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綾神虚草紙  作者: 鈴河悟
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二幕・虚天にて 奇し縁は集い結う

 ラグファルドはビクトリア調に統一された瀟洒な部屋にいた。遠い日を懐かしみ、目を細めている。

「科学者の、自由な楽園か……」

 ふと目線を上げると、彼の意思に応えるようにモニターが表示された。ラグファルドの眼鏡は、モニター上のウィズダムの全容を模したCGを反射していた。

『……人にとって、自由こそが禁断の果実ですね、ラグファルド卿』

 いつの間にか、部屋のテーブルの一席に、アリスが座っていた。嫋やかにほほ笑み、ラグファルドを見つめている。

「思えばあそこは楽園だったよ、アリス」

『あそこ?』

 きょとんと小首を傾げるアリスに、ラグファルドは苦笑する。

「ああ。だが、あの日の高潔な志に変わりはない』

 眼鏡を押し上げると光の角度が変わり、彼の虚ろな瞳を透過させた。

モニターには、『緊急封鎖』と言う文字が浮かんでいる。それは、ウィズダムの玄関、スペースポートが緊急密閉隔壁によって全面封鎖されていることを示していた。ウィズダム内で感染症や生物災害が起こった場合の緊急措置であり、五重構造の隔壁によって何者の侵入も脱出も許さない。ウィズダムは今、外界からの物理的接触を一切断ち切っていた。

 そして、ウィズダム全土は緊急隔壁によって分断されていた。研究内容の機密度や危険性に応じて、レベル1からレベル4までの区画区分があり、それぞれの区画を隔離閉鎖するように隔壁が閉じられていた。それはさながら、ウィズダムという孤島を東西南北に分け隔てる結界の様である。

