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「じゃ、お夕飯の準備をしますね」
いつもの調子を崩さないイヤナが立ち上がり、キッチンに行った。
それが切っ掛けになり、重かった空気が和らぐ。
「思ったよりもヘビーだな、魔法の修行は。一歩間違えると世界から消えてしまうとは」
セレバーナは自分の肩を揉んだ。
畑仕事の疲労が蓄積している。
「ええ。真理とは、恐ろしい……」
円卓の椅子からリビングの隅にある籐椅子に座り直したペルルドールは、勉強した内容を頭の中で反芻している。
潜在能力がアンロックと言う魔法である事が判明しているので、一部分でも忘れたら大変な事になる。
「私は、これから何を信じれば良いのだろう」
サコは腕を組み、動物園のクマの様にリビングをウロウロする。
「……」
セレバーナはシャーフーチに金色の瞳を向けた。
師はその視線を受け流し、無意味に椅子の具合を確かめ出した。
弟子達の困惑に口を挟む気は無いらしい。
さっきの話が全て真実なら、神の座を借りる事が出来る全ての魔法使いが信仰の対象になるだろう。
人の身のまま神の域に達するのだから。
魔法使いの世界に足を踏み入れた自分自身を信仰の対象にしても良い。
なるほど、それは王家的にはまずい話だな。
姿を現さない神ではなく、現実に存在する魔法使いを民衆が敬い出したら、王の権威など無きに等しい。
神学校の――
「セレバーナ。思考を止めなさい」
シャーフーチが厳しい口調で言う。
しかしセレバーナは冷静に返す。
「私が思考を止める時は死んだ時です」
「屁理屈を言わない。そのままだと、ずっと先に有る真理の扉を開いてしまいます。そうなったら本当に死にますよ」
そう言ったシャーフーチは、自分の言葉で思い出す。
「そうそう。貴女達はひとつの魔法を使える様になりました」
キッチンに居るイヤナにも聞こえる様に、シャーフーチはかなり大き目の声で言う。
ペルルドールとサコが顔を上げ、師に注目する。
「先程の死の呪文です。魔法防御レベルがゼロの者なら、例外無く通用する魔法」
「そう言う大事な事は早目に言ってください。決して口外しないと誓ったので、それ程重要ではないですが」
ツインテール少女がジト目になる。
基本的に無表情な子なので、目付きが悪くなると凄く冷たい印象を受ける。
「セレバーナの思考が先に飛ぶと、自分自身に死の呪文を唱える事になると言いたいのです。そう言うつもりじゃなかった、は通用しません」
「指輪に守られるのでは?」
「順番を守ったら。ふたつもみっつも先の扉をいきなり開けたら、小さな指輪では守り切れない」
ふむ、と言ったセレバーナが円卓の縁を撫でる。
古い家具だが、スベスベな手触りが心地良い。
「このリビングを出た途端、自分の部屋に行く様な物、と例えて考えれば良いですか?無意識の瞬間移動をイメージします」
「続きをどうぞ」
「私は赤絨毯が敷かれている廊下を通らずに移動した。それは世の中の理を無視しています。普通ならそんな事は出来ない」
「そうですね」
「ですが、瞬間移動の魔法は存在するので、それが使える才能が有れば不可能ではない。分かってやったのならただの魔法ですが、知らずにやったら」
「そう。行き付く先はセレバーナの部屋ではなく、どこか知らない別の世界です。分かってやったとしても、制御出来なければ結果は同じでしょう」
「死、ですか」
「貴女は賢い。知らずに先に進む可能性は十分に有る。だから師として命じます。思考を止めなさい」
「しかし……」
「難しいですか?無心になれとは言っていません。理について考えるなと言っているんです。別の事を考えれば良い。出来ますね?」
「……努力します。しかし、この国の勉学は信仰に基づいている。女神抜きの思考は、なかなか厳しい」
「じゃ、女神様は居るって考えれば良いんじゃない?気持ちの整理が付くまで」
お湯が沸くまでヒマなイヤナがリビングに戻って来た。
「女神様のお陰で私達は生きている思ってた訳じゃない?今までは。居ない事が真実でも、私達が今生きてる事には変わりない訳だからさ」
立ち止まって話を聞いていたサコが頷く。
「そっか。女神への気持ちは変わるかも知れないけど、だからと言って何かが変わる訳じゃないもんね」
「ふむ……。女神は居ると考える、か。――そうだな。真実を知ったからと言って、真実に拘る必要はないと言う訳か。ウソも方便、だな」
「うん」
拙い言葉でも理解して貰えた事が嬉しかったイヤナがニッコリと微笑む。
胸のつかえが取れたセレバーナとサコも清々しく笑む
しかし、ペルルドールだけは長い金髪で顔を隠しながら唇を噛んだ。
ウソも方便だらけな王家の体制に嫌気がさしたからここに来たのに。
嫌な結論。
みんな、大っ嫌い。




