終幕
『では、今回の件は全て事故だと?』
『ええ。ウィズダムでの悲惨な事故は、二度と繰り返されてはなりませんね』
『核ミサイルを、警告も無しに発射して事故? いくらなんでもそりゃないでしょう。あれは立派な国際条約違反だ』
『……では聞きますが、あなた方はどのような対応を講じたのですか?』
『少なくとも、あんた方のような乱暴な手段は使わなかった』
『ナンセンスだ。ヘリアンサスなどという危険極まりないものを建造した責任を、貴国に対して問うてもいいんですよ?』
『……オペレーション・アトランティス、でしたか? 国際機関の強制制圧作戦、などといいうのが表沙汰になれば、スタンレイ政権は崩壊でしょうな』
険悪な両者の声が、僅かに鳴りをひそめる。
『……もうやめましょう。不毛極まりない』
『まったくですな。では……調査委員会の報告では、遺留品の一切が消失したと』
『互いのメリットを考えれば、そうするのが賢明ですね」
『ウィズダムは事故を起こし、地球へ落下を始めた。事態を察知し、あんた方は核ミサイルでウィズダムを迎撃した……』
『異存はありません』
『結構。互いにウィズダムには、後ろ暗いものがあるでしょう』
『そういう事にしておきましょう。あれは事故であった。我々は全力を以て多大な損失を修復するために協力する、と。もっとも……大気圏に突入した未確認飛行物体については別ですが』
『何の事だかわかりませんな。……では、また』
『またお会いしましょう』
オンラインによるウィズダム墜落事件事後処理委員会の通信記録は海を越え、日本の山中にある、一台のリストコンピュータに転送されていた。
通信記録を傍受していた彩花は、ため息をついて画面を閉じた。代わりに手を伸ばし、テレビのつまみをガチャガチャと回して、チャンネルを変える。
ドラマの再放送がやっている。しかし、生徒達を泣きながら平手打ちする教師の姿に、首を傾げていた。海外生活が長かった彼女には、学園ドラマという奴の面白みが今ひとつ分からないようである。八畳の和室で、彩花は頭から布団にくるまっていた。
(真実は闇の中……か)
彩花はふんっと鼻を鳴らし、布団をかぶりなおした。そっとリストコンピュータを撫でる。
「結局……人類全てを滅ぼすなんて、無理だったんだよ、ラグファルド所長」
『そうかもしれませんね』
スピーカーが、か細い声を返してくる。
「命はそんなに弱くない。だって……造られた命だって、生きようと必死なんだから……」
『彼のことですか?』
「あんたも、でしょ。ちゃっかりフリーズ状態からリカバリーしてきちゃって」
『……そのように造ったのは貴女でしょう?』
アリスはそれきり、何も言わなくなった。
ふと、脇の窓から空を見上げる。
陽が傾き、茜色の光が射し込んでいた。
大きな櫓舞台に、冬弥はコートを羽織って佇んでいた。彼の黒髪が風に遊ばれている。辺りは夕闇が迫って薄暗く、他に人影はない。
山地の一画に門を構える、「鳳仙院」という古刹。一般には知られていない寺社の、さらに知られていない裏山に彼はいた。紅葉を終えた山は、冬の夕闇に溶けこみかけている。
「……弥雲……」
冬弥は呟きを風に乗せた。
呼びかけに答える者はなく、ただ言葉は風に紛れ、消え
「呼びました?」
なかった。
びくっとかたまり、やがておずおずと声のした方へ振り向く。少し感傷的だった冬弥は、何だかやるせなくなった。
そよぐ黒髪に、黒い襟の白いロングコートが映える。
「着物じゃないと、どこぞのご令嬢だね」
「何を言ってるんですか」
弥雲は胸の前で交差させていた腕を解くと、ひょい、っと冬弥へ缶を手渡した。それは手の中をじんわりと暖めていく。風で冷え切った手には、それがとても心地よかった。
弥雲はプルタブを開けると、両手を添えて缶を傾けた。ほんのりと渋い緑茶が、香りを放ちながら喉へ流れていく。唇から缶を離すと、至福の笑顔を浮かべた。
「……高級になったみたいだね、あの時より」
冬弥はプルタブを開けながら声をかける。弥雲は横目でちらりと彼を見ると、
「いや、あれはあれで美味でした」
やっぱり、どこかとぼけた声だった。
苦笑すると、冬弥は心持ち、視線を右上へ向けた。
「……傷は、どう?」
「初めて点滴を打たれましたが……概ね大丈夫です」
「そっか……」
冬弥は缶に口をつけ、離して首をすくませる。そして、視線を少し伏せて、ため息をついた。二人は揃って、鳳仙郷の深い森と、果てない空を見つめる。
「俺、弦は見えないけど……少しだけわかったよ」
呟いた冬弥の横顔を、弥雲は見つめる。
「命は殺して、殺されるもの。…………でも、無駄な死はないんだ」
「ええ。その通りです」
冬弥の、缶を持つ手からふらりと力が抜ける。
「……あいつらだって、俺の中で生きてる……。俺の命は、死んだ命からできてるんだ。生きてる命も、死んだ命も、違いなんかない。どっちも同じ『命』なんだ」
そんな冬弥に、弥雲は薄く笑みを向けた。
「……無駄な生も、無駄な死も、ありはしないのです。全て、繋がっているのですから」
その凛として、なお綻ぶ花のように可憐な横顔を見て、冬弥はふっとほほ笑んだ。
「うん……」
「そういえば、まだ聞いていませんでしたね」
何かに気付いたように、弥雲は顔をあげる。
「聞いてない、って、何を?」
「言ったじゃないですか。ここは、貴方の帰る場所だと」
事もなげに言う弥雲に、冬弥は戸惑う。
「え、えっと……」
「帰るべき場所に帰ったのです。言うことがあるでしょう?」
そう言って、弥雲は冬弥に手を差し出す。冬弥の記憶の中にある白い繊細な手と、それが重なる。戸惑い、視線を泳がせ、悩み抜いた末、冬弥はその手を取った。
「……ただいま」
「おかえりなさい」
弥雲の優しい声と共に、二つの手が重なった。
血に塗れ、罪を背負い、それでもなお白くある二人の手が、優しく重なる。
冬弥の頬を伝う雫が、小さく輝きを放った。