殺しちゃいけない転校生(2)
転校生がやってきてから、三日が経った。
「たぶん、前人間だと思うよ~」
「前人間?」
放課後。
葉柄の勉強で追いつけていない部分をゆかりが見る形で復習していると、二人の話題が転校生のものになった。
「そう~。殺したら死んじゃう人のこと~」
ノビノビとした声に耳を傾けながら、ゆかりのノートに書かれている内容を自分のノートに写していく葉柄。
「俺たち二人だけがあの転校生を殺しちゃいけない気になってるのはそれだってのか?」
「たぶんだけどね~。あたしも実物を見たこと無いんだし~。あ、でもあの子が前人間だったら、初めて実物を見たことになるのかな~?」
のん気に小首を傾げるゆかりを横目で見つつ、書くのを止めずに思い出す。
転校生、木林灯。あの子がしてきてからのこの三日間を。
~~~~~~
まず、転校して来た翌日。
クラスの女子たちが余所余所しい態度ながらも彼女に話しかけ、笑顔で受け答えをしていたその日。
一回目の授業で、彼女は盛大にやらかした。
「なんでみんな真面目に授業受けないの!?」
担当の先生がやってきても平気で話を続け、先生が黒板に板書した内容を写す素振りも見せず、友人とのコミュニケーションに全力を注いで先生の声を阻害する奴等が大多数を占めているクラス内の日常風景を、異常と断じる正常な主張を放り投げてきた。
「先生が話をしてるのに! どうしてその話を聞かないの!? 皆のためになるんだよっ!?」
机を叩き、大きな声を上げ、クラスに沈黙を呼び込む、いつも通り寝ていた葉柄すらも起こすその一声。
もし彼女が非難している奴等と同じ存在なら、非難を浴びて嫌われて、転校生なんてレッテルなんのそのな、影から傷つけられる日々へと転落していたに違いない。
だが今、その騒がしくしている連中は全て、彼女を見て抱くその不思議な感覚に戸惑っている。
殺してはいけない、と訴えてきているソレがなんなのか分からず、殺してはいけないということに気付いていないのに、何故か躊躇う自分自身に躊躇っている。
だから――
「お、おう……」「そうね……ごめんなさい」「木林さんの言うとおりだね」「ちょっ、皆静かにしようぜっ!」「授業ぐらい真面目に受けろっての!」
彼女の言葉を聞くしかなくなっていた。
今まで、殺しても大丈夫で、傷つけても治るからとイヤなことは全てそういった方法で解決してきた。
その方法を理由も分からず躊躇う自分が出てきてしまったせいで、咄嗟にその躊躇わせてくる相手の言い分を聞いてしまったのだろう。
「先生も先生です!」
「え、えぇ……」
「ちょっとは自分で注意してください! じゃないと舐められたままですよっ!」
ちなみに、気弱な国語の先生にまで注意していた。
~~~~~~
「どうしたの~? 手が止まってるよ~?」
「あ、いや。転校生のこと考えちまってた」
葉柄的には考えながらも手を動かしているつもりだったのに、いつの間にかボーっとしてしまっていた。
「……ふ~ん……」
「なに?」
「葉柄って、ああいう子がタイプなの~?」
「あん?」
「あたしみたいに細すぎないもんね~」
「なんの話だ?」
「転校生~。考えてたって言うから~」
ゆかりの言いたいことが葉柄にはイマイチ掴めない。
確かに、凍梨ゆかりは不健康に見えるほど細すぎる。長い髪がボサついているせいで、それが尚際立っている。
ただそれがどう転校生と繋がるのか、皆目見当もつかない。それと転校生ってどう繋がるんだ? と疑問符を浮かべるばかりだ。
葉柄の中での木林灯は、クソ真面目。
それだけ。
二日目も三日目も、先生や奴等を注意して、その度にその大きな声や音で起こされていた。授業中の昼寝を阻害してくる正義感振りかざし人間。
本当に、そんな程度の認識でしかない。
