「前人間」故の…(2)
「…………」
で、同じく育ちが良い筈のもう一人は、灯がいなくなってもまだむくれたままだった。
「…………」
「…………」
それにどう声をかければ良いのか分からなかった葉柄は、なんとなく感じる空気の違和をそのままに、灯が来る前にやっていたノートの写しを再開する。
「……………………」
「……………………」
しばらく、彼がシャーペンを走らせる音と、ノートを捲る音だけが教室を支配する。
先程までの騒がしさがウソのような、いつも通りの静かな時間。
下の階から聞こえてくる喧騒、運動場から聞こえてくる部活動の音、それらが遠くから耳に届いてくるだけの、本当に静かな時間。
「…………ふぅ……終わりっと」
シャーペンを復習用のノートの上に放り出して、腕を上げて大きく伸びる。
固まっていた肩と腰からペキペキっと、放課後独特の騒がしさに負けない音が鳴った。
「おつかれ~」
葉柄がノートを写している間に落ち着いたのか。ゆかりはいつも通りの口調で、彼に貸してくれていた歴史のノートを回収しながら労いの言葉をあげている。
これで、歴史の復習も終えた。残す教科は理科をのみだ。
それを終えたら、あとはその日までの授業内容の復習をしていくだけ。今までサボっていたツケをようやく払い終えるまで、もう少しだ。
「……ね~」
「ん?」
中途半端に時間が余ったな……途中で終わっても良いから理科に取り掛かろうかな。
そう考えてた葉柄に、ノートをカバンの中へと仕舞う格好のまま、顔も上げずにゆかりが声をかけてくる。
「昨日のことなんだけど~、家に帰ってから調べてみたんだ~」
「なにを?」
「『前人間』について~」
いつものゆかりならそんな前置きをせず、調べてきた結果をいきなり口から出していてもおかしくはない。
珍しく歯切れが悪いなと思いながら、葉柄は彼女の言葉に耳を傾け続ける。
「でね~……その中で、気になる噂があったの」
「噂?」
「……『前人間』は人間を殺せる――」
「っ!」
「――っていうのなんだけど~……」
一息に、思考がそちらへと持っていかれた。
「殺せるって言うのは、アレか……? その、生き返らないっていう意味の……!?」
「たぶん、葉柄が望んでるソレで間違いないと思う~。じゃないとわざわざ噂話にもならないと思うし~」
それは、間違いのない、死。
葉柄が灯に殺してもらえれば、生き返らず、死ねる可能性がある、ということ。
「それは……マジか……!?」
「……噂話だって言ってるよ~?」
「そ、そうか……そうだよ、な……うん……」
突然目の前に降ってきた、自らの願いと望みを実現できる可能性。
あまりにも嬉しくて、つい、それが“可能性”ではない風に――自らの都合の良い風に、考えてしまった。
葉柄の心の中は今、激しく暴れている。
舞い上がっている自分を、上手く表現し切れていない。
まだ、死ねると確定したわけじゃないと、どこかで思う自分を捩じ伏せんばかりに、歓喜を露にしている。
自分の中が自分自身が、よく分かっていない。
今も、これから先も、この希望を見つめて何を考えていたのか、きっと分からなくなるだろう。
「そうか……やっと、死ねるのか……」
暴れ回る心から吐き出された感情を乗せた言葉は、葉柄自身でも驚くほど色に染まっていないものだった。
今にも小躍りしそうなほど、身体の内が熱くなっているというのに。
たぶん、それは安堵。
死ねることに対する解放。
何となく彼自身、毎日ゆかりに殺され続けてもらうだけじゃあ死ねないと、思っていたのだろう。
彼でも気付かぬ彼自身が。
人には生き返ることが出来る回数が設定されている。
そんな噂すら立っていない、独自に、都合よく仮定した推論の下、ゆかりの衝動解消も兼ねて行っていたソレが無駄なのかもしれないと、きっとどこかで考えてしまっていたからだろう。
ようやく、一縷でも、一厘の可能性でも、ただの噂話で根拠なんてない代物だとしても、道筋が見えた。
少なくとも、今の毎日の殺し合いよりも、光が見える道筋が。
真っ暗な道を正しいと言い聞かせ、正しくないと思う自分を見ないようにして歩き続けてきた中でようやくの、その光明。
その道だって結局、ただただ己を生かし続けるだけの、間違いに続く道なのかもしれないけれど、それでも……見えたから。
闇雲に歩き続けてきた道に、ようやくの、指針が。
だから、気が抜けるような声が、出てしまったのかもしれない。
どうせそれがハズレでも、現状と変わらないということに、変わりはないだけ。
ならば試す価値は大いにある。
自然、ダラりと下げていた手に、力がこもる。
「でも~……問題点はあるんだ~」
顔を上げ、カバンを胸の前で抱くようにして、暴れる心を把握し続ける葉柄を見つめ、ゆかりは続ける。
「もしその噂が本当だとしても~、木林さんは葉柄を殺してくれないと思うんだ~」
「なん――」
で? と続けそうになって、すぐに思い至った。
「――そうか……もし本当に死んだら……」
「そう~。彼女は人殺しとして、捕まっちゃうから~」
彼ら『人間』は生き返る。
だから、ついつい忘れてしまう。
けれどもそれは、確かに法律として存在する。
人を殺してしまえば、それは殺人罪。
