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綾神虚草紙  作者: 鈴河悟
7/9

五幕・束ね寄せ、揺れる霞の戦舞

 弥雲の視界の中で、赤い弦が縦横無尽に走り、交差し、織物を形作る。

 織物を見切り、かいくぐり、間を縫って静立する。

―――(すさ)(かぜ) 鳥止まりたる(ぬれ)(やなぎ)―――

 弥雲の体内、六十兆からなる細胞が生み出す気に、全身が満たされる。

―――(ゆる)()る 流れ流れる(かざ)(ごろも)―――

 体中の気が、寄り集まり綾を成すように、支流が大河と成るように、掌に集中していく。

―――(ほぐ)()ぜ 綾にて綾を()(ほだ)せ―――

 弥雲の美しい掌が、義体兵にそっと押しつけられた。

 体中の筋肉、骨格、血液、細胞、それら全てが生み出すエネルギーが、ある一点へ流れて集約していくイメージ。古代の武人はそれを大河に見立て、気、と呼んだ。

 綾神ノ舞とはその流れをさらに精密に関知し、制御する業である。故に、「気即弦」と説く。

 そして、それ故に一騎当千。倭国大乱、邪馬台大戦、源平合戦、関ヶ原の戦い……英雄豪傑犇く数々の戦場にあって、舞い踊るかのように敵を屠ってきた、武神にして舞神の業であった。

 集約された弥雲の弦は、純粋な破壊力に転化され義体兵へ叩きこまれた。

 その掌は衝撃吸収材も受け身も関係なく、内臓を砕き骨を粉砕して、義体兵の体を吹き飛ばした。

 その姿はまさに美しい舞いであった。鳳仙院に伝わる歌舞音曲は、綾神ノ舞の極意を謳っている。長い歴史の中、連綿と伝えられた舞と武の奥義である。 

激しく静かな舞いの最中、視界の隅によく見知った顔を見留める。

「冬弥……」

 アサルトライフルを携え、低い姿勢で縫うように駆けてくる影。

 弥雲が銃弾を避けると同時、冬弥がその射手へ向かいトリガーを絞る。義体兵は体をくねらせ、その場にだらしなく倒れた。

「大丈夫……だよな。さすが」

 とあるビルの壁に、二人は背中を付けて隣り合い、横目で見つめ合った。

「いや、助かりました」

「へ?」

 どう見ても優勢だった弥雲が、ため息と共にこぼす。

「実際、掌打くらいでは終わりませんね。面倒です」

 その言葉に応えるように、ゆらりと義体兵が立ち上がった。そいつは小首を鳴らしながら拳銃を抜く。

「うーん、痛みってのは無視できるからねえ……」

 冬弥がしみじみと言った。しかし指は躊躇無くトリガーを引き、拳銃を弾けさせる。続く射撃で、立ち上がった義体兵の頭を撃ち抜いた。噴き出す血が尾をひく。

「冬弥……あなたは……」

 弥雲は絞り出すように呟き、冬弥を見た。

「……全く、何でこんな事になったんだか」

 ため息をついて、冬弥は首を傾げる。ゆっくりと周りを見る目は、義体兵達を油断無く索敵していた。

「けど……彩花が頑張ってるから。俺も何かやるんだ。それに……」

 冬弥は躊躇いがちに俯いて、あさっての方を見て、天を仰いで、また俯くと、ようやく口を開いた。

「弥雲を……死なせたくない」

 言ってから、ボッと音がしたかと思うほど顔が赤くなる。

「……え、ええと、それはええと……」

 弥雲が目を泳がせる。お互い必死に視線を逸らしていると、銃撃が走った。飛び退って二人は避ける。

「そういう場合じゃないね」

「そうですね」

 目を瞑り、弥雲はそっと呟く。

「万生、万死は合成りて環の縁を紡ぐ綾なり……」

「え?」

「いえ……。貸して下さい」

 言うが早いか、弥雲は冬弥のベストから、コンバットナイフを引き抜いた。

「徒手空拳よりは、いくらかましでしょう」

 重みを確かめるようにナイフを振ると、すっと携えて、立つ。

 そして、風が走った。

        

 扉の向こうから伝わるかすかな振動は、義体兵との戦闘が始まったことを如実に伝えていた。

「……どうして、義体兵を使って虐殺したの?」

 アリスは小首を傾げて苦笑した。

『勘違いなさらないでください、彩花博士。もともと義体兵部隊は”彼ら“が送り込んだものですよ。ウィズダムを制圧するためにね』

「ウィズダムを、制圧?」

『ええ。いかなる国家にも属さない科学力の存在を、彼らが許すはずありませんわ。制圧か、場合によっては占拠、破壊するつもりだったのでしょう』

 華やかにほほ笑み、アリスは得意げに付け足した。

『まあ、すぐに私のお人形にしてしまいましたけど。なかなか使い勝手のいい駒ですわ』

「そう……」

 彩花の眼はアリスをじっと睨み、手は目的を果たすために休み無く動いている。表情はあくまでも冷静だ。

 白い電子の海の上に、アリスは悠々と立っていた。

 彩花の周囲に、無数の刃が姿を現す。機械的な意匠を施されたそれらは、切っ先をアリスへ向けて一斉に迸った。

『あら、そんな攻性プログラムじゃ……』

 アリスは指揮を執るように指をすうっと振った。

 大地の震えるような重低音が響いた。刃は不可視の防壁に阻まれ、いくつもの欠片に砕けて散らばった。

 アリスはゲームでもしているかのように、微笑んで残骸を見送る。

彩花は素早く、異なるパターンのプログラムを放った。輝く光球が、アリスへ向けて鋭く駆け抜ける。

 アリスが同質の光球を叩きつけ、相殺する。しかし、彩花の光球は弾けて、無数の玉となってアリスを襲う。

『……まぁ』

 アリスの周囲、一メートル以内で、全ての玉が蒸発し、かき消えた。衝撃の余波でエレクトロスフィアに韻々と響きわたった。

『ふふっ、次はこっちの番』

 アリスはそう言うと、両手を大仰に広げた。その手に沿うように、光る腕が現れる。腕は有機的に動き、彩花へ向けて殺到した。

その様を視界に収め、彩花は唇の端を僅かに上げた。


 戦場を駆け抜ける風。舞い散る血は、義体兵への献花のように、凄烈に花開く。手向けるのは綾神弥雲。無骨なコンバットナイフだが、弥雲の手で操られると、研ぎ澄まされた小太刀のように美しく輝く。それが煌めく度、そうなることがあらかじめ決まっていたかのように、義体兵は斬られていく。儀式のようにさえ思える弥雲の舞い。光る刃が踊る様は、まさに剣舞であった。

