25
雨の音が世界を支配していた。
仰向けに寝転がっている視線の先には一面の黒い雲。
無数の水滴が空から落ちて来ている。
金色の瞳を動かすと、絵本に出て来る様な黒いローブを着た魔女がホウキに跨って青空を飛んでいる様子が見えた。
私が横になっている所は雨なのに、向こうは良い天気か。
何て事だ。
それより、ここはどこだ?
酷く眠くて目を開けるのが辛い。
それでも必死に目を開ける。
両脇に切り立った山肌が有り、そのはるか上で真っ黒な雲が凄い速さで流れている。
ここは、谷底か。
どこの谷だ?
顔を動かすと、周囲に散らばる馬車の破片が見えた。
これは、まさか……。
眩暈がして、一瞬だけ周囲が暗くなる。
視力が戻ると、一人の魔女が谷底を歩いて来た。
こちらも黒いローブ姿で、緑色のオーラを纏っている。
あれは癒しの力。
助けて、助けて。
私は馬車ごと谷に落ちた。
父親の卑劣な罠によって馬車ごと谷に落とされた。
私は幼児の様に小さな手を魔女に向けて伸ばす。
黒いローブを着て緑のオーラを纏った魔女は、冷たい目で私を見下ろした。
その顔は、サコだった。
助けて、私はまだ生きている。
死体を見る様な目で見ないで。
身体が動かないの。
声が出ないの。
心臓に、木の棒が刺さってるの。
って、心臓に木の棒が刺さっていたら、私は死んでいるじゃないか。
冷たい目のままのサコは私の訴えを無視し、晴れている方に向かって歩いて行った。
待って、助けて、置いて行かないで。
眠くて身体が動かない。
この眠気は、もしや死の前兆なのだろうか。
それとも、本当はもう死んでいる?
死にたくない。
助けて助けて助けて。
たすけて!
必死に救いを念じる私に背を向けたサコは、空を飛んでいた魔女に手を振る。
体格の良い少女の隣に降り立ったのは、金髪のペルルドールだった。
いつの間に空を飛べる様になったんだ?
ペルルドールは今まで乗っていたホウキの柄を地面に刺し、なぜか情熱的なダンスを踊り始めた。
黒いローブから紐の様な水着に着替えている。
次の瞬間、バラバラだった馬車が元の形に戻り、新品の輝きを取り戻した。
ペルルドールの精霊魔法の効果か。
サコとペルルドールは、仲良くその馬車に乗り込んだ。
そして、馬が居ないのに走り去って行く。
誰の魔法で動いているのだろうか、と考えてやっと気付いた。
自分は置いて行かれたのだ。
遺跡に残った仲間達は修行を続け、立派な魔法使いになったのだ。
自分は知らぬ土地で心臓が壊れて死んで行くのだ。
一人で死ぬのだ。
そうだ、イヤナは?
イヤナはどこだ?
その姿は見えない。
目が開けられない。
眠い。
「バイバイ、セレバーナ」
唐突に耳元で囁やかれ、驚いて目を開けるセレバーナ。
ビックリしたせいで、心臓がパジャマを押し上げる勢いで跳ねている。
「……?」
真っ暗な部屋。
この暗さは、まだ夜中か。
高い天井。
白い壁。
フカフカなベッド。
ここはどこだ?