「アリス。全て君に任せた」

『心得ていますわ、ラグファルド卿』

 そう言い残すと、アリスは不意に姿を消した。


 ウィズダムの中は緑に富んでいる。それらは酸素供給のために、そして人間のストレスを緩和させるために存在した。

 弥雲と【少年】は今、サウスストリートと書かれた大通りを歩いていた。並んで歩く様は、恋人同士のように見えなくもない。

「あの……綾神さん? どこへ行くんですか?」

「あそこにいても、仕方ないでしょう?」

「そうですけど、も、もしかして、何も当てはないんですか?」

 弥雲はやんわりと視線を逸らした。

「……どの道、さっきから無粋な輩しかいないじゃないですか。まともな人と話したいものです」

「あ、はあ。……無粋な、って?」

「妙な黒ずくめの連中ですよ。着付け終えたらいきなり部屋に入ってきて……おかげで手加減する事もできませんでした。まったく」

 弥雲は不快そうに眉根を寄せた。

「無粋、って、そんな簡単に……」

「そういえば、あなたは襲われなかったんですか?」

「え、あー……、確か二人くらいに……」

「それで?」

「……その、無我夢中で、あんまり覚えてません」

 弥雲はまじまじと彼を見つめると、ポツリと尋ねた。

「……おいくつですか?」

「なにがですか?」

「年齢です。あなたの」

「あ……えと……すいません、えー…………わからないです……」

 弥雲は上目がちに彼を見、やれやれ、といった様子で口を開いた。

「じゃあ同い年という事にしましょう。敬語など煩わしいでしょ? 十七才で同い年です」

「はぁ、十七才って……え? 綾神さんも?」

 弥雲の歩みがぴたりと止まった。

「それは……私が十七に見えない、という事ですか?」

「え? あ? ち、違う! そーゆー意味じゃなくて! な、なんというか、随分落ち着いてるからもっと年上の人だと思って……」

「……まあ、いいですけど。慣れてますし。どうせ歳相応には見られないし、正直言い訳するのも見苦しいし」

「あうあ……す、すいません」

「別にいいですよ、別にね」

 弥雲ははっ、と自虐的な笑みを浮かべてそっぽを向いた。

「あ、はぁ……その……何で、和服なんですか?」

「なんで? なんでかというと……」

 弥雲は言い淀んだ。足だけは止まらずに進んでいる。

「その……家柄、といいますか。……綾神というのは、まああのぅ、いわゆる舞踊の流派という奴でして。そこの家元なんです、私」

「す、すごいですね。家元なんて!」

「いや、そんなことないですよ……」

 何故か、沈黙がその場を支配した。

「え、ええと、ほら、あそこ入ってみませんか?」

 取り繕うように、【少年】はある建物を指し示した。

「そ、そうですね。何かわかるかもしれません」

 どこかギクシャクしながら、二人はとあるビルのエントランスへ向かった。


 どことも知れぬ、薄暗い空間に彩花は潜んでいた。

リストコンピュータのか細く青白い光が彩花を照らし出す。白衣が所々すすけている。

「…………」

 彩花の整った顔立ちが、不快そうに歪んだ。リストコンピュータには、リング状のゲージによって表現された、あるシステムの進行状況が表示されていた。無地だったリングは非常にゆっくりと、だが確実に赤色で浸食されていた。


 弥雲と【少年】はエントランスに入っていった。そこはオフィスのロビーのようになっていて、休憩や打ち合わせのためだろう、テーブルセットが幾つも置いてある。

「……誰かいるかな。あのー……、あの、すいませーん」

 声を発しながら【少年】は歩いていく。

「ところで、あなたはここがどこだかわかっているのですか?」

「え? それは……」

【少年】はやや考え込み、

「ここは、国際総合科学研究所『ウィズダム』の本拠地、重層式孤島型宇宙都市ウィズダム。このビルは、ヘリアンサスプロジェクトのメインコントロールセンター……」

 自動的に再生されるように、【少年】は答えた。

「……ずいぶん詳しいんですね、あなた」

「え、あ、う、うん……」

 心もとなく答える。彼自身、どこから出てきた知識なのか判然としなかった。その思考の奇妙さに、【少年】は不安げに肩を落とす。そんな仕草は、尻尾をまいた犬のように見えた。弥雲は横目でそれを眺めながら、

「……ポチ……」

 唐突に言った。

「ポチ?」

「あなたの名。思い出せないと不便でしょう? とりあえずです」

 とりあえずも何も……と、(仮称)ポチは口を開いて絶句した。

「え、あ、いや。ポチってのはどうも……」

「そうですか。ならゴン」

「ゴンって……」

「不服ですか?」

(仮称)ゴンは不安げに手を動かすと、

「その……せめて人間らしく……」

「ふむ。確かに」

 弥雲は宙を睨むと、かっと眼を開き彼を見た。

冬弥とうや、でどうでしょう?」

 きょとんとして、すぐに彼、「冬弥」は激しく頷いた。

(一番まともだ……)