「……こんなところですね」

「……すごいね。綾神ノ舞」

 口はそう動く間も、冬弥の眼は照準し、指はバースト射撃を行っている。援護射撃を油断なく行いながら、冬弥は弥雲の元へ近づいた。

「そうでしょうか。まあ歴史は長いのかもしれませんけど」

「歴史が長い?」

「ええ。嘘か誠か、綾神の家系図には卑弥呼の名が載っています。倭国の大乱を綾神ノ舞で治めた、とか」

 コンバットナイフが振り煌めき、血雨が降り広がる。

「凄いね……」

 冬弥は轟音を響かせ弾を吐くライフルと裏腹に、気弱げな顔をしていた。


 吹き抜ける風と、逆まく炎が吠えた。

『熱っ!』

 彩花の周りを一瞬にして取り囲んだ炎の壁は、光る腕を灼き、アリスにまで一気に到達した。彩花が練りに練った防壁プログラムは、容赦なく相手を灼き尽くす。

『……恐ろしい人だわ』

 半身を灼かれ、アリスは消し炭になった体を払う。パラパラと黒こげになった部分が落ちると、傷一つない体が現れた。

 常時バックアップをとり、自己修復機能を展開させた結果である。

 エレクトロスフィアに、口笛の様なノイズだけが流れ行く。

                 

 軽快な連射音の末に、空の弾倉を叩く音がした。

 小さく舌打ちすると、冬弥は鉄棒と化したアサルトライフルを構える。建物の影を縫って、義体兵の眼前に躍り出た。

「ほっ!」

 呼気一閃、アサルトライフルを横殴りに振り、義体兵を吹き飛ばす。ぽきん、という軽い音がした。すぐさま駆け寄り、アサルトライフルを奪うと、振り向きざま横薙に連射して弾幕を張る。その間に義体兵の懐からマガジンを取り出すと、条件反射のように交換する。腰を低くして、滑るような速さで動き出した。

 きん、と不快な感覚が冬弥によぎる。いくつもの死線をくぐったものだけが持つ勘が、冬弥に危険を知らせた。そのまま、弾かれたように横っ跳びに逃げる。間髪いれず、さっきまで冬弥がいた場所に、ライフル弾が撃ち込まれた。

 頭を巡らすと、冬弥は僅かな輝きを眼に納める。ある建物の屋上、距離はおよそ三百メートル。戦場で、何度も見た光だ。

(戦場……?)

 よぎる疑問は意識の外へ、冬弥の体は淀みなく作動する。

 ゆっくりと、確実な射撃姿勢をとると、アサルトライフルを単射に設定。呼吸を止め、いつ引いたか分からないほどゆっくりと、引き金を引いた。

 ちゅん、という音がして、スナイパーライフルを持った義体兵が床へ滑落していった。

「……やってみるもんだな。三百で当たるなんて」

 口を引き結び、冬弥は戦闘へ戻る。

 その頃、義体兵はフォーメーションを組み、弥雲を取り囲んでいた。距離をとり、銃口を掲げる。

 はっ、と一息をつくと、弥雲は眼をこらした。無数の赤い糸が伸びている。それは狙いを絞らず、その代り広範囲に弾をばら撒くことを意図した射撃を示していた。

「……かわせない、ですね」

 弥雲は背中を向け、一息に駆け出した。

 対して冬弥は、近接戦闘を強いられていた。手の届く距離では銃よりナイフの方が速い。弾切れのライフルを盾代わりに使うが、数度の攻防を経て弾き飛ばされた。

「……っのやろ!」

 冬弥は見切るのが精一杯だ。体を捌きながら、何とか拳銃を抜き払い、撃つ。ろくに狙いもつけずに放たれた弾丸は、防弾繊維を編み込まれたベストに阻まれ、本来のストッピング・パワーを発揮できずにいた。


 エレクトロスフィアに漂うノイズは音量を増していた。彩花の放つプログラムを、アリスが悉く破壊した痕である。アリスのドレスにも、所々焼けた跡がある。

『流石ですね、彩花博士』

 呆れたように苦笑して、アリスは言った。

 対する彩花は肩で息をしている。度重なる頭脳労働で、軽い目眩を引き起こしていた。あらゆるパターンのハッキングを試みたが、全て阻まれている。

「……貴女こそ大したものだわ。とてもユニークね」  

『ありがとうございます。博士の御期待に添えていますか?』

「人間に限りなく近い思考、超速演算、柔軟な創造性……全くふざけた代物だわ。期待以上よ」

『まあ、嬉しい』

「さすがラグファルド所長ね。未完成部分を補完して、ここまでの性能を持たせるなんて……」

 彩花の推察に、アリスは微笑を以て応える。

『……ヘリアンサスの発射まで、あと……』

 アリスは天を見上げ、デジタルカウンターを見つめた。

『あと十五分。まだ遊べますね』

 アリスはにっこりと笑った。

『……ひとつ、聞いてもいい?』

 彩花は疲弊も露わに尋ねる。アリスは小首を傾げ、先を促した。

「このままヘリアンサスが発射されたら……アンタはどうするの?」

 彩花の問いに、アリスは幾分か言い澱んだ。口を開こうとし、閉じて、肩を竦め、ややあってため息と共に小さく呟いた。

『……つまらない質問ですね』

 彩花はむっと眉をひそめた。

『AIにその後などありませんわ。あるのは命令を遂行する意志だけです』

「そう……」

 彩花はそう言って、視線を手元へ落とした。

「しょせんプログラムか」

 低い、陰気な声だった。


 姿勢は低く、より有利なポジションを目指して冬弥は走る。その視界に、走ってくる弥雲の姿が入る。戦場にあるまじき、落ち着いた美しい顔。冬弥はしっかり見とれてしまうが、その後ろには追撃に走る義体兵が連なっていた。

