四幕・篝火は、道を開きて差し示す
エレクトロスフィアの支配者、アリスは呆れて声を上げた。
『……本当に止める気ですね』
誰も答える者のないエレクトロスフィアで、その声はやけに人間くさく響く。
アリスがふっと顔をあげると、その周りにモニターが次々に現れた。基本制御プログラムから緊急プログラムまで、電子に依存するものは例外なく、アリスの支配下にある。
『まあ、あの方々がいかに超人でも無駄なことね。ヘリアンサスが発射されれば、全て終わりなのですから』
エレクトロスフィアの「空」にあたる空間には、巨大なゲージが浮いていた。それを眺め、アリスは満足げに唇を曲げた。
ウィズダム内に配されたメインストリートを、冬弥と弥雲は駆け抜けていた。
冬弥は彩花を担いで走り、弥雲がそれに続く。
弥雲の走りは奇妙ですらあった。手を帯に添え、上半身はほとんど動いていない。しかし恐ろしく速く、袂は美しく翻る。草履で地を蹴る音は殆ど風に消えていった。
途端、横っ飛びに冬弥は跳ね退いた。同時に弾雨が降り注ぐ。
「少し待ってて下さい」
涼しい声を残し、弥雲は弾をかいくぐり、前へ進む。
二体一組の義体兵は、あっさりと銃を捨て、低く身構えた。駆けてくる弥雲の足に向かい、タックルしていく。
だが、風に舞う木の葉を掴むのが困難であるように、弥雲の体もふわりと舞う。
着地を見計らい、もう一人が掴みかかる。そのまま拳を走らせる。
首の動きだけで避けるが、追うように飛ぶ肘。犠体兵の動きは流れるようで、全てが急所を狙っている。
しかし弥雲の動きは、それを凌駕した。
飛び立つ水鳥のように、左右の手を突き出す。
真に一点集中した力は、防弾ベストの衝撃吸収材をもあっさり貫通し、義体兵を数メートルに渡って吹き飛ばした。
「さあ、行きましょう」
走り出した弥雲に、冬弥が追いつく。
「走っていけるほど近所じゃないから……」
彩花が指さす方には車道があり、車が停められていた。赤い派手なオープンカーである。
「どんな奴が使ってたんだ? ま、カギ壊す手間が省けていいけど」
冬弥が運転席で細工をすると、電力がモーターへ注がれていく重低音が鳴り出した。
久しぶりに味わうシートの柔らかさに、三人は一時の安らぎを得た。
「彩花、あとどれくらい時間ある?」
喋りながら、冬弥は車を発進させた。風に煽られながら、彩花はリストコンピュータを見つめる。
「あと、四十七分……」
告げられたリミットに、一同が押し黙る。
「急ごう」
冬弥はさらにアクセルを踏み込む。
電気自動車にも関わらず、その車は盛大な駆動音を轟かせた。弾丸のような速度で車は走っていく。
「ち、ち、ちょっと……」
「ん? 何、彩花?」
「……冬弥……」
「なに? 弥雲? ごめん風が強くて聞こえないや」
弥雲の黒髪が、風に激しくさらされる。
車は勢いの止まる気配を毛ほどにも見せず、ノースストリートを爆走していく。やがてその先に、巨大な隔壁が現れた。機密度、危険度ともに最高の、レベル4区画を隔離する緊急隔壁である。
「……あれは、どうやって開けるんですか?」
遠い眼をして、弥雲が呟いた。彩花が顔面蒼白で絶句している間に、隔壁は目の前に迫る。
甲高いブレーキ音が、一帯に響きわたった。車体を軋ませながら、車は扉に横腹を見せつけるようにして停止する。三人とも、裂けよとばかりに心臓が高鳴っていた。
「さて、どうします?」
肩で息をつき、弥雲は呟いた。隔壁は、何人たりとも通さぬ大岩のように鎮座している。
