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イヤナとセレバーナは、子供の様な体格のユゴント族の一団に見守られながら遺跡のリビングにソックリな部屋に入った。
部屋の様子を一瞥した黒髪少女は「ファンガーマテリアルか」と呟いた。
それに頷いたイヤナは、ひっくり返った円卓を指差す。
「あれが『女神の慈悲』だよ」
「ふむ。これが女神の遺物なら、触ると同時に知識が流れ込んで来る可能性が有るが……どうなんだろうな」
刺さっている剣に顔を近付けつつ、円卓の周囲を歩いて観察するセレバーナ。
ツインテールを解いているので、前屈みになると妙に量が多い黒髪がもっさりと前に垂れる。
「もしそうなら私にも持つ資格が有ると思うのだが、話を聞く限りでは違うかも知れないな」
「どうして?」
「昔の巫女がこれを使っていたと言う話だったからだ。女神から使用を許可されていた物なら、ただの勇者装備だろう」
「ドワーフの先祖が作った、って話だったよ。そうですよね?ドドコさん」
部屋の入り口で立ち止まっている巫女が頷く。
「はい。女神に制作を頼まれた我々の先祖が、女神の力を込めて作った剣だと伝わっています」
「女神の力が籠っているのなら女神の遺物である可能性も有るが、ううむ……」
セレバーナは数秒考えてから振り向く。
「巫女様。持つ資格が無い者がこの剣を触ったらどうなりますか?」
「神聖な物なので、歴代の巫女以外で触れた者は居ません。女神の雫を持っていない私が抜こうとしてみましたが、それは叶いませんでした」
「抜けなかっただけですか?天罰の様な物は有りませんでしたか?」
「何も起こりませんでした」
「もうひとつ質問を。過去の巫女様が円卓をひっくり返してここに刺したんですか?」
「えんたくとは?初めて聞く言葉です。地上の物でしょうか」
「ふむ……」
腕を組んだセレバーナは、何を訊いたら良いか考える。
「この部屋は、始めからこの状態だったんですか?」
「『女神の慈悲』制作以前の歴史はほとんど残っていません。ですので、この部屋が作られた当時の記録は残っていません」
「なぜ歴史が残っていないんでしょう」
「恥ずかしながら、わが国には歴史を文字に残す文化が無いのです。不作の年と歴代の巫女の名前を巫女の間の壁に彫る程度です」
「過去の記録は無い、と」
「昔話程度なら、多少は残っています。他国と交流が有った頃は、穴を掘り進めて地下資源を生成し、数多くの国に輸出していたと伝わっています」
「他国と交流が有ったのなら、この国は最初は地上に有ったんでしょうか」
「サムサロは地下でしか育ちませんから、それは無いと思います」
「なら、当時は地上への通路が有ったと言う事でしょうか」
「恐らくそうでしょう」
「なぜ国交を断絶してその存在を隠したのでしょうか」
「王国が他国を吸収するための戦争を始めたからでしょう。地上への道を物理的に塞げば魔物の脅威も無くなりますし」
顔を見合わせるイヤナとセレバーナ。
そしてテレパシーで会話する。
『多分、ファンガーマテリアルはストーンマテリアル以外の女神に倒され、『辻褄合わせ』によって歴史が改変されているな』
『と言うか、無かった事になってるかも。魔法ギルド長さんに見せられた女神の時代の事は、剣以外は何も伝わっていないみたいだから』
『それが正解だとすると、この剣は勇者装備だな。女神の遺物ではない』
『どうして?』
『この剣は彼らが作った鉄製品だ。つまり、力の源はアイアンマテリアルだ。ファンガーマテリアルではない。女神の遺物なら勝った女神の物になっているはずだ』
『勝った女神の武器が負けた女神の部屋に残っている訳が無いんだね。――『辻褄合わせ』で変化しても記憶は残ってるのかな。女神の視点なら残ってそうだけど』
『分からん。この剣に記憶が残っていれば良いのだが』
『そう言えば、お師匠様達以外の勇者が使っていた装備はどこに行ったんだろ』
『言われてみれば、話を聞かないな。シャーフーチ達以外はドラゴンを殺せないと言っていたから、勇者装備は『辻褄合わせ』で消えている可能性も有るな』
