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ちょっと意識が遠のいたかな?と思って目を開けると、世界は真っ白になっていた。
と言うか、ベッドの中で横になっていた。
「……?」
セレバーナの金色の瞳が周囲の様子を窺う。
白いのは、天井と周囲を囲むカーテンの色だった。
肩まで掛かっている布団も白。
神学校内でベッドが有るのは寮と保健室のみ。
寮の天井は古ぼけた木目の部屋しか無いはずだから、ここは保健室か?
再び目を瞑り、記憶の整理をする。
神学校の隠し部屋で女神の本を触った後からの記憶が無い。
「気を失った、のか?」
本だけあって膨大な知識が残されており、そのせいで混乱している。
穂波恵吾のカードを触った時の様に。
個人の記憶と書物の記憶が同レベルとは、異世界人と言う存在は計り知れない。
いや、彼個人の資質ではなく、異世界の教育レベルの問題だな。
自分にとっては理想的な世界だが、今はそれを脇に置いておこう。
折角温かいベッドの中に居るのだから、ゆっくりと自分を取り戻して行くか。
睡眠と覚醒の間でまどろみながら、得た知識を夢の世界の物として処理する。
そうしないと自我が保てないのだ。
どれくらいそうしただろうか。
ようやくスッキリしたので、溜息と共に目を開けるセレバーナ。
「アクアマテリアルが開発した魔法のインクによる文字魔法、か。完全に失われた文化だな」
そんな事を考えていると、人が動く気配がした。
「セレバーナ?そこに居るのはセレバーナなの?」
イヤナの囁き声。
カーテンを挟んだ隣のベッドで寝ていた様だ。
「うむ、私だ。イヤナは平気か?」
「うん。今回の知識は勝利後の後始末っぽいね」
イヤナはカーテンの下を潜ってセレバーナの方に来た。
端を手繰れば簡単に開けられるのに。
そんな単純な判断が困難になるほど混乱している様だ。
眩暈がするのか、額を手で押さえている。
「そうだな。アクアマテリアルは女神を殺し、この世界を利用するタイプだった様だな。しかも、私がしようとしていた事をしていた」
起き上がったセレバーナは、ベッドの上であぐらをかいた。
スカートなので下着が丸見えになるが、掛け布団から出なければ平気だ。
制服の上着は脱がされていて、ベッド脇に畳まれて置いてある。
胸に刻まれた大きな手術痕を他人に見られたのかと思って少々焦ったが、ワイシャツの前は開かれてはいなかった。
「聖書?」
イヤナがベッドに腰掛ける。
彼女も上着を着ておらず、起き抜けなので新品の白いワイシャツに皺が寄っている。
「うむ。私と同じく、それによって下界の意識を変えるつもりだった様だな。文字魔法が使えるのならそれは簡単だろう」
「文字魔法ってどんな魔法なんだろう」
天井を仰ぐおさげ少女。
穂波恵吾の記憶の中には、女神の人数等の知識は有るが、魔法の種類等の情報は全くと言って良いほど無い。
彼の役目は地上で勇者装備を探す旅をする事だったので、女神達の戦いに一切関わっていなかった。
だからだろう。
なので、女神の名前や、彼女達が行使していた魔法は、女神の遺産と言う形で残っていなければ知り様が無いのだ。
「読んだ人に作用する魔法、だろうな。現代人は念じて魔力を集め、魔法を使っているが、それを文字で行っていたんだろう」
「でも、それだと字が読めない人や魔物には効かないんじゃない?どうするつもりだったのかな」
「さぁな。文化を復活させてみれば分かるだろうが、それをする意味が無い。私達は未来を見続ければ良い。過去は参考程度に」
「そっか。そうだね」
引き戸が開いた音がして、誰かが部屋に入って来た。
軽い足音が近付いて来て、数センチほど白いカーテンが開かれる。
片目で中を覗いたのはユキ先生。
二人の少女がひとつのベッドの上で座っているのを確認した先生は、カーテンを人一人分開けて中へと入って来た。
「セレバーナさん。イヤナさん。目が覚めた様ですね。気分はどうですか?」
「はい。無事、目覚めました。大丈夫です」
スカートを捌きながら姿勢を正したセレバーナは、ベッドの上で正座をする。
ユキ先生の前ではとにかく行儀が良い。
「どうやら気絶した様ですね。ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳有りませんでした」
小さな頭を下げると、妙に量が多い黒髪が前に垂れた。
ツインテールが解かれている。
無表情で手櫛をしている元教え子に笑みを向けるユキ先生。
本を触った途端に白目を剥いて倒れたので心配したが、二人共何とも無い様だ。
「『女神の本』は元の場所に戻しましたが、構いませんよね?」
「はい。文字を一新し、統一する方法が書かれている様ですが、必要有りませんね。それをするつもりはありませんから」
その言葉を聞いたユキ先生が驚く。
「え?あれに書かれていた女神文字を解読したですか?」
「あの本から直接知識を得ましたからね。アレに関する知識は全て頭の中に入っています。ですので、今なら全て読めるでしょう」
「凄いですね。それも魔法、ですか?でも魔法で文字が解読出来るのなら、どうして今まで解読出来なかったんでしょう」
「私とイヤナだけが使える魔法だからですね。しかし、失われた文化の文字が読めても意味が無いので、解読方法を残すつもりはありません」
その言葉を聞いたユキ先生は、微かに笑んだ。
「でも、本心は残したいんでしょう?あの小部屋には女神文字の本が数点有る事はセレバーナさんもご存知のはず」
「在学中に女神文字の解読を試みた事が有るので、興味は有ります。が、やらない方が良いでしょう。退学した私が学校の要所に居たら在校生に妬まれます」
「残しても良いんですよ?セレバーナさん。復学すれば、いつでも研究出来ます。魔法の修行は終わったのでしょう?なら……」
ユキ先生の優しい声から顔を逸らすセレバーナ。
自分自身が女神になる事を言えば復学を諦めてくれるだろうが、言わないでおく。
それは人としての幸せから遠のく可能性が有る事なので、親代わりだったユキ先生には心配を掛けたくない。
「有り難いお話ですが、それは有り得ません。成り行きとは言え、人生を賭してやらなければならない事が有りますから。私はその為に産まれたのでしょう」
「……そうですか。残念です」
ユキ先生は寂しそうに女神への祈りのポーズを取った。
かつての教え子は、もう完全に自分の道を歩き出している。
なら、神学校への復学を望むのは彼女の為にならないのではないだろうか。
この話は、もう出さない方が良いだろう。
それが教師としての最後の指導だと信じて。
だが、彼女が復学を望めば大歓迎しよう。




