30
身支度を終えたイヤナとセレバーナは、宿のカーテンを開けた。
今朝は薄い雲しかない晴天だった。
何日も雪が降り続いていたが、勢いが無かったのでたいして積もらなかった様だ。
重いコートを着て一階の食堂に下りたイヤナとセレバーナは、軽い朝食を済ませてから街に繰り出した。
学生は学校に、大人は仕事に行き終えている時間だが、装備を整えた警察や冒険者達が行き来しているので街の中は騒がしい。
それもそのはず、勇者に『闇の牙』の事を伝え、綿密に事件解決に向けての相談をしたからだ。
有力な情報のお陰で捜査は急速に進展した。
クエストを終えた勇者が家に帰る時は近いだろう。
「私が目指す世界は、退屈の無い世界だ」
目的地である裏通りに辿り着いたセレバーナは、お行儀悪くコートのポケットに手を突っ込んで想いを言葉にした。
成り行きによっては激しく動くかも知れないので、マフラーを首に巻いていない。
ツインテールのままで毛糸の帽子も被っていないので、結構寒い。
「争いが有るのも良い。理不尽が有っても良い。そういった困難に直面した人々が切磋琢磨し、文化が有り続ける限り進歩する世界だ」
「助けてくださいって神頼みをされたらどうする?」
少し離れた所に立っているイヤナが、日陰に積もっている雪を眺めながら相槌を打つ。
いざと言う時に足を取られない様に現場の状況を確認する。
「影ながら動く事も有るだろうが、基本的には傍観だな。穂波恵吾の世界の神と同じだと思ってくれて良い」
「世界が滅ぶ様な兵器が使われそうだとしても?」
「ヴァスッタの時と同じだ。あの時はペルルドールがヤケを起こしたお陰で助かったが、それが無かったら私は仲間達だけに避難指示を出していた」
「確かに私とは違うね。あの時の私は、何とかしようと二人を探していた。見付からなかったら、サコと協力して街の人に非難を呼び掛けていたよ」
「明らかに無駄だが、君は行動していたんだろうな」
「明らかに無駄だから、セレバーナは街の人が自分達で何とかする事を期待する、と」
「うむ。女神でなくとも、魔法を使えば少人数なら助けられる。だが文化は死ぬ。それでは誰も幸せにならない。精霊魔法を守れるのは彼らだけなのだ」
「私はそんな割り切り方は出来ない。そっちの考え方が正しかったとしても」
「だからと言って女神の座をイヤナと争おうとは思っていない。そこの所は色々と考えている。が、全てはソレイユドールの目覚めを待ってからだな」
「そうだね。――じゃ、マギに質問するよ」
「頼む」
準備が整ったので、セレバーナはポケットから手を出した。
その手にはのし棒の様な形をした魔法の杖が握られている。
「この道で間違いないって。こっちに向かって来てる」
「ありがとう。マギに魔力を吸われたイヤナは隠れていてくれ」
「うん。状況が悪くなったら、空気を読まないで助けに入るからね。それが私の考え方だから」
そう言い残し、民家の陰に隠れるイヤナ。
閑静な居住区であるこの付近には、侵入者を拒む壁や垣根がほとんど無い。
神学校の街だから女神の愛や人の善意を表しているとか何とかで、泥棒を疑わない街造りになっているからだ。
だから一人の少女がよそ様の敷地内に潜むのは造作も無い。
まぁ、実際には窓や玄関が改造されていて、素人空き巣くらいなら手も足も出ないレベルで厳重に守られていているが。
現実はそんな物だ。
「さてさて。魔物とは不思議な生き物だな。変温動物のクセに、こんな寒い中動き回っているんだから」
セレバーナは、息を切らせて走って来た少女にのし棒の様な形の杖を向ける。
その真横には大人を丸飲み出来そうなくらいに大きな蛇が居る。
頭に小さな王冠が乗っているのがちょっと可愛い。
「セ、セレバーナ?どうしてこんな所に?」
立ち止まる金髪の友人。
蛇も動きを止める。
「クレア。君はその魔物に追い掛けられているのかな?それとも、使役しているのかな?」
包帯で左目を覆っているクレアは激しく呼吸して白い息を吐き出している。
コートを着ていないが、全力で走って来たから寒くはない様だ。
「こんな所で待ち伏せしておいて、それを訊くの?」
神学校の制服の乱れを正したクレアは、黒髪の友人を警戒しながら背筋を伸ばす。
もう呼吸が落ち着いている。
大怪我をしているが、身体は健康なままだ。
羨ましい。
「訊くさ。追われているなら被害者だし、使役しているのなら加害者だ」
「人を食べる魔物が私を食べていない事が答えではなくて?」
「答えにならないな。どうやって魔物を従えているのか、その方法を示せるのならともかく」
「まだ私を信じているの?私が悪い事をしない、と」
「勿論だ。だが、魔が差す事は誰にでもある。そう言う時は友人が手を差し伸べ、正しい方向へと導く物だ」
「セレバーナらしくない言葉ね。魔王様の許での修業が貴女を変えたのね」
「最果ての遺跡では、仲間と協力して食料を確保しなければ飢えが凌げなかったからな。だから早い内に自然と距離が縮まった」
「へぇ……大変だったのね」
「それも修行だ」
「そう。充実してたのね」
クレアは蛇に寄り添い、片手を添える。
「この子は一時的に私に従っているだけ。本当なら、私は付き添わなくても良いの。でも、私を傷付けた元凶の最後を見届けたかったから一緒に居る」
「元凶、つまり逆恨みの依頼者はこの街に居るのか?」
「ええ。遠くの街の人だけど、お祈りもせずに帰ると怪しまれると思っているのか、暢気に百日参りをしているわ」
「ずっとこの街に留まっていたのか」
「いえ、通いらしいわ。昔と違って、今は累計で百日のお祈りでも良くなったから。そして今日、そいつはこの街に居る」
「絶好のチャンスという訳だな」
「ええ。――事件が起きたら、現場に私が居る。魔物に襲われない私が。私は警察に全てを打ち明けるから、きっと逮捕されるでしょう」
「逮捕されたらお家は断絶になると思うが。神学校にも居られなくなるぞ」
「断絶結構。セレバーナだって、自分の都合でいきなり退学したクセに」
「そこを突かれると痛いな」
「家の最後を見届けるのも、跡取りとしての責任だと思うから。その為の完璧な計画も遂行中よ」
「完璧、か」
「ええ。抜かりは有りません」
予想通りの流れだ。
思った通り過ぎて笑んでしまいそうだ。
だがセレバーナは得意の無表情を演じぬく。
「君はそれで救われるのか?満足するのか?」
「ええ。だからこそ魔王教を頼ったの。刑期を終えた後、そちらの筋で就職する為に」
「私の父がそうした様にか」
「ええ」
セレバーナは溜息を吐く。
心臓が弱くて血行が悪いからか、クレアが吐く息と比べると白さが足りない、気がする。
「この襲撃がどうなろうと、君は警察の世話になる。ご丁寧にも、君は犯行予告の手紙を警察署のポストに直接投函したからな。それも計画の内だろう?」
鼻で笑ったセレバーナは、いきなり杖を振った。
それと同時に、大蛇が被っている王冠に雷が落ちた。
「キャッ!」
落雷の衝撃で弾き飛ばされるクレア。
積もった雪に尻餅を突く様に計算した攻撃なので、友人に怪我は無い。
「君は警察の世話になるだろうが、すぐに釈放される。君にとっては最悪な状況でな」