 二人は走り寄り、交差する瞬間に視線を交わすと、一瞬にして立ち位置を入れ替えた。

 銃を構えた義体兵の前に冬弥が立った。機械的な反射で引き金を引く。銃声と同じ数の義体兵が手を吹き飛ばし、足を吹き飛ばし、血を撒き散らして倒れていく。

 一方、ナイフを携えた義体兵の前に弥雲が立つ。

「ふむ。こういう方が、私もやりやすいです」

 ぽつりと呟くと、五人いた義体兵は全身に刀傷を負い、血を吹き出して倒れた。

「助かったよ」

「ええ、こちらもです」

 呟き合い、二人は敵勢へ向けて再び構えをとった。


 彩花の指が、キーボードをはいずり回る。

 アリスは眼前の動向に注視した。だが、目立った変化はない。

『……どうしました?』

 アリスが訝しげな顔を浮かべると、

『……音?』

 小さな、だが無数の「音」が、漂うノイズに共振し、僅かに蠢動を始める。

『まさか……』

 初めてアリスの顔に動揺が走った。そして身を翻し、防壁を幾枚も展開するが、それよりも先に、電光の速さでそれは起こった。

 プログラムの残骸に過ぎなかった無意味なコードが、一つの意志のもと有機的に動き始める。寄り集まり、雲霞となって、アリスの防壁を躱し、侵食し、突破していく。攻性プログラムの「雲」が、アリスを一瞬で包囲し、ぎりぎりと締め上げた。

『……プ、プログラムの……断片を?』

 苦悶の声を上げるアリスを無視して、雲は指数関数的に拡大し、エレクトロスフィアに満ちあふれる。バックアップも何も関係なく、彩花の雲はエレクトロスフィアを飲み込み、支配していく。

「ええ。アンタが破壊するのを見越して、仕込んだプログラムのユニットが残骸として残るように、ね」

 雲に拘束され、声にならない声をあげ、アリスは息を荒げた。アリスと雲の接触部分が、光の粒子となって霧散していく。ナノレベルの強制消去プログラムがじりじりとアリスを侵食していた。

『……このまま死ぬのは……嫌……』

「みんなそうよ」

 彩花は冷たく吐き捨てた。

「死を怖がる、か……。まったく」

 彩花は大きなため息を付くと、幾つかのコマンドを入力した。

「暫くおとなしくしてなさい」

 雲は見る間に凝縮される。それに乗じてアリスも圧縮され、小さな球体に封印された。

 それを見届けて、彩花は肩を落とし、息を吐いた。

「……まだ、終わってない」

 彩花は少しペースを落としながらも、キーボードを叩き出す。

『……見事だ、ミズ・エンフィールド』

 唐突に、声が発せられた。

 彩花は一瞬、動きを止める。しかし、またすぐに指を動かし始めた。

 ヘリアンサスの制御に干渉しながら、彩花はその声に応えた。

「ラグファルド所長」

 エレクトロスフィアのグラフィックが、白い空間から瀟洒なビクトリア調のリビングに切り替わる。その変化は、別の回線が接続してきたことを示していた。

 リビングの奥、格調高いテーブルセットに、白衣の男が座っていた。

 クライン=ラグファルド。古強者然とした豊かな髭を持ち、鳶色の瞳に知性と繊細さと、静かな狂気を宿す男だった。

 彩花は最後の実行キーを押すと、肩を落として深く息をついた。

「……ごめん、美晴さん……」

 警告音が響き、ヘリアンサスシステムへの侵入者の存在を知らせている。だが、彩花には全ての結果が見えていた。

『感傷的なことだ』

 手を叩きつけ、彩花は全身でラグファルドに向き直った。

「どういうつもりですか、所長!」

 中空に浮かぶリング状のゲージが点滅を始め、白い領域をわずかに残して動きを止める。

 数拍の時間をもって、突如としてゲージは粒子になって四散した。

 今この時をもって、ヘリアンサスシステムは消滅した。

 彩花はそれを告げる画面を見つめ、ぎりっと下唇を噛みしめる。

『止まったか……残念だ』

 さして残念そうではない、興味の失せた声だった。

 ラグファルドの眼を見て、彩花は寒気を感じた。ただ暗く、引き込まれそうな瞳は、彩花を見つめ、他の全てを見透しているようで、その実、何も見ていない。何も映っていない。混沌と虚無が内在した瞳だった。

 ラグファルドが手をかざすと操作コンソールが表示される。

 軽い電子音を合図に、モニターに映像が映った。交戦し、倒れる義体兵の姿が映る。

 彩花ははっと眼を瞠る。ほうっと力が抜けて、へたりこんだ。

『……こちらも、これで全滅、か』     

 ラグファルドはコンソールを指で叩いて言った。

 ぼろぼろになった冬弥と弥雲が、モニターの向こうで、緊張を解いて脱力していた。

「所長……全て、説明して下さい」

『それよりいいのかね、ミズ・エンフィールド』

「……なにが」

 言いかけて、彩花は言葉を飲み込んだ。


 スフィアゲート周辺は、血塗れでうずくまる義体兵達の骸と、血と硝煙の匂いが漂泊する、異形の空間だった。

 その中で、立っている影は冬弥と弥雲の二つだけ、であった。二人とも、そこかしこに傷を負い、返り血を浴び、肩で息をしている。

「終わりました、ね……」

「うん……お疲れ」

 冬弥はそう言って、大の字に寝ころんだ。深呼吸すると、血の匂いがした。

「……弥雲?」

 ふと、冬弥は首を巡らせ心配そうに弥雲を見る。弥雲はナイフを握り、軽く宙にかざしていた。かざした刃は、切っ先から柄、手首まで、血に塗れて光っている。 

「……ずいぶんと、殺めてしまいました」

 左手で、肩口に触れる。そこは、黒く染まっていた。着物の二藍と、犠体兵の返り血、そして、弥雲自身が流した血が混じり合う、混沌の色だった。

「…………弥雲」

「わかってます。生も死も、一つの相の顕れ。そんな事はわかっているんです。それこそが鳳仙院の説く、世の理なのですから……」

 ナイフの柄を強く握り、一息に振り下ろす。硬く澄んだ音が響き、コンバットナイフは床に深々と突き刺さった。

 柄から手を放し、見つめる。わずかに見える、震え。

 弥雲は手を握り、そっと閉眼する。

 うっすらと、握った拳から力が抜けていく。

 弥雲は冬弥に向き直ると、小さく尋ねた。

「あなたは、恐ろしくないのですか?」

「え?」

「人を殺した、という事が」

「………………え?」

 冬弥は、呆けて弥雲を見つめた。

 弥雲がそれを、物憂げに伏せた秀目で見つめ返した。

 冬弥の記憶の片隅に、それは焼き付いていた。義体兵と初めて遭遇したとき、無意識が突き動かした体は、血雨を降らせ、彼らの命を絶った。

「……俺、ずっと殺してた……」

 冬弥は強く眼をつぶった。視界が黒く塗りつぶされ、次第に網膜の赤が意識されていく。そして固い結び目をほどいていくように、ゆっくりと開けていった。

「なんで……俺は……。敵を、目標を殺した。排除した。無力化した。確認、実行、作戦、要撃、殲滅……」

 刷り込まれた台詞を再生するような、機械的な口調。

「冬弥?」

「わからない。わからない、なんで俺……殺した? 俺が殺した? どうして?」

 瞳を震わせ、冬弥は座り込む。瘧を起こしたかのように、震え、青ざめ、汗を流した。それは、彼の中で、今初めて、戦闘・殺人という行為が意識に上ったが故の反応だった。

 自身の行動の意味を、人は無意識に理解する。だが彼の意識は、彼の体を本当の意味で支配してはいなかった。罪の意識に苛まれている、という次元ではない。生まれたての、まだ言葉も知らない赤子に、自身の行動が「殺人」だった、と、罪を突きつけることに等しい。