『後でお師匠様に窺ってみよっか。でもそうなると、なんでこれは残ってるんだろう』
『国が地下に有って『辻褄合わせ』の影響が薄かったせいか、それとも、あえて残されたのか』
『あえて?』
『魔法ギルド長が過去の映像を持っていた様に、何者かが未来の誰かに何らかの情報を残したかった、とか』
『なら、その何らかの情報がこれに残ってるのかな。ってなると、記憶の中に有ったのは、やっぱりこの剣だよねぇ』
ドドコは無言で見詰め合っている少女達を不審に思い、眉を顰めた。
その空気を感じ取ったセレバーナが無表情で巫女に向き直る。
「私は『女神の雫』を持っていませんが、この剣に触らなければならない事情が有ります。触っても宜しいでしょうか」
「外の者を頼ると決めた時に、外の人間なら巫女以外の者でも触れても良い事になりましたので、触る程度なら構いませんよ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
視線を合せて頷き合ったイヤナとセレバーナは、ひっくり返っている円卓の前に立った。
肩に掛かった黒髪を手で払って背中にやったセレバーナは毛糸の手袋を外す。
ここは温かくて息が白くはならないが、それでも少しは寒い。
だから外す機会が来るまで嵌めっ放しにしていた。
「カードの時と同じく、二人同時に持ってみようか。――ああ、しまった。ちょっと待った」
「うん?どうしたの?セレバーナ」
コートのポケットに手袋を押し込んでいるセレバーナは、剣を顎で指す。
「あの女性を切ってくれとお願いされているから、気絶したら迷惑になる。今はまだこれから記憶を引き出さない様にしようか」
「あ、そうだね。でも、あの時みたいに勝手に流れ込んで来たら?」
「そうなる方が確率は高いが、一応は抵抗してみよう。――巫女様。お願いと質問が有りますが、宜しいですか?」
「何でしょう」
「まずはお願いです。私達がこの剣に触れると、その瞬間に気絶するかも知れません。ですので、信用出来る女性にフォローして頂きたいのです」
「気絶……ですか?それは天罰ですか?」
「いえ、違います。なぜそうなるかの説明は、我々の独断では出来ません。上の者の許可が必要です」
セレバーナの言葉を脳内で噛み砕く巫女。
「つまり、セレバーナさん達は気絶する事を知っていて、その理由も知っておられるが、なぜそうなるかを外部の者に漏らす事は出来ない、と?」
「はい。それは女神の意思に関係する世界の一大事ですので、勝手な判断は絶対にしてはならないんです」
「お二人も重大な使命をお持ちの様ですね。この地にお越しになられた理由もそこに?」
「その通りです。そして、質問です。もしも気絶した場合、明日の朝まで目覚めないでしょう。目覚めても、数時間は立ち直る時間が必要です」
「あ、そうだった。そうなったら夕方まで私は動けなくなるんですけど、クリッコさんはそれまで待てますか?」
そこに気付いたイヤナが巫女に向き直る。
膨大な知識が脳に流れ込んで来ると、目が覚めていても夢を見ている様な感覚に陥る。
見た事の無い場所で聞いた事の無い遊びをしている夢を見ている様な、そんな感覚。
体験した事の無い他人の記憶が脳に焼き付けられるからそうなるのだろう。
知識の整理が得意なセレバーナはすぐに立ち直れるのだが、平凡な農民であるイヤナは混乱が長引く。
『女神の慈悲』を使ってくれとお願いされているのはイヤナ。
セレバーナが早く立ち直っても意味が無い。
「彼女の命は、明日明後日に差し迫っている、と言う訳ではありませんのでご安心ください。では、気絶のフォローをすれば宜しいのですね?」
「お願いします。季節は冬なので、風邪を引いてしまいそうなのが心配で。勿論、気絶しない様に気を付けますが」
「実は、セレバーナは心臓に病気を持っているんです。ですから、なるべく温かくして貰えれば」
「分かりました。準備をさせますので、少々お待ち下さい」
一礼したドドコは、後ろで控えていた髭面の男達に指示を出した。
心配そうに様子を窺っていた男達は、突然仕事を振られて右往左往した。