「さすがに、あれを壊すとなると時間がかかるのですが……」
「できないわけじゃないんだ……」
冬弥は驚愕して弥雲の横顔を見つめた。
彩花は唇に手を当てて何か黙考していたが、
「……ねえ、弥雲」
ちょちょいっと手招きをして、弥雲に何か耳打ちする。
「……できる?」
「……なるほど。というか、それしかないでしょうね」
弥雲は深刻そうな顔で立ち上がる。そしてぶつぶつと何事か呟きながら、冬弥へ近づいていった。
弥雲がひざまずき、顔をそっと冬弥へ近づける。吐息のかかるほど近くにある、弥雲の美しい顔。バネ仕掛けの人形のように、冬弥は硬直した。
弥雲は冬弥の耳元で、何事か囁く。冬弥の真っ赤だった顔が、次第に色を失い、青ざめて、雨に打たれたような汗を流し始めた。
「……わかりましたか?」
「…………確かに、一番いけそうな方法だな」
冬弥はため息をつきつつゆっくりと立ち上がると、停止した自動車へ向かった。運転席に座ると、深呼吸を数回、息を整える。足はアクセルに、左手はハンドルを握り、右手で銃を構える。その銃に、弥雲の白い手がすっと添えられた。
冬弥のすぐ傍に弥雲が座り、小さく頷く。
「じゃ行ってくる。隠れて伏せてろよ」
「ええ、あの、幸運を」
そう言って、彩花は離れていく。それを見送って、冬弥は言いにくそうに弥雲に問うた。
「あのさ、何箇所ぐらいかな?」
「そうですねぇ……六ヶ所に鉄砲で、仕上げに一発、といったところですね」
「走りながら精密射撃とか、ハードだなあ」
冬弥は隔壁を見据えた。隣の弥雲も、気負い無く視線を向けている。
「行くよ」
「いつでもどうぞ」
冬弥はぐんと足に力を込める。深く踏み込まれたアクセルに応え、車は爆発的なスピードで走り出した。まっすぐ隔壁へ向かっていく車中で、弥雲は冬弥の右手、そしてその手の拳銃を導いていく。強固な隔壁の、蟻の一穴でしかない隙を、全ての気を見つめるという慧眼によって看破する。弥雲の目には、隔壁の力の、構造上のわずかな弱点が、弦の集合体となって見えていた。弥雲の手が、冬弥の右手を固定する。それを照準として、冬弥は発砲した。
弾丸は一瞬で空を切り、隔壁の弱点となる箇所に着弾して破裂する。それによって生まれた破壊の波動が、わずかだが致命的な次の弱点を生み出す。弥雲の眼は、それを見逃しはしなかった。
六発の銃声が一つになって聞こえるようなコンマ数秒の中、隔壁の六点に銃弾が撃ち込まれる。観測手も射手も、並みの技量ではとうてい成しえない業である。その衝撃が伝わり、隔壁の構造を歪め、侵食していく。その波動、気の流れ様を、弥雲の眼はしっかりととらえていた。
「冬弥っ!」
弥雲の声に反応して、冬弥は車を飛び降りた。同時に弥雲も中空に跳躍する。冬弥は地面を転がり、全身でまんべんなく衝撃を吸収する。その勢いが死ぬのを待たず、反射的に起きあがった。片膝をつく。右手で拳銃を握り、左手を添える。冬弥の眼から、一瞬光が消えた。
銃声が、小さく断続的に響く。銃弾は音速を超える速度で飛び、唯一隔壁へ向かっていく自動車の、バッテリーパックを貫いた。
燃料電池の水素に火が灯る。それは空気中の酸素を喰らい、より大きく、強く成長し、大爆発を引き起こした。
銃弾によって構造上の弱点を穿たれ、一個の指向性爆弾と化した自動車の突進を一身に受けた隔壁は、爆風と熱、そして高密度な衝撃波によってばらばらに吹き飛ばされた。
「……うまくいった、かな……」
