変わり始める「転校生」(3)
一時限目の授業を終えるチャイムが鳴る。
「はいっ。じゃあ今日はここまで」
授業担当の先生のその声を合図に、教室内に雑音が宿る。
珍しく、授業は静かに行われた。
原因は分かっている。
アレだけのことを起こしておいて、途中から灯が授業に参加したからだ。
「おいおい! ワンワン泣いてたクセに良く戻ってこれたなっ。おっ!?」
廊下側から三行目の一番前から二列目。
そこが灯の席だ。
朝口論した松来くんは、その隣の真ん中側の一番後ろ。
起立・礼、の挨拶も待たず、今まで静かにすることで溜めていたパワーを爆発させるかのように、教室の後ろから彼女の背中に向けて大声をぶつけてきた。
「…………」
騒がしいのはいつものこと、むしろ途中から授業終わりまで誰も注意することなく静かだっただけでも珍しかった……と日頃が日頃だけにちょっとまともなだけで感心しながら、先生は教室を出て行った。
そう、この程度はマシなんだ。
終わりの挨拶なんてなくてもいつも通り。
それしかおかしい部分がなかっただけ。
むしろ良いほう。
静かに授業を進行できたのだから。
けれども、灯にとってはこれだけでも、十分におかしいことだと思う訳で……。
灯が教室に戻ってくるまで騒がしくて、授業が終わる合図を上げることなく大声で私を挑発してきた、この状況は。
あまりにも、前の学校と、違いすぎて。
おかしいとしか、感じない。
「……………………」
だからいつもは、注意してきた。
だけどその注意は、無駄なこと。
相手が気を遣ってくれなければ、意味を成さない。
嫌われている私の言葉なんて聞いても、周りは気遣ってなんて……くれない。
「……っ」
ゆかりの言葉をまた言われたような錯覚。
頭の中で、耳元の近くで、同じ言葉がいったりきたりの幻聴。
「おいおいビビって声も出ねぇのかっ!? 無視かオイッ!!」
責め、悪口を言い、貶めている声が充満している中、こちらに歩み寄ることなく、むしろ歩いて来いと威圧し接近を強要してくるその言葉。
いつもなら……いつもの灯なら確かに、反論し、反抗するために、立ち上がり、迫っただろう。
でも今は……周りから責め立てれたあの時の恐怖が蘇り、手足が震えてしまう。
近付けば囲まれて、また同じように悪意をぶつけられるのではと思ってしまう。
味方のいない、今だと。
だから、近づくことは元より、立ち上がることすら満足に出来ない。
恐怖と、不安で。
……本当に、あの二人はこの状況の私を、助けてくれるのだろうか……?
私の方が正しかったと、認めさせることが出来るのだろうか……?
そう、身震いしそうなほど、押し潰されそうになっていたところで――
ガラ、ダンッ!!
「は~い。どうも~」
外れそうなほど力強く、ドアが開けられた。
音の心臓に皆ビクりと静かになり、そちらへと注目する。
葉柄とゆかり。
彼がドアを力強く開け、彼女がお辞儀をするように手を握り、教室の中へとツカツカと入ってきた。
「え~……それじゃあ~、木林さんについて、決まったことを発表しま~す」
教卓の前に立ち、いつものようにのびやかな言葉で宣言。
ザワつきすら許されない妙なピリついた空気の中、平然とニコニコとした笑みを張り付かせたままなのが、逆に不気味に見える。
葉柄が教壇の傍に立ったタイミングを見計らったかのように――
「あたしと葉柄の二人が、彼女の管理係ということで、これからよろしくお願いしま~す」
伸び伸びとした声で、けれども力強く、そう宣言した。
「えっ!?」
それに対し真っ先に驚きの声を上げたのは、当事者である灯。
どういうことか理解が追いついていない。
それは他のクラスメイトも同じだったようで、ヒソヒソとした動揺が教室内に広がっていく。
「管理係ってのがどういうことなのか、ってのが分からないと思うので説明させてもらうと~、要はこれから、あたしと葉柄の二人で、木林さんの注意癖を逆に注意していこうと思うわけですよ~。代わりに~、彼女に危害を加えないようにしてもらえたらな~、って思うんですよ~」