 冬弥の安堵も露知らず、弥雲は満足そうに微笑んだ。

「あ、お茶、いいですね」

 ドリンクサーバーを見つけ、弥雲は小走りに近づいた。

冬弥は何となく、弥雲の動きを辿って眺める。ふと視線を上げると、時計が目に入った。表示されている日付は、十二月二十日である。冬弥はそれをまじまじと見つめた。

「…………冬弥、って……もしかして、冬だから?」

「そして弥の一字は私からです」

 どうだ、と弥雲は胸を張った。対照的に、冬弥ががっくりと肩を落とす。

「どうぞ」

「はい? あ、ありがとうございます」

 冬弥はどもりながら頭を下げる。

 顔を上げ、ちらと目を向けると、お茶が湯気を立てて弥雲の唇へ流れていくのが見えた。すっと紙コップから唇を離すと、濡れた舌がちらりと見える。

 妙に艶やかで、冬弥は何となく眼のやり場に困った。

「ところで、冬弥?」

 弥雲の顔が突然真顔になる。

「……な、何ですか?」

「敬語は必要ないと言ったでしょう?」

「あ、はい。いや……うん」

 弥雲は落ち着いてお茶をこくりと飲み、

「……茶などすすっていていいんですか?」

「は……?」

 真剣な眼差しで問いかけた。

「いやだから……今は何だか異常事態でしょう? なのに暢気すぎませんか私たちは?」

 そう言って、弥雲はまたお茶を飲んだ。

「そ、そうだね。えと……どうしよう?」

「何も心当たりないんですか?」

「心当たりも何も……何でこんなトコにいるのかもわからない、っていうか」

「……大変ですね」

 何故かちょっと哀れっぽく弥雲は言う。

「綾神さんは、どうしてここに?」

「何日か前に、こちらの研究室へお招きいただいたんですよ」

「はあ。それはまた、なんで?」

「さあ? でも、何やら機械をかぶせられて、しばらく横になったりしましたよ」

 そこで、みるみるうちに弥雲の表情が曇る。

「え、ど、どうしたの?」

「いえ。その時に、色々と謂れのない悪罵を受けたのを思い出しました。『どういう脳をしてるんだ』とか『本当に人間か』とか『化け物じみている』とか……ひどいと思いませんか?」

「そ、そうだね。それはひどいな……」

 二人で頷きあっていると、冬弥は不意に視線を止めた。ガラス張りの壁に、自分の姿が映り込む。鏡像の冬弥と目が合う。

「……あれ?」

 突如、体が闇に放り出される感覚に囚われる。その周りを、ぼやけた写真が取り囲んだ。

 それらは断片的で、判別不可能なほど不鮮明だった。

(……俺の……記憶?)

 まるで、傷だらけの写真を見るかのようだった。そしてその写真は、悉くが戦場、殺人、爆発のイメージから構成されている。それらは継ぎ接ぎされモザイクとなって、冬弥の頭の中を埋め尽くす。圧倒的な記憶の塊が、全てを覆い潰そうと広がっていく。

 そして、一点の光が生まれる。

 空虚の中にあって唯一、はっきりと浮かび来るもの、それは広大な森と無辺の空。幾つもの弦が絡まりあって構成された、悠久の天地の光景だった。

 幻想的ながら、確かな存在感をもったその記憶を、冬弥はじっと凝視した。

「……冬弥」

「…………なに?」

「なにって……どうしました?」

 言われて冬弥は気付いた。頬を触ってみると、手のひらがしっとりと濡れる。冬弥はそれを、じっと見つめた。

「あ、あれ? おっかしいな?」

 誤魔化すように明るい声で言うと、ごしごしと眼をこする。顔を上げると、もう涙のあとはなかった。

「ごめん、綾神さん……」

 弥雲は暫く冬弥を見つめるが、あさっての方を見て肩をすくめた。

「それは、何というか、好きじゃありません。弥雲でお願いします」

「え? あ、えーと……」

「何赤くなってるんですか?」

「は? いやそんなことないですよ綾が……」

「だから綾神ってやめてください。家にいないときぐらいは名前がいいんです」

 妙に強い調子だった。身振り手振りで、「もう一度呼べ」と訴えている。

「えーと……ゴホン。その……弥雲、さん」

 弥雲はうんうんと頷いた。冬弥はお茶をすすって茶を濁す。つられて弥雲もお茶を飲んだ。

 じっと見つめられて、冬弥は困ったようににへら笑いを返す。

 弥雲は目を丸くし、やれやれと肩を竦めた。

「うすうす思ってましたが……あなたって犬みたいですね」

 弥雲の顔が、蕾のようにほころんだ。

「い、犬? 酷いなソレ」

「首輪はもうあるし。耳と尻尾があれば犬そのものですね。試してみますか?」

「わ、わけわかんないって」

 その時、何かが落下する衝撃音が響いた。


「……ぅあ!」

 一瞬の浮遊感と突然の衝撃に、彩花は襲われた。その手元で、リストコンピュータの画面が赤く染まり明滅し、そして消える。

 彩花は頭を振って顔を上げた。壁に、一筋の光が走っている。あ、と口を開くが、その向こうに何者かの気配を感じとった。そして、壁を叩く音がけたたましく鳴り響く。

 総毛立たせて、彩花は息を飲んだ。逃げようと身をよじるが、淀んだ空気は彼女に力を与えない。呼吸が苦しい。それが緊張のためである事を、彼女は気付かない。

 強いストレスが彩花の体を飲みこんだ。彼女は汗を浮かべて、そのまま、気を失った。

 その直後、一筋の光が走った壁―――小型エレベーターの扉がこじ開けられた。そこに現れた二つの人影が、倒れた彩花を覗き込んだ。

                                         

