解決していく問題と(1)
風引いて寝てた
だから今日は二つ投下します
茜色に染まらない夕方の教室。
暗くなるのには程遠い、夕陽が射し込むこともない、けれども少し薄暗くなってきた、そんな放課後。
いつもの空き教室で、いつもとは違って一人で、葉柄は黙々とその日のノートを写していた。
……それが、一区切りついた頃、ようやく遠くから足音が聞こえてきた。
「やっと、か」
一人呟き席を立ち、ノート類を片付けることもせず、相手がドアを開ければすぐさま向かい合わせになるように移動し、窓枠へと腰掛ける。
そうして葉柄が準備を果たす頃、この教室へとやってきた相手もまた、ドアの前でゴソゴソとした後、ようやくそのドアを開けた。
「っ!」
「よお」
驚きの表情。
次いで、教室の中を見回す。
「転校生なら来ねぇぞ」
「えっ!?」
「あの手紙は嘘っぱちだ」
灯の名前を借り、葉柄が書いた手紙。
「相談したいことがあるから最上階隅の空き教室に来て欲しい」
と書いて、彼を呼び出した。
「イジメられてる対象が変わってしまったから、昔の対象だった自分に相談してもらえるとでも思ったか? っつか、筆跡で分かれよ。露骨に男みたいな筆跡だっただろ。……なあ、ブタ」
名前を呼んでやろうと思っていたのだが、待たされすぎて忘れてしまっていた。
というか葉柄の場合、興味の無いやつの名前は覚えてもすぐに忘れてしまう。
その証拠にいまだ灯の名前すら満足に覚えていない。
呼び出された男は、沼上信。
大掃除の時間、ナイフを刺されていた、あのイジメられていた太った男子生徒だ。
「僕を……騙したのか……!」
その彼が葉柄の言葉に対し、悔しそうに顔を歪める。
そんな彼を見据え、葉柄は不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、騙した。まあでも、仕方なくね? お前だろ? 転校生をネチっこく見てたのは」
「はぁ?」
何言ってんだコイツ、と小バカにした表情で肩をすくめられる。
「ネチッこくって、それは、助けてくれた女の子を見るのは当たり前じゃね? もしかして僕のこと好きなのかなと思うもんじゃん。勘違いかもとか思いながらも考えちゃうものじゃん。それとも、何? お前はそういうの無いの? それともお前木林さんの恋人か何かなの? 凍梨さんとの二股なの?」
「恋人とかそういう関係じゃねぇが、アイツを守るって約束はしてんだよ」
「ぼ、僕が告白するのが、あの子を危険に晒すってこと?」
「……なあ、茶番は止めにしようや」
「はあ?」
「お前の告白が愛の告白ならそりゃまあ危険はねぇんだろうが、お前のその告白は転校生を殺したいって告白だろ?」
「ん、んなわけねぇじゃん」
「教室に入る前に、ポケットの中にナイフを忍び込ませたヤツが何言ってんだよ」
「っ!」
教室の中にいた葉柄からは影しか見えなかった。
しかし、それでも確信していた。
アレは間違いない、と。
それに、ドアを開けた時の血走っていた目つきも見ていた。
それもまた、確信に拍車をかけている。
何より……灯についてゆかりがクラス全員の前で話している時のあの空気。
そもそもそれを葉柄が見たからこそ、今この状況が出来上がっている。
「気付かれてねぇと思ってたことにビックリだ。っつかお前、ゆかりが転校生を助けてるとき、すげぇ目で見てただろ? アレなんだ? もしかして、自分は助けてもらえなかったのに、アイツだけ助けられてズルイとでも思ってたのか?」
「な……何を……」
「それで殺そうと思ったのか? いや違うよな。それより前から校内で視線を感じるって転校生は言ってたからな。それともその時は本当に恋心でも抱いてたのか?」
「いや……いやいや、今も好きだし。ナイフなんて持ってねぇし」
「……ま、実際はお前、あの転校生を殺してみたかっただけなんだろ?」
転校生のことを『前人間』と分かっているかどうかは分からないが、もし分かっていなかったとしても、殺してはいけない、という本能的感情は抱く。もしそれに逆らってみたいと思ったのなら……。
「自分をイジメから守ってもらって、クラス内でのイジメの対象がアイツに移り変わってきたのを見て、思ったんじゃねぇか? アイツがイジメられる対象になったんなら自分が手を出しても良いんじゃないか、ってな」
「そ、そんな訳ねぇじゃん! バッカじゃねぇの? 妄想も大概にしろってのっ!」
「自分も彼女をイジメたい。ついでに言えばそのままイジメの対象から外れたい。ならばどうすれば良いのか? そうだ自分と一緒で殺しちゃいけないと周りも思ってる。そんな相手を殺せたら危ないヤツと思われてイジメられなくなるんじゃないか? そうだそうに違いない。そうしよう。そうしてやろう。……ってな感じなことを考えて、弱いものイジメの口実を自分の中で作り上げたのか?」
