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「あそこには一人の病人が居ます。他人にうつる病気ではないので、近付いても心配はありません」
巫女はある方向を指差す。
そこには背の低い屋根が有った。
やはりキノコ柄だった。
何も知らなければ農機具小屋か井戸小屋だと思っただろう。
「しかし、トラウマになるレベルの光景がそこに有ります。心をしっかりと持ち、真っ直ぐご覧になってください。これが我々の現状です」
小屋の前で立ち止まった巫女は、深刻な表情になって外からの客人を見上げた。
それに頷くセレバーナとイヤナ。
何やら凄い物が待っている様だが、ここまで来ておいて怖いから見たくないとは言えない。
女神の剣の事も有るし、薬草の花についての詳細も訊きたいから、今は彼女に従った方が得だろう。
「では、ガット」
巫女に応え、先行して小屋の中に入って行く髭面の若者。
小屋には全体的に布が掛けられていて、中が見えない様になっている。
誰かが動くと布全体が風に揺れるので、四面全てに壁が無い構造の様だ。
「クリッコ。女神の滴を持ったお方が現れた」
若者の声に誰かが返事をした様だが、声が小さ過ぎて聞き取れない。
それからも二言三言会話し、そして男が小屋から出て来た。
「どうぞ」
布を上げ、中を示す若者。
それを受けた巫女は、イヤナとセレバーナを順に見る。
「改めて言います。中には病人の女性が居ます。彼女は我が一族特有の病気に掛かっていて、かなりショッキングな姿に変貌しています」
「私は、道端で餓死して放置された結果、腐って形が崩れた死体を何度も見た事が有ります。だから、生きているのならどんな姿でも大丈夫です。でも……」
イヤナは心配そうにセレバーナを見る。
妙に量が多い黒髪をツインテールにしていないので、普段より小さく見える。
「セレバーナはどう?お願いされたのは私だから、私だけ中に入っても良いけど」
「穂波恵吾の知識を二人で得たのだから、二人の知識に差が有ったら困る。だからこうして二人一緒に行動している。そうだろう?」
赤髪少女を見上げ、薄く笑むセレバーナ。
「イヤナと一緒なら、きっと大丈夫だ。だが、もしも気絶したらフォローを頼む」
「分かった」
「では、中に」
巫女を先頭に小屋の中に入る。
中は掘り炬燵の様な穴になっていて、その中心に草で編まれた布団が敷いてあった。
「彼女の名は、クリッコです」
「これは……」
何が有っても平気でいる自信が有ったイヤナだったが、想像を絶する光景に怯んでしまった。
セレバーナも眉間に皺を寄せて絶句している。
緑色の敷布団の上で仰向けになっている子供の様な体格の女性は、その顔の半分が緑の苔に覆われていた。
それだけでもショッキングなのに、その部分が微妙に崩れている。
「これが、肥料病です」
ドドコが重々しく言う。
「ひりょう?ひりょうって、畑に撒く、あの肥料?」
農業に詳しいイヤナが訊く。
「そうです。その肥料です」
説明を始める巫女。
この病気は、数年に一度の割合で、ただ一人が発病する。
なぜ発病するかは分かっている。
サムサロの元気が無くなると決まって発病するからだ。
「この病気に掛かった死体を畑に埋めると、全てのサムサロの元気が蘇ります。だから彼女はここで寝かされているんです。すぐに埋められる様にと」
「だから、肥料病、ですか」
淡々と言うドドコに顔を向けていたイヤナは、苔が生えた女性に視線を移す。
左目は苔に覆われていて形が崩れているが、その右目は真っ直ぐイヤナを見詰めていた。
「……もしや、元気の無くなった草を食べると、この病気に掛かるのですか?」
セレバーナは、失礼だと思いつつも口元をマフラーで覆った。
他人にうつる病気ではないと言われたが、微かに漂う青臭さで空気感染しそうだからどうにも落ち着かない。
「違います。感染ルートも判明しています。それは、実です」
「実?」
二人の少女は同時に訊き返す。
「このサムサロは、元気が無くなる前兆として、一斉に実を付けるんです。それはサムサロの不作を補えるほど栄養満点で、食糧不足でも冬を越せるのです」
これくらいの大きさです、と言って両手で輪を作る巫女。
成人男性の拳くらいの大きさだった。
ドワーフ達くらいの体格なら一食分くらいにはなりそうだ。
小食のセレバーナも一食分くらいだが、イヤナくらいの体格になると少々物足りないか。
「それを食べると、誰か一人が、必ずこうなります」
クリッコを見下ろすドドコ。
瞬きをしているクリッコは、視線だけを動かして会話を聞いている。
「じゃ、それを食べなければ良いんじゃ?」
イヤナが言う。
当然の発想だ。
だが、巫女は静かに目を閉じた。
「大昔、そう考えた当時の巫女が、一度だけ実を食べる事を禁じました。結果、病気に掛かる者は出なかった」
「でも、サムサロが取れなくなった。ですね?」
セレバーナは、珍しく思い詰めた顔になっている。
薬草の育成を促進させる肥料が無いのなら当たり前の結果だ。
「はい。その年は人口が半分以下にまで減ったと伝えられています」
「実を食べないと言う選択は無い、と言う事ですね」
静かに溜息を吐くセレバーナ。
嫌な気分になる話だ。
「はい。実自体はとても美味しく、滋養に富みます。一人の犠牲で一族全体が守られるなら仕方が無いと皆が割り切っています」
「人柱が必要、と言う事ですか。それが嫌なら、ここを捨てて外に出るしかない訳ですね。しかしそれは失敗した」
「その通りです。サムサロが育たない土地に行っても意味が有りません。サムサロと歌詩魔法はわが一族の命ですから失ってはいけないんです」
目を開け、赤髪少女に向き直る巫女。
「そして、ここからがイヤナさんへのお願いになります。神殿の奥に祭られていた剣が有りましたでしょう?」
「うん。――それが女神の剣、だと思う」
巫女に頷いてから、セレバーナに言うイヤナ。
無言で頷くセレバーナ。
「あの剣の名前は『女神の慈悲』。その剣を持てるのは『女神の雫』を持つ者のみ」
巫女は語る。
女神の雫とは、代々の巫女が持つ奇跡の力。
その手で耕された畑で育つサムサロは、とても育ちが良い。
その力が有れば、サムサロの不作は滅多に起こらない。
しかし、ここ数代はそれを失っている。
現職の巫女である自分にも無い。
だから歌詩魔法によって女神の雫を持つ者を探していた。
それに初めて引っ掛かったのがイヤナだった。
「ふむ。それが事実だとすれば、イヤナの潜在能力は『緑の手』ではなく『女神の雫』と言う事になるのか」
腕を組むセレバーナ。
「巫女様。我々は修行の地で家庭菜園を作りました。そこでイヤナが世話をした野菜はとても良く育っていました。今の話と一致します」
「やはり。なら、イヤナさんはあの剣を持てると思います」
そう言われたイヤナは自身の掌を見詰める。
若い女性らしくない、土と家事で荒れた手。
「『女神の雫』、ねぇ。それで、あの剣を持てるとどうなるんですか?」
「『女神の慈悲』を使い、クリッコを殺して貰いたいのです」
「……!」
イヤナは目を見開き、セレバーナは眉を顰めた。