 どこまでも真っ白な、果ての無い三次元空間。それは、ウィズダムによって開発された、感覚化された電脳空間「エレクトロスフィア」である。あらゆる電子処理が人間の五感に変換され、疑似的な「電脳世界への意識転移」を実現した技術だった。

 そんなエレクトロスフィアを、アリスは鷹揚に睥睨していた。彼女には、全地球規模のネットワークが箱庭のように見えている。

『短時間でこれほどダミーをばらまくなんて。できるとしたら、あの人ぐらいかしら』

 そう言ってアリスは薄く笑った。ウィズダム内のネットワーク環境を表すグラフィックにジャミングがかかり、多くのノイズが走っている。検索をかけるが、エラーが頻発する。

『IDリングも付けていないし、制御システムの一部も破壊されているなんて。仕方ないわね。ここはお人形さんたちに、お掃除を頑張ってもらいましょう』

 アリスがウィズダムのグラフィックに手をかざすと、その各所に次々と赤い光点が浮かんだ。赤い光点はそれぞれ移動していく。それは、彼女の指揮下にある三百体の義体兵の位置を示すビーコンだった。


 冬弥は彩花を、そっと床に寝かせた。

「……しかし、なんでまたこんなところに……」

 冬弥と弥雲は、荒い呼吸をしながら眠る彩花を見下ろした。


 つい先刻の事である。

 突然の衝撃音に冬弥と弥雲は眼を見合わせると、音のした方向へ向かっていった。いくつかのドアを通過していく中、突然冬弥の鼻がぴくんと反応した。

「……弥雲……」

「何です?」

 声をかけられ、弥雲は向き直った。冬弥が立ち止まっている。そこは丁度、あるドアの前だった。

「何だろう?」

「……聞いたのは私ですよ……」

「あ、そう、だね。その……ちょっと待ってて」

「何故です?」

「いや、ほんとちょっとだから」

 冬弥はすすっとドアに背中をつけると、静かに中をうかがう。スライド式のドアは、ほとんど無音で口を開けた。冬弥はその中へ、すうっと入っていった。弥雲はぽかんとして、それを見送った。


 ドアの向こうは、研究室へ通じる廊下だった。残留した分子を、冬弥の鼻が捉える。冬弥は研究室へ続くドアの片側に背をつけ、室内を覗き込んだ。壁から背を離さず、ゆっくりと視線を移動させ、死角を確認する。蛇が這うように音もなく侵入すると、姿勢を低くし部屋の中を素早く移動していった。十メートル四方の、様々な機材の置いてある部屋だ。

 床に散在する、七人の死体を避けながら中を見回る。全て、無意識下での動きだった。

「……生存者、無し」

 砕けた頭。分かれた胴。散らばる肉塊。マネキン捨て場のようなその光景を見下ろし、深いため息をついた。咽ぶような血の匂いが充満している。死亡してから、二時間ほどしか経っていないだろう。血だまりと死体の合間に、小さく黒い物体があった。それが、冬弥をして引きつけた匂いの元であった。

「すいません。借ります」

 小さく言うと、その物体を拾った。手に収まる大きさだ。上げ下げして重みを感じる。 

 装弾された拳銃だった。スライドを引いて薬室を確認する。既に弾が装填されていた。おそらく、この部屋の人間たちが義体兵に反撃を試みたのだろうが……抵抗虚しく、結局殺害されたのだ。 

