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「死ぬ訳じゃないんですよね?私達が居なくなったら世界が危ない訳ですし」
穂波恵吾の知識を受け入れる覚悟を持って頷いたイヤナだったが、やはり未知の行動には不安が有る。
だから救いを求める様に訊いてみたのだが、シャーフーチは首を横に振る。
「分かりません。そもそも穂波恵吾は神ではありません。異世界人ですが、ただの人です。女神の事を知っている可能性が有るだけです」
「過去の映像の中では、その様な要素は有りませんでしたが」
小食のセレバーナは、もうお腹一杯になっている。
ドーナツは沢山残っているのでもっと食べたいのだが。
「このカードは女神が産み出した物です。女神の痕跡がゼロと言う理屈は無いでしょう」
「それも可能性の話ですか」
腕を組むセレバーナ。
「そうです。全てが不確定なので、死なない保証も無いのです。他人の知識を自分に取り込む訳ですからね。頭がパンクする可能性もゼロではない」
灰色ローブの男は赤髪少女に顔を向ける。
「以前、イヤナはその一歩手前まで行った事が有るので分かるでしょう?自分が自分でなくなる可能性も有るんです」
テレパシーの修行中、ちょっと気を抜いたせいでイヤナと赤の他人の知識が混ざりそうになった事が有る。
シャーフーチが弟子を叱り、罰を与えたのはその件のみ。
本当に危なかったのだ。
その時と同じレベルの危険度が有ると言う事か。
「そもそも、人間が女神になると言う荒唐無稽な事を成そうとしているのです。多少の無茶は覚悟しています」
水筒を手に取ったセレバーナは、自分のカップにプーアル茶のお代わりを注いだ。
「分かりました。では、満腹になったら儀式を始めましょう。何が有っても良い様にベッドの上で行います。どちらの部屋でします?」
まだドーナツを食べているイヤナがある方向を指差した。
「ペルルドールのベッドを借りましょう。実は、こっそり使ってたんですよね。お姫様のベッドってどんなのかなぁって思って」
「ああ、そうですね。アレなら大きいので二人一緒でも大丈夫でしょう。じゃ、思う存分ドーナツを食べてください。私はもう結構ですので」
「私はもう満腹です」
断った後、ゆっくりとお茶を飲むセレバーナ。
何かを口に付けていれば、イヤナが一人で食事を続けても気まずくはないだろう。
「私はもっと食べられますけど、一気に食べると勿体無いのでこれくらいにしておきます。残りはまた後で楽しみます」
寒くなって来たので日持ちするでしょうし、と言ってドーナツの紙箱に蓋をするイヤナ。
セレバーナが気を使った様に、イヤナも気を使った様だ。
これはつまり、二人で同じ量を食べたい、と言う事だろう。
セレバーナは三個しか食べていないのに、イヤナが五個も六個も食べたら不公平だから。
「では、ペルルドールの寝室に移動しますか」
少女達の仲良しっぷりに笑みを零しながら立ち上がるシャーフーチ。
外出出来ない二人暮らしのストレスでケンカしたりするかも、とテイタートットは心配していたが、そんな様子は見られない。
「気絶する可能性が有るのなら、ちょっと準備をして来ます。すぐ戻って来ます。イヤナもペルルドールの服を借りて暖かくした方が良い」
「あ、そうだね。風邪を引いても薬を買えないもんね。じゃ、ちょっと失礼します」
「はいはい。ペルルドールの寝室前で待ってますよ」
二人の少女がリビングから出て行ったのを見送ったシャーフーチは、円卓の中心に置かれている穂波恵吾のカードに手を翳した。
直接触れるとカードに込められている知識が消えてしまう可能性が有る為、魔法によって浮かせて運ぶ。
「お待たせしました」
石造りの廊下で立っていると、厚着をした二人が戻って来た。
と言っても、二人共見た目は大して変わっていない。
神学校の制服のままのセレバーナはタイツを重ね着し、毛糸のマフラーを巻いている。
イヤナはビロードのマントを前後逆に羽織っていて、仰向けに寝る事を想定している。
王家の紋章がデカデカと刺繍されているので常人の感覚なら着れないが、平気な顔をしているのはさすがイヤナと言ったところか。
「では、並んで横になってください」
ドアを開けたシャーフーチに言われるまま、靴を脱いでベッドに上がるイヤナとセレバーナ。
ペルルドールが使っていた石作りの寝室の殆どを占める天蓋付きのベッドは、二人で寝ても随分な余裕が有る。
「寝転がる二人の少女を眺めている男性と言うのは奇妙な図ですね。こんな事を言うのは久しぶりですが、これはセクハラですか?」
ツインテールを解かずに横になっているセレバーナは、天蓋の裏に描かれている月と星座の絵を見ながら軽口を叩いた。
たまに使っているとイヤナが言った通り、そんな所までも掃除が行き届いている。
「そんな事を言われるのも久しぶりですが、勿論違います。――さて。二人の手の上に穂波恵吾のカードを置きますから、良い具合に手を結んでください」
「はい」
イヤナの右手とセレバーナの左手がくっ付き、重ならない様に指が絡む。
その上にシャーフーチの魔力に包まれた穂波恵吾のカードが降りて行く。
「さぁ、乗せますよ」
「!」
そのカードが二人の手に触れた途端、二人の身体が跳ねた。
目を見開き、細かく痙攣する少女達。
大丈夫なのかと穂波恵吾のカードを見てみると、真っ白になっていた。
先程までは若者の絵が描かれていたのに。
「あ、あ……」
茫然としているイヤナとは対照的に、セレバーナは口に笑みを湛えている。
「そうか。そうだったのか。この世界はこんなにも不完全だったのか。そして、機械は万能だ。魔法を越えている。いや、機械が進歩すると魔法になるのか」
二人共、完全に自分の脳内世界に没頭している。
数秒後、二人は同時に気絶した。
イヤナは目を開けたまま涙を流して気を失っている。
穂波恵吾の知識を得る事には成功した様だが、上手く行ったかどうかは分からない。
「心配ですが、ドラゴンの世話が有るので一旦帰りますね。夜、夕飯を持ってまた来ます」
顔を撫でる様にして赤髪少女の瞼を閉じたシャーフーチは、無地になったカードを二人から離した後、二人に毛布を掛けてあげた。
掛け布団もベッドと同じく大きかったので、このまま放置しても体調を崩す事は無いだろう。




