26
全速力で廊下を駆け抜けたセレバーナは、ドアに肩をぶつけながら自室に飛び込んだ。
「うおぉ……本気で辛いぞ、これは……」
胸を抑え、その場に崩れ落ちる。
傷口が痛いのではない。
心が痛い。
今ここで心臓の発作が起こったら、何の抵抗も出来ずに逝ってしまいそうだ。
「ふぅ~……。ここで死んだら犬死にだ。平常心、だ……」
土下座の様な姿勢のまま深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。
初等部時代に居た、癇癪持ちで嫌われていた男の子の行動を自分なりにアレンジして真似たのだが、あの子は何故こんな事をしていたのか。
本気で彼に訊きたい。
どう言う目的で、どう言う意図でこんな物言いをしていたのかと。
「セレバーナ」
閉まったドアの向こうでイヤナの声。
心臓が止まるかと思うほど驚いた。
追い掛けて来たのか?
「……セレバーナ。あのね」
返事をしないセレバーナ。
しないのではなく、出来ない。
何を言われるのか分からない事が本当に恐ろしい。
石の床にへたり込んだまま『何も言わずに立ち去ってくれ』と祈るセレバーナ。
思考が混乱して動けなくなるのなんて、父親が自分を殺そうとしていたとユキ先生に聞かされた時以来だ。
「実は私、月織玉が完成したの」
「な……」
セレバーナは金の瞳を見開く。
だが全神経が聴覚に行っていて何も視界に入らない。
「これからお師匠様に見て頂くの。それが済んだらセレバーナにも見て貰いたいんだ。出来たら、で良いんだけどね。……じゃ」
イヤナが履いている木靴の足音が遠ざかって行く。
もしかして、これは詰みじゃないのか?
魔法ギルドに行き、千本枝の魔法樹の試練の詳細を知ったら、セレバーナがなぜ不機嫌なのかの理由を察するだろう。
イヤナは学校に行けなかったせいで農作業以外の知識が無く、少々頭の回転は遅いが、決して頭は悪くない。
絶対に気付く。
事情を知ったら絶対にセレバーナを嫌わない。
「まずいぞ……」
産まれ立ての小鹿の様に膝を笑わせながら立ち上がったセレバーナは、机に置いてある木箱に鼻を近付ける。
「……腐臭は無い。まだ大丈夫」
だが、イヤナが魔法ギルドに行ったら終わる。
もう少しで条件クリアなのに。
今までの苦労が無駄になる――のか?
分からない。
不安で不安で息が苦しい。
居ても立っても居られないので、イヤナの部屋の前まで行ってみた。
すると中から男性の話し声が聞こえて来た。
もうシャーフーチが来ているのか。
ドアを開けようとノブに手を伸ばしたところで思い留まる。
さすがにこれは邪魔をしてはいけない。
自分の試練は大事だが、イヤナの試練も大切だ。
彼女は彼女、私は私なのだ。
これでダメなら、それは自分の運命なのだ。
それに、もしもダメになったとしても、この苦しみからは解放される。
悪い事ではない。
ドアから離れたセレバーナは、対面の壁に背凭れる。
秋も終わり掛けていて涼しいのに汗が止まらない。
本当に死にそうだ。
まぁ、中の二人が転移したら、腹を括って部屋に戻るか。
そう思ってしばらく待ってみても、話し声が途切れない。
明らかに自分の時より時間を食っている。
「では、安定するまでは無暗に質問をしない様に。しかし全くしないのも問題が有るので、その辺りの加減は自分の感覚で調整してください」
ドアを開け、シャーフーチが出て来た。
その後ろにはイヤナが立っている。
「おや、セレバーナ。どうしました?」
額に脂汗を浮かべている背の低い黒髪少女を見下ろす師。
「イヤナは魔法ギルドに行かないんですか?枝取りは……?」
その言葉だけで察したシャーフーチは、ニッコリと笑んで頷いた。
「イヤナは枝取りが必要ではない魔法使いになる様です。実際に見れば分かりますよ。――イヤナ、見せてあげなさい」
「はい」
師に促されたおさげの赤髪少女がセレバーナの目の前まで来る。
その肩に身長十センチ程の妖精が座っていた。
イヤナのハンカチを胴に巻いている。
「これが私の月織玉よ。私も、まさかこんな事になるとは思っていなかったけど」
妖精の背にはトンボの羽根の様な物が生えており、それを使って空を飛んだ。
イヤナ、セレバーナ、シャーフーチの三人は、空を飛ぶ妖精を目で追う。
「これは、一体……?」
茫然としているセレバーナに応えるシャーフーチ。
「これは『使い魔』です。月織玉はイヤナの望みに応え、この様な姿となりました。使い魔はこれが完成形なので、魔法ギルドに行く必要はありません」
「そう……なんですか」
安心の吐息を洩らしたセレバーナは、額に張り付いた前髪を手で払う。
まだ終わりじゃなかった。
良かった。
「見に来てくれてありがとう、セレバーナ。もしかしたら怒られるかも知れないけど、紹介するね」
イヤナは右手を肩の高さまで上げた。
その手に妖精が止まる。
まるで長年飼っている手乗り文鳥の様に息が合っている。