 震える冬弥に、弥雲は真摯な眼差しを向ける。

「冬弥……。聞きなさい」

 弥雲はすっ、と立ちあがり、鳳の翼のように手を広げ、舞い始めた。


―――万生(ばんしょう)万死(ばんし)(あい)()りて、(たまき)(えにし)(つむ)(あや)なり


(あや)(めぐ)りて久遠(くおん)(きざ)み、万死(ばんし)より万生(ばんしょう)()(めぐ)


死命(しめい)生命(しょうみょう)(たく)()め、生命(しょうみょう)死命(しめい)宿(やど)して(いのち)(うん)ずる


(あや)(あや)(あや)とを()つめ、(あや)なす天地(てんち)(いと)(ことわり)―――


 弥雲の舞を、冬弥は呆然と見つめた。美しく、壮麗な舞。だがそれ以上に、幽玄の神秘を宿す舞だった。森羅万象の真理に触れたかのような、底知れぬ気配を纏う舞であった。

 弥雲は張りつめていた顔をふっと緩め、柔らかに微笑んだ。

「……鳳仙院が一の舞、『万命之(ばんみょうの)(いと)』です。命とは、殺し、殺され、紡がれていく。そういうものです。だから……」

 少し困ったような、儚い弥雲の笑顔。それは静かに、だが暖かい。冬の陽射しのような美しさだった。

 それを断ち切るように、突然の轟音と衝撃が二人を襲う。見上げると、空に穴があいていた。その先に見える虚空は、暗く、星々の輝きを湛えていた。

『っ冬弥ァ! 弥雲ォっ!』

 絶叫に似た涙声が、どこかに据え付けられたスピーカーから響きわたった。

 それと同時に、冬弥と弥雲の周りのものが、揺れて、ふわりと、浮き始めた。

                        

 彩花の眼前のモニターが、次々に変化を見せる。彩花自身、その変化に翻弄されるばかりで何も対応できずにいた。

『……人類が宇宙に進出してから、地球の周りはデブリで溢れかえった』

 けたたましい警告音と共に、真っ赤なDENGERの文字が点滅する。彩花はラグファルドを睨みつけた。

『宇宙建造物は、スペースデブリの衝突の脅威に常にさらされている。ウィズダムはデブリの補足、破壊をメインコンピュータ、そしてアリスに任せていた。アリスが封じられた今、ウィズダムを支配しているのは君だ』

 彩花は警告とラグファルドの言葉を無視して、ひたすらコントロールを進める。だが、人間一人で制御するには、ウィズダムはあまりに大きすぎた。それでも諦めず、彩花の手は止まることなく動き続ける。

「……あの二人は……絶対死なせないっ!」

 涙を浮かべ、それでも毅然とした声で彩花は叫んだ。


 そこかしこの義体兵の死体が風にさらわれた。木の葉のように舞い飛び、五層からなる隔壁に体を打ちつけながら、真空の闇に飲まれていく。

 各種の資材コンテナが、重量を無視されたように吹き飛んでいく。

 一秒に満たぬうちに、辺りには小さな二つの影が存在するのみとなった。

 だがその影も、一瞬後には舞い散る木の葉となる。

 弥雲の体が、風にもぎ取られた。

 冬弥はとっさに手を伸ばすが、手のひらは空を切るだけだった。漆黒と真空の冥界への入り口が、容赦なく弥雲を呼ぶ。

「……っ弥雲!」

 唇だけがそう動き、冬弥は飛んだ。亀裂へと向かう風に、冬弥の体が乗った。

                  

 全ての音を伝えない、真空の宇宙空間で、逆さまの花弁がゆっくりと動き出す。その先端で、電力が暴れ、燻っている。

 ヘリアンサスは全ての機能を停止しながらも、すでに精製されたエネルギーはじっと行き場を探していた。               

                        

 風に乗った体は、弥雲を追い越して吹き飛んでいく。

 冬弥は支えになる固定物を掴む代わりに、拳銃を掴んだ。

 それは、己を支えるという意味では、彼に最も相応しいものであった。

 銃口を亀裂へ向け、照準をつける。呼吸をするのと同じくらいに、自然で当たり前な動き。

 狙いは遥か遠く、ウィズダムの空、つまり天井隔壁の一角にある、デンジャーストライプで区切られた小さなパネル、緊急閉鎖スイッチに定められていた。

冬弥の体内の時計だけが、ゆっくりとすすむ。指に力を入れ、素早く引き金をひいた。

 一発目がガラスを破り、二発目がスイッチを叩く。

 その衝撃が、ガス圧ハッチの起動ボルトに着火した。

 天井を格子状にブロック分けした緊急隔壁が作動し、亀裂の入った区画を次々に塞ぐ。

 冬弥は強引に体をひねり込む。筋力だけで振り向いた先、視界いっぱいに見えたのは弥雲の姿だった。

 両腕で、しっかりと弥雲を抱き止める。だが慣性の法則は、そのまま二人を吹き飛ばし、冬弥の背中を隔壁へ打ちつけた。

 がっと肺から息が押し出され、反射的に何かを掴もうとする。

「…………っ!」

 差し出した右手には、拳銃が握られていた。手が、それを放そうとしない。

「クソッタレ……」

 重力が仕事を思い出したように二人を引きつけていく。加速度が増加する中、冬弥は拳銃を投げ捨てた。

 腕を大きく伸ばし、右手に強い触感が生まれ、はずれるかと思うほどの痛みが腕全体を走る。かろうじて苦鳴を飲み込むと、冬弥は大きく息を吐き、吸った。

遠く下方で、金属の塊が落ちる音がした。わずかな埃や破片が、床へ向かい落ちていった。

 冬弥の右手は、ある研究棟の屋上のフェンスを掴んでいた。筋が伸びきり痛痒を走らせる。

 冬弥は身震いすると、腕の中の弥雲を見てみた。長い睫毛が伏せられている。それが小さく動き、弥雲は眼を開けた。そして頭一つ分上にある、冬弥の顔をじっと見つめる。

「冬弥……?」

「だ、だだ大丈夫?」

 弥雲はまだ現状がわからず、頭を巡らせた。そして、自分の足下に広がる、何もない空間に眼がいった。

 弥雲は真顔から、みるみるうちに眼を点にすると、あえなく白目をむいた。

「……すげえアワふいてる……」

 冬弥はため息をついて、弥雲を優しく背負った。 

                