「だ、だからそんなのは妄想だって……!」
「……はぁ……そうかい。ま、どっちでも良いけど」
正直に言えば脅すだけで済ましてやろうと思っていたが……ここまで頑なだと。
もう、真っ当には、戻れない。
「どれだけ言い訳しようとも、俺の中で納得できる理由をその口から喋ってくれねぇ限り、俺はこの考えを信じて、お前を殺すしな」
「なっ……!」
「だってそうだろ? 俺はあの転校生を守るって約束してるんだし。俺が危ないって判断してんなら、殺すに決まってんだろ」
「こ、殺したのがバレたら警察もんだぞ!」
「それ、今までお前を殺してきたヤツに言って、効果あったか?」
「っ!」
「無かったろ? 生き返るなら殺人罪も無い。働いてなくて給料貰ってなくて、税金払って無けりゃ傷害罪さえ無い。国は金の成る木しか守らねぇってことぐらい、皆分かってんだよ」
「…………」
「んじゃ……行くぞ」
声を落とし、ポケットからナイフを取り出す。
いつもゆかりとの殺し合いで使っている得物。
刃を飛び出たせ、固定する。
「死にたくなけりゃ、そのナイフで戦えよ。あっ、ナイフは持ってなかったのか。じゃあ……避けろよ」
姿勢を低くしながら、一歩。
起こして、二歩。
また斜め下に踏み込むように、三歩。
真っ直ぐに駆け抜ける道筋を、フェイントを入れるように踏み込み、その力を爆発させるよう四歩目から走り抜け、一息に距離を詰める。
狙いは……左脇腹……!
「ひっ!」
ギン! と響く鈍い音。
沼上は咄嗟に出した自分のナイフで、葉柄の攻撃を防ぐ。
「はっ、やっぱ持ってんじゃねぇか」
自分の顔に薄ら笑いが張り付くのを自覚しながら、力を込めて押し込まず、あえてそのまま一歩離れ、間合いを取る。
「ウソはいけねぇなぁ……ウソは」
左右に揺れるように、ゆっくりと跳ぶように、フットワークをかましながら……自分の中に言葉で形容し難いほどの昂りが沸いてくる。
やはり葉柄は、殺し合いが好きなのだろう。
本当には死ねないと分かっていても、擬似的な命のやり取りだと理解していても、悦んでしまっている自分がいる。
だからこその、昂ぶりだ。
「ま、どっちでも良いさ。いいから構えな」
「そっ……!」
「弱い者を刺す覚悟はあっても、強いやつに刃向かう覚悟はねぇってか? それがイジメられる原因なんだよ。相手は死なねぇんだ。思いっきりやれよ。例え無様に殺されても、反撃を繰り返すことに意味はある」
「ぐっ……!」
「怖いのか? でもよく考えろ。相手はお前を傷つけて悦ぶ輩だ。そんな奴等相手に、お前は何を恐れてる? 傷つけること? 傷つけて痛がるのが見たくないのか? 相手はお前を傷つけてばっかで、痛がるお前を見てニヤニヤと笑みを張り付かせるのにか? ……んな気遣い、相手が汲み取らなきゃ意味はねぇんだよ。そしてココは、バカばっかだ。俺も、お前も。お前以外の誰もかも」
「…………」
「んなもん汲み取れるほどの人間はここにいねぇ。いたとしても周りに吹聴してまでお前を助けようとはしてくれねぇ。だからテメェで何とかするんだよ。自分を傷つける奴を傷つけろ。自分の身は自分で守れ。誰かを殺すんじゃなくて、自分を殺そうとしてくる奴を殺せ。そして違うと自覚しろ。お前を斬って楽しむ奴とは違って、自分は、肉を斬る感触も、痛みを上げる悲鳴も、好んでいないってな。クズを相手にするのにクズに成り下がるのは、カッコ悪いだろ?」
「…………っ!」
構える。
カタカタと震える刃先をこちらに向ける。
その震えを止めるかのように、ナイフを握る左手首を、空いた右手で握りながら。
両手で精一杯。
まるで小さな子供のよう。
大きな体格に似合わない、初めて戦うのを覚悟したような構え。
「……上等だ」
そんな不恰好な構えでも、構えられたせいなのか。
葉柄の口角が、大きく吊り上がる。
「俺は殺されるのを望んでる。でも今は、殺されてやる訳にはいかねぇんでな。悪いが本気で行くぜ」
つい、殺されたいという想いのせいで相手に構えさせちまったが……俺はコイツを痛めつけ、もう二度と、あの転校生への殺意を抱かせないようにするのが第一の目的だ。
だからこれは、無駄なこと。
お節介も甚だしい。
この後殺されてやるならまだしも、殺してしまうのなら、意味の無い行動としか言えない。
けれども、やってしまったもんは仕方が無い。
だから、もう一つ。
ここで負けても反抗することに意味はあると、そう相手が思ってくれるほど、強いことを願って――
「――全力で、殺してやるよ」