「今日なんて、こうして空き教室に来る前に、なんか話しかけられてたよね~」
「話しかけられてはいたが……注意されてただけだっての」
授業中の騒がしさが落ち着いてきて、普通の学校並みに静かになってきたせいだろう。転校生の次なるターゲットは、葉柄のように授業を寝て過ごす人たちへと向いた。
不真面目ながらも、周りには迷惑をかけず授業を過ごしている人たちへと。
「その割りには長かったよね~」
「そりゃ誤魔化してたからな」
睡眠学習の研究対象だから、と言って。
――ああ、なるほどね。それなら仕方ないか――
そうあっさり信じられた時はさすがの葉柄も驚いたが……。
「んなことより、写し終わったぞ。その話は終えて、早くその前人間について教えてくれよ」
「あ、うん~。良いよ~。でもちょっと話しすぎたかな?」
「うわっ、本当だ。もうほとんど時間がねぇ」
指摘されてから手を動かし続けてなんとかノートを写し終えた頃には、既に下校時刻になっていた。
「こりゃ今日は、家に帰って一人でするしかねぇか……」
いつもならノートを写し終えた後、ゆかりの指導の下本格的な復習作業に移るのだが、生憎とそんな時間はなさそうだった。
「そんなこと言って、一人だと集中できないでしょ~」
「ぐっ……まあ、一理あるな」
「十里あるよ~。ま、明日の小テストの前に、また見てあげるから安心して~」
「え? 良いのか?」
「うん~。まぁ、これで去年までの範囲もほとんど終わったしね~。時間的には今までみたいに、切羽は詰まらないよ~。と言っても~、明日あたしが作る小テストに合格してたら、だけど」
「そっか……っつか、毎日休みの日も地道にやってたせいか、いまいち勉強しきったって気がしねぇわ」
ペンを置いて背筋を伸ばし、一人ごちるように漏らす葉柄。
「これで去年までの範囲が終わりとか……去年の今頃から初めて二年間で修めきれてるのか? 本当に」
「覚え切れてるかどうかは葉柄次第だけど~……まぁペースは速かったから、八割覚えてれば良い方かな~。それでもほら、夏休みの間もほとんど毎日だったし~、その間勉強のペースは進んで無いんだから~、特別遅いってことは無いと思わない~?」
「言われりゃそうなのかもしれねぇが……それでも八割で良い方かよ」
「まぁ土曜日に作ってあげてる小テストの合格点も八割にしてるから~、実際はもうちょい低いかな~」
「そうやって聞くと、この一年間頑張ってきたのって無駄だったんじゃ無いかって思えてくるな……」
「まさか~。それだけでできれば、後は受験シーズンの時に復習しなおせばなんとかなるよ~」
「いや、俺高校行くつもりねぇし」
「あ、そう言えばそうだったね~」
彼が今勉強しているのは、死ねなかった時、すぐに働けるようにするためだ。
これ以上家に迷惑はかけられない。高校の学費なんてとてもじゃないだろう。
「ともかく、明日もココを使わせてもらう形でいいのか?」
「う~ん……別にあたしの家でも大丈夫だけど?」
「……遠いな」
「じゃあやっぱりココ、だねぇ」
ニコリ、と夕陽に負けない輝きを持った笑顔を向けられる。
朝も昼も夕方も、そして夜中もここに集まる。
平日であろうとも休日であろうとも。
二人にとっての集合地点となっているのはこの学校という場所。
その事実がどこかおかしかったのかもしれない。
葉柄も自然と頬が緩んだ。
「本当、小テストまで作ってくれて、助かるわ」
「突然だね~。前も言ったけど、あたしにとっての復習にもなってるから良いんだよ~」
そんな言葉を掛け合いながら、互いに荷物を片付け合いつつ、立ち上がる。
使い古され仕舞われた教卓の上に無造作に置かれたこの部屋の鍵を手に取りつつ、二人は一年程前から毎日勉強に使わせてもらっている、この人気のない空き教室を後にした。