 銃には、硝煙の匂いだけがまとわりついていた。


 弥雲は廊下の壁にもたれかかり、冬弥を待っていた。

「……なんなんでしょうね、彼は……」

 何気なく呟き、すっ、と首を傾けた。瞬間、壁に弾痕が刻まれる。廊下の曲がり角に、二体の義体兵が潜んでいた。

「またあなたたちですか」

 弥雲は鷹揚に、義体兵に対峙する。無機質な兵士が、僅かに気圧されて後ずさった。だが、それを振り払うように発砲。弾丸が弥雲の胸と頭を狙い、音速を超えて接近する。しかし、それは弥雲を捉えることはできなかった。弥雲は弾丸を避けて、涼しい顔で歩いていく。

 義体兵はアサルトライフルを腰溜めに構え、しっかりと照準を付けて引き金を絞る。それでも結果は変わらない。銃弾をことごとく躱し、弥雲は進んでいく。 

 彼らの銃撃が止んだのは、弥雲の繊手によって手の甲を砕かれた時だった。間髪入れず、返す刀で掌打が奔る。義体兵はあっけなく床に転がった。

 廊下に静寂が訪れる。不意に、弥雲の視界に赤い弦が現れた。それは正確に弥雲の胸を貫いている。その時、乾いた銃声が響いた。赤い弦はあっけなく搔き消え、離れた場所に潜み弥雲を狙っていた義体兵がどさりと倒れる。

