わたくしの方でもお土産を用意しましょう。――では、また数週間後にお会いしましょう」
王女の言葉に頷く少年少女達。
「ええ。また!」
円卓のヴェリタブル・完




