六幕・黒き鳥、炎を断ちて道を成す
宇宙を当て所もなく漂う花弁。ヘリアンサスは本来の居場所を無くし、ただ漆黒の闇を旅するのみとなった。ヘリアンサスの中にプールされた高エネルギーは行き場を失い、宇宙へ霧散していく。外見上は何の変化も起きていない、無言の断末魔。ヘリアンサスはこの時、完全に停止した。
そのエネルギー解放はしかし、思わぬ副産物を生み出していた。
冬弥と弥雲はメインストリートを走り抜ける。パラパラと建造物の残骸が降り注ぎ、軌道変化の影響か、不可解な揺らぎがウィズダム内に充満していた。
『っ! そんなっ、もう間に合わないわっ!』
「な、何よ?」
冬弥の背中で、彩花がウインドウを広げる。その中では、アリスが今までに無いほど狼狽えていた。
『……ヘリアンサスです。来ます』
そう、アリスは口走った。
同時、大きな縦揺れがウィズダム全体を襲った。
脇にそびえる建物のガラスが弾ける。だがガラスは降り注がず、花火の様に四方へ飛び散っていった。その下で、冬弥の足の裏から、踏みしめていた感覚が消えた。
冬弥の耳に、声にならない声が聞こえた。ぞわっと、冷たい銃口を押しつけられた時の、無力感と絶望感がこみ上げる。
そして視界の中に、赤い水の球体が飛び込んできた。
同時刻、太平洋に臨む、日が沈んで間もない防波堤に人々が集まっていた。人々は次々に顔を上げ、どよめく。
気象観測所の職員達は、己の眼を疑って、空とモニターを交互に確認する。
極彩色のカーテン、オーロラが、太平洋の空に揺らいでいた。
本来、高緯度の地域でしか見られないそれが、日本の空を染めている。
それを見つめる人々は、壮麗さに眼を見張りながらも、どこか不吉な思いにかられていた。
「弥雲っ! 弥雲っ?!」
彩花は必死にその名を呼んだ。
「……よけられませんでした。しくりましたね」
弥雲の体は無重力に身を任せ、神秘的に中空を漂っていた。その周りを赤い球体がいくつも浮遊し、腹部に立つナイフのようなガラス片が、赤い光を反射する。
彩花がかたかたと歯を鳴らし、身を竦ませた。
『…………こんな形で終わりとは……皮肉ですね』
「アリス!? あんた……」
アリスは画面の中で、自嘲気味に微笑むと画面毎ブラックアウトしていった。
彩花は焦点の定まらない瞳で辺りを見回し、そして呟く。
「電磁パルス障害……?」
アリスのフリーズ、人工重力のシステムダウン、体を支配する倦怠感……それらは全て、強力な磁場による現象だった。
ヘリアンサスが解放した膨大な電力は、巨大な電磁波の場を生み出した。それはウィズダムを飲み込み、電子機器を、生体電流を狂わせ、地球の磁気に干渉してオーロラを出現させていた。
冬弥は浮遊する弥雲をひっつかむと、急いで、優しく地面に寝かせた。
「よーし、ちょっとベッド硬いけど我慢してくれよ弥雲。大丈夫大丈夫」
「冬、弥……」
「いい弥雲? ちょーっと力抜いて!」
「冬弥……」
「何? 聞いてるから言ってみて? お腹すいた?」
冬弥は声をあげながら、器用に自分の服を千切った。それを包帯代わりにして弥雲の腹に巻き付ける。きゅっと締め付けると、ごぽっと血の玉が吹き出た。
「冬…………」
「うん、何でも言ってよ。またコマル作ろうか?」
「…………」
「おいってば、弥雲? 弥雲っ!?」
「……こういう時って、『いいから何も喋るな』とか言いません?」
弱くなった息の下で、弥雲がジト目を向けた。
冬弥は何とも頼りない、泣きそうな顔をして、
「……何か喋った方がいい。気が紛れるから……」
弥雲は痛みも忘れ、眼をぱちくりさせた。
情けない顔をしながらも、彼の頭と体は「助かるため」の打開策を、必死に探り始める。
「彩花。隔壁は開いてるんだな?」
冬弥は低く、冷静な声で言った。却って迫力を増したその声に、彩花はびくっとして、慌てて首を縦に振る。
冬弥は無重力に弄ばれている彩花を器用に掴むと、地面へ向かって押した。
「何かに掴まれ!」
冬弥が声を張り上げる。彩花は従順に指示に従った。弥雲の体を支えながら、街路樹の根本にうずくまる。
「待ってろ、すぐに戻ってくる」