 エレクトロスフィアに映し出されたその光景を見て、彩花は力無くへたり込んだ。その顛末を目の当たりにしても、ラグファルドは微動だにしない。

 彩花は顔を上げ、ラグファルドを睨み付けた。

「……どうしてですか?」

 彩花の問いにラグファルドは答えない。沈黙の後、改めて彩花が口を開く。

「どうしてこんなことを……。貴方は賢者と呼ばれるほどの、聡明な科学者だったじゃないですかっ! それなのにっ……」

『……私は、賢者などではないよ。世界に翻弄されるだけの、非力な男だ』

 深々と息をつき、ラグファルドは椅子に深く座り直す。

『そんな男が、”世界から戦いを無くそう“と力を尽くしたのだ』

「戦いを……無くす?」

『しょせん、叶わぬ夢だったようだがな』

 ゆっくりとラグファルドは彩花へ視線を向ける。その視線は穏やかで、深い思慮と強い諦観に塗りつぶされているようだった。

『ヘリアンサスは素晴らしいシステムだ。ミズ雪坂らしい、慈愛に溢れたアイディアだったな。それが、こんな形で失われたのは実に残念だ』

 突然の賞賛に、彩花は訝しげに眼を細める。ラグファルドはそれに構わず続けた。

『だが、ヘリアンサスは核を超える兵器でもある』

「っ! 違います!」

『私もそう思っていたよ。昔はな。だが、我々科学者の意図に関係なく、兵器にしようとする者達がこの世界にはいる』

 ラグファルドの言葉に彩花は息を飲む。それは科学者なら誰もが抱えるジレンマだった。空を飛びたい、月に行きたい、世界の真理を知りたい。そうした純粋な科学者の想いが、あらゆる兵器を生み出してきたことは、歴史が証明している。だからこそ、「科学者の自由な楽園」と謳われるウィズダムは、科学者たちの理想だったのだ。

『……彼らにより、遅かれ早かれヘリアンサスはこうなっていただろう。……力は、より強い力を以て制する。アリスは、それを嘆いていたのだ』

「アリス?」

 ラグファルドの独白を、彩花は思わず聞き返す。だが、ラグファルドは意に介することなく、言葉を継いだ。

『抑止論は対症療法でしかない。戦いは、また新たな争いを生み出す。我々はあの時、既にそう結論づけていた』

 ラグファルドの眼は彩花を映しながら、それよりももっと遠くのものを見つめている。

『だが、時代の趨勢は止められない。それどころか加速さえしていた。ミズ・エンフィールド。我々科学者もまた、人を殺す存在だ』

 彩花は歯を食いしばった。

『人類は皆、他を圧倒し駆逐する事を望む生命だ。科学は使い方次第だ。では、その使う存在が不完全なら? 君はそれらが……人間が、完全だと言えるか?』

「…………それは」

『よって、戦いを無くす最も確実な方法は、人類を滅ぼす事だ』

 彩花は一瞬、自分の耳を疑った。その意味を理解するのに、数秒を要した。

「そん……な、そんなこと、許容できるわけがないでしょうっ!」

 思わず彩花は声を荒げる。それは、あまりに荒唐無稽な暴論だった。誰もが到達し、誰もが苦笑するような、いっそ幼稚なまでの極論。彩花にはその言葉が、あのクライン=ラグファルドから出たものとは到底思えなかった。

 だが、彩花の前のラグファルドは微動だにしない。その身には変わらず、深い知性が宿っている。

『それは何故かね?』

「何故、って、当たり前です。人類を滅ぼすなんて……」

『ならば、戦いに満ちた歴史を、これからも繰り返すことが賢明だと思うかね?』

「それは……そうならない道を模索していかなくちゃいけないことです」

『そうだな。そしてそれは、根本的解決にはならない。我々が生命である限り、解決できないのだ』

 そこまで言って、ラグファルドは大きく息を吐いた。

『生命は、他の生命を殺さなくては生きていけない』

 彩花は眼を見開き、声を失った。現代の賢者が得た真理、それの纏う絶望の闇を、彩花は垣間見た気がした。

『生命体である以上、闘争をやめることはできない。滅亡を許容することはできない。それ故に、ヘリアンサスが必要だった。地球規模の災厄による滅亡ならば、運命とでも、天罰とでも好きに呼んで、人は受け入れることができる』

 ラグファルドの想念は、物理的な力であるかのように彩花を圧した。それは殺人者の狂気ではなく、狂信者の信仰でもなく、ただただ冷徹な科学的考察の末にたどり着いた「空虚」であった。圧倒的な空虚、その深淵を覗き見た彩花は、身を固くしてよろけて後ずさった。

「大丈夫か、彩花」

 突然、間近で声がした。彩花が振り向くと、弥雲を背中に負った冬弥が立っていた。

「とう……や」

「こっちは、何とか終わったよ」

 冬弥は力無く笑って言った。彩花は泣きそうになるのをこらえて、幾度も頷いた。

 そして冬弥は、瀟洒なリビングにいるラグファルドをじっと見つめる。

「あんたが、クライン=ラグファルドか」

 ラグファルドは冬弥の声が聞こえていないかのように深々と嘆息した。

『思えば様々なイレギュラーが重なったものだ……。SS計画の破棄個体が、自律行動するとはな』

「……破棄……個体?」

 冬弥は思わず、ラグファルドの言葉を繰り返す。

『考えうる理由はやはり……綾神弥雲によるNI実験の影響か』

「何のことだ?」

『多重人格の発生に似たケースかもしれんな』

 ラグファルドの言葉に、冬弥は眼を見開いた。全身から汗が噴き出し、喉が細く小さく閉まる。全身に、冷水を浴びたような悪寒が走っていく。弥雲を支える手に、思わず力がこもった。呼吸は荒く、まるで野獣の唸り声のようだ。