 弥雲が振り返ると、冬弥が拳銃を下ろしたところだった。

「どうやら助けられたようですね」

「いや、そ、そうなのかな……。っていうか」

 冬弥は恐る恐る声をかけた。

「え、ええと……た、弾、見えてるの?」

「はい」

 弥雲はさらりと答えた。

「見えてる、って、そんなバカな……」

「バ、バカって言わないで下さい。修練の賜です。修練すれば、殺気が赤い弦となって見えてくるんですよ」

「……あり得なくない? 近代戦闘がひっくり返るよそんなの……」

「そんな事言われても……天地神明、森羅万象、全ては綾なる弦より成る。断てば止まり、束ねれば力を生む。それが”綾神ノ舞”です」

「あやがみの……まい?」

「さっき言った、私の家に伝わる舞踊ですよ。まあ、古流武術などと言う人もいるようですが。どのみち大したものじゃありません」

 弥雲はなんとも味気ない説明をした。

「綾神ノ舞……?」

 その不可解な単語を、冬弥はおうむ返しにした。今度は確認するように、ゆっくりと。 

 弥雲は首を傾げ、それから眉一つ動かさず冬弥の頬に手を添えた。二人の顔が正対する。

 冬弥は一瞬顔を赤くしたが、次の瞬間そんな熱は吹き飛んだ。熱どころか、首も吹き飛びかねない勢いで冬弥は放られた。

 さっきまでの、冬弥の顔があった空間を弾丸が砕き、そのまま壁に罅を刻んだ。

 廊下の先に、黒い姿と、ぼんやりとした二つの赤光が浮かぶ。弥雲は冬弥の頬を離し、目線を義体兵へ放った。

「参ります」

 弥雲は身を揺らがせた。柳のごとく体が風に乗る。次の瞬間には、十歩以上の間合いを詰めていた。義体兵はすかさずナイフを抜き放ち、一気に近接戦闘へ持ち込んだ。

 斬、拳、打と、硬軟織り交ぜた攻撃が間断なく弥雲を襲う。しかし弥雲は眉一つ崩さず、体を流した。

 音のしない、独特の呼吸。それは鼓動と重なり、一瞬だけかき消えた。

 掌打が放たれる。衝撃は義体兵の水月から体内へ浸透し、その身を吹き飛ばした。銃声は止み、一帯に静寂が訪れる。

 その様を、冬弥は唖然として見つめていた。

「な、なんなの弥雲って……」

「なに、と言われても……普通ですけど」

 手を軽く叩き、小さく息をついて弥雲は答えた。

「……ナイフや銃を見切る人を、普通とは言わないけど……」

「まさか。母も叔母も出来ていましたよ」

「どんな家だよ……」

 唖然として、冬弥は肩を落とした。弥雲はため息をついて、冬弥の顔を覗き込む。 

「……で? なんだったんですか?」

「ん? ああ、特に何でも……」

「なんでもないとはなんですか。あなたもしかして馬鹿ですか?」

「バ、バカって言うなよ。だからさ……その……」

「なんです?」

「あー、だからそのー……トイレ! トイレだよ」

「下手なでまかせを言いますね。だいたい、一体何ですか、それは?」

「な、何と言われても……何?」

「……どこでそんなものを」

 冬弥は一瞬きょとんとしたが、言わんとするところを理解して、何ともなしに答えた。

「ん……拾った」

 冬弥の手には拳銃が握られていた。

「そ、そんなことより、行こう弥雲」

 さっ、と歩き出す冬弥に、呆れた顔で弥雲がついていく。

いくつかのドアを通り過ぎ、階段を上ると、「Miharu Yukisaka」と掲げられた研究室があった。ドアを開けると、資料と本が雑多に置かれている。その一角に、小さめのドアがあった。

「……あそこ、かな?」

「方向はあっていますね」

 二人は慎重にドアに近づいていく。ドアの向こうから、小さなあえぎ声が聞こえてきた。

「これは……個人用エレベーター?」

 冬弥は困惑しつつ、エレベーターのドアを叩く。中からさらに荒い呼気が聞こえる。

「開けられますか?」

「う、うん。やってみる」

 冬弥はドアに手をかけ、力任せにこじ開けていく。歪んでいたフレームが軋み、ようやく扉が全て開いた。

「……女の人?」

「みたい……だね」

 そこには彩花が横たわっていた。荒い息をしながら、ぐったりと横臥していた。


 二人は彩花をエレベーターから引きずり出し、床に寝かせた。

 彩花がうう、と呻き声を発した。冬弥と弥雲が、彩花の顔を覗き込んだ。

 彩花は眼を数度瞬かせて開ける。そして、目の前に影を落とす二つの顔を見た。

 本能的に彩花は飛び起きた。頭は弧を描いて冬弥の顎に一撃を見舞う。濁った呻き声を出す冬弥をさておき、弥雲は彩花に声をかけた。

「大丈夫ですか?」

 彩花は弥雲へ、未だ焦点の定まらない眼を向けた。

「私……あ、あなたたちは?」

「私は綾神弥雲です」

「……自己紹介中、申し訳ないんですが」

 顎をさすりながら、冬弥がぬっと現れた。彩花と弥雲は横目で彼を見つめる。

「彼は冬弥と言います。まあなんというか……」

 弥雲は冬弥を見つめ、人差し指で空中にのの字を書いて、言った。

「……成り行きでいっしょになりました」

 彩花は胡散臭そうに冬弥を眺めたが、振り払うように頭を振った。萎えた足を奮い立たせて立ち上がる。二人を交互に見つめて口を開いた。

「……彩花・F・エンフィールドよ。助けてくれてありがとう。でも、早く逃げた方がいいわ」

「どういうことです?」

 弥雲の質問を無視して、彩花は走り出した。

「え、ちょ、ちょっと?」

「彩花さんっ?」

 二人は慌てて、彼女の後を追った。


 彩花は走った。普段の彼女なら、考えられないような速さである。ただ必死に前へ、前へ足が進む。廊下を走り抜け、階段をワンフロア分駆け登る。見慣れたはずのコントロールセンターが、まるで知らない場所に見えた。通路の先、ある大きな自動ドアの前で、彩花は立ち尽くす。

 彩花は数回、深呼吸し、手のひらの汗を拭いた。そして、ゆっくりとドアを、彼女にとって、重く閉ざされたドアを押した。

 彩花のあとを、冬弥と弥雲がついてきている。冬弥の鼻が、純然な血潮の匂いを感知した。

 そこはずらりと座席の並んだコントロールセンターだった。「元」スタッフの姿が、そこかしこにさらされている。センター内に転がる人影は、全て歪だった。体に穴の開いているもの、頭のないもの、よくわからないもの、それらが散乱している。数は定かではない。それら「人間だったもの」から、血臭が拡散し、脂の匂いが充満していた。