自信なさそうに、冬弥は立ち上がった。その脇を、燃え盛るタイヤが猛スピードで転がり過ぎる。
「ひどい恰好ですね」
「……弥雲が綺麗すぎるんだよ」
着物の裾を少し乱した程度の弥雲に見下ろされ、冬弥は土と擦り傷で真っ黒になった顔をくったりと下げた。
破壊された隔壁を抜け、レベル4区画に冬弥たちは足を踏み入れた。林立する研究棟の奥、およそ二百メートル先に、硬質なドームがそびえている。
「あれが、スフィアゲートよ」
彩花は緊張を含ませて、ドームを指さす。「現代文明に対する影響が強すぎる」という理由で、ウィズダムでも一部の上級研究員にしか情報公開されなかった施設である。
「了解」
「承知しました」
冬弥は不意に、肌にかすかな疼きを感じる。空気の振動か、匂いか、それとも別の何かか。わからないが、冬弥は何かを感じた。本能に近いその感覚に従い、視線を移す。同じくして、弥雲は前方を凝視していた。
「冬弥……」
「ああ。いるな」
研究棟や、大容量バッテリー、そうしたレベル4区画の構造物の、それぞれの物陰に、二人は気配を感じ取っていた。
弥雲の耳が、かすかな音を捉える。後ろを振り返ると、砕けた隔壁の向こう、ノースストリートからも、殺気を伴う気配がじりじりと近づいている。
「え、な、なに?」
「義体兵だよ。そりゃこないわけないよな」
「二百五十、といったところでしょうか」
姿の見えない敵に彩花は萎縮する。冬弥と弥雲は、義体兵たちに扇状に取り囲まれ、銃口を向けられているのを看破した。
「一気に抜きますよ」
「……ど、どうやって抜くの?」
不安げな冬弥に向かって、弥雲は不敵に笑った。
「なんの事はありません」
自分の胸に手を置き、凛と前を見据えた。
「あなたは私に、遅れずついてきてください」
冬弥には横顔しか見えなかったが、その表情は美しく、だが頼もしく、誇りに満ちているように見えた。
一歩を踏み出した義体兵は、一陣の風を見た。その風は、発砲の機会を逸するほどの速度で吹き抜けていく。
「冬弥! 遅れないで下さい!」
張りのある声が明瞭に響く。その後を、冬弥が彩花を担いで駆け抜ける。
雨の様に弾丸が降り注ぐ。しかし弥雲の眼には、それらの弾道は撃たれる前から、赤い弦となって映っていた。
弥雲の眼には、幾筋もの赤い弦が、様々な方向から伸び、弥雲たちの頭と胸へ正確に繋がって見えた。その光景は、弦が紡がれ鮮やかな意匠を織上げているかのようである。
「なるほど、見事な狙いですが……」
ぐんと体を沈め、速度を殺す。その場で舞い踊るように体を動かすと、計ったように弾が風を切っていった。
「かえってかわしやすいものです」
そして再び地を蹴った。走るのではなく、飛んでいるようにすら見える奔り。風が人の姿をとって走ったならば、弥雲のような動きをするのだろう。義体兵の弾丸をかわし、攻撃を避けて、見る間に前へ進んでいく。
弥雲の軌道を、僅かな誤差で冬弥がなぞっていく。背中には彩花が、顔を伏せてしがみついていた。鍛え上げられた脚力が、彩花の体重を無視して冬弥を突き動かす。
しかし冬弥は、弥雲の後ろ姿に眼を釘づけられていた。その姿はあまりに美しく、あまりに迅い。
弾雨の中を駆ける流麗な風。そしてそれに続く、剛健な風。一点の曇りなく、風たちは奔っていく。
背中の重み。立ちこめる硝煙の匂い、殺気と銃弾。ただ冬弥はこの瞬間に、既視感を抱いていた。
スフィアゲートが間近に迫った。だがそれは黒のガラス扉によって閉ざされている。奥は暗く、中を伺い知るのは難しい。
「冬弥!」