言うゆかりの視線は、教室の後ろ――松来へと向いている。
「もちろん~、これから注意していくわけだから~、木林さんの注意癖がすぐにいきなり無くなる訳じゃあないんだけど~……でももし鬱陶しい注意をされたりしたら、あたし達に言ってもらえたら、すぐに改善するように促すから大丈夫~」
「はんっ!」
ドンッ! と机の上に踵を落とし、嘲笑しながら松来。
「んなもん、その女が改善するわけねぇだろ。お前らみたいなボッチ二人が注意したところで今まで通りだったらどうするつもりなんだ? おっ? どう責任取んだよ」
抑えきれない怒りを漏らしながら一歩前へと踏み出した葉柄を、ゆかりが瞳だけで制する。
強く見つめただけで視線に気付き、彼女を見て、その足を止めていた。
「そうだね~。もっともだと思うよ~」
そんなことを億尾にも出さず、ゆかりは今まで通りのゆったりとした口調で続ける。
「でも~、そもそもあなたの場合はあたしの提案を受け入れるしかないと思うんだ~」
「はっ? なんだソレ」
「クラスの皆もそうだけど~、皆なんとなく、彼女を殺しちゃいけないって感じ、持ってるんじゃない~?」
『っ!』
葉柄を除くクラス全員――灯までもが息を呑む。
まさか『前人間』のことを言われるんじゃ……!
だがそんな不安は全くの杞憂に終わった。
「よく分からないけど~、皆もそうでしょ~? だから最初、木林さんの言うことを聞いちゃってたんだよね~。だからこれは、それを何とかしてあげようって提案なんだよ~。要は、話しかけ辛い木林さんに~、あたしたちが中継ぎをして意見を伝えてあげようってこと~。もしここで断ったら~、傷つけちゃいけないと思っているのに傷つけちゃうことになるよ~? さっきみたいに怒りで全て真っ白だったら出来るのかもしれないけど~……そうじゃないときに、本当に出来る~?」
「……ちっ! じゃあテメェは本当にその女にちゃんと伝えてくれんだろうなぁ!」
「もちろんだよ~」
「信用ならねぇよ」
「あたしも怯えて彼女にきつく言えないってこと~? ん~……じゃあそうだな~……今から、木林さんを傷つけて見せようか?」
「は?」
「その皆が持ってる本能を、あたしは超えられるってのは、そのまま証明になるでしょ~?」
消える笑み。
真剣な瞳。
間延びした言葉とは裏腹な、本当にやろうとしている意思が伝わる目つき。
「最終的には暴力に訴えたり傷つけて脅しが利くっていうのは、そのまま木林さんに無理矢理にでも言うことを聞かせる証になるでしょ?」
けれども口調は全く変えず、先程の不安とはまた別の不安に包まれている灯を、直接見てもいない。
本当にゲームのマイナールールを追加しようとしているような手軽さなその言葉。
当たり前に発せられるその凶悪的な言葉が自分に向けられているというのが恐ろしく、一瞬、膝の力が抜けてしまい、フラついてしまった。
「……ちっ、いいよ。前にクラスん中で包丁を突きつけてたのは見たからな。お前なら本当にやるだろうよ」
「分かってくれて何よりだよ~、うん。だからま~、もしあたし達が注意していたのに同じようなことしたら~、あたし達を非難してくれたら良いよ~。ほら、他のクラス委員とかにボロクソに言ったりしてるでしょ? ちゃんと仕事をこなしてても自分の要望を身勝手に言ってるアレ~。あんな感じで良いから。クラス委員みたいな感じで木林係って感じだから、罰則も同じ感じで十分だよね~?」
「ちょ、ちょっと待って!」
さり気なく毒を吐いているゆかりの言葉を、座ったままながらなんとか身体を腕で椅子の背もたれを持つことで支えつつ、ようやく灯は止めに入る。
今この機会を逃したら、このまま話が決まってしまいそうだったから。
話が一段落つき、ようやく巡ってきた口を挟める機会――
「凍梨さん、そもそも約束が違うんじゃない?」
私を助けると言う話から大きく脱線しているように思う、その提案を、問い質せるチャンス。