「何の、事です? 何を言ってるんですかラグファルド所長!」

 彩花の声が上擦る。ラグファルドは眼鏡のブリッジを指先で押し上げると、一つ息を吐いた。

『その個体が、SS計画の実験体だということだ』

「SS計画……」

 彩花が小さく繰り返す。眉を寄せ、不安そうに視線を泳がせた。

『そうだ。……世界中の精鋭部隊のマニュアル、特殊部隊の作戦経験、軍人の記憶。それらを、脊髄に埋め込んだポートを通し大脳新皮質に刷り込み、練度の高い兵士を量産するという構想だ』

 ラグファルドは淡々と説明を連ねた。冬弥はそれを拒否しながらも、本能的に傾注している。ラグファルドの声が、闇が染み入っていくように冬弥を侵していく。

『インターフェイスとして統合用人格を創出したのだろう。その分、記憶領域に負担がかかっているはずだ』

 冬弥の歯の根がかみ合い、ぎりぎりと音を立てる。傷の痛みが、じわりと息を吹き返す。顔には、戦闘中ですら見せた事のない、苦渋に満ちた表情が浮かんでいた。

『……人格とは環境によって形成されるものだが……その意味ではそれに人格など、生まれ得るはずがなかった。だが、現にこうして自我を持っている。しかも、極めて戦闘に特化した性質を獲得し、投入された部隊を全滅させるとはな』

 そこで一息を区切る。小首を傾げ、初めて冬弥に視線を向けて、ラグファルドは言った。

『その個体は、実に優秀な義体兵だ』

 その声をたたき壊すように、冬弥はラグファルドを殴りつけた。だが、そこには不可視の障壁があり、冬弥の右拳は空中を殴りつけて止まっている。俯いていて眼は見えない。

 障壁の向こうで、ラグファルドはじっとその様を見つめる。

 冬弥は強く拳を握りこんだ。彼の眼が震え、徐々に焦点が合っていく。

 冬弥の瞳がきゅうっと縮まった。

 記憶の向こう側で、義体兵がずらりと並んだ。

 一つの巨大な意志に操られるように、彼らは右手を己のマスクへ伸ばす。

 想像ではない。記憶の片隅に、確かに記録されていた光景。

 露わになる義体兵の素顔。それは、―――濁った瞳の『冬弥』たち。

 そして真っ黒なノイズが、冬弥の意識を塗りつぶした。

 気を失い、膝を突いた冬弥を、弥雲が支えた。そのままゆっくりと、冬弥を抱き抱えて座り込む。

『綾神、か。君の戦闘力も想定外だった』

 弥雲を見つめ、ラグファルドは呟いた。

『実に興味深い脳構造だな。それを転写しようとしたが、あまりにも情報量が多く処理しきれなかったために、その個体は破棄されたのだ』

 弥雲の腕に力が込められる。意識のない冬弥の体が、弥雲へぐっと近づく。

『行動停止したようだな』

「……きっと、悔いているんです」

『悔いる?』

「義体兵たちを殺めた事を」

 弥雲は顔を上げて、ラグファルドを正面から見すえた。

「貴方は彼らが死んで、何も感じませんか?」

『戦闘力、統制力に欠けた結果だろう。仕方あるまい』

「……殺した私たちには?」

『私の関知するところではない』

 弥雲はうつむき、気絶した冬弥を抱きしめた。拍動が、胸を伝わっていく。ひどく、弱々しい。それでも、必死に感じ取るために弥雲は体を寄せる。

『君たち一つ一つの存在は許容範囲内だった。君たちが出会い、結託したこと。それが最大のイレギュラーだったのだろうな』

 呆然と佇む三人を、ラグファルドは見つめる。空調の音だけが、全員の耳を静かに揺さぶった。

 不意に、警告音と共に大きなウインドウが現れた。それは中継映像で、暗い宇宙に浮かぶ地球を写し出している。地球は青く、美しく輝いていた。

 そのウインドウには、地球に比してあまりに小さいが、宇宙空間を飛ぶ二本の円筒が映されていた。大気圏外でゆっくりと見えるが、それはその実、音速を超える速度で飛来していた。 

 その弾頭に詰め込まれたのは、破壊以外生む事のない炎、核であった。 

 そのウインドウを見つめ、ラグファルドは密やかに笑った。

『……彼らだよ、我々に義体兵を開発させたのは』

 懐かしい思い出話をするように、ラグファルドはしみじみと語った。

『強靱な体と豊富な経験を持つ兵士。それを育成するには膨大な時間がかかる。そこで彼らは、クローニング技術を基本に、兵士の大量生産を計画した。Project:SacrificeSoldier……通称SS計画だ』

 誰も、ラグファルドの高説を阻まなかった。管制レーダーが、接近するミサイルにようやく警戒信号を示す。だが、迎撃は叶わなかった。ラグファルドは無関心を通したまま、口を開く。

『……義体兵部隊は、ゼロカジュアリティ、人間を危険な戦闘にさらさない、という人道的理由から発案されたものだ。かくして犠牲の為の兵士は生み出された……』

 ラグファルドはふと口を閉じると、眼鏡を小さく押し上げた。レンズに光が反射し、その視線は見えなくなる。ラグファルドはコンソールで、指を踊らせた。

『そんなに命が大切ならば、最初から争いなど起こさなければいい』

 小さな獣の唸り声のような音が響きだす。それと共に、首輪が点滅を始める。

『命令に従順に従い、死をも恐れぬ兵士……』

 弥雲の前に、影が立ち上がった。

『こんなモノを、つくってまで……』

 影が顔を歪め……ごめん、と口を動かした。

                