 その空気の中へ、彩花が一歩を踏み出した。

 壁際の一角に、寄り添うようにして倒れる、女性。

 セミショートの髪が、無秩序に流れている。腹部が赤黒く染まり、顔にはうっすらと青が差していた。

 彩花は遺体の前で立ちつくす。

「……美晴さん……」

 彩花の瞳から、初めて大粒の涙がこぼれ、落ちていった。

 美晴との思い出が、駆け抜けるように彩花の頭に甦っていく。                 

               

「彩花ちゃーん、ちゃんと寝たー? ってうわっ! 何アンタ!」

 美晴は明るい笑顔を浮かべて、彩花の研究室のドアを開けた。徹夜開けなのか、妙にテンションが高い。

「み、美晴さん……何よ?」

 眼の下にくっきりとクマを作った彩花が、生気も虚ろに振り返る。

「ア、アンタねぇ、没頭すんのはわかるけど、女の子なんだから! 寝なさい、しっかり寝なさい。お肌の曲がり角なんてすぐそこなのよ!」

「……だって、V927が残ってるから……」

 彩花の言葉に、美晴はきょとんと目を丸くした。

「V927って、え? じゃあシークエンスAからUは?」

 彩花は虚ろな目である画面を示す。そこに表示されているプログラムを見て、美晴は眼を丸くした。

「うっそ。これ、うちのスタッフが一年かけてもうまくいかなかったプログラムなんだけど、ねぇ。……おねえさんビックリよ」

 美晴は彩花の頭を、くしゃくしゃと撫で回す。

「……ほんと頑張りすぎ。あなた自分の仕事はどうしたの?」

「あー……その、新世代ハードAIなら臨床実験中」

「たいしたもんだわ。ヘリアンサスプロジェクトの救世主ね」

「……はぁ? ヘリアンサスは美晴さんのプロジェクトでしょ。私は関係、ないよ」

「関係あるわよ。同じ地球に生まれた仲間じゃない」

「なにそれ」

「貴女はサイコー、ってことよ」

「ふがっ?!」

 美晴はふらふらの彩花に抱きついた。二人はそのまま、よろけて壁一面を占める本棚へぶつかった。

「ってうわあぁー!」

 本が棚から雪崩のように落ちてきて、二人は本に埋まった。美晴は少しだけ申し訳なさそうに笑った。


 記憶は暗転し、突然の銃声によって最も新しい記憶が蘇る。

 響く悲鳴が、否が応にも二人を囲む。

「あれ……ヘ、ヘリアンサスが……」

「しっかりしなさい彩花ちゃん!」

 突入してきた義体兵の一群が、弾丸の嵐で蹂躙していく。

「彩花ちゃん、こっち!」

「で、でも……」

「いいから早く!」

 美晴は焦りを露わにして、彩花の腕をつかむ。空いた手で個人エレベーターの扉を開けると、そこに彩花を放り込んだ。

 彩花は身を竦ませ、顔を強ばらせて眼を閉じた。放り込まれた時の衝撃が、体に伝わっていく。

「ち、ちょっと、美晴さん!」

 痛む体をおして名を呼ぶと同時に、エレベーターの扉が閉ざされた。動き出したと同時に、爆発の振動によってエレベーターが緊急停止する。電源も落ちて暗闇に飲まれた直後、重く低い銃声が響いた。

 元気でね、という言葉が、遠くで聞こえた気がした。


 彩花の呆然とした顔に、涙だけが止めどなく流れ落ちていく。今まで溜め込んでいたものを一気に押し流すような、悲しいほどに純粋な涙だった。

 冬弥は彩花の心理を推し量るが、かける言葉は思いつかなかった。

「冬弥……」

 弥雲に促され、冬弥は背を向ける。重い足取りで、二人はコントロールセンターを後にした。


 美晴の遺体に寄り添う彩花の顔が、くしゃくしゃの泣き顔へと変わっていった。

 美晴……その存在は彩花を優しく包み込み―――その死は彩花を強く締め付け、暗い氷となって、彩花の心を覆った。

 未だ血の匂い立つ空間には、頼りなく涙を流す、か弱い女性がいるだけになった。

 涙は玉となって美晴の体に落ち、ほんのりと染み込んでいった。               

              