数秒ほど混乱したセレバーナは、王都記念病院に入院していた事を思い出した。
「夢、か」
深く息を履き、掛け布団を口元まで引き上げる。
溜め込んでいた不安が全て現れた様な嫌な夢だった。
良く考えれば矛盾だらけだったし、最後の一言以外は無音だったし、雨に打たれているのに不快ではなかった。
普段なら、すぐに夢だと分かりそうなのに。
だが、現実に戻って振り返ってみると、割と面白い内容だった。
自分の脳内での出来事なのに、予想も出来ない展開が繰り広げられるから夢は興味深い。
出来れば全ての夢を覚えておきたいが、それもままならないのがもどかしい。
まぁ、そんな事はどうでも良いか。
寝直そう。
今の私に睡眠不足は毒だ。
「……」
眠いのだが、寝付けない。
しかし、本当に嫌な夢だった。
ペルルドールとサコが一人前の魔女になっていた。
そして、イヤナが別れの言葉を言った。
起こされたあの声は、確かにイヤナの声だった。
だがそれは夢の中の出来事だ。
実際に耳元でそう言われた訳じゃない。
「……居ないよな?」
布団から顔を出したセレバーナは、真っ暗な病室を見渡す。
大丈夫、誰も居ない。
本当に耳元で囁かれた様な声だったので、確認せざるを得なかった。
あの三人が何らかの課題をセレバーナ抜きでクリアし、こっそりとこの部屋までやって来たのかと不安になったが、そんな事は無かった。
「……無いよな?」
いちいち不安が頭をもたげて来るので眠れない。
完全に目が覚めた。
こうなると布団の中に居るのがヒマになり、起き上がりたくなる。
「はぁ……」
溜息と共にベッドの上で正座したセレバーナは、枕元に置いてあるロウソクにマッチで火を点けた。
消灯後は一部を除いて全館で電気が通っていないので、夜中にトイレに行く用に支給されているのだ。
小さく淡い光に照らされる広い病室。
広過ぎるので暗闇が残っている場所は多いが、イヤナが隠れている様子は無い。
彼女が居たら、応接セットに座っているか、サコが使っていた付き添いの人用の簡易ベッドで寝ている筈だ。
どちらにも誰も居ない。
キッチンの方はベッドから降りないと確認出来ないが、真っ暗なのできっと居ない。
イヤナがキッチンに居れば必ず火を使う筈だから、真っ暗は有り得ない。
「……イヤナ。居るか?」
居ない事は分かり切っているが、声を出して呼んでみた。
当然、返事は無い。
「居ないのなら居ないと言ってくれ。……なんてな」
自分の冗談に頬を緩めながらベッド脇のカーテンを少しだけ開けてみた。
雨でガラスの外側が濡れていた。
なるほど、雨音と不安が合わさって、あんな悪夢を見たのか。
私が死に、仲間達が一人前になる夢を。
思い返すと、根拠も無くペルルドールとサコが一人前だと思い込んでいた。
まぁ、夢だから不条理も当たり前に起こり得るか。
しかし、成長が一番遅いと悩んでいる彼女が一人前になっているとは、我ながら意味不明だな。
いや、そうでもないか。
彼女が自身の潜在能力を自在に扱える様になるのは確定している。
案外、正夢かも知れないな。
憂鬱な気分で王都を見渡してみる。
真夜中なので明かりを灯している民家は無い。
国の中心である王都と言えど、夜中は発電所が止まるらしい。
そうでなければ、悪天候で視界が悪いとは言え、一軒くらいは電気を点けている家が見える筈だ。
だから病院も停電するのだが、医療機器を止めると命に関わる患者も居るので、自家発電装置が備わっているそうだ。
発電装置は自動車のエンジンを応用した仕組みなのでセレバーナでも造れそうなのだが、燃料を流し捨てる様な勢いで消費するので維持費が莫大に掛かる。
だから最果ての村では使えない。
その証拠に、国で一番の金持ちである王城では、あちこちで大きな松明が灯っている。
王の警備の為だとしても自家発電装置は使えないのだ。
しかし、雨だと言うのに警備の人があちこちに居るのか。
毎日朝まで侵入者を警戒しているんだろう。
大変だな。
――朝。
夜が明け、朝が来たら、いよいよ手術だ。
心臓の手術。
身体にメスが入る。
魚を切る様に胸を開かれ、他人に内臓を覗かれる。
それが不安の正体だと言う事は考えなくても分かる。
と言うか、あえて考えない様にしていた。
怖いから。
不安を頭から追い出して眠った方が良いのだろうが、眠れないんだからしょうがない。
カーテンを閉め、夜が明けるまで何をして時間を潰そうかと考える。
本を読むには暗過ぎる。
食材が有れば料理の練習が出来るのだが……。
少し肌寒いな。
やっぱり寝るか。
ロウソクを吹き消し、布団に潜る。
温かいが、やはり眠れない。
何度寝返りしても眠りに入る気配は無い。
そればかりか、布団の中で動き捲ったせいでシーツが縒れて不快になった。
変な夢のせいだ。
忌々しい。
そう言えば、夢にシャーフーチが出て来なかったな。
彼は夢の中でもそう言う扱いなのか。
ふふ……面白いな。