「まだ名付けの儀式が終わってないから、名前はまだないんだけどね。でも良く見てみて。誰かに似てると思わない?」
妖精が乗っている右手をセレバーナの方に差し出して来るイヤナ。
小さな妖精は、黒くて量の多い長髪を背に垂らしていた。
瞳は輝く金色。
「これは……私か?私に似てるのか?」
「そう。ツインテールにしたら、そのまんまセレバーナでしょ?何でこんな事になったのかをお師匠様に伺ったんだけど」
シャーフーチを見上げたら、無言で頷かれた。
なので自分で話すイヤナ。
「私、月織玉を貰う時にセレバーナを賢者の泉に例えたでしょ?そのままそれが欲しいと言う願いを込めたからこうなっちゃったみたい」
イヤナは照れ臭そうにエヘヘと笑う。
「セレバーナは人間なのにね。ごめんね」
「なるほど……そう言う事か」
セレバーナは、月織玉を道具として使おうとした。
だから杖になった。
イヤナは、月織玉に協力を求めた。
だから使い魔になった。
「私、本当にセレバーナに頼り切りだったんだね。セレバーナが怒るのも仕方ないよ。でも、月織玉がこうなっちゃったら、もうやり直せないみたい」
もう一度「ごめんね」と笑顔で言うイヤナ。
その顔を見たセレバーナは、唐突に緊張の糸が切れた。
知らず笑みが零れる。
「フ、フフフ……」
あんなに酷い事をしてしまったのに、暴言を吐いたのに、イヤナは笑顔で謝るのか。
嫌わないのか。
ここまで来たら、もう条件クリアは無理かも知れない。
だから、全てを諦める覚悟をする。
後の仲直りも考慮していたが、それも捨てよう。
こんな条件を出されたと言う事は、私は孤独に生きた方が良いと魔法樹が判断したのかも知れない。
心臓の手術を行う前、私には悪い病気が有る事を自覚した。
心臓ではなく、心の病気。
神学校時代は他人を信用せず、マイペースに生きていた。
だが、一人前になって社会に出るつもりならそれではいけない。
他人と向き合い、人の輪の中で生きなければならない。
だからなるべく人付き合いを重視しよう。
そう改心したつもりだったのだが、それは間違いだと言いたいのか。
セレバーナはセレバーナらしく、マイペースに生きた方が良いのか。
もう何が正解で何が間違いか分からない。
「私はな、イヤナ。この金色の瞳が自慢なんだ。母から受け継いだ綺麗な瞳が本当に大切だから、視力が落ちない様に気を付け、明るい場所で本を読むのだ」
突然笑ったセレバーナは、なぜか自分語りを始めた。
イヤナは疑問に思いながらも耳を向ける。
「ん?うん」
「なので、私の瞳が私の子以外の者に受け継がれるのは許せない。もしもその使い魔をそのままイヤナの物にするのなら、私は――」
セレバーナは、思いっ切り不吉な三白眼を大切な仲間に向ける。
「私は、その使い魔を殺さなくてはならない」
「な、何言ってるの……?」
さすがのイヤナからも笑顔が消え、セレバーナから一歩離れる。
「私の大切な宝物は、私だけの物だ。誰にもやらない」
口の端を上げながら制服のポケットに手を入れたセレバーナは、果物ナイフの様な刃物を取り出した。
刀身が反射する銀の光がイヤナの目を襲う。
「う、嘘でしょ?」
「本気だ。それを見逃すと死んだ母に申し訳が立たないからな。さぁ、その使い魔をこちらに――」
「え?ええ?や、やだぁ!」
イヤナは、怯えた表情で逃げて行った。
そのまま凄い速さで遺跡の外まで走って行く。
それを見送ったセレバーナは、持っている刃物をシャーフーチに向ける。
「ただのペーパーナイフですよ。退院後、王都土産を選んでいた時に買った物です。私の腕力では飛んでいる妖精を殺す事は出来ないでしょう」
リブングの方でサコとペルルドールの声がして、その二人が玄関から出て行った。
異変に驚き、イヤナを追って行ったか。
セレバーナの方に誰も来なかったのは嫌われているからだろう。
「ここまでやったのに杖が腐ったら、それはもうキッパリと諦めますよ。私はやれるだけやりました」
ペーパーナイフをポケットに戻したセレバーナは、深く長い溜息を吐く。
シャーフーチは、開けっ放しだったイヤナの部屋のドアを静かに閉めた。
「そうですね。見事な演技でしたよ。……これからどうします?」
「私は部屋に籠っている事にしてください。王都に転移して、少し気分を晴らします。このワガママを許してくださいますか?」
黒髪少女が涙を我慢している事を察したシャーフーチは、その小さな頭を撫でた。
「大手術を受けたり、こんな事になったり、貴女は色々と大変ですね。杖作りが成功したら、マジックアイテムをひとつプレゼントしますよ」
「同情は要りません。でも、貰える物は貰います。――では失礼して。行って来ます」
俯いたまま会釈をしたセレバーナは、肩を落としたまま自室に戻った。
そして財布を内ポケットに仕舞い、転移部屋から王都へと転移した。
何も考えずに身体に悪い甘味料を腹いっぱい食べてやる。




