18
リビングの入り口を塞ぐカーテンはそのまま残っていた。
それを捲ると、パンが焼ける良い匂いが鼻を擽った。
間も無く朝食になるだろうから、それまでヒマを潰すか。
部屋の隅に追い遣られたままの籐製の椅子に座ったペルルドールは、静かに一息吐く。
朝から疲れてしまった。
一人で着替えると言う事がこんなに大変だったとは。
「はぁ……。ん?」
リビングの木窓が開いており、その窓枠に緑色の小鳥が停まった。
ペルルドールは、その可愛さに目を細める。
ピチュピチュと囀った小鳥は、人の視線を嫌がったのか、すぐに飛び去って行った。
「あ……」
立ち上がり、小鳥を追って窓枠に手を掛ける。
すると、綺麗に整えられた植え木の垣根の向こうで行われているキャンプが目に入った。
騎士が門番をし、コックが朝食を作っている。
向こうもそろそろ朝食の時間なのか、大勢の人が小声で雑談している。
そう言えば、シャーフーチに彼等を追い返せと言われていたんだった。
当分は王宮に帰れないだろうから、確かに彼等は必要無い。
「――爺」
門の外からこちらを見ていた老紳士と目が合った。
そんな彼に頷いて見せたペルルドールは、赤いドレスを翻して玄関に向かう。
丁度玄関に着いたタイミングで、老紳士が玄関ドアを開けた。
「爺。すぐに帰りなさい。爺が居ると」
ペルルドールは目を伏せて俯く。
「――頼りたくなるから。わたくしはそれを望みません」
「畏まりました」
老紳士は、反論せずに深く頭を下げた。
ぺルルドールは顔を上げ、老紳士の仕草を観察する。
「主には絶対服従。決して反論しない。爺は、わたくしに対して、今までずっとそうしてくださいましたよね」
「はい」
「これからは、わたくしも師に対してその姿勢でいなければなりません。そうする為の心構えを教えて」
「は……」
ついこの間まで幼い子供だった姫が、自らこんな事を言うとは。
立派になられた。
老紳士は涙を堪え、凛として応える。
「では、ひとつだけ。『初心忘れるべからず』です」
「初心忘れるべからず」
「はい」
姫は聡明であらせられるので、これだけ伝えれば理解して頂けるだろう。
「心に刻みました。では、爺。ごきげんよう」
「爺はいつまでも姫の味方です。ご連絡頂ければ、すぐにでも飛んで参ります」
「ありがとう」
笑んで頷いたペルルドールは、護衛団の帰還を見送った。
人数が多いので時間は掛かったが、最後の一人が見えなくなるまで黙って見守った。
「寂しい?」
リビングから顔だけを出したイヤナが小さな背中に訊いた。
「少し。ですが、わたくしが望んだ事ですから」
「大丈夫。私達が居るから一人じゃないよ。所で、綺麗な金髪がグシャグシャだよ。髪の長いセレバーナに手入れのやり方を教えて貰ったら?」
私は万年おさげだから教えられないんだ、と言ったイヤナが屈託の無い笑顔を見せながら言葉を続ける。
「もうすぐ朝ご飯が出来るから、リビングに来て貰ってさ」
「そうですね。髪も自分で整えられる様にならないといけませんものね」
「ついでにお師匠様も呼んで来て貰えるかな」
「分かりました。サコも起こした方が宜しいかしら?」
「朝の訓練とか言って、日の出と一緒に出て行っちゃったから居ないよ。ついでに村へ行って仕事が有るか下調べして来てってお願いしたし」
「そんな早くに?もしかして、イヤナとサコも寝付けなかったんですか?」
「えへへ。実は殆ど眠れなかったんだ。ペルルドールも?」
「はい」
「そっか。ま、慣れれば普通に眠れるよ。じゃ、セレバーナの部屋は一番奥だったと思うから。よろしく」
「はい」
人に使われるのも初めてだ。
不敬が過ぎる。
微妙に腹立たしい。
だが、ここに居る自分は第二王女ではなく、四人居る魔法使いの弟子の中の一人でしかない。
共に学ぶ仲間達からは、これからも遠慮無くお願いされるだろう。
そして、自分からもお願いする事になるだろう。
これが世に言う『お互い様』と言う奴か。
「初心忘れるべからず。――この気持ち、忘れない様にしなければなりませんね」