 静かな嗚咽が、ドアの向こうから聞こえてくる。二人は部屋を出てすぐの壁に背を預けると、その先の風景を何気なく眺めた。

 冬弥は自分の首輪にそっと触れる。相変わらず、それは冷たかった。

「……大事な人だったんだろうな、たぶん」

「ええ。きっとそうでしょう」

 冬弥は大事な人、と口にして、自分にもいるだろうかと頭を巡らせた。しかし結局、誰の顔も思い浮かばず……傍らの弥雲にちらと目線を落ち着かせた。

 丁度その瞬間、冬弥の視線の先、冬弥と弥雲の間を、黒い缶が飛んでいった。

 見る間に冬弥の顔から血の気が引いた。弾けたように走り出し、弥雲を突き飛ばす。

 驚き、倒れていく中で弥雲は、冬弥の行方を目で追った。

「伏せてて!」

 黒い缶の正体は、SCOVハンドグレネード。モノを吹き飛ばす以外に使い道のない高性能手榴弾だ。冬弥はそれを、一瞬で看破した。 

 室内へ飛び込む。彩花が気付くより速く、彩花を腰から担ぐと、片足を踏ん張って方向を変える。缶が床に落ち、乾いた音を立てた。

「弥雲っ!」

 叫び、冬弥は彩花を外へ向かって放り投げた。同時に、思いきり床を蹴って飛ぶ。冬弥は空中で、拳銃を抜き放ち照準した。その視線の先では、義体兵がアサルトライフルを掲げつつある。

 義体兵の胸を狙い、冬弥は落ち着いてトリガーを引く。

 冬弥の握る拳銃から飛び出したハローポイント弾は三発。着弾と同時に先端部が潰れて歪み、衝撃を点から面へと分散拡大させる。一発目が防弾繊維を歪ませ、二発目がそれを砕き、三発目がその内側をずたずたに引き裂いた。

 殺傷力を上げる目的で作られた弾丸が、その責務をしっかりと果たした結果、義体兵は力無く倒れた。

 弥雲が不安げにそれを見つめる。冬弥は叫んだ。

「いいから伏せてろ!」

 瞬間、扉の奥、コントロールセンター内で猛烈な爆発が起きた。巨大な火炎と共に、小さな破片が四方へ吹き飛ぶ。伏せた弥雲と彩花の真上を、破片が飛びすぎていく。それは壁に衝突して、無数の凹凸を穿った。

 眼を疑うように瞬かせた弥雲は、はっと息を飲むと叫んだ。

「と、冬弥っ!」

 弥雲の目の前で、冬弥は臥せっていた。その背中にはいくつか裂傷が走り、血が滲んでいる。

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫二人ともっ?」

 同時に、冬弥は起き上がり叫び返した。弥雲はその様子に、ふっ、と頬を弛めた。

「……あなただけです、怪我人は」

「……ああ。そりゃよかった。俺、別に無傷だし」

 頭をぽりぽりと掻きながら、けろりと言い放った。

 ひょいと立ちあがると、冬弥は倒れた義体兵に近づき、手際よく装備を外していった。コンバットナイフ、アサルトナイフ、ボディアーマー、ハンドガン、アサルトライフル……一通り装備を確認し、淀みなく身に帯びていく。装備し終えると、立ちあがり、冬弥は倒れた義体兵を見下ろした。

 無機質なマスクの、赤いスリット型バイザーが、冬弥をじっと見つめているような気がした。

 冬弥は顔を険しくして、眼を背けた。冬弥は弥雲と彩花へ視線を投げかけ、呟いた。

「行こう。ここはもう危険だ」

 弥雲は小さく頷く。伏せて震える彩花を、冬弥はひょいっと背負った。


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