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一人に戻ったセレバーナは、使った食器を纏めてキッチンに運んだ。
このカップ類も高級品だろう。
壊れ物を持って慎重に歩くと、この病室は一層広く感じられる。
「彼は今どこで何をしているんだろうか」
カップを洗いながら父親の事を考える。
若いなりに人生経験を経た今なら、彼の苦悩は理解出来る。
世界が認める天才の息子に生まれ、世間の期待を受けていたんだろう。
孫娘である私だってそうだったから。
と言うか、今現在、期待を受けている最中だ。
こんなに良い病室を宛がわれ、命を守ろうとしてくれている。
しかし、どうあがいても天才を超える事は出来ない。
天才は死んで伝説になってしまったから。
亡くなったのは私が六歳の時だったので、薄らと覚えている。
勝手に触ってはいけない物を家のあちこちに置きまくっていた優しいお爺ちゃんだった。
そして翌年、彼の妻、つまりセレバーナの母も病気で亡くしてしまう。
私の金色の瞳は母譲りで、どんなに本を読んでも視力を落とさない様に気を付けるほど気に入っている。
更に翌年、彼は八歳になる自分の娘を事故に見せ掛けて殺そうとした。
十歳を超えた時にユキ先生に教えて貰ったのだが、彼は妻の保険金が多額だった事に味をしめ、保険金目的で娘を殺そうとしたのだ。
彼はそこそこ良い大学の研究室に入って発明やら研究やらをしていたが、凡才だったせいで給料はスズメの涙しか貰えていなかった。
様々な発明をしていた祖父の財産を当てにしていた様だが、祖父は稼いだお金の全てを自身の研究につぎ込んでおり、遺産は一銭も無かったらしい。
生活に困った彼は乗り合い馬車に仕掛けをし、養育費の掛かる娘を崖から落とすつもりだった。
千尋の谷に落とせば証拠も見つからないだろうと言う計画だったらしい。
しかし私は何事も無く助かった。
雨に濡れたせいで仕掛けが作動せず、後で整備の人によって企みが暴かれたのだ。
つくづく運と才能が無い人だった様だ。
私だったら、そんな間抜けな失敗はしない。
二重三重に仕掛けを施すだろう。
それはともかく、彼はすぐに逮捕された。
娘だけでなく、乗り合い馬車に同乗していた無関係の者達も巻き込もうとしたので、警察が重大事件として全力で捜査をしたんだそうだ。
彼は短い裁判の後に罪人を収容する山奥に送られた。
結果、私は身寄りが無くなってしまう。
普通のみなしごなら地方の修道院に入れられ、規律と束縛の日々を送るはずだった。
しかし祖父が有名人だったので、秘められた才能を開花させるべく、全寮制のマイチドゥーサ神学校に入れられた。
私の同意無く。
神学校と修道院にはどちらにも女神の導きで孤独となった子供に無料で教育を施す制度が有るのだが、その教育レベルは雲泥の差だと言われている。
勿論、神学校の方が圧倒的に上だ。
もしも修道院の方に行っていたら天才になれるほどの勉強は出来なかっただろう。
運が良いのか悪いのか。
「皮肉な物だな。天才を目指した彼は犯罪者。殺され掛けた娘は周りが勝手に天才と呼ぶ様になるのだから」
神学校に引き取られた後、無人になった実家の家財の整理をした警察の手によってセレバーナ名義の預金通帳が発見された。
祖父の遺産はゼロではなかったのだ。
それには五、六年分もの学費が入っていたので、母もお金の管理に一枚噛んでいたと思われている。
研究だけを生き甲斐にしていた祖父がそんな気を回すはずは無い、と祖父の知り合いが証言したから。
そのお金のお陰で普通学科に移籍する事が出来て、飛び級が可能になった。
そして現在に至る、と言う訳だ。
再びのもしもだが、学費の存在を父が知っていたら過ちを犯さなかっただろうし、セレバーナは田舎の学校に通って普通の娘に育っていただろう。
いや、学費を酒や研究に使い込まれたせいで学校にも通えず、日々の生活費を稼ぐアルバイト少女になっていたか。
無表情な勤勉少女ではなく、イヤナの様な貧しくとも笑顔で働く勤労少女になっている自分は想像出来ないが、そうなる可能性は有った。
だが現実は――
彼が逮捕されて以降、セレバーナは父親と会っていない。
殺人未遂とは言え誰も傷付けていないのだから、とっくに出所して自由の身になっているだろう。
しかし、泥棒や浮浪者が入り込まない様に街が封鎖している実家に戻った形跡は無い。
世話になっている神学校にも挨拶に来ない。
明らかに娘を避けている。
まぁ、殺そうとした相手に合わす顔が無い気持ちは分かる。
だから彼を責めるつもりは無いし、結果的にセレバーナの人生を豊かにしてくれたので、赦しを請われたら許す。
そんな訳だから、例えユキ先生に命令されたとしても、娘の方から父に会いに行く事は出来ないのだ。
この顛末は、すでに魔法の修行である赤いノートに取り留めも無く書いてある。
なので、再び考えてみたら時系列に並べる事が出来た。
「フフフ……。こうして纏めてみると、私の人生は中々の波乱万丈だな」
自嘲しているとドアがノックされ、キーサンソン先生とお付きのナースが入って来た。
「こんにちは、セレバーナさん。午後の検診の時間ですよ」
「はい。よろしくお願いします」
洗った食器を布巾で拭いていたセレバーナは、腕捲りしていたパジャマの袖を直しながら病室の方に移動した。