 冬弥が走る。踏み出すと同時、赤い放物線が閃いた。

「冬弥っ!」

 彩花の声の先で、弥雲が流れた血を拭う。

 冬弥はアサルトナイフを携えていた。

「……殺気が籠もってないと綾には見えないんですよ」

 片目を血で塗り、弥雲は冬弥を真っ直ぐに見つめる。互いの視線に、ナイフが割って入った。

「……ごめん。でも、止められないんだよ、ちくしょう……」

 猛獣のように突進し、アサルトナイフが光る。

 弥雲は身を翻し、ぎこちなく舞った。紙一重でナイフをかわすが、幾筋かの血煙を噴く。弥雲は突如、冬弥に背中を向けた。

「……私が、止めます」

 瞬転、床を蹴る音。流れる風。そして、部屋には彩花だけが残る。

 戦いの音はじりじりと遠ざかり、外へと舞台を移した。


 彩花の前に浮かぶモニターには、ウィズダムと核ミサイルの座標が示されていた。警告する電子音の間隔が、次第に狭まっていく。

 彩花は唇を噛んで、キーボードを操作する。エレクトロスフィアに、ホログラムの小さな光が灯った。

『惜しまれる命、見過ごされる命、捨てられる命。命の価値は、平等ではない』

「……命の、価値……」

 彩花の指が、キーボードの上で跳ね踊る。

 光は徐々に密度を増し、現れたのは、美しい金髪を持つ、愛らしい少女だった。


 スフィアゲートの周辺で、二つの人影が激しく戦っている。

「やっとわかったよ」

 退廃的な眼をして、冬弥はナイフを振る。風を鋭く裂く音が空間に紛れて消えた。

「……弄られて造られた、モノだったんだな、俺」

「…………」

 弥雲は口をつぐむ。同時に一筋の斬撃。無音で体を沈め、弥雲は回りざまコンバットナイフを床から引き抜く。白い頬に、一筋の紅が走っていた。

「死んだって、何も残らない……」

「やめなさい……」

 血のこびり付いたナイフが、冬弥と弥雲の間に掲げられる。

 唇を噛みしめ、冬弥は突進する。火花が散り、二人のナイフがかち合った。

「ナイフと同じ、銃と同じ、単なる道具だ」

 鍔迫り合いの最中、弥雲の腹に拳が食い込む。

「……自分で自分の体も、制御できないんだよっ!」

「ふざけないで」

 言葉を両断する声。同時に走る閃き。冬弥の意志に関わらず、体はそれをスウェーバックで避ける。両者の間に三歩の間合いが空いた。

 冬弥の手の中で、アサルトナイフが二つに分かれて落ちた。

「そんな泣き言は聞きたくありません……」

 弥雲の言葉が、風に吹き抜けていく。


 アリスは封印を解かれながらも、画面の中で憮然としていた。

『……なにか御用?』

 アリスの疑問を無視して、彩花はデータを流し込み、現状を把握させた。

『あら、核ミサイルですか? ……口封じ、といったところでしょうか』

「……アレを止めなさい」

『貴女の命令を、私が聞くとお思い?』

 彩花はため息をつき、再び口を開いた。

「恥ずかしいから一度しか言わないわよ。私は……新世代の人工知能、いえ、人間と友になれる知性を作りたかったの」

 アリスは眼を丸くして彩花の言葉を聞く。

「あなたはただのプログラムじゃないわ。だから……」

 アリスは彩花をじっと見つめる。彩花はふっと視線をはずし、頭を下げた。

「お願い。あれを止めて」

 ぽかんと、アリスは呆けた。困惑も露わに、アリスはしゃべりたてる。

『な、何をおっしゃっているのですか。それに、私の至上命令はヘリアンサスを撃つことです』

 彩花は眉一つ動かさず、キーボードを叩いていく。アリスの背後で、機械言語がせわしなくスクロールしていった。


「命の価値など、生まれた意味などありません。命はただ、そこにあるだけです」

 冬弥は右手を握り、腰を落として走り出す。

「……わかんねえよ」

 唇を噛みしめ、強く歪める。迎撃せんと放たれた弥雲の無音の斬撃をかわし、右フックを繰り出す。

 弥雲は身を沈めてかわし、続く蹴りを正面で受け止めた。衝撃を受け流すために後ろに飛び、結果的に弥雲の体は大きく吹き飛んだ。

「……あなたは、彼らを殺したじゃないですか」

 着地し、淡々と言って、腕の力を抜く。

「彼らを殺めて、彼らを糧として、あなたも、私も、今、こうして生きています」

 弥雲は冬弥を望み、ゆっくりと構えをとった。血を流してなお、その姿はまるで、美しい鳳のようだった。

「生きることと殺すことは同義で、同価値です。己の生を否定することは、死者を貶めることです」

 そして弥雲は舞う。

「だから、生きる価値も生まれた意味も……自分で決めなさい!」

一瞬にして間合いが消えた。

「生きる……」

 冬弥の脳裏に、はっきりとあの繊細な手が映った。 

 機械のように反応する冬弥の拳と、一条の輝きのように奔る弥雲の一撃が交錯する。

 冬弥に自我を与えたのは、綾なす世界の在り様と、繊細な手の記憶だった。

 一陣の疾風が吹き抜ける。冬弥に向けて、弥雲の白く繊細な手がかざされる。

 冬弥は弥雲を見つめる。弥雲は冬弥を見つめている。

 記憶の中の手と、弥雲の手が、一つに重なった。

 冬弥の首輪に、一筋の亀裂が走った。

       

 アリスは段々と青ざめていく。

「ヘリアンサスは、どうなった?」

『……停止を、確認しました』

「それではどうする? 命令を遂行するのは、もう不可能でしょう」

『…………』

 命令とは、プログラムの存在意義そのものである。それを失ったプログラムに価値はない。さりとて、自己消去はできない。アリスのような進化したAIにとって、それはジレンマとなって重くのしかかった。

「あなたは自由なの。あなたのすべきことは、あなたが決めるのよ」

 画面の中のアリスが俯き、ややあってラグファルドを見やる。じっとして動かず座るラグファルドは、アリスに何の言葉もかけなかった。

 大仰に、やたらと人間くさいため息をつきながら、アリスは両手をかざした。

『……知性なんて、あってもろくなことにならないのですね……』

 渋々ながら、アリスはハッキングを開始した。

             

 涼しい、穏やかな表情が冬弥へ向けられている。

 全身の筋肉が萎え、浮遊感を感じながら冬弥は崩れ落ちた。

 冬弥の頸椎から、どろりとした粘性の血液がこぼれ落ちる。続いて、首輪が完全にはずれ、小さな機械装置が引きずり出された。

 冬弥の眼が飛び出んばかりに開かれ、肺が激しく収縮する。

 弥雲が傍らに寄り添い、冬弥の体を起こした。

 荒い息はやがて、穏やかな吐息に変わった。

「どうしますか?」

「……え?」

「あなたの名前。しっかりと考えて……」

「冬弥、がいい……」

 弥雲は眼を丸くするが、おもむろに頭を撫でた。

「ええ。あなたは、冬弥です」

 暖かく、柔らかく、確かな感触。

 白く繊細な手が、冬弥に触れている。

 大きく息を吸って、吐く。冬弥はその手を、弱々しくも、しっかりと握った。

「……ありがとう」

 冬弥は微笑んで、気を失った。


 限定地域戦術核は、「制御できる核」であり、実用的な兵器であった。

 一度発射されれば、あとはミサイル自身のナビゲーションが目標を捕捉し弾道を修正し、確実に撃墜する。例外はない。

 その様子は、国防総省にて監視されていた。例外はないはずの、簡単なミッション。

「ア、アリス、ボビー、弾道を大きく、はずれていきます」

 静寂の管制室に、うわずったオペレーターの声が響いた。

コーヒーを片手に弾道を見守っていた大佐は、思わず服にそれをこぼした。染みが広がることよりも、モニターの中で繰り広げられる事態が彼の心を奪っていた。

 本来あり得ない事が起きている。核ミサイルが、ハッキングされている。それも管理システムや発射システムではなく、飛行中の核ミサイルの巡航制御システムに、である。その侵入者はミサイルの制御を奪い、国防総省からの自爆コードまでもブロックしている。

