27
壁や床が石材で出来ているリビングの隅に追いやられている籐椅子に座っているペルルドールは、大きく口を開けてアクビをした。
黒髪少女の事が心配で、昨晩は寝付きが悪かった。
だから普段より早く目覚めてしまったので、イヤナが朝食を作っている姿を初めて目撃した。
夜明けと同時に動き回っていたとは思ってもみなかった。
毎日それを自主的にやっているんだから頭が下がる。
そう思いながらも特に手伝わずにセレバーナが定期購読している通販雑誌の最新号を勝手に捲って行くと、女性用下着のページになった。
「ふーむ。下着ってお高いんですわねぇ」
イヤナがノーブラで過ごしている理由が分かった。
こんなにも貧しい暮らしだと下着を買う余裕も無いんだなぁ。
まだ大量に残っているドレスを売ってお金を作ろうか。
そうするにも手間が掛かるしなぁ。
でも、普段お世話になっているお礼として下着を送りたい。
あ、そうだ、バースディプレゼントではどうかしら?
良い考えだと笑みを洩らしていると、そのイヤナがキッチンの方で大声を出した。
「ねぇ、ペルルドール。手が開いてるなら、庭からキャベツを一個採って来てー」
「分かりましたわ。一個で宜しいんですね?」
「うんー」
庭の畑に出たペルルドールは、畑の脇で雨曝しになっている農機具の中から錆びた包丁を取り出した。
鍬や鎌等は四人で協力して作った農機具小屋に仕舞ってあるが、木製のバケツ等の仕舞わなくても構わない物は使い易い場所に置いてある。
この包丁も、いちいち小屋に取りに行くのが面倒なので、こんな場所に放置している。
「んー、と。これが良いかな?」
大きく立派に育った春キャベツを切れ味最悪の包丁で収穫する。
朝露に濡れ、ずっしりと重い。
そして新鮮な青臭さ。
包丁を元有った場所に放り投げたペルルドールは、自分達で育てた恵みを抱えてキッチンに戻る。
「イヤナー。採って来ましたよー」
「ありがとー」
「朝ご飯は何にしますの?」
「ごま油で炒めた春キャベツを入れた卵スープよ」
「へぇ……」
イヤナが料理をしている姿を見るのも勉強なので、後ろから眺めるペルルドール。
一生懸命育てた瑞々しい春キャベツがざく切りにされ、ごま油が敷かれた鍋の中で火が通される。
香ばしいごま油の香り。
手際が良くて、まるで魔法の様だ。
「ねぇ、イヤナ。お誕生日はいつですの?」
「何?突然。秋だけど」
「何月何日ですの?」
「そう言うのは分からないんだ。親兄弟、誰も覚えてないから。ペルルドールは分かってるの?」
「流の月の一日ですわ。もう過ぎています」
「ふーん。で、それが何?」
「え?あ、いえ、別に何でも。ちょっと訊いてみただけですわ」
誤魔化す様にリビングの方を見ると、朝のトレーニングを終えたサコがクールダウンしていた。
珍しく早起きしたシャーフーチも現れ、円卓の上座に座った。
「おはようございます。シャーフーチもセレバーナの手術が心配で眠れなかったんですか?」
サコが頭を下げると、シャーフーチは円卓に肘を突いた。
「おはよう。いえ、そう言う訳では……。ああ、心配は心配なんですが」
シャーフーチは、円卓の中心に置いてある金色の指輪を見る。
今朝も変化は無い。
「意外と長持ちしますね。――サコの話では、病院は完全な個室だったと言う事ですよね。そこで医者の診察を受けていると」
師匠の言葉に力強く頷くサコ。
「はい。セレバーナの主治医が見事な治癒魔法を使っておられました。私と同じ治癒魔法使いと言う事で、勉強になりました」
確かに、妙に可愛いその声に丸みが感じられる。
サコの潜在能力である『癒しの声』が成長し、聞いているだけで落ち着く様になったのだ。
「なら、セレバーナは向こうで魔法の練習をしているのかも知れませんね。賢い子ですから、人の迷惑にならなければ良いと言う事に気付いているでしょう」
シャーフーチがそう言うと、鍋を持ったイヤナが笑顔でリビングに入って来た。
「じゃ、もうちょっと入院が長引いても大丈夫ですね」
ペルルドールが素早く動き、円卓に鍋敷きを置く。
「でも、早く帰って来て頂かないと、折角のお野菜を全て食べ上げてしまいますわ」
四人で育てた野菜なので、セレバーナにも食べて貰いたい。
遺跡に居る全員がそう思っているのだが、病気を完全に治して健康にならないと命に関わるみたいなので、早い帰還を願う訳にも行かない。
王都は遠いので、野菜を持って病院に押し掛ける事も出来ないし。
「あはは。そうだね。――あ、ペルルドール。もう一枚お皿を出して」
ペルルドールによって円卓にスープ皿が並べられ、イヤナが春キャベツの卵スープを装って行く。
その途中で、赤髪おさげの少女が手を止めた。
「なぜですの?」
「今日はセレバーナの手術が行われる予定日だからね。陰膳ってのをやってみたいと思う。セレバーナの席にもスープを置くの」
「かげぜん?」
小首を傾げながらも、言われた通りにもう一枚のスープ皿を用意するペルルドール。
「最近は畑仕事も少なくて退屈だから、お師匠様にマンガを借りたの。文字を読む勉強になるしね。その中に有ったんだ」
イヤナは、具が均等になる様にスープを装いながら言う。
それを聞いたペルルドールがギョッとする。
「マンガって、まさか変な内容の物じゃないでしょうね?」
「変じゃないよ。貧しい母と息子が二人で頑張って生きて行くって話。最後は感動して泣いちゃった。話の途中で息子が働きに出て親子は別れるんだけど」