今だ変わらぬ不変の法律。
殺した人が生き返られなければ裁かれるという、極々当たり前のこと。
ほとんどの人が死ななくなってしまっているから、ほとんどの人が忘れてしまっている。
そのことを。
人殺しはいけないという、そんな当たり前のことを。
人は、ついつい忘れてしまっている。
「……なんとか殺してもらえないものか……」
腕を組み思案するものの、やっぱり他人に罪を犯してもらう方法なんてものは思いつかない。
葉柄が「俺を殺さなければお前を殺すぞ!」と脅す――あるいはそうせざるを得ない状況に持ち込めば、あるいは可能なのかもしれない。
が、灯の性格を考えるに、失敗する可能性の方が高い。
殺せる得物を渡したところで、捨てられ説教される。
あるいは、自分を犠牲にしてでも、葉柄を助けるかもしれない。
「一応~、考えがないわけでもないんだけど~……」
「えっ?」
また、煮え切らない言い方をするゆかり。
葉柄的には、さっき言い辛そうにしてたのは方法が思いついていないのに希望を持たせて良いのかどうかを悩んでいたのか、と思っていた。
が、どうやら違うらしい。
「その~、葉柄はさ~、たぶん脅せばどうかとか、そういう野蛮な方向で考えてるでしょ~?」
「お前エスパーか何かか!?」
「あたしの知ってる葉柄はそういう人だからね~……じゃなくて、その逆をすればまだ可能性はあるんじゃないの? ってこと~」
「逆だぁ?」
「つまり~、木林さんを助けてあげるんだよ~」
「助ける……助けるねぇ……」
パッと頭に思い浮かんだのは、今の無視されてる状況をどうにかしてやる、という方法。
「恩があれば、引き受けてくれるかもしれないよ~?」
「それはそうかもしれねぇが……さすがに人殺しはしてくれねぇだろ。『前人間』本人なら、さすがに俺らみてぇにその噂を知らないってことはねぇだろうし。なんなら、噂じゃなくて本当かどうかまで知ってそうだ」
「でも~、噂が本当であれ嘘であれ、脅すよりは可能性あるよ?」
「まぁ……そりゃそうだが……」
「それに上手くいけば、あたしみたいに罪人になってもいいから、っていう宗旨替えをしてくれるかもしれないし~」
「……なんだゆかり? さっきから聞いてるとどうも転校生を助けて欲しいように聞こえるんだが」
「あり得ない」
「……………………そうか……」
ツンデレかおい~! と茶化すためのセリフを用意していたのに、真顔でキッパリと語尾を延ばさずに言われた。
こういう口調のときはマジのマジなので、今日何度目になるのか分からない言葉の嚥下を行った。
「ただあたしは~、葉柄のお願いを叶えるための手段を考えてるだけだよ~」
死ぬために、葉柄はゆかりと、深夜の殺し合いをしている。
ゆかり自身は「自分のために殺し合いをしてくれている」と思っているが、それは葉柄もまた同様だった。
お互いがお互いのために、お互い自身の我侭のために、付き(ころし)合っている。
そしてそのことを、お互いに理解している。
だから葉柄の望みを知り、それを叶えるために、こんな提案をしてくれている。
「……ま、ゆかりがそう言うんなら、転校生を助けるための手段でも考えるか」
「となると~、まずは視線について考えないとね~」
「え? クラスから無視されてることじゃねぇのか?」
それはつい先程、この教室にわざわざやってきて、灯本人が愚痴ったことだった。
まさかそちらを主題にされるとは思っていなかった葉柄の口からは、つい間の抜けた声が出た。
「それは本人の問題だし~……葉柄とあたしで出来ることじゃないよ~。だから、まずは視線の方を優先しようかと思うんだ~」
「そっか……じゃあまずは、転校生の様子でも見に行くのが妥当か。どうせ理科の復習を始めるにしても中途半端だったし、ちょうどいいだろ」
「でもどこにいるんだろ~?」
「そうだなぁ……転校生の性格を考えると、小学生のために近い場所を選ぶだろ」
「じゃ~あ~……その子供を送った団地が怪しいかな~?」
「だな。ま、いなくても別にいいけど」
噂が噂ではなく真実で、殺してくれるという条件を本当に助けただけで呑んでくれると確定しているのなら必死にもなるが、そうじゃない以上は真剣にもなれない。
心情的には、復習を続けるには中途半端に時間が空いたからこそのついでや暇つぶしみたいなもの、の方が近い。
「それじゃあ~、行ってみようか~」
「ああ」
ノートと筆記用具を片付け、空き教室を出るために立ち上がる。
「あ、そうだ~」
傷だらけの教卓に置いていた職員室で借りたガキを手に取ったタイミングで、どこかワザとらしく聞こえる、何か気付いたようなゆかりの声が葉柄の耳に届いた。
「どうせだったら~、今日はあたしも葉柄の買い物について行っていい~? せっかくそっちの方向に行くだんだしさ~」
「……良いけど」
「えっ!? 本当~?」
「でもなんも面白くねぇぞ?」
「いいのいいの~。ほら、早く行こう~?」
太陽のような輝かんばかりの笑顔を浮かべ、カバンを肩に掛けさっさと教室の外へと向かうゆかり。
その足取りは軽く、スキップでもしそうな程だった。
その後ろ姿を見て、葉柄は思った。
スーパーでしか買えない食いたいものでもあったのか?
と。




