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「『女神の慈悲』は、斬った相手に苦痛を与えないと伝えられています」
高貴そうな刺繍が施されたローブを着たドドコがクリッコの枕元で正座した。
下は土だが、ローブが汚れるのも気にしていない。
「過去の巫女は、『女神の慈悲』を使って肥料病に罹った者に痛みや苦しみを与えずに殺して来ました。しかし、私にはその力が無い」
ドドコは悔しそうに歯軋りする。
「もしかすると、私達は女神の慈悲を受けるに値しない一族なのかも知れません。ですが、もしも許されるのなら、この者の苦しみを――」
「どうして私が『女神の雫』を持ってるの?私はここの人達とは何の関係も無いのに」
自分の掌を見ていたイヤナが巫女の言葉を遮る。
「それは――分かりません。女神の御心は、地を這う私達には与り知らぬ事」
「巫女様」
少し離れて立っていた若者が焦っている様な声を出した。
それに頷いた後、話を仕切り直す巫女。
「イヤナさん。本来なら余所者にこんなお願いはしません。例え女神の滴の持ち主だとしても、一族の命を外の人には任せません」
ドドコはゆっくりと草の掛け布団を剥がした。
「ですが、イヤナさんにお願いしなければならない事情が有るんです。ご覧ください、彼女のお腹を」
白い寝巻きを纏っているので胴体は見えないが、両手両足が緑色になっているので、もう全身が苔化している様だ。
そんなクリッコの腹部が不自然に膨らんでいる。
「……妊婦」
表情を歪め、呟くイヤナ。
「はい。案内をお願いした彼は夫です。彼は妻の死を受け入れてはいますが、お腹の子の生存を望んでいます」
布団を掛け直す巫女。
「つまり、彼の願いは帝王切開です」
「……命があと僅か、なんですね」
察したイヤナは、憐みの目で言う。
身体を苔化させている妊婦は、数日以内に亡くなってしまうのだろう。
「イヤナさんへのお願いは、女神の慈悲を使い、苦痛無く彼女の首を落として貰いたいのです。出来れば、帝王切開も行ってください」
立ち上がった巫女はイヤナの目前に立ち、見上げる。
若い男は巫女に視線を向けて驚いた顔している。
だが、今はその表情に気を向けている余裕は無い。
「あの剣でお腹を割き、赤ちゃんを取り出せと?私にそれをしろって言うんですか?」
さすがのイヤナでも、遠慮したい気持ちが態度に出ていた。
自分が産婆みたいなマネをする日が来るとは夢にも思っていなかった。
「まだ八ヶ月なので危険なのですが、実行出来るのは今しか有りません」
壁代わりになっている布に視線を向ける巫女。
そちらの方向には畑の入り口が有る。
「保守派の人達は、赤子も切ってくれと願っています。赤子を救って肥料が不完全になる事を恐れて」
「そっか……。薬草がダメになると食べ物が無くなるから……」
イヤナは納得する。
飢えは本当に苦しい。
その苦しみに耐えられず、人が人を喰らうと言う惨劇も普通に起こる。
最悪の事態を一人の人柱で回避出来るのなら、赤ちゃんだろうがなんだろうが殺してしまえるのが人間だ。
それはとても良く理解出来るが、自分はそんな事をしたくない。
「私は赤子諸共彼女を切ってくれとお願いする立場に居ます。巫女は一族を護る義務がありますから」
改めてイヤナを見上げる巫女。
「ですが、もしもイヤナさんが赤子を救ってしまったのなら、私は赤子を護らなければなりません。産まれてしまえば、その子も一族の一人ですから」
話を聞いていた若者が感動した面持ちで跪く。
「そんなお考えだったとは……。巫女様のお心を知らず、俺はなんて失礼な事を……」
むせび泣く若者。
最初、若者は巫女に反抗的な態度を取っていた。
赤ちゃんの命を巡って巫女と対立していた、と想像すれば、あんな態度になるのも分かる。
その誤解が今解けた、と言った感じか。
「クリッコの命の灯火が尽きる寸前で、ギリギリの瀬戸際でイヤナさんに出会えた奇跡は、きっと女神のお導きでしょう」
姿勢を正した巫女は、腰を深く折り曲げて頭を下げた。
「勝手な言い草で申し訳ありませんが、このお願い、引き受けてくださいませんでしょうか」
「お願いします!」
若者も深く頭を下げた。
巫女から若者、そして顔半分が苔に覆われている女性に視線を移すイヤナ。
真顔で歯軋りした後、いつもの笑顔に戻る。
「えっと。クリッコさん」
苔が生えた女性が口を動かした。
返事をした様だが、声が出ていない。
「貴女はそれで良いんですか?」
頷く女性。
そして口を動かす。
風音みたいな声しか出ていないので、イヤナは唇を読む。
「赤ちゃんを助けてください、か……」
笑顔に影を落とすイヤナの後ろで若者が涙を堪えて鼻を啜った。
そして、こう言った。
「本来なら、妊婦は実を食べないんです」
「じゃ、なんで食べたの?」
イヤナが咎める様に訊くと、若者は苦しそうに応えた。
「クリッコは体が弱くて、具合が悪かったんです。実は栄養満点だから、お腹の子にも良いと……。まさか、まさか当たりを引くとは思わなかったんです……」
その言葉を聞いたイヤナは、無言で成り行きを見守っていたセレバーナを見た。
もしも彼女の心臓を良くする薬が有ったら、低確率で命を脅かす毒になるとしても、飲んで欲しいと願うかも知れない。
二人で相談した結果、セレバーナも賭けに出て、運悪く毒を引いてしまったら。
イヤナは自害も覚悟するくらい自分を責めるかも知れない。
「……分かりました。引き受けます」
クリッコさんの血を引く子供が助かったら、彼も少しは救われるか。
意を決したイヤナは真面目な表情を若者に向ける。
「これから剣を取りに行きます。お二人は最後の時間を過ごしてください。後悔が残らない様に」