思い出しただけでイヤナの目尻が潤む。
「遠く離れて暮らす息子の無事を祈った母親がやってたのが陰膳。私もセレバーナの無事を祈って、そのおまじないを真似してみるの」
空席にスープを置くイヤナ。
その席に座るはずのツインテール少女は、王都で病気と闘っている。
「これで良し、と。じゃ、頂きましょうか」
朝食の準備が整ったので、少女達は自分の席に移動する。
一人足りない食事にも大分慣れたが、今日は皿が人数分より一枚多いので寂しさが蘇っている。
「……お師匠様?どうかなさいましたか?」
イヤナは、少女達の会話に全く反応せずに指輪を見詰めているシャーフーチの顔を改めて見る。
「うーん。セレバーナに渡したお守りの紙片なんですが」
「セレバーナが助けを求めているんですの!?」
食事前のお祈りをしていたペルルドールが椅子を鳴らして立ち上がる。
しかしシャーフーチは落ち着いて首を横に振る。
「みなさんもご存じの様に、お守りの紙片は、それを破り捨てる事で破った人の救援要請を私に教えてくれます」
頷く少女達。
「今朝早く、その紙片が捨てられました。だから早起きをしたのですが……」
とんでもない情報に三人の少女達に緊張が走る。
「今、どういう状況下で捨てられているのか、全く分からないんです。破られたのなら飛んで行けるんですが、捨てられたとなると判断が難しい」
肩を竦めるシャーフーチ。
「向こうで何が起こっているんでしょうねぇ」
「そんなにのんびりしてても良いんですか?」
イヤナも立ち上がる。
仲間が危機に直面していると思うと座ってはいられない。
「私の魔法を遮るレベルの魔法封じが施されてる場所に紙片を置いたのなら、こんな感じになる可能性は有ります。それなら危機的状態ではありません」
シャーフーチはペルルドールに目を向ける。
「ですが、そんな場所は王城の中にも無いでしょう。もしや手術室の中に?とも思ったのですが、主治医の先生は治癒魔法の使い手ですよね。魔法封じは無いはず」
「あら。と言う事は、シャーフーチはいつでも王城に乗り込めるとでも言いたいんですの?」
この国の第二王女が目を細めて師匠を睨む。
王族が暮らし、重要な政治が行われている王城は、この国で一番警備が厳しい。
なので、過去に泥棒が侵入した事は一度も無いと聞いている。
「勿論です。それが出来るから魔王として恐れられてる訳ですし」
「ああ、なるほど……」
ペルルドールは納得して頷く。
そう言えば、魔王は五百年前に王城を襲い、当時の王女を誘拐している。
王城に入れず、最果ての地から絶対に出られないのなら、面倒臭いだけの魔物でしかない。
「こんな時にセレバーナが居たら、的確な予想が出来るのになぁ」
ポツリと呟くサコ。
その言葉に、この場に居ない人物の大切さを改めて実感する遺跡の面々。
複雑な想いを胸にしながら陰膳を見詰める。
「取り敢えず助けに行く、と言う事は出来ないんですか?」
イヤナが心配そうに言う。
他の弟子二人も同じ気持ちで師匠に顔を向ける。
「貴女達の気持ちは分かりますが、リスクが大き過ぎますねぇ。最悪、この丘の封印が解けて魔物が世に放たれますから」
「でも、そうならない可能性も有る訳ですわよね?」
そう言うペルルドールに迷いながら頷くシャーフーチ。
「セレバーナが本当に困っていて、彼女に報酬を支払う意思が有れば」
「なら、セレバーナを助けてください。もし間違いだったとしても、セレバーナなら何とかしてくれますわ」
青い瞳に力を込めて言うペルルドール。
イヤナも泣きそうな顔になって懇願する。
「そうです。もし本当に困っていたら。命に関わる事だったら。そう思うと……」
「どうしましょうかねぇ。何かの拍子で紙片がゴミ箱に落ちた、と言う可能性も有りますからねぇ。賭けになる行動はやりたくはないんですが……」
シャーフーチは目を瞑り、精神を集中させた。
すると、リビングの雰囲気がガラリと変わった。
弟子達は、それを肌で感じ取っている。
広大な世界の全てを凝縮させてこのリビングの中に押し込んだかの様な奇妙な空気感。
魔法の修行を続けて来たお陰で、師匠に秘められている魔力の大きさが実感出来ている。
目の前に居る男性は、本当に凄い人なのかも知れない。
「まぁ、どう言う状態に有るか全く分からないのは確かに異常事態ですから、行ってみましょうか。ただし――」
少女達を見渡すシャーフーチ。
「何でもなかった場合は、最悪、この遺跡は魔物の巣になります。そうなったら私は助けられませんので、必死に逃げてください」
「大丈夫ですよ。死にそうになる試練は、私達全員が乗り越えられたんですもん。勿論、セレバーナも越えられます。私達がこんなところで終わる訳が無いです」
イヤナは笑顔で根拠の無い事を言う。
普段ならツッコミを入れるペルルドールとサコも、自信たっぷりに頷いた。
「やれやれ。世界の危機より仲間の命ですか。若いってのは無謀な物です。まぁ、行って来ますよ」
「あ、待ってください。セレバーナの所に行くなら、ついでにこれを持って行って下さい」
陰膳にスプーンを添えてシャーフーチに持たせるイヤナ。
「みんなで作った野菜を食べて貰ってください」
「はいはい。全く、師匠使いの荒い弟子達ですよ」
皿を受け取ったシャーフーチは、苦笑を残して姿を消した。