遠ざかりながら、冬弥は叫んだ。体をひねると、街路樹に手をかけ、腕力のみで体を前へ投げ飛ばす。巧みに姿勢を制御すると、次の街路樹に手をかけ、足を踏ん張り、蹴る。冬弥の体は一気に加速して行った。
「大丈夫かな……」
「大丈夫ですよ」
弥雲は弱々しいが、妙にきっぱりとした声で言った。
およそ千五百メートルの距離を、冬弥は全速力で飛んでいった。体が、無重力状態での動きを知っている。慣性を巧みに利用し、冬弥はターミナルポートセンターに辿り着いた。
来賓のための瀟洒なホールを飛び抜けると、隔壁が口を開けていた。それを抜けると、無骨な、機能優先の気密室へ続く。
中途半端に開いた隔壁が、アリスのささやかな葛藤と抵抗の様であった。だが、そんな事に意識を割いている余裕は無い。
冬弥の息が荒い。激しい運動によって酸素を消費しているし、焦ってもいた。だが、それ以上に呼吸が乱れている。
(空気が、少ない……)
冬弥は泳ぐように駐機場へ辿り着いた。
広い駐機場には、一機の宇宙船が止まっていた。ずんぐりしたシルエットを持つ貨物用宇宙船だ。既に解放されたコンテナが三つ、近くに浮遊している。
冬弥は飛び上がり、貨物船の壁面に取り付いた。手探りでハッチに接近するが、固くロックされている。歯を食いしばって生体認証キーパネルに触れると、僅かな排気音と共に、ハッチが解放されていった。
何故かはわからないが、冬弥はその宇宙船を前から知っている様な気がしていた。
それは苦手だった旧友に再会したような、あまり気分のいいものでは無かった。
彩花は涙で、顔をくしゃくしゃにしていた。
「……泣かないで下さい、彩花さん」
声にならない泣き声をあげて、彩花は弥雲の手を握り、いやいやと首を振る。
「もうっ……やだ……。お願いだからっ……死なないで…………」
そんな彩花を見つめ、ふっと弥雲は微笑む。額には脂汗が浮いていたが、ぎゅっと彩花の手を握り返す。
「大丈夫です……」
ぐすぐすと涙をすする度、涙が玉になって宙を舞う。弥雲から流れ出た血の玉と、彩花の流した涙の玉が、不思議なコントラストを織りなしていた。
弥雲は目を細めてそれを見つめ、呟く。
「大丈夫ですよ…………」
ふわりと、二人の体が浮いた。彩花は驚き、体をばたつかせる。対照的に、弥雲は優しい、落ち着きはらった顔で、
「ほら、ね……」
二人の眼前に、ずんぐりとした貨物用宇宙船が浮いていた。
「生きる……か」
モニターに映る青い地球は、熱によって生まれた赤に塗りつぶされていた。ラグファルドはそれを、椅子に深く腰掛け、映画でも見ているような姿で眺めている。
「この世界で……」
ビクトリア調の瀟洒な、アリスたちとの思い出が詰まった部屋にひびが走り、歪み、膨れて……弾け飛んだ。
巨大な質量を持った建造物が、地球へ向かって落ちていく。熱せられたろうそくのように、ウィズダムがその身を爛れさせていった。
その巨体の一部が吹き飛び、呆れるほど小さい貨物用宇宙船が飛び出した。
冬弥は眼前のモニターを見つめ、それらが告げる現状を認識して顔を引きつらせた。
あの状況で選択の余地は無かった。この機体を選んだのは、最良の選択と言っても過言ではない。
冬弥の貨物用宇宙船、即ち、「義体兵をウィズダムへ運んできた宇宙船」は、偽装用の外装を引き剥がし、今まさに、真の姿を現そうとしていた。
剥がれたパーツが吹き飛び、一瞬で燃え尽きていく。
姿を現したのは、シャープなシルエットを持ち、黒曜石の色を放つ鳥のような、全環境型戦闘機だった。
それは義体兵と並行して開発された人類史上初の宇宙戦闘機『WS-4アクイラ』。
大気圏内外での戦闘機動を実現した最新鋭機であり、単機大気圏突入にも耐えうる耐久力を持つ。電子機器には電磁パルス及び宇宙放射線防御シールドが施され、義体兵の神経系と操縦システムを直結することで、人体では成しえない反応速度と操縦性を獲得した、次世代の覇権を握るであろう機体である。
だが、しかし、それでも、『大気圏突入中の宇宙建造物から脱出』するようには設計されていなかった。
冬弥の大脳に直接、各部の異常が報告される。人格を持たない義体兵が操縦することが前提だったため、開発者すら知り得ないことだが、神経直結操縦システムは、操縦者に痛覚という形で強いフィードバックを起こしていた。それを体感する者は、人格を持った義体兵、つまり、冬弥ただ一人である。