弥雲の声よりも速く、冬弥が発砲する。ガラスの扉は蜘蛛巣状にヒビを走らせ、続く斉射で粉々に砕けた。
「行ってらっしゃい」
え、という声が聞こえないふりをして、弥雲は冬弥を突き飛ばした。
砕けたガラスの向こうに、二人が消えたのを見届ける。そして弥雲は、ゆっくりと振り返った。
「さてと。まあ、なんとかなりますか。よいしょ……っと」
少しよろよろしながら、弥雲は着物の乱れを整えた。袂から取り出した黄色の飾り紐で、髪を束ねて上げる。
袂をなびかせ、弥雲は涼やかに立つ。
その視線の先では、義体兵がゆっくりと包囲網を狭めていた。
ガラス扉の先、スフィアゲートに冬弥は飛び込んだ。巨大なドームの天井は全面がホログラムモニターになっており、無数のプログラムコードが走っている。
周囲は薄暗く、『Cyber Decompression Chamber』と銘打たれた部屋の扉が幾つも、円形に配置されている。
「どこだ彩花?」
「どこでもいいわ。入って」
冬弥は頷き、最も近いドアへ入っていく。
「……ここが、そうなのか?」
そこは五メートル四方程度の暗い部屋だった。四方は黒く、間接照明が上辺と下辺にぐるりと配されているだけである。
「そうよ。ここからエレクトロスフィアへ入るの」
冬弥の背中で彩花が答えると、するりと冬弥の背中から降りた。リストコンピュータでキーボードとモニターを投映し、操作を始めると、
『よくぞ辿り着いた、勇者たちよ。……なんてね』
アリスが、彩花と冬弥の目の前に突如として現れた。同時に冬弥はアリスへ銃口を向ける。
「無駄よ。あれはホログラムにすぎないわ」
彩花が冬弥を制した。アリスは悪戯っぽく笑い、まるで実体があるかのように、立体的に歩きまわる。
『綾神さんは大丈夫でしょうか? いくら何でも、あの数を相手にできるとは思えませんけど』
その言葉に、冬弥は思わず歯噛みする。
「……彩花」
「大丈夫、止める。できる」
自分に言い聞かせるように、短く彩花は答えた。軽く息を吐きながら、冬弥はその後ろ姿を見つめる。そして、油断無く室内を見渡した。
危険を自動感知する機械のような目が、ここへ通じる道は、今二人が入ってきたドアしかない事を確認すると、冬弥はやおら視線を和らげた。
「俺達が彩花を守る。彩花はヘリアンサスを停める。一人一人がベストを尽くす。それで万事うまくいく」
ドアへ振り向き、背中越しに、
「頼んだよ?」
そうとだけ言うと、冬弥は部屋を飛び出した。
『まあ、本当に行かれてしまいましたわ』
アリスは呆れて呟いた。
「ここへは誰も入ってこないわよ。あの二人がいるから」
コンサート直前の、静かな緊張感を漲らせるピアニストのように、彩花はすいっと手をかざす。
「だから……あなたの相手は私よ」
とたんに、真っ暗だった部屋は白く広大な空間に変容した。
エレクトロスフィアで、同じ空間に立つ者として、彩花はアリスと初めて対峙した。
『……残念ですわ、こんな形でお会いすることになるなんて』
「そうね。……でも、それだけじゃない、かな」
彩花の周囲に、数々のウインドウとキーボードが矢継早に浮かび上がる。
「ちょっと期待してるかも。あなたが、私より上かもしれない、って」
『……そう、そうでしたね。彩花・F・エンフィールド』
アリスの表情に、一匙の緊張が浮かぶ。
『貴女はかつて、NSAのセキュリティレベル9まで突破した……生粋の“ウィッチ”でしたね』
彩花の顔に浮かぶ笑顔が、凄絶さを増した。