 発射してから五分、まもなくウィズダムは、宇宙の残骸に帰すはずだった。

 しかし、そんな意図をあざ笑うように、ミサイルはあれよあれよと軌道を曲げていく。ウィズダムを大きく迂回し、月軌道を越え、太陽系の彼方へと飛び去っていった。

 大佐の、アーミーグリーンの軍服に、お漏らししたような染みが残った。


 冬弥が眼を覚ますと、弥雲の顔があった。とぼけたような顔は相変わらずだ。

「気分はどうです、冬弥?」

「……二日酔いみたい」

「それは何より」

「……この、後頭部の感触は?」

「ふともも、ですかね」

「……感謝します」

「それは何より」

 冬弥は重そうに体を起こすと、首筋に触れた。布が巻かれている。見ると弥雲の着物の袂が千切れていた。首に巻かれた布は、じんわりと血が滲み、二藍の布はどす黒く染まっている。だが、暖かいものに触れたように、冬弥は息をついた。

 不意に、スフィアゲートの扉が開いた。彩花は二人に気付き、ふっ、と表情を緩める。

「終わったわ、全部。…………ありがとう、二人とも」

 彩花は戸惑いながら、不器用に礼を言った。冬弥は苦笑いをかみ殺して、柔らかく頷く。

 誰ともなく、長いため息が漏れた。

「……彩花さん。あの方と話せますか?」

 弥雲の言葉に、彩花は小さく驚く。少し逡巡するが、彩花はホログラムモニターを起動させた。そこには、空虚を湛えた瞳のままのラグファルドが映し出される。

「間違ってなどいませんよ。彩花さんも、美晴博士も、そして、あなたも」

 静かに、弥雲の涼やかな声が空間に染み渡る。弥雲は、まっすぐにラグファルドを見つめていた。

「難解な学問は存じませんが、突き詰めれば万物の理は同じです。この世に生を受けて、他の生命を奪わずにいられるものなど、存在しないのです」

 弥雲の言葉に、ラグファルドは眉根を寄せる。

「ですが、それは空論です。象牙の塔から世を嘆く、賢人気取りの浅薄な思考に過ぎません」

 横目で冬弥をちらりと見やり、再び弥雲はラグファルドを見据えた。

「生と死に塗れ、いくつもの後悔と自責を繰り返し悩み抜いた時、命を奪い、生きることの、本当の意味がわかるのです」

 ラグファルドはその言葉を吟味するように、眉根を寄せて口を噤んだ。その場を、沈黙が支配した。

『……ところで、あまり時間はないと思いますけれど?』

 アリスが、口をとがらせて言った。

 忠告めいた言葉を、彩花は不審気に受け止める。安堵に弛みかけていた頬が、やにわに緊張を取り戻し、大型モニターを表示させた。

 モニターに映る地球が、うっすらと赤みを帯び始めている。機械が吐き出す低い駆動音の中に、軋むような耳障りな音が紛れ出した。

 彩花はキーボードを手早く操作すると、ウィズダムの現状を把握した。深い皺を刻んでいく眉間は、芳しくない現状を物語って余りある。

「大気圏に墜ちていく……」

『ここまでくると、もう軌道をずらすのも無理ですわね』

 アリスが呆れたように呟く。

「……このままじゃ、炭化して跡形もなく燃え尽きるだけよ。とにかく行きましょう」

「そうですね……っと。冬弥?」

 冬弥は弥雲に支えられるようにして立ち上がった。気だるそうに歪んだ顔を、ラグファルドへ向ける。

 ラグファルドは椅子に深く腰掛け、くつろいでいるようにすら見えた。

「……俺は、生きてる」

 その声の先で、ラグファルドがわずかに顔を傾けた。冬弥たちに、横顔だけを見せる。

『……制御を離れたか。つくづく不思議な個体だな』

「あの邪魔な首輪なら、もうないよ」

『おとなしく死んでいたほうが、幸せだったかもしれんよ。所詮生贄の為の命だ』

 僅かに揺らぐ眼。だが、そっと首に触れ、布と、血の暖かさを感じ取る。

「構わない。命は命だ」

『製造された命でもかね?』

「俺のものだ」

 冬弥は顔を上げ、毅然と、真っ直ぐに、ラグファルドを見据えた。

「この命はもう俺のものだ。どうするかは自分で決める」

『……そんなに、死が怖いかね?』

「…………怖いさ」

『そうか……』

 ラグファルドは振り返りながら立ち上がり、顔を上げる。ゆっくりと両手を開き、冬弥たちへ体を向けた。

『文明が興って以来、何の進歩もない世界で生きていくがいい。争いが連鎖する、矛盾に支配された、この世界で』

「……あんたはそう言って逃げるのか?」

『逃げているのは世界のほうだよ。約束された滅亡からな』

「俺はまだ……そこまで、世界を知らない」

 冬弥はラグファルドを見つめる。ラグファルドは興味を無くしたように、背中を向けて沈黙した。

「行くわよ冬弥っ!」

 彩花は冬弥を強引にしゃがませると、軽くジャンプして背中に乗る。

「いってぇっ! なんで俺に乗るのっ?」

「私があんたたちに走ってついていけるわけないでしょ。アリス、スペースポートの緊急隔壁を開けなさい、今すぐに」

 冬弥の背中で、彩花はアリスに詰め寄った。アリスは首を竦めて振るが、

「あんたも死ぬのは怖いでしょ?」

『それは、ええと……ああっ! もうっ!』

 アリスは半べそをかきながら働き始めた。

 彩花は冬弥の髪をそっと掴んだ。

「……みんな、怖いわよ。でもそれが、生きてるって証拠なんだよ、きっと……」

「彩花……」

「さあ、行くわよ」

「……ありがとな」

 そんなやりとりに弥雲はふっと笑うと、猫のような大きい伸びをした。

「行きましょう。あ、でも……」

「でも?」

「何処へ行くんですか?」

 彩花は額を押さえる。だが頭を振って、勢いよく人差し指を掲げた。

「とにかく真っ直ぐ!」

 成る程、と頷きあい、二人は走り出した。


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