冬弥の後ろ、狭いコックピットの後ろ側で、すし詰めになりながら彩花が涙を堪えていた。弥雲がその頭をそっと抱きしめている。時折苦痛で顔をしかめるが、意志でそれを抑え込んでいた。
冬弥の目は真剣だ。真剣に恐怖していた。赤い警告ランプは鳴りやまず、狭いコックピットを埋め尽くす。各部のエラーは、痛みとなって冬弥を絶え間なく苛む。
黒を基調にした機体の外観は、真っ赤に染め上げられた。摩擦熱は容赦なく機体を焼いていく。密度を持った大気は、強固な壁となって機体を弾く。並の腕の操縦者では、たちまちコントロールを失い、あえなく燃え尽きるだろう。冬弥にはそれらが、センサーを通してではなく、実際に皮膚が焼かれているように、全身が炎に包まれるように感じられていた。彼の運動神経パルスに反応して機動するはずのアクイラは、彼のノイズ、即ち自我によって、その機能を果たすことができない。
振動が断続的に機体を揺さぶった。警告灯の赤だけでなく、熱によってコックピット内が赤くなり始める。
「……冬弥……」
出かけた言葉を飲み込み、弥雲はうつむく。
冬弥は振り向くどころか返事すらせず、ただじっと前を睨んでいた。その肩は、よく見ると小刻みに震えていた。
弥雲の右腕の中、彩花が怯えた兎のように身を縮めている。
静かな表情で、冬弥と、その向こうに映る地球を弥雲は見た。
青い。そして、暗さを塗りつぶす赤。熱と、音と、振動が、段々と遠ざかっていく。弥雲の意識は、冬弥へと集束していった。
迷い犬を見つけたような、放っておけない不思議な親近感。
今までに感じた事のない、奇妙な連帯感。
その源は―――科学者によって転写された記憶だったのだろうか。
それを否定するように、感情が強く湧き上がった。無音の中、鮮やかに鼓動が脈打つ。
弥雲は、気だるそうに手を伸ばした。
頭を後ろに引かれて、思わず冬弥は上を向いた。そこには、逆さまになった弥雲の顔があった。
二人は強く見つめ合った。船内の警告音が、一段と甲高くなっていく。冬弥は口をぱくぱくさせて息を吸い、
「……あなたは、冬弥です。誰でもない、私がそれを認めます」
「…………でも」
「あなたには、私たちがいますよ……」
「…………」
「さあ、行きましょう……地球へ……!」
「……うん」
弥雲に聞こえたかどうか、定かではなかった。
拍動が五つ、冬弥の中で脈打つ。
冬弥の中で、時が止まる。
全身を走る痛覚は、ただ「現状」というだけの存在になる。
五感が研ぎ澄まされ、身体感覚と操縦システムが一つに重なっていく。
脳の中の、固く閉ざされた技術と経験の扉が開いていき、意識と体が「はじめて」一つに融合していった。
冬弥は、コントロールグリップを掴んだ。冬弥の脳が、体が、アクイラと融合し、支配していく。
アクイラは大気圏を断ち切る刀となって、その切っ先を青眼から下段へ下げていく。
「……ぐうぅぅ、おっ……!」
冬弥の食いしばった歯から、血が一筋垂れ落ちる。骨が軋む音さえ聞こえてきそうな、激しいコントロールレバーの抵抗を、力ずくで押さえつける。首に巻かれた布に、血の赤がほんのりと滲み出した。
グリップを強く握り、全力で押し出した。
赤黒い大気圏の中で、黒曜石の刀が翼を広げた。
その姿は、最も危険な「黒鳥」の姿。
展開されたバーニアが、光を解き放つ。
切っ先が、黒い残影を残して見えない壁を切り裂いた。
純粋な静寂。そして、抵抗が消滅する。
船内がじんわりとした闇に染まり、そして、冬弥の体から痛みがすうっと抜けていった。
「…………はぁあああぁぁぁ…………」
冬弥は体をシートへあずけた。力を込めて、引き剥がすようにコントロールレバーから手を離す。緩みが体を伝播していって、冬弥はうなだれた。
さっきまでの振動と熱が、嘘のように消え去った。
三人を乗せた戦闘機は、成層圏を漂い始める。傷ついてなお飛ぶ鳥のように。
地球。遠い眼下に雲と、透き通る海が広がる。高々度から見た地球は、うっすらと丸みを帯びて、薄い大気に包まれていた。
「終わった、よ。弥雲」
冬弥は言って、後ろを振り返った。
弥雲の瞳が、静かに閉